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雨と背中と十五の私と

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 十五の私はランナーであった。自称である。部活動はサッカーであった。何故ランナーを自負していたかというと、至極単純。走るのが速かったからだ。走るのといっても花形の短距離ではない。長距離である。小学生の頃から誰かの背中を見て走った記憶がない。常に全力であった。
 私が通っていた中学校では、毎年初冬に「ディスタンスレース」という名を冠した全長六キロメートルのマラソン大会があった。男女に別れ、全学年一緒になって走る。上位三名にはメダルが貰える。メダルと言っても安いものだ。そのディスタンスレースが近づくと、体育の授業が「長距離走」に名を変える。無論、皆が嫌がる。私は嫌がるふりをする。毎回一位でゴールする気分も、悪くない。しかし私は走ることが好きだったわけではない。ただ負けるのが嫌だっただけだ。だから走った。全力で走った。

 中学二年の時分、私はディスタンスレースを一位で終えた。ところが成績は五段階評価の二であった。さすがに憤りを感じ、禿の体育教師に訴えに行った折、「お前は二は二でも、二の上だ。」と言われたことには閉口した。
 三年に上がった私は、それでも全力で走った。
 一度練習の際、友達と共に限りなく歩行に近い速度で走ったことがあった。おそろしく退屈であった。誰かの背中を見て走るということが。途中、友達に「じゃあ。」とだけ言って全力で走った。やはり楽しかった。
 初夏に部活を引退していた私は周りの人間に対し、「引退してから何もしていないから今年も勝てるかどうかは分からない。」と吹聴していたが、実のところ毎晩家から少しく離れた場所で一人走っていた。誰の背中も見て走りたくないという思い一心で、全力で走っていた。
5, 4

  

 速く走ったからといって成績が上がるわけでもなく、女子からモテるわけでもない。どこから湧いてきたのか知れない、あの混沌としたエネルギーが懐かしい。今となっては、あの禿の名も、自己ベストも思い出せない。ただ、三年のディスタンスレースが雨で中止になったことだけは、今でも覚えている。
                                   
                                  了           


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