Neetel Inside ニートノベル
表紙

カインド・オブ・ブルー
第二話『笑顔』

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 結論だけ言えば、三人は逃がす事になった。気絶したままの三人を飛行船に突っ込んで、エンジンを起動させて空の彼方へと飛ばした。全員、人が死ぬというのは嫌だったのだろう。
 その後、四人はミーシャの意見で、自警団の事務所へ向かう事になった。クアの処遇、事情を把握したいという理由からだ。大樹の街を通りぬけ、頂上付近にある演習場へとたどり着く。円形で、木の地面。半分だけ木の中に入り込んだ場所だ。そこで、一人の男性が木刀を振っていた。
「……あ! ちょっ、アズマ隊長!! なんでこんなトコにいるんですか!!」
 ミーシャは、男の元へ走っていくと、思いつく限りの文句を男へとぶつける。それを曖昧な笑みで誤魔化しながら、なんとか終わらせようとしている。男の名は、アズマ・ムラサメ。黒髪を眉に掛かる程度まで伸ばした、細目の男。腰に差した日本刀と、薄手のパーカー。その下のは黒いタンクトップと、ジーパン。
「あのねえアズマ隊長! あの騒ぎで知らなかったなんて言わせませんよ!!」
「いやあ、ごめん。ミーシャが行ってたのは見えたからさ、任せようと思って」
「はあ!? 隊長のクセに仕事放棄ですか!」
「いや、僕には向かないってこれ……。やっぱり隊長は、ボルトさんが――」と、アズマがボルトの方を見る。その時、クアを発見し、記憶を引っ張り出す様に眉間を指で突く。しかし、結局は発見できなかったのか、「キミ、だれだっけ?」とミーシャの横を通りぬけ、クアの前までやってくる。
「あ、私はクア・ロイツェです。……都市船アテナの住民でした」
「アテナ……ああ、だからゴスロリ着てるんだ?」
 納得が行った様に、うんうん頷くアズマ。「それ、アテナの民族衣装だったよね?」
「アテナを、知ってるんですか?」
 まさか知られているとは思っていなかったのか、意外そうな顔でアズマを見るクア。
「アズマさんは、ここに来る前世界を旅してたんだよ」と、ゼンが言う。
「そう。だから、結構都市船は知ってるよ。……ま、行ったことはないんだけど」


「……そのアテナは、空賊に襲われました。私は、アテナの生き残りです」


 静寂が辺りを包む。鳥の鳴き声と、風が草木を揺らす音だけが聞こえる。なんでもない、いつもの風景なのに、ゼンの目には痛々しく映った。今にも泣きそうなクアを見て、ゼンは慌てて「……空賊って。さっきのディライツ?」と訊いてみた。クアは、頷いて空を見上げる。
「つい、さっきの話です。私の家族、友人、住んでいた家。全て壊されました」
 クアは、淡々と語り始めた。自分の感情を押し殺す様にして。正確に、事実だけを語るようにと。


 クアの育った街。都市船『アテナ』
 コーヒーテーブルの様な形をした船と、それを覆う結界が特徴的な都市船だった。レンガ作りの街と、モダンな雰囲気が評判な街。
 そこで、クアは育った。街を一望できる程大きな城を中心とする城下町。その一角に、クアの育った家がある。赤い屋根の小さな家。朝、彼女は起きてすぐに窓へ向かう。両開きの窓を押し、まず飛び込んでくるのは街の核とも言える城だ。クアはそこに行く事が、小さな頃からの夢だった。綺羅びやかなドレスで麗しく着飾り、お姫様の様に振舞う。その夢が、今日叶おうとしていた。アテナの王主催の、アテナ住民も参加できる舞踏会。それが今夜行われる。童話の中の、ガラスの靴を履いたお姫様。今日自分は、その姫になるのだと、夢を抱いていた。
「クアー! そろそろ起きなさーい!」
 部屋の外から聞こえてくる叫び。それに返事をして、寝間着から私服のゴスロリへと着替え、部屋を出た。
 二階から階段で一階へ降りると、洗面所で身嗜みを整え、リビングへ移動する。リビングの中心を陣取る二人掛けのテーブルには、クアの姉であるフィー・ロイツェが、座ってクロワッサンを頬張っていた。
「おはよう、クア。昨日は眠れた?」
 全然。と言って、クアはフィーの向かい側に座る。フィーはほとんどクアとは似ていないが、クアの実の姉だ。髪は肩口で切られたショートカット。シャープに統一された顔は美人だ。彼女もクアと同じようにゴスロリを着ている。
 食卓にはコーヒーとクロワッサン二つが乗った皿。スクランブルエッグにウインナーが添えられた皿が並べられ、食欲をそそる香ばしい匂いが立ち込める。
「いただきまーす」
 クロワッサンを頬張って、ウインナーも放り込む。その様を見て、フィーはクスっと吹き出す様に笑った。
「慌てなくても、まだ学校まで余裕はあるわよ」
 口の中の物を咀嚼して、飲み込む。少し多かったか、少しだけ苦しそうにして、胸を叩いてコーヒーで流し込む。
「遅刻とかじゃなくて、早く夜にならないかなって」
 なるほどね、と呟いて、フィーはコーヒーで唇を潤す。とても優雅で、完成された姿だ。
「だからって、時間を飛ばそうとしちゃダメよ。こういう時間も大切なんだから」
 家族の団欒は、常に食事と共に。彼女はそう言って、フォークでスクランブルエッグを刺しクアの口元まで運ぶ。それをクアは受け入れ、ほんの少しだけ甘い卵をゆっくりと味わう。フィーは卵を使った料理が得意だった。クアも、そんな彼女が作る卵料理が好物だった。
 食事を終え、フィーが食器を片付け、クアは台所で皿を洗うフィーに向かって「行ってきます」と言う。
「行ってらっしゃい」微笑んで、クアを送り出すフィー。しかしその瞬間、耳に空気が叩きつけられた様な大きな音がした。次いで家がぐらりと揺れ、二人の顔に焦燥の色が浮かび上がる。クアは急いで玄関まで行き、外へ出る。街を歩いていた人々は皆、一様にして同じ場所を見ていた。クアもそれに倣い、皆が見ている方向へ目を見てみると、城に大きな穴が空き、灰色の煙が立ち込めていた。
「え……!」
 夢の象徴がぽっかりと大きな口を開けていたことも酷く衝撃的だったが、それよりも、アテナの上空に現れた巨大な軍艦に目が奪われた。無機質で、大きな岩の様に見える。側面に開いた砲門から小さな爆発が起こり、それから一瞬遅れて、遠くの方で爆発が起こる。街が抉られる、不快感と、一種の爽快感をもたらす不吉な音。
「あれ、なに!?」
 近くから声が上がる。逃げ惑う人々も、一旦足を止め、上空を見上げる。軍艦から落ちてくる大量の何か。クアの前に落ちてきたそれは、彼女の腰ほどしか体長のない、甲冑に身を包んだ小さな兵士だった。「ちょいーん」と間抜けな声を出し、持っていた剣でクアに襲いかかる。
「きゃああ!」
 反射的にバックステップをし、顔を腕で庇う。服の袖に切っ先がかすり、袖口が切れた。
 明らかに殺す気でかかってきている。クアはそれを察すると、急いで家へと引き返す。周りの人々も、クアと同じように逃げようとするが、降ってきた謎の兵士達に阻まれ、襲われ、血を流す。地獄のような光景を横目に、家へ飛び込んだ。
「お姉ちゃん! 外、大変!」
 最低限の言葉を繋ぐ。フィーも外の状況を理解しているのか、「わかってる。逃げましょう!」と、クアの手を引いて、下へ続く階段を降りていく。
「ど、どこ行くのお姉ちゃん!?」
 クアも、一応はその地下へ続く階段の存在を知ってはいたが、降りた事はなかった。フィーには物置だと説明されていたし、興味もなかったから。長い階段を降りていくと、そこには油と埃のミックスしたような匂いのガレージがあった。バイクを中心に、周りを工具で囲んでいる。
「こ、これ、なんで、お姉ちゃん乗ってるのみたことないよ……?」
「もしもの為よ。……こんなに早くなるなんて、思わなかったけど」
 フィーは、ゆっくりとバイクに跨ると、ハンドルに引っかかっていたキーを取り、エンジンを吹かす。久々に灯った熱が余程嬉しいのか、歓喜のエキゾースノート。

     

「おっと。いけませんね。逃げ出そうとしては」
 極限に冷やしたアイスピックの様に、鋭く冷たい声。
 驚いた二人は、降りてきた階段へと目をやる。そこには、一人の男が立っていた。シルクハットに、蝶ネクタイと燕尾服。ステッキの様に細い傘を持った男。目は鷹の様に鋭く、鼻はまるでくちばしの様だ。
「フィーさんと、クアさんですね? お迎えに上がりました。私は空賊団、『ディライツ』所属のアンハッピー・オルテンシアと申します。気軽に! アンと、お呼びください」
 にこやかな、邪気を感じさせない笑顔で言うが、この男がアテナを襲った一員であるということは間違いなかった。アンの後ろには、先程の小さな兵士が二体、体を揺すって待機している。
「いやあ、お美しいお二人だ。国を滅ぼす美しさとは、まさにこの事……」
 うふふ、と上品に笑い、野菜でも値踏みするかのような目で二人を隅々まで視姦するアン。服があるにも関わらず、丸裸にされている様な居心地の悪さを感じ、クアは思わず体を抱くようにして隠す。
「うぶなお嬢さんだ。女性はやはり、恥じらいをもたなくてはねえ」
「私の妹に、セクハラはやめてくれないかしら?」
 クアの壁になるように、フィーが前に出た。
「おっと。失礼。今のはセクハラに入るのですか。いけないいけない……」そう言って、一歩踏み出す。「しかし悪印象を持ってもらっては困る。私はお二人をエスコートするために来たのですから」
 ゆっくりと、絶望までの時間を与える様に歩み寄ってくるアン。その時間に耐えかね、打破しようと考えたのか、フィーは思い切りアンに向かってタックルした。がくんとアンの体が傾き、入り口間際まで押し戻される。
「おおっと! 情熱的だ! すばらしい! ハグしてさしあげましょう!」
 余程密着が嬉しいのか、満面の笑みで力強くフィーをハグするアン。
「お姉ちゃん!」
 そのフィーを助けようと、クアは走りだそうと一歩踏み出す。しかし「ダメ!! そこにいなさい!」とフィーの声。
 そして、アンの腕の中でもがき、体の向きを変えてクアに顔を向ける。そして、満面の笑み。
「ごめんね。お姉ちゃん、あなたのこと守ってあげられなくて」
 目尻から、一筋の涙が見える。クアも、心臓の鼓動が高鳴って、苦しくなる。体も震え、ぽろぽろと涙が溢れる。
 そして、フィーは一言。

「世界一、愛してる」

 フィーは足を思い切り振り上げ、壁に備え付けられた赤いボタンを蹴りで押した。
 その瞬間、クアの視界が上に向かって流れていく。体には奇妙な浮遊感。下を見れば、そこには雲と、果てない地上が見える。このままでは地上まで落ちてしまうと、クアは急いで一緒に落ちてきたバイクに跨り、アクセルを回す。なんとかバイクは浮遊を始め、真上を見る。しかし、クアの落ちてきた穴はすでに閉じられ、戻る術がないことを示していた。
「うっ……うう!!」
 フィーの笑顔が頭をよぎる。料理をしているとき、「手伝おうか?」と言った時の嬉しそうな笑顔。料理を「美味しい!」と褒めた時のはにかんだ笑顔。クアは姉の笑顔が大好きだった。淑やかで、百合の花を思わせる柔らかな笑み。
「ダメ! なんで、思い出すの……! そんな必要ない!!」
 しかし、クアの頭は言う事を聞いてくれない。徐々に様々な記憶が、彼女の頭をよぎる。そして、思い出と同様に涙が溢れる。
 涙を袖で拭い、ふと後ろを見る。そこには、白い飛行船がクアを追ってきていた。


 クアの話は、そこで終わった。
 訓練所に、爽やかな風が吹き抜ける。クアを慰めるかの様に、彼女の髪を柔らかく撫でた。
「……妙だな」
 話が終わり、ゼン達が口を開けずに居ると、アズマが顎を摩りながら呟く。「なぜディライツの連中は、君たちの事を知っていた? それに、アンハッピーの言い回しも妙だ」
 びくっと体を震わせ、クアは俯いてしまう。頭を垂れる枯れかけた花の様に。
「……言えません」
 ふう、とため息をついて頭を掻くアズマ。「この都市船を守る身として、不安要素はできるだけ排除しておきたいんだけどね……」
「いいじゃないですか、なんでも」
 ゼンは、クアの代わりとでも言う様に、まっすぐアズマの目を見る。
「少なくとも、クアが被害者なのは間違いないと思うし。悪いのは、空賊でしょ?」
「それ、あたしも同意」と、アズマの隣に立っていたミーシャが手を上げる。「大体、あたしらは一応空賊の一員倒しちゃってるのよ? 生かして帰したから、仇討ちに来るでしょうし」
「で、でもねえ、僕には一応、隊長としての責任が」
「よく考えてもみなさいよ。ここでクアをほっぽり出しても、あたしらはしっかり狙われるわよ。それに代わりはないんだって」
 難しく顔をしかめるアズマ。自分には不釣合いだと考えながらも、彼は彼なりに隊長職を全うしようとしているのだ。しばらく黙り込んでいたアズマは、一瞬ボルトを覗うように彼を見る。ボルトは、その視線に気づくと、小さく微笑んで頷いた。
「……わかった。確かに、彼女はここに居てもらった方が都合がいい」
「よっしゃ! そうと決まれば、私の家に来てよ。ウェイトレス、もう一人欲しかったトコなの」
 ミーシャは、クアの肩を抱く。
「え、あの、いいんですか? そんなご迷惑……」
「今更だって。しっかり働けば、迷惑じゃないわ」
 ね? と首を傾げるミーシャ。そんな彼女の笑顔を見て、クアは泣き出してしまった。そして、ミーシャの胸に顔を埋め、「ありがとうございます……!」と声を押し殺して泣いていた。ゼンは、そんな彼女を見て、拳を握り締めていた。何を思ってその拳を握っているのか、自分にもわからなかった。

 そして夜。
 各々が自宅に帰り、クアもミーシャの家へと帰っていった。ゼンも、ボルトと共に自宅へ帰ってくると、簡単に夕食を作る。冷蔵庫にあった適当な物を炒め、二人は食卓で向かい合い、食事を採った。適当に作ったピラフは、事の外上手く出来ていた。
 しばらくは食器とスプーンがぶつかる音だけが響いていたが、ゼンはふと「じいちゃん。なんでアテナは襲われたんだろうな」
「あん? ……さあな」
 ゼンの顔をちらりと見てから、またピラフに視線を戻す。
「他人の心配してる暇はないと思うが?」
「いや、そうだけどさ……」
 スプーンを置いて、煙草を取り出すと、ボルトは「今日はいろいろあって疲れただろ。早めに寝ておけよ」と言って食卓から離れて行った。ゼンも、二人分の食器を抱え、それをシンクに置くと、彼は家から出て、大樹を登った。外は既に暗く、月明かりを頼りにして頂上を目指した。やってきた場所は、騎士団の訓練所。ゼンはその柵間際まで行くと、月を見上げた。
 濃紺一色の空に、ぽつりと寂しげに浮かぶ満月。太陽とは違う優しい光に引き寄せられるかの様に、周りには星が散りばめられていた。ゼンは夜の訓練所が好きだった。そこに浮かぶ月を見上げるのが、楽しみであり日課だった。
「ゼンさん?」
 後ろから声をかけてきたのは、クアだった。ゼンは、振り返ると「あ、クア」と、どういう感情を込めて言っていいのかわからないまま事実だけを口にした。クアは、ゼンの隣に立つと、「ここ、月が綺麗ですね」と夜空を見上げて呟く。
「そうなんだ。俺、ここから見える月が大好きで」ゼンは自分の口が、気の利いた言葉を紡げない事に少しだけ苛立ちを感じていた。「クアは、どうしてここに?」
「私、高い所が好きで……。それで、来てみたらゼンさんがいたんです」
「そっか。……さっきのクアの話さ、お父さんとお母さんがいなかったけど」
「私もよく知りません。物心ついた時から、お姉ちゃんと二人きりで」
「え、あ、ごめん! そうだよな。俺、考えなしだった」急いで頭を下げるゼン。
「いえ! 気にしないでください!」慌てて手を振り、気を使わないでくださいとサインを出すクア。「……そうだ、ゼンさんの家族の事も、聞かせてください」
「ああ、いいけど……。つっても、俺の家族も、じいちゃんだけなんだ。親父は、俺が小さな時に病気で死んだ。母さんは知らない」
「そうだったんですか。……ゼンさんも、私と同じですね」
「だな」にっこりと笑うゼン。ミーシャの様な、自然な笑みが出来ているだろうか?
「っていうか、さん付けじゃなくていいよ。ゼンって、呼び捨てで」
「――そう、ですか? じゃあ、ゼンくん、で」
 はにかむ様に、そして遠慮がちに言うクア。二人は、夜空の下でこっそりと、互いの時間を分け合うようにして笑いあった。

       

表紙

七瀬楓 [website] 先生に励ましのお便りを送ろう!!

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Neetsha