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バランスブレイカー

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 あの悲鳴からどのくらい経っただろうか。和室の中は少し異様な光景が広がっていた。
「…………」
 湯気をほんのり頭から立ち上らせる僕があぐらをかき、ピンク色のパーカー姿のリリーがちょこんと膝を抱えている。なんだろう、この胡散臭い邦画の一場面みたいな図。そういえばさっき母が
「あらまぁ珍しい、赤毛の女の子。お茶はじめて? どうぞ」
 と別段驚かず二つの湯飲みを置いていった。二人とも、口はつけていない。あぁ、茶柱が立った。リリーの方だ。彼女は転げ落ちた拍子に頭でも打ったのか、さすさすとロングの赤髪を撫でている。
「…………」
 誰も喋らない。僕は沈黙は嫌いではないが、人の心に入って相手を味方につけるのは好きだ。まぁ、正直に言うところ『好き、だった』というのが正解かもしれないが。と、いうわけで、相手のいたたまれない空気を読みつつリモコンを手にしてテレビのスイッチをつけた。いつのものだか分からない古いドラマが流れ始める。
 
「お茶が、冷めるよ」

 言いながら、僕はずずっと茶をすすった。ぬるくなってはいたが、このくらいが丁度いい。
「あっ、あの」
 びくりと体を揺らしてリリーが手を伸ばす。震える手で湯飲みをつかむと、視線だけ僕に向けた。
「スガワラさん。ですよね?」
 それにしても流暢な日本語だ。唯一、外国人らしく聞こえるのは僕の名前の呼び方くらい。声だけ聞いていれば気付かないかもしれない。
「うん、確かに菅原だ。さっきも言った通り、ね」
 僕は特に意味を込めたつもりはなかったが、リリーはわずかに恐縮したように見えた。さっき風呂場に顔を突っ込んできたくせに、どうにも対面するとあがり症らしい。人間というものはわからない。
「あの、すみません……勝手に上がり込んで」
「僕が君を上げたんだ。気にすること無いよ」
 言葉通りの意味だった。風呂場で背伸びをしていたリリーは、土台にしていた木箱を見事に蹴飛ばし、すってんころりん転んでしまったのだ。流石の僕も、風呂場のすぐ外で女の子に死なれたら困る。風呂に入るたびによく知りもしない――――名前だけは知っている女の子の霊に出くわすのはごめんだ。人によってはそれが嬉しいという人もいるだろうが。
「まぁよかったよ。大した怪我も無くて」
「あっ、はい。ほんとスミマセン……」
 えへへ、とはにかみながら頭を下げるリリー。可愛らしい仕草である。
「でも、母さんがさっき言ってたけどさ、珍しいよ。うん」
「何がです?」
「君みたいな外国の女の子が家に来るってことさ。しかも、こんな普通じゃない人間が暮らしている家に、ね」
 確かに、普通じゃない。ちょっと他の一般家庭に比べれば古臭い家ということもあるだろうけれど、とにかく僕が異端児だ。
「えぇ、それは……あなたが、スガワラさんが普通じゃないから来たんです」
「うん、そうだろうね。僕にところにはやたらと学校の友達がくる」
 何か特殊な体質? 能力? そう僕が勘ぐっているアレだ。きっと、リリーも過去にどこかで僕と話をして(残念ながら僕にはリリーと会った記憶は全く無いし、そもそもあまり家を出ないからそれは考えにくいけれど)ここに来たのだろう。そう思った。
「そうなんだけど、違うんです」
 彼女は言った。僕は湯飲みをおぼんに置いた。
「何が?」
「だって、あなた、いや、スガワラさん」
「スガでいいよ」
「えっ、じゃあスガさん」
「うん」
 僕はリリーの方を向いた。彼女はちょっとハッとして、口ごもった。
「スガさんは、あなたの『今』に、困ってますよね?」
「……そうだね」
 僕は頷く。
「さっきも言った通りだよ。人が、異様に、異常に、僕にやさしくしてくれるんだ。ちやほやされるとも言うのかな、言い方は悪いけど、物を貢がれることも多々ある」
「それは、いつからです?」
「今高校二年で、そうだねぇ……高校に入った時にはもう、そうなっていた」
「そうですか……スガさんは私のいっこ上なんですね」
 と、いうことはリリーは今十四か十五か。確かに、ちょうど同じぐらいの年齢かな、とは雰囲気で感じていた。これで、例えば百歳とか言い出せば、それは立派なファンタジーになるのだろう。
「で、どうしてそんなことを聞くんだい?」
「それはですね。あなたが本当に『バランス・ブレイカー』なのかを確かめたかったからです」
 聞き慣れない言葉を口にして、リリーはちょっと真面目な顔をした。これはもしや、本当にSFが始まってしまうのだろうか。

「数年前、この地球のバランスが崩れました。それは環境問題とか生態系とかいうものではありません。人間の能力のバランスです」
「なんだか大層な話になってきたね。リリー」
「ここからが大切なんですよ、しっかりメモしておいてくださいね」
 と、リリーはふん、と胸を張った。ほう、まだそのくらいなのか。
「メモするくらいなら覚えるさ。で?」
「例えばその覚える、でいきましょう。よく世の中には特定の能力が高い人がいますよね。オリンピックなんて分かりやすい例ですけど、記憶力もよく話題になります。円周率をスゴい桁まで言える人とか。でも、それはあくまでも人間という範疇の中に収まる範囲の話で、なんですよね」
「まぁ確かに、人から好かれる、ってのも一つの能力だろうね」
「そうです。で、スガさん。あなたはその能力が規格外に高いんです」
「へぇ」
「例えば私が、なんでこんなにすらすら日本語を喋るのか不思議に思いますよね? 私の場合は『そこ』がバランス・ブレイカーなんです」
「うーん……でも、十五カ国語ぐらい喋れる人だって、いそうだけどね」
「でも、その人は動物と喋れますか? ムツゴロウさんみたいになれてますか?」
 ちょっとムキになるリリー。でも、ムツゴロウさんは関係ないと思うんだ。
「あぁ、じゃあ、君は会話能力のバランス・ブレイカーなんだね」
「そうです。私も最初はビックリしました。でも、もう慣れました」
「僕は慣れそうにないなぁ……」
 ため息をついて、うなだれる。リリーはハッとして口にてを当てた。
「す、すみません! ……そうでしたね、だから、今こんなことに」
「うん。きっと、君のいうバランス・ブレイカーが他にもいるとしたら、マトモな生活は送れていないかもしれないね」
 もしかしたら、それで死んでいる人だっているかもしれない。あまりにも普通とかけ離れた、自分をコントロールできずに。
「確かに、そういう人もいますね……」

 その時、ついたままのテレビから、ニュースが流れ始めた。

「……悲しいニュースが入ってきました。本日、午前7時頃に登校中の女子学生が電車と接触、まもなく死亡したとのことです。警察の調べでは遺書が見つかっているということもあり、自殺と見られていて――――」

 僕は、思わずテレビを見た。

「――これって」

 ひと月くらい前だろうか、同じニュースを見たような……

「もしかしたら、かもしれませんね……」

 リリーは悲しい声で、テレビから目をそらした。

 でも、ありえるのだろうか。だって、死んだということは確認が取れていたはずなのに。

「――――調べによると、この女子学生は以前から同様の行為を繰り返しており、死亡と判断されてから息を吹き返し、回復したということで学校に復帰していた模様です。詳しい情報が入り次第、またお伝えします」
 眠そうなコメンテーターが鼻をすすった。
「不思議なこともあるもんですねぇ。早急な原因究明が望まれますな」

「そんな馬鹿な話があるか……だって、死んだ人間が復活するなんて、まるで怪奇小説じゃないか」
「私の好きなゴシック小説では日常茶飯事ですけどね」
 ケロリとした顔でリリーが言う。本が好きなのか、この子は。
「とにかく、もうちょっと君から話を聞いた方がよさそうだ。これは」
「えぇ、そう言ってもらえるのを待っていました」
 ニコリと笑うリリー。笑っている場合じゃないと思うのは僕だけだろうか。

 とりあえず、僕は母にもう一杯のお茶を注文して、夜遅くまでリリーの話を聞くことにしたのであった。

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