テスト四日目、テスト前に勉強しているのは僕と神無月さんだけになっていた。他の皆は何故か紙飛行機をしきりに投げ飛ばしていた。どうも昨日の出来事が気に触れたらしい。徐々に皆の頭がおかしくなってきている。
「テストも明日でおしまいですわね」
帰りのホームルームにて、担任が来るのを待っていると神無月さんが呟く。
「なんだか今回のテスト酷かったね。きっと僕なんかボロボロだよ」
「あら、でも瀬戸さん、勝負はちゃんと有効ですわよ？」
「勝負？」
「テストの合計点数で負けたほうが相手の言う事を一つだけ聞くと言うものですわ」
「ああ……」
そういえばそんな勝負を初日に言われた気がする。いろいろあったのですっかり忘れていた。どちらにせよ、神無月さんの勝利はほぼ確実だろう。
「いまから楽しみですわ。瀬戸さんに一体何をお願いしようかしら」
「お手柔らかに頼むよ」
そのとき全身に包帯を巻いた男が扉を開けて教室に姿を現した。つい最近血祭りにあげられ病院で入院していた吉崎先生だった。まるでミイラ男みたいな風貌で彼は黒板の前に立つ。
「みんな、元気にしてたか？」
しかしやさぐれているクラスメイトたちはもはやその言葉に返事すらしなかった。重い空気が教室に漂う。まるで通夜のようだ。テスト結果を予想したのだろう、葛本さんが泣き出した。彼女の泣き声は他の女子に伝播し、しまいには男子からもすすり泣きが起こり始めた。この世の終わりだ。
吉崎先生は教卓の上にそっと名簿を置く。
「元気みたいだな」
「どこがだよ！」
のんびりとした先生の口調に思わず突っ込んでしまった。きょとんとする先生。
僕は先生を押し退けて教卓の前に立つと、皆を振り返った。
「まだ高校に入ったばかりなのに、こんなのって酷いと思わないか？」
そうだ、酷いよ、点数が悪いのはここ数日の事件が原因であり別に勉強してないわけじゃないんだ！ 私は悪くないのよ！ 教室から次々に声が上がる。
「これから、みんなで職員室に行こう。せめて昨日の白紙で出してしまった分だけでも再テストを訴えるんだ。皆で訴えればどうにかなるかもしれない」
僕が言うと全員がハッと表情を変えた。その手があったかと言いたげだ。みんな血がたぎっている。殺る気だ。僕は全員に不敵な笑みを浮かべ、横できょとんとしている吉崎先生の肩を叩いた。
「そんなわけで先生、みんなを職員室まで先導してあげてください」
「えっ？」
「担任だったら僕らの味方でしょう？ 断ればどうなるか分かりますよね？」
先生はぎこちない表情で教室を眺め回し、顔を青ざめた。殺気立った生徒たちの様子に、断った時の未来を垣間見たのだろう。
「あ、当たり前じゃないか」
ワッと歓声が上がった。僕は高く手を掲げる。
「じゃあみんな！ 行こう！ 職員室へ！ 奴等を殺せ！」
「殺せ！ 成績を我が手に！」
「殺せ！」
殺せ、殺せ、不穏な合唱が続きクラスメイト達が職員室に向かって走っていく。我がクラスながらこれほどまでに簡単に誘導出来るとは思えなかった。
教室に残ったのは僕と神無月さんだけとなった。
「作戦通りですわね。さすが瀬戸さん」
「なんとか、だけどね」
「それでこれからどうするんですの？」
「犯人を呼び出すんだよ」
「犯人？」
正確には犯人ではなく、元凶だろうか。このテスト期間、奇妙な事件が起こり続けた原因。
「入っておいでよ、天草君」
しばらく間があった後、開け放たれた扉から一人の男子生徒が姿を現した。髪の毛が長く、どこか頼りない印象を受ける。神無月さんがギョッとするのを僕は見逃さない。珍しい表情だ。
「紹介するよ神無月さん、転入生の天草君」
「転入生？ そんな話は聞いた事がありませんが……」
「そりゃそうだよ。彼はテスト一日目に転入してきたんだから」
「初日に？」
「せめてテスト終了後に転入と言う形にしてくれても良かったのに、たぶん成績を出すためだろう。この時期に強制的に転入させられたんだよ。しかもかなり急に」
だよね？ と尋ねると天草君は静かに首肯した。
「テスト初日に転入してきた天草君の存在を知っていたのは担任の吉崎先生だけだ。転入早々テストと言うだけでも酷い仕打ちなのに、このままでは大した点数が取れないことは必須。そこで先生は黒板に細工をした。元々生徒想いの吉崎先生はクラス全員の平均点を下げることで、天草君の心のダメージを減らそうとしたのだろう。それが結果として一日目の事件に繋がった」
「なるほど」
「天草君はこの名簿を見る限り一番になっている。その場合、さすがに元々一番だった石壁さんが気付くだろう？ でも彼女は何も言わなかった。どうしてだと思う？」
神無月さんは眉間にしわを寄せた。
「たぶん……言えなかったんじゃないでしょうか？ 何かの理由があって授業にこれなかった生徒がテストの時だけ登校してきた、そう考えても不思議ではありませんわ」
「うん。周りが一切誰も天草君に気付いていなかった。たぶん一番前の、入り口横って言う座席のせいだろうね。目立つはずが逆に死角になって気付かれにくくなった。教員は当然のように彼の事は既知だろうし、クラスの皆はテストに夢中で誰も彼を気にとめない。石壁さんも気を遣って触れないことにしたんだと思う」
「なるほど。でも、どうして瀬戸さんは天草さんの存在に気付くことが出来ましたの？」
「沙紀のおかげだよ」
「沙紀ちゃんの？」
「神無月さん、覚えてる？ あのドーナツショップで僕の事を褒めていた女の子」
「忘れるわけありませんわ」
「実はあれが天草君の妹なんだよ。沙紀が僕に妙な告白を行ったのは彼の妹が原因だ」
「それは一体どういう事ですの？」
「実は昨日、沙紀に問い詰めたら全部吐いたんだ」
「ゲロを？」無視だ、無視。
「天草君、以前妹さんに告白された事があるらしいね」
えぇ？ と驚きの声を上げる神無月さんの横で、目の前の男子生徒の感情が揺らめくのを僕は見逃さなかった。
「昨日妹がぺらぺらと話してくれたよ。楓ちゃんのお兄ちゃんは生真面目で、楓ちゃんが冗談で告白してみたら本気で思い悩んでたって。その話を聞いて沙紀は『じゃあ自分の兄はどうするんだろう』って思ったらしい」
「沙紀ちゃんがそんな事を？ 信じられませんわ」
「沙紀は嘘をついたり悪趣味な冗談を言うのは苦手だ。でも純粋に、兄から自分がどう評価されているのか知りたかったんじゃないかな。ちょっとブラコンだし」
あの時は心労で気を違えた父がとんでもない発言をしていたし、自分の家族がいかに変態なのか、その辺りのバロメーターを沙紀なりに計ろうとしていたのかもしれない。きっと沙紀は兄が普通の人間だったことにホッとしただろう。
沙紀がそこまで詳しく話してくれたのは、昨日僕が行った腕ひしぎ逆十字固めが効力を発した為だ。人の漫画をスナック菓子の油まみれにしたので仕方なく行った処置であったが、まさかそれが事件解明の糸口に繋がるとは思わなかった。
「沙紀の供述を聞いて僕は少し違和感を覚えたんだ。若槻君の机がなかった事もそうだし、テスト前にはほぼ必ずテスト用紙が一枚ずつ足りていない」
そう、まるで生徒が急に一人増えたみたいに。机も用意し忘れていた。
「繋がりを辿ると彼に行き着いたと言う事ですの？」
「そういうこと。どうかな、天草君」
天草君が、静かに口を開いた。
「悪気はなかったんだ。最初、この席に座るように先生に言われた。僕はてっきり自分用の席を用意してもらっているものだと思っていたんだ。テスト初日だからちゃんと挨拶は出来なくても、帰りのホームルームで転入生として紹介してもらえると思ってた。でも知らないうちに何だか話が大事になって、もう名乗れる機会なんかなかったんだ」
「仕方ないよ、それは」
この学校の人間は全員頭がどうかしているのである。
「瀬戸君、今更どうやってクラスに馴染めばいいんだろう……」
そうだ。問題はここからどうすべきなのか。まだ全部解決していない。
「瀬戸さん」
「どうしたの、神無月さん」
その時、風が吹いた。夏を孕んだ緩やかな空気の流れはカーテンをはためかせ、僕たちを突き抜けていく。木々がざわめいて謳い、雲が青空を流れる。
予感がした。突風が生じるのだと。
「私に任せてくださいませんか？」
神無月さんは顔中に笑みを浮かべる。まるで子供みたいな笑顔で、その目は爛々と希望に満ち溢れている。
「神無月家の本格始動ですわ」
ああ、この人はこう言う時、本当に楽しそうに笑うのだ。