Neetel Inside 文芸新都
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偏音篇-ヘンオンヘン-
調律不能

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調律不能



 どうにも周りと気が合わない。友達がいないわけではないし毎日もそれなりに楽しい。しかし、それはかとなく感じる日常に対する違和感が、私に何か引っかかりを与える。
 プロになれるほどの実力もなく、なりたいとも思わない。金持ちになりたいわけでもないし、地位も名誉も特に要らない。私は自分の身の程を弁えているつもりだ。平々凡々の、ごく有り触れた人生を送る事で満足しているはずである。だのに何故、何故この毎日に違和感を感じるのか分からなかった。
 人に聞けど、同意を持ってくれる人は殆どいなかった。

 友達はいるが、彼女が出来た事はない。だが、自分の顔をそんなに不細工だとは思わない。告白を受けた事も(少ないが)ある。しかしそれでも恋人を作れなかったのは、恋というものが何なのか分からなかったからだ。初恋は確かにあったのだが、その時の様な思いを二度する事がなかったのである。恋愛などに費やす金と時間を、私はヴァイオリンの練習に当てたかった。

 自分はきっと、他人とチューニングが合っていないのだろう。442Hzで合わせるべきところを私はきっと444、いやもしかしたら446Hzほどで合わせているのではないか。それだと違和感を感じるのは当然である。まるでソリストのようだ。
 孤高の存在、と言えば聞こえがいいが、ただ単に理解されないだけである。それを、自分自身を騙して騙して、なんとか生きてきたのだ。辛かった。だがそれでも平凡に生きた。



 しかしある時、渾然とした違和感の正体が、はっきりと分かった。それは、鮮烈で劇的な出会いだった。

 体調が悪く、オケの練習を早退した日の帰り道だった。わりかし田舎の公民館を借りて練習していたので、この周りに人が歩いている事はあまりない。いても散歩途中の中年や老人が殆どだった。そこで彼女と出会った。
 彼女は不安げな顔をして、一人、何をするでもなくそこで立っていた。人付き合いは苦手ではないが、面倒に巻き込まれるが嫌いなので普段ならそんなことはしない。何故だか私は声をかけた。

「お困りですか?」

「道に迷ってしまって」

 はにかむ様に笑いながら彼女はそう答えた。聞けば、探している場所は近くだったので送っていくことにした。いつの間にか体の不調など吹き飛んでいた。
 異様な高揚感、役に立ちたいという思い、なにより胸の鼓動が「これは恋だ」と私に告げていた。嗚呼なるほど、この子は、初恋のあの子に似ているのだ。

「手をつないでもよろしいですか」

 口に出てしまった。気味を悪く思われたかもしれない。しかし彼女は黙って、私の手を握ってくれた。私の恋は成就したのか。かつてない幸せに私は包まれた。
 彼女にもっと触れたい、口付けをしたい、熱くまぐわりたい。そんな事を考えたのは、生まれて初めてだった。同時に恥ずかしくもあった。握った手が汗ばむ。

 目的地まで着いた後、私はその子の名前も聞かずに別れた。聞いてはいけない。聞けばまた会いたくなってしまうからだ。会ってはいけない。会ったら次は何をしてしまうか分からないからだ。
 彼女と会った時、ついに私の違和感の正体が何者なのか分かった。全てを理解するとともに、全てを諦めた。



 人と明らかにピッチのずれた私は、演奏の和を、世間というオーケストラの調和を乱す前に、自ら、静かに舞台から降りた。

 一目惚れの相手は9歳だった。


     


****補足****

○チューニング(調律)

 音を正確に合わせる事。ヴァイオリンであれば弦は四本あるのでそれぞれの音の高さを会わせる必要がある。また、複数の楽器間の音を一致させることも調律である。

○442Hz

 弦楽器は普通A(ラ)の音にチューニングを合わせる。A音の周波数は440Hz辺りなのだが、基準を440Hzにするか442Hz等ににするかはその団体ごとに違う。工業製品は440Hzが多いがオーケストラ等では442Hzが多かったりする。
 チューニングがずれると周りと綺麗に調和しない為その人は"浮く"。それを逆に使い、ソリスト(ソロの奏者)はわざと若干高く合わせたりすることがある。

○オケ

 オーケストラの略。

○ピッチ

 音程。前述のA音の様に、同じ音でも若干の違いがある。

○9歳

 ロリコンというよりペドフィリアである。最近では海外でもloliconで通用するらしい。あちらでは普通はLolita Syndrome。


       

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