Neetel Inside ニートノベル
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「役を全うしているだけだ」
 車のシートに身を委ねている河原崎は、運転席にいる女性の質問に答えた。車での逃走中に、彼女が現れたのだ。
「何の役?」
 彼女は親しげに河原崎に質問を重ねた。組織の中でも見知った幹部同士ではあったが、河原崎は彼女や他の幹部に対して、計画の全容を話してはいなかった。
「そうだな……世界征服を目論む悪者の頭……と言ったところか」
「……そう」
 女性は赤信号にブレーキを踏んだ。エンジンが発する静かな音も、なくなると車内が殺風景になった。
「悪者……ね」
「嘘じゃないだろう」
「確かに、世界からすれば抹殺すべき存在かもね」
「様々な禁も犯した。もう、生きては帰れないだろうな」
 再びアクセルが掛かる。加速を感じるなかで、女はその力で押し出すように言った。
「死ぬつもり……?」
「…………」
 狭い車の中で、沈黙はその重さを倍増させていた。街灯が幾つか通り過ぎた後、外の景色を眺めていた河原崎は、冷たい窓から目を離した。その視線は、一直線にミラー越しの女性に向けられた。
「そのつもりだ」
「……どうして」
 また、赤信号。ゆっくり減速していく車内は、それに比例して更に静かになる。
「それは分かっていることだろう、シルヴィア。私自身、私そのものが、悪役だからだ」


「てめーらの親玉、相当ブッ飛んだヤローだってな」
 青白い光に照らされる青年は、ヘラヘラと笑った。まるで、白井の境遇に同情しているかのその振る舞いに、白井は少しの怒りを感じた。
「それが?」
「いいのかよ、それで。それでてめーは満足か?」
「関係ないよ。河原崎がどれだけの人間かなんて、私には興味ないし」
「……そうか」
「それに、あなただって、命令されて何人も殺して、それで満足なの?」
 青年の顔から笑みが一瞬で引っ込んだ。だが、すぐに顔を元に戻し、元の力の抜けた笑い声が駐車場に広がった。
「それ言われたら敵わねーや。確かに、俺は人を殺すのが仕事だ。どんなに嫌な顔したって、命令ならどんな奴も殺す。命令してるうちの親玉もひでー奴さ。冷徹非情で、人を騙すも操るも自由自在。上司じゃなかったら、死んでも付き合いたくないね」
「分かる。最低な先生とか、言うこと聞きたくないけど、でも先生だから、渋々やってるの」
「だよな。気が合うじゃねーか」
 お互いに、フッと軽く笑う声が跳ねる。つり上がった口角を元に戻して、お互いに睨み合う。
「流石にやり辛いね。だがしかーし」
「あなたとは戦いたくないかも。でも、やっぱり」

「悲しいけどこれ、命令なんだよね」
「友達を殺した罪は、重いよ」


「悪役だなんて。あなたは自ら進んで悪を全うするって?」
 シルヴィアはハンドルを握ったまま、ミラーの向こう側にいる河原崎に言った。河原崎は、静かに息を吸い込んだ。
「世界からすれば、だよ。私は私の正義を貫いているつもりだ。だが、それは誰かに刷り込まれた歪んだものかもしれないけどね」
「……刷り込まれた?」
「そう。私は、誰かから与えられた理由なくして生きることは出来ないのだよ。今こうして計画を推し進めているのは、自分の意思だけではあり得るはずもない事だ」
「…………」
 シルヴィアは黙り込んだ。シルヴィアは、河原崎の言ったその意味を分かりかねていた。
「私はもうじき、アメリカに、世界に宣戦布告するつもりだ。もう私には関わらない方がいい。これは私の個人的な戦いだ」
「私達を……」
「君達とは今は無縁でありたいんだよ」
 その時、そびえ立つアジトのビルが窓の視界に入り込んできた。その時、まだ走っている車の、扉が開く音がして、シルヴィアはハッと後ろを振り返った。
「私は降りるよ……後の始末は子供達に頼んであるから、これから起こることは彼らに任せておけばいい」
 河原崎は、音もなく車から飛び降り、闇の中に紛れた。振り向いたシルヴィアは、目の前に巨大な装甲車を見つけた。その備え付けられた機関銃は彼女の乗った車を指している。
「何よ……一体、何なのよ……」
 シルヴィアのハンドルを握る手に力がこもった。


 広くはない駐車場。
 爆音が岬に響く。青年は命令だけを理由にして戦っていた。
『邪魔するやつは排除しても構わない』
 河原崎について、彼は詳しく知らない。雇われ殺し屋の彼に、知る権利は無かった。言ってみれば、彼は人形だった。
 これまでに幾多もの人の亡骸を目にし、それと同じだけの復讐を見てきた。面と向かって睨む人々の顔には、怒り、恐怖、悲しみ、渦巻く種々の感情が入り混じる。そうして、報復は連鎖していき、殺人は日課になっていた。ひょっとしたら、命を狙われているのは寧ろ、自分かもしれないと思うほどだった。
 そんな彼が驚いたのは、今、自分と同じ目をした人間が、目の前にいたことだった。その目は、自分と同じく無機質なもので満たされている様に見えた。
 仲間がいた喜びだろうか。青年は嬉しくなって口を開いた。
「こんなに骨のあるやつは久し振りだよ」
「嬉しいの?」
 白井にとって、戦いはまだ日常ではない。が、遠い未来そうなることは青年は分かっていた。
「……お前にはまだ分かるかよ」
 二人が少しの間を挟んで、一瞬だけ睨み合った。お互い、即座に相手の命を刈り取ることができる間合いだ。
 決着は一瞬で付いた。青年の腕が伸び、白井の頭を鷲掴みにした。同時に、白井の銃の銃口が青年の顔を捉えた。

 白井の銃が、一瞬早く火を噴いた。
 一際大きな銃声。それは山の木々に紛れていった。
「おいおい、俺、死ぬのかよ」
 青年の声がした。
 白井を掴む手から力が感じられなくなった。海から、塩気に満ちた風が吹き込んできた。それでも静かだ。明かりが青白い。血が紅く映える。白井の頭が空っぽになる。人を殺めたのはこれが最初だった。
「何? 悲しい? 馬鹿かてめーは。これからお前はそれが日常になっていくってのに、怖いだ? そんなんで勤まるほど甘くないね」
「……悲しくなんかないよ」
「そりゃ大きなお世話だったな、ま、俺はせいぜい海にでも捨てといてくれや」
 プツンと糸が切れるように青年は崩れ落ちた。背中からコンクリートにぶつかるが、その音に生命はない。白井の空っぽになった頭の中に、青年の言った一言が流れ込む。
「これから……」
 私は人を殺し続けるの?

       

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