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お題①/“Bitch”と呼ばれた少年/黒兎玖乃

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 僕の名前は木下美一。「びいち」ではなく「よしかず」だ。ちゃんと変換候補にも表示されるはず。
 なのに中学生の頃に間違えて「びいち」と呼ばれてから僕のあだ名は「ビッチ」が台頭するようになった。男子生徒なのに。僕男子生徒なのに。
 しかもこういう卑猥な単語は田舎の学校では一部の男子しか意味を知らないため、女子は大体僕に「ねえ美一君、ビッチってどういう意味なの?」と笑顔で訊ねてくる。止めて下さい。僕の尊厳と信頼とその他諸々の神経を破壊しかねない質問を純粋無垢な笑顔で言うのは止めて下さい。
 最近では、係決めで運悪く豚の飼育係になったしまった際、女子が意味を知らないのをいいことに「コイツ豚の飼育係だってよ! ビッチだからか! ファッキンビッチが豚とやってろ!」と罵られた。ちょうどその頃だろうか。女子が段々「ビッチ」と言う言葉に不審さを感じ始めたのは。感じてくれてると嬉しい。そうすれば猛抗議が起こり、二度と呼ばれなくなるかもしれない。
 係決めが終わったあと、最初に話した女子の一言。
「ねえ美一君。ビッチってなんだか、ちょっとかっこいい響きだね!」
 ん……? 確かによく考えればかっこいい言葉……ではないですね! かっこよくはないですね!
 まだ女子全員「美一君」で統一しているのが唯一の救い。これで「ビッチくん」と呼ばれ始めた日々の恐ろしさといったら、ポケットに紙切れを入れたまま洗濯に出してしまった翌日の母親の表情に匹敵する。怪物君よりも恐ろしいニックネームだ。
 そうして思い悩む僕はやがて学校にいるのが怖くなり、自然と自室で過ごす時間が増えていった。ちょうどその頃、僕はある漫画サイトで連載を始めた。VIPのスレから発展した漫画サイト、新都社だ。漫画を描くのは好きだったから、苦にはならなかった。漫画のことで悪口を言われても、ポジティブに考えていくことが出来た。おかげでみるみる絵は上達し、スピードのおかげもあってか次第に読者は増え、三ヶ月が経つ頃には新都社屈指の人気漫画へと成長した。
 現実では相変わらずビッチ呼ばわりだった。
 女子の態度はまだ変わらない。どうやらまだビッチの意味は知られていない様子だ。このまま何事もなければ、僕は男子から笑われるだけで済む。それに、僕には今、漫画という切り札がある。これさえあれば僕はどんな立場でも耐えられる自身がある。ずっと僕のターンだ。大富豪に喩えれば2のカードを出したようなものだ。これ以上、僕の立場は誰にも揺るがせられない!

「都立××中学からきた、瀬月美香。まあ、適当によろしく」

 夏休みが明け、僕のクラスには転校生がやってきた。金髪ピアスアイラインチークパンニタマゴハサムニダなんたらを纏ったいかにもアレしてそうな女子生徒だ。身長もそれなりに高く、スタイルもいい。それで、不良っぽい目つきに胸元がはだけた制服。恐らく今、僕以外全員の男子がこう思っている。
「都会からのモノホンビッチキター!」
 そして僕はこう思っている。
「ジョーカーキター!」
 スペードの2の上にふざけたピエロ顔のジョーカーが置かれた日を僕は決して忘れない。
 こうして、僕のクラスに(多分)本物のビッチがやってきた。
 その女子生徒、瀬月美香は不満なことでもあるのか普段から変わらず鋭い目つきで、何となく男子生徒も「ビッチ」と言いづらそうにしていた。というか、全く言わなくなった。運良く彼女は僕の隣りの席になり、昼休みも双方ほとんど机から動かないので、茶化されることはなくなった。放課後も双方さっさと帰路についてしまうため、馬鹿にされることはなくなった。何だこの改善され具合。ある意味ジョーカーだと言わざるを得ないかもしれない。
 しかし、そう安心できるのも、束の間のことだった。
 ある日の放課後。というか数分前の出来事。僕は用事があって遅くまで学校に残り、七時過ぎになってようやく教室に戻ってきた。既に灯かりは落とされているとばかり思っていたけど、なぜか僕のクラスだけは煌々と明かりが灯っていた。中学なのに、それはもう煌々と。高度なギャグでごめんなさい。
 まだ誰が残っているのかと覗き込むと、僕の隣りの席に人影があった。ジョーカーが座っている。僕の好きなモンスター育成ゲームでは「死神」の名を冠しているジョーカーが座っている。しかも何かを一心不乱に書いている。僕の存在には気付いていないみたいだ。僕は気にすることなく教室に入り、自分の席に「ビッチ」何だろう。この場に置いてはとても不謹慎な単語が聞こえた気がする。気のせいだな。
「ビッチ。そう呼ばれてるんだろう、お前」どうやら今日は相当疲労が溜まってるみたいだ。帰ったらコメントをチェックして、さっさと寝よう。
「お前のことだよ、木下美一!」
「はいぃっ!」若干凄みの効いた声に、条件反射で返事をしてしまった。情けない声で。
 見ると、ジョーカーがあの全てを突き刺してしまいそうなほど鋭い眼光を僕に向けている。まずい。この状況はまずい。どこかで僕がビッチと呼ばれていると聞いたのだろうか。それとも僕にミラ・ジョヴォヴィッチの話題でも振っているのだろうか。あるわけないよねそんな可能性。
「お前、ビッチって呼ばれてるんだな。男のくせに」
「は、はぁ……。何処でそんな話が立ったのやら」
 今すぐこの場から逃げ出したい。160km/hで。
「だったらお前、アタシが転校してきた時にこう思っただろ? 『コイツビッチだ』って」
 サイクロンジョーカー!
「まあ、別に否定はしないけどな。実際そんなことしてないけど、こんな見た目じゃ疑われても仕方ないし。別にあんたらがビッチって呼ぼうが呼ばまいが、アタシには関係ない」
 エクストリーム! と続くかと思いきや、彼女は僕の予想を裏切る発言をした。それはまるで通りすがっていくそれのように。最早自分が何を言っているのか分からない。とりあえず、彼女はビッチじゃなくて、僕はビッチらしい。日本語がおかしいが理解していただきたい。
「そ、そんな。僕は瀬月さんにそんなイメージ持っていないよ」
「だったらなぜ、昼休み中は席を離れず、放課後もアタシが帰ったらすぐに帰っているんだ?」
 うぐ、と僕は言葉に詰まる。もしかして、僕が「ビッチ」と呼ばれないために彼女の存在を利用しつつあることに気付いているのか。それがばれるとこういう人の気性、怒髪天に達するに違いない。上手いことごまかさないと。
「そ、それは……えーっと……」
 必死で思考をめぐらすビッチ。こういうときになんか気の利いたことがいえればいいんだけど……コミュ障の僕には難易度の高い修羅場。もうどうにでもなってしまえ!
「言えないってのは……もしかして……アレか?」
 僕が「それは僕がビッチだからです」と言おうとした瞬間、彼女の方から口を開いた。
「ア……アタシのことが……好きだから……とか……なわけないよな!」
「まっまさかそんなわけないじゃないですか!!」
 勢いで否定したが、何と言ったかはあまり聞こえていない。すき焼きにされたいのかとか言ったかな。それだったら否定して正解だったんだけど。
「………………え?」
 ジョーカーの顔が凍りつき、次の瞬間には一気に紅潮する。
 何だ。僕はいけないことでも答えてしまったのか。
「バッ……、お、お前…………」
 そのまま彼女は俯いて、両の拳を握り締めたまま俯いてしまう。やばい。これは言ってはいけないことを言ってしまったパターンだ。
「そんな事をいけしゃあしゃあと言ってんじゃねー!!!」
「すんませんでしたー!!!」
 僕は顎にライジングブレイク(↑+Y)を喰らい、見事天井に突き刺さって文字通り昇天したのだった。

 それからの日々、僕はなぜか良く瀬月さんに話しかけられるようになってしまった。どういうわけか、あのときよりも親近感を持ってくれているように感じる。そして時々、なぜか彼女が見せる笑顔に、なぜか僕は魅せられて、彼女に引かれるようになっていった。
 ある日僕は、彼女が机の上に忘れっぱなしのノートを見つけた。味気のない、無印の自由帳だった。何となく中を開いて見ると、そこには見覚えのあるキャラクターが、作者名と共に笑顔で描かれていた。これを彼女が一生懸命書いてくれたのだと思うと、目頭が熱くなった。僕の勘違いだとしても、嬉しかった。
 それからすぐ、僕は親の都合で別れも言わずに急遽転校することになった。
 彼女――――ジョーカーにも、別れの挨拶は出来ないままだった。
 それはそうと最近、僕の作品には頻繁にファンアートが来るようになった。しかも読者ページではなく、わざわざうpろだにあげて、コメント欄に質素な一言と共にURLが貼られているのだ。
『ビッチにやるよ』
 そのコメントを見るたびに、僕は心が温まる思いになる。他にコメントする人は「ビッチってなんだ」とか言ってるけど、当然これの意味が理解できるのは僕こと――――木下ビッチだけだ。
 そういったコメントに僕はいつも、こう返している。
『ありがとうございます、ビッチです』
 このやり取りの意味は僕ら以外に誰も分かることがないだろう。それでいい。
 どうしてジョーカーが僕の漫画を知っていたかは分からない。それでもいい。

 ――――ビッチってあだ名も、案外捨てたもんじゃなかった。

 僕はコメント返信ページを上げ終わると、静かに漫画を描く作業へと戻るのだった。













 あと、転校先でも見事に「ビッチ」というあだ名が付きました。
 都会の学校。皆意味知ってる。助けてジョーカー。


『“Bitch”と呼ばれた少年』 -fin-

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