トップに戻る

<< 前 次 >>

そのに 『先生、ふわふわです』

単ページ   最大化   

「センセ、センセ」
ぐいっ。
「痛っ、髪を引っ張るな助手!」
「そこジャマです。洗濯干すんですから、どいてください」
「やだ」
ごろん。
……子供かよ。
「ぽかぽかして気持ちいいのはわかりますけど、ちょっとだけどいてください」
ぐいっっ。
「だから髪を引っ張るな!」
「無駄にのばしてるのがいけないんですよ。何年切ってないんですか?」
「うるさい、忘れた。それにお前だって長いじゃないか」
まあ、たしかに。
でも先生はおぢさんだけど、あたしは女の子ですもの。
一緒にしないで欲しいわよね。
「もう、こんなに絡まっちゃって」
あたしは手近にあったブラシで、先生の栗色の髪をといてあげる。
うわ、すっごい絡まってる。
「痛い、もっと丁寧にやれ」
「文句言うなら自分でやってください。それにすっかり目が覚めたんじゃないですか? 起きてくださいよう」
「ああもう、わかった。わかったよ」
ようやく先生が起き上がる。
まあ、ずいぶん大儀そうですこと。
「ところでセンセ、今日は執筆なさるのですか?」
何が言いたいのか、ツラそうに寝室へと歩き出した先生の背中にあたしは言う。
先生の創作意欲を刺激するのも助手の仕事だ……たぶん。
「だから、何度も言っているだろう」
態度だけは立派な先生が振り向く。
ヨレヨレのシャツで言われても威厳なんてないですってば。
「僕は普通の作家じゃない」
「ニート作家」
「違う! 僕の作品は特別なんだ。そこらの平凡な作家と一緒にするな」
「でも、書かなきゃ無職と一緒じゃないですか」
……はぁぁ~
と、先生が大きなため息をつく。
別にため息くらいついても良いけど、あたしに息がかからない位置でついて欲しい。
「僕はな、ひとの顔を見ると“その人物にとって必要な”物語がみえてくるんだ」
はいはい、それは前に聞きました。
「たしか文章でなくて、その人の人生にとって“必要な寓意”が見えてくるんですよね?」
「そうだ。わかってるじゃないか」
「記憶力は良いんです」
記憶喪失だけどネ。
「だから僕はそこらの平凡な作家とは違うんだ」
「でも作家なんだから書かなきゃ。依頼はいっぱいきてるでしょ?」
うちの事務所の電話には、どこで聞いたのか、日に10回は執筆依頼の電話がかかってくる。
先生の意向で基本的に電話は留守電になっているが、メッセージを聞くと大物政治家や有名アーティストからの依頼も少なくない。
でも先生はそれを聞きもせず断ってしまう。
「たまには依頼をうけたらいいじゃないですか。お金になりますよ?」
「金には困っていない」
たしかに、うちには謎の振込みが月に3度はある。
ニートのくせに。
「センセ……」
「なんだ」
「悪いことしてるなら、出頭しましょ? あたしも一緒に行ってあげますから」
「失敬な!」
先生があたしにずずいっと近づいて言う。
デカイ。ムカつく。
「じゃあ何で働いてないのに収入があるんですか?」
「昔書いてやった金持ちが恩に着て振り込んでくるんだ! 決して黒い金ではない!」
「センセ…」
「なんだ!」
「ちゃんと、書いたことあったんですね」
「あたりまえだ!」
先生が髪の毛をガシガシとかき混ぜて憤りを表現してくる。
ああっ! せっかくといたのに!
「とにかく、僕は寝るからな!」
「あっ、コラまてニート!」
「ニートじゃない!」

バタンッ!

……
そもそも先生とあたしでは歩幅が違うわけで。
そんなあたしが、足早に寝室へと駆け込む先生を止められるはずないわけで。
……
ドンドンドン!
「なんだ、うるさい!」
ガチャッ
あ、出てきた。
「読みたいー!」
「何を!?」
「センセの本」
……はぁぁ~
また先生はめんどくさそうにため息をついた。
だーかーらー、息がかかる位置でため息つくなって。
「僕の本はだなぁ」
「僕の本は?」
「書いてやった相手と僕にしかにしか見えないんだ」
「……センセ、もしかして熱が」
「無いっ! ああもう、だから言いたくないんだ!」
「だから、って?」
「みんな僕をウソツキ呼ばわりだ!」

バタンッ!

……あちゃー、怒っちゃった?
でも、信じられないよね。
“特定の人にしか読めない本”とか、そんな魔法みたいなはなし……

コンコン
「センセ、センセ」
返事なし。
やっぱ怒っちゃったのかなぁ。
しかたない、今夜の夕飯は先生の好きな“ジャガイモ抜き肉じゃが”に……

ふわ、ふわ

その時、そんな優しいあたしの鼻先を、綿毛のような謎の物体が横切った。
パシッと、あたしは反射的にそれをつかみとった。
「センセ、センセ。さっきの話し終わり。ちょっとこれ見てくださいよー」
「今度は何だ!」
ガチャリ
あ、出てきた。
「何だ! ほら、見てやるから出せ!」
やれやれ、好奇心だけは強いのよね。
好奇心だけは。
「これです」
あたしがぎゅっと握った手を開くと、今まで大人しくしていた綿毛が、またふわふわと飛び立つ。
「ああ、なんだ、ケサランパサランじゃないか」
「け、けさ……?」
先生が謎の呪文を唱える。
やっぱり熱が……
「ケサランパサランだ。願いを叶えてくれるぞ」
「えっ? 本当ですか?」
「知らん。初めて見た」
“初めて見た”って……ならもっとこう、“ビックリしたー”みたいなリアクションしてもいいんじゃないの?
まあ先生のリアクションが薄いのはいつものことだけど。
こないだだって、スキだって言うからオムライス作ってあげたのに、あたしが“どうですか”って聞くまで“美味い”って言ってくれないんだから。
「何をブツブツ言ってるんだ?」
「別に、何も言ってないですよー」
しまった、また口に出てたか。
「で、このケサ…」
「ケサランパサラン」
「そのケサはどんな願いでも叶えてくれるんですか?」
「まあそういう言い伝えだな」
「どこの言い伝えですか?」
「僕に聞いてばかりいないで、少しは自分で調べたらどうだ?」
「えー」
正直めんどくさいなー。
この事務所には一室、本棚だけの部屋がある。
それは一番広い部屋で“資料室”って読んでるんだけど、ほんとにすっごいいっぱい本がある。
けどまったく整理されてないから、そこから目当ての本を探し出すなんて考えただけで気が遠くなる。
「教えて、センセ?」
あたしは、それはそれは可愛く先生におねだりした。
「……まったく、仕方ないな」
よしきたー!
「ケサランパサランは日本の、まあ妖怪みたいなものだ」
「国産なんですか?」
「おかしな表現だが、そうだ。江戸時代にはすでにいたらしい。もっとも、その頃は単なるUMAみたいなものだったようだがな」
「うま?」
「UMA、未確認生物だ。それがいつしか“もつ者に幸せを与える”という能力が付け足され、近年では“願いを叶えてくれる”といわれている」
「ほんとですか?」
「だから知らん。そこにあと2、3匹浮いているから試してみればいいだろう」
あ、ほんとだ。
よくみると部屋の中にはまだあと2匹のケサランパサランがふわふわと浮かんでいた。
あたしはそれをひょいひょいっと簡単に捕まえる。
「さあ、試してみろ」
「センセは願い事いいんですか?」
「僕は、願いは自分の力で叶える事にしてるんだ」
はいはい、ニートのくせにねー。
「じゃあ試してみますね」
「ああ」
あたしは1匹のケサランパサランをぎゅっと握り締める。
「……」
「……どうした?」
「魂抜かれたりしませんよね?」
「いいから早くしろ」
がしっと先生があたしの頭をつかんだ。
あっ、ひどい!
洗濯物たたまないでしまってやる!
「じゃあいきますね」
すう……っとあたしは呼吸を整える。
「記憶が戻りますように」
あたしがそう言い終ると同時に、握った手の中の感触がすっと消えた。
おそるおそる手を開いてみると、そこにはもう何もなく、あたしの可愛い手のひらがあるだけだ。
「どうだ?」
先生が目に見えてワクワクした様子で聞いてくる。
「……名前、聞いてみてください」
「よし。君の、名前は?」
うわっ、“君”だって。
気持ちわるー。
「さあ、ほら、名前は?」
「わかりません」
あたしはきっぱりこたえた。
だってほんとにわかんないんだもん。
「じゃあなんで聞かせたんだ?」
「いえ、何となく」
「……願いが大き過ぎたのかな」
先生、腕を組んで考え始めた。
もー、こんな事じゃなくて仕事の方に真剣になってくださいよー。
「よし、次はもっと簡単な願い事をしろ」
「またあたしがするんですかー?」
「もちろんだ。さあ」
うーん、簡単なのって言われてもなあ。
とりあえずまたケサランパサランを握りしめ、あたしは考える。
よし、決めた。
と、その瞬間、手の中からふっと感触が消えた。
「あれ?」
「どうした?」
あたしはおそるおそる手を開く。
……やっぱりいない。
「いなくなっちゃいました」
「願い事を強く念じたりしなかったか? もしかしたら口に出ださなくてもいいのかも」
「うーん“よし決めた”とは思ってましたけど」
「それでどうだ、願いは叶ったか?」
えっと……
「どうでしょう」
「何を願ったんだ?」
「“先生がちゃんと本を書きますように”って……」
はああ……っと先生は大きなため息をついた。
そしてとぼとぼと仕事部屋の方へと歩き出した。
「センセ? どうしたんですか?」
投げやりに部屋へと入り、先生は仕事机の椅子にどかっと腰をおろした。
そしてなんと何か書き始めたではないですか!
もしかしてあたしの願い叶った!?
「センセ……」
感動にあたしの目頭が熱くなる。
ようやくお仕事してくれるんですね。
メモ用紙にマジックで書いてるのが気になるけど、きっと下書きか、アイデアを書きとめているのね。

ぱしっ

あ痛っ。
いきなり、先生が今ペンを走らせていた紙を丸めて投げてきた。
あたしはその紙をひろって広げてみる。
そこには……

「“コーヒー淹れろ”って何ですかセンセ」
「興奮したらのどが渇いた」
「だから?」
「淹れろ」
……ああ、はいはい。
「淹れてくれたら褒美に残ったケサランパサランをやろう。“おしろい”をやると増えるらしいから、ペットにしてみたらどうだ?」
先生はもうすっかり興味を無くしたようで、椅子にふんぞり返って新聞を読んでいる。
机に足を置くなってば。
「じゃあ、コーヒー淹れてきます」
「ミルクもつけろよ」
だれがつけてやるもんですか。
あたしは勢いよく仕事部屋のドアを閉めると台所へと向かった。
腹が立つやらがっかりやら。

ふわふわ

そんなあたしの目の前を、ケサランパサランの最後の1匹が横切る。
「……残念」
あたしはそっと右手でその子を捕まえると窓際へと近づく。
そして左手で窓を開けると、右手を外に突き出して開いた。
ふわりとケサランパサランは風に乗り、すぐにどこかへ消えてしまった。
「ばいばい」
あたしは小さく手を振り、窓を閉めた。
コーヒーは淹れなかった。
2

サツキ 先生に励ましのお便りを送ろう!!

〒みんなの感想を読む

<< 前 次 >>

トップに戻る