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開店準備

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 その日、品川にあるローソン本社の会議室にて、俺はただ1人、マネージャーの到着を待っていた。
 本来ならば、新規出店の契約に際して、わざわざ出店希望者が本社まで赴く事など滅多に無く、その辺の喫茶店やらマックやらで、契約書へのサインを交わし、晴れて一国一城の主、コンビニオーナーへとなるのが一般的だが、俺の場合は少し事情が違った。
 まず第一に、俺は俺自身がオーナーとなる店舗の下見をしていない。普通は立地条件や周辺地域の環境を入念に調査した上、それを納得の上で契約という形になるのだが、それがない。つまり、今から自分が所有する店舗がどこにあるのかも、どのくらいの大きさなのかも分からないまま契約をしようとしているのだ。これはコンビニ経営に毛ほども興味の無い人間から見ても、ちょっと考えれば無謀な事だと分かるだろう。商売の成功要素は、人、物、場所の3つであり、それら全てが不明慮なのだ。
 しかしながら、こういった無茶な状況にも関わらず、俺は現状、契約する気満々でいる。むしろ土下座でも何でもして契約を取るつもりだ。一体それは何故か。
 理由はたった1つ、ロイヤリティーだ。
 冒頭からいきなりえげつない話になって申し訳ないが、ローソン、というよりほとんどのコンビニチェーン店において、オーナーが店を出す為には、まず本社に対して『出資金』という物を納めなくてはならない。ローソンの場合、この出資金は最低100万円から2000万円までを自由に選ぶ事が出来る。「たったの100万円で店が出せるのか?」と思った方は甘い。ここで重要なのはロイヤリティー、つまり儲けの取り分の比率だ。
 出資金100万円のオーナーが課せられるロイヤリティーは、ローソンが8割、オーナーが2割と設定されている。
 例えばあなたが100万円の出資金でもってローソンと契約し、いざ店を出したとしよう。そのローソンは平々凡々な客足で、1日に20万、月に600万程度の売り上げがあったとする。さて、そこからローソン本社とあなたの収入を計算してみよう。
 まず、600万の売り上げの中から、ローソンの取り分が引かれる。8割なので、480万。残ったのは120万円。「なんだ、月に80万円も儲かるのか。楽勝じゃん」と思った方もまだまだ甘い。次に120万の中から商品の原価がひかれる。これは商品ごとに違い、例えばFF(フライドフーズ)は原価が低いし、日用品などは原価が高い。ここは大雑把に計算して半分の50%くらいとして、手元に残るのは60万円程度となる。おっと、安心するのはまだ早い。フランチャイズ契約の最もきつい部分は、この余った金から、人件費、光熱費、雑費、保険、廃棄保障、損害補填金などが引かれていく所にある。特に人件費は、クルーを必要最低人数の16人程度(朝、昼、夕、夜、2人ずつで週5、足りない部分をオーナー)で回したとしても、120万程度の給料を払わなくてはいけない。さあ、これで月に60万円の大赤字だ。
 とはいえこんなに悲惨な状況になっても、本社は一切助けてくれない。何せ本社からすれば、最初に取った480万円はきっちり手に入っている。仮にすぐ潰れたとしても、契約時に収めてもらった出資金の分で儲けは出る。痛手はほぼないと言っていいだろう。
 もちろん、駅前や大型団地、学校のすぐ近くなど、立地条件によって客数は大幅に跳ね上がる。月の売り上げ2000万を超える店もそう珍しくは無い。しかし100万の出資金=8:2の搾取地獄は、いくら店の調子が良かろうと変わる事はなく(追加出資という手もあるが、この条件で資金を蓄えるのは非常に困難)、これらの酷い条件によって、
 「あれ? ここコンビニ出来たんだ」
 と思った数ヵ月後、
 「えっ、もう潰れてる! 結構客入っていたのになぁ……」
 というような現象が、街中には溢れているという訳だ。
 なので逆に「全然客いないのにここ潰れないのは何故なんだ」というような謎の店は、最初の出資金をどーんと出した、元々お金持ちのオーナーが経営する店舗だと見て間違いないだろう。そう、2000万の出資金をとっぱらいで出せる人間には、ローソンは逆に満面の笑顔で2:8という好条件を出してくれる。先ほどの例で言えば、オーナーは480万から諸経費を引いて、残りが手取りとなる訳で、これは言うまでもなくうはうはだ。
 

 さて、フランチャイズ契約のエグい所を多少なりとも分かってもらった所で、何故俺が素性の知らない店のオーナーとして契約しようとしているのかが、察しの良い方には分かったかもしれない。
 俺には金がない。出資金の最低ラインである100万円すらも貯金してどうにか工面したようなレベルで、土地の契約も、出資金とは別の開店準備金やら契約金やらにも手が回っておらず、本来ならコンビニのオーナーになど逆立ちしてもなれる訳の無い状況にある。にも関わらず、数日前、ローソンオーナー講習会の最後で、担当マネージャーからこっそりと俺に掲示された提案は、「出資金0円、土地費用本社持ち、ロイヤリティーはローソンが2、オーナーが8の最高設定」という破格の、最早天変地異レベルの、がめついローソンが完全に自我を失った物だった。
 それら超絶好待遇の条件として示されたのが、契約成立まで店舗の詳細についての説明拒否だった。さて、あなたならどうする?
 俺は二つ返事だった。確かに不気味さはある。あまりにも良い待遇と、謎めいた条件。躊躇いは一切無かったといえば嘘になる。しかしこれは俺にとってチャンスだった。手ぶらから人生を掴みとる為の魔法だった。
 いよいよこれから始まる、俺のコンビニオーナーとしての人生に、戸惑いと期待を抱きながら物思いに耽っていると、会議室のドアを開けて、1人の男が入ってきた。
「お待たせしました」
 俺は顔を上げる。そこにいたのは見知ったマネージャーではなかった。かといって全く知らない顔ではない。いやしかし、相手はおそらく俺の顔を知らず、もちろんこれが初対面だろう。
「ローソン代表取締役社長古浪剛(ふるなみ たけし)です。はじめまして」
 やたらと油ギッシュで、真っ黒コゲな顔と肌。がっしりとした体躯に、黒々とした短髪。そして飛ぶ鳥を落とすような鋭い目線。間違いない。日本の誇る大企業、ローソンのトップだ。
「あっ……あのっ……ローソンのオーナー志望、春日忠俊(かすが ただとし)です」
 慌てて立ち上がり、深々と礼をする俺の肩を、古浪社長は軽くぽんぽんと叩く。
「まあまあ、座って座って」
 俺は額から噴出する汗をハンカチで拭いながら、席につく。
「流石は20代、若くてうらやましい」と、やたらと張りのある声の古浪社長。
「い、いえいえ、社長こそ。なんというかエネルギッシュで……」と、しどろもどろの俺。
 ローソンの社長が目の前にいる。これはいくら新規店舗の出店契約といえども、まさしく異常事態だった。ローソンの店舗数は、全国で1万をゆうに超える。つまりローソンのオーナー1人など、古浪社長にとってみれば1万分の1でしかない。講演を聴いたり、広報で見聞きする事はあれども、こうして直接会っておべっかを使う事などまず出来ない相手である。俺の緊張は当たり前だと言える。
「さて、僕は回りくどいのが苦手だから、ストレートに言わせてもらうけど……」
 古浪社長のはっきりとした滑舌から、どんな言葉が飛び出るのか。俺は未だ理解出来ないこの状況に息を飲み込む。
「春日さんには、ローソン魔界9丁目店のオーナーになっていただこうと思っている」


 魔界?
 いや、何かの聞き間違いだろう。俺は古浪社長の顔を覗く。力強い微笑みがそこにあった。
「あの……すいません、私少し耳が遠くてですね、今、社長が『魔界』と仰ったように聞こえたのですが」
「ええ、そうですよ」
 まさかの肯定。俺は思わず口角を緩める。
「ああ、『マカイ』というのは、どこか地方独特の地名ですか? 無学なもので、お恥ずかしながら分からないのですが……」
「いやいや、魔界と言えば魔界です。悪魔とか鬼とかお化けとか魔王とかがいる、あの魔界」
 古浪社長は手の甲を向けてひらひらさせたり、指で角を作ったり、おどけたジェスチャーを交えつつ冗談みたいにそう言う。
「……あ、あはは。あはははは。社長はジョークのセンスもお有りなんですね」
 引きつった笑いを浮かべる俺に、古浪社長は一転、真剣な表情になり答える。
「僕はいつも大真面目です」
 眩暈がした。
 魔界。いくら有限実行の古浪社長が口にしているとはいえ、そんな物が果たしてこの世に存在するのか? 超能力くらいは信じよう。百歩譲ってUFOも許可する。しかし魔界……はいくらなんでも現代社会にあり得ようがない。
 しかもそこでコンビニ経営という話が、俺の目の前には転がっている。まず混乱しない訳がない。
「ま……マジですか?」
「もちろん」
 古浪社長は答えつつ、持ってきた契約書を広げる。正真正銘、本物の「オーナー契約書」だ。今まで数多の人がこれにサインをして、第一歩を踏み出していった。その先には、自らの努力と運次第で天国も地獄もある。しかし俺の先には魔界がある。
 迷う、というより惑う俺に、古浪社長は続ける。
「春日さんの資金力を考慮すると、言うまでもなく、2:8というロイヤリティーは破格です。魔界での経営程度の困難は、飲み込んでいただかなくてはなりません。それに、僕は春日さん。あなたならば出来ると信じています」
 古浪社長の、火傷するくらいに熱い視線が俺の心臓を貫く。敏腕にして豪腕。昨今のローソンの快進撃はこの人の経営手腕が全てとも言える程の、21世紀のリーダー。そんな人物に、俺は無礼を承知で訊ねる。
「その……根拠は?」
「あなたはコンビニ経営に『命を賭ける』と仰った」
 数日前、俺はオーナー講習会で、確かにこの言葉を言った。同じく講習を受けたオーナー候補生達の前で、意気込みを発表する場面があり、俺は言ったのだ。「ローソンの為に、お客様の為に、この命を賭けます」と。
 そしてそれは嘘ではない。
 古浪社長は。俺を試している。
「……分かりました。魔界でローソン、やらせていただきます」
 分厚い手でゆっくりと大きく拍手をして、俺の決断は祝福された。
 数日後、俺は魔界にいた。
 全く訳の分からない話で、どこから説明していいのやら見当もつかないが、まず東京から東名高速に乗って、そのままずっと名古屋方面に向かい、静岡に入って掛川インターチェンジの手前あたりで車線を変えてしばらく走ると、地図に載っていないトンネルが見えた。そして長いトンネルを抜けると、そこは魔界だった。どうやら魔界とやらの入り口は静岡県内にあったらしい。
 魔界という物にどんなイメージを持っているかは人それぞれだと思う。荒れ果てた大地の広がりを漠然と思う人もいるだろうし、とことんカオスな空間を描く人もいるだろう。だが、初めて魔界にやってきた俺の第一印象としては、「古い街並み」というのが正直な所だった。明治あたりの、やたらと道路が広く、その割りに車があまり通っておらず、とにかく空の広く感じるレトロな下町。とはいえ地上とは明らかに異なる、まさしく魔物が生活するのに相応しい世界だった。
 全体的に暗く、空には明らかに太陽ではない赤褐色の光源が浮かんでいる。空気は所々紫がった霧を帯びていて、土は赤黒い。それでも区画はきちんと整理されており、通り沿いには見た事もない動物の骨で組みあがった建物が様々に立ち並び、強そうな魔物を模した黒曜石の像や、何に使うのかは分からないが禍々しいオーラを放つ巨大な石碑や、血塗られた生贄の祭壇など、魔界ならではといったモニュメントも多数あった。もう少し遠くに目を向ければ、勇者ならば攻略しがいのありそうな高い塔や、とんでもない物が平気で住んでいそうな荒れ山が見えたが、1番目立っていたのはやはり魔王の住む城だろう。全容を見た訳ではないが、その威風堂々ぶりたるやローソンの本社ビルにも匹敵した。
 出発前、「なに、魔界といっても、ちょっと変わった海外程度の認識で構いませんよ」と古浪社長は仰っていたが、やはり実物を目の当たりにした時のカルチャーショックは看過できない物があった。空にはごくごく当然のようにインプが飛んでおり、建物と建物の間の小路を巨大なネズミような動物が走っていく。
 こんな所でローソンをやるのか……。
 俺は改めて自分のしようとしている事に戸惑う。
「春日さん。魔界は始めてですか?」
 と、運転席に座った男が、助手席に座った俺に声をかける。窓の外の景色に気をとられていた俺は、男に向き直り、その屈託の無い笑顔に肯定を返す。
「すぐ慣れますよ。ほら、ことわざにもあるじゃないですか。『住めば都』……いや、この場合は『地獄も住み処』かな」
 男の名は支倉(はせくら)といい、最初に俺の店を受け持つ担当SVだ。SVというのは「スーパーバイザー」の略で、経営に関するアドバイスをする。コンビニに行った時、スーツで店内をうろうろしている関係者っぽい人を見た事がないだろうか? あったとしたらそれがSVと見ていい。ローソンの本社に所属している正社員で、いわばローソン本部とそれぞれの店のオーナーを繋ぐ役割をする。ローソンは各店舗に最低必ず1人は担当のSVを決めており、これから俺が経営する店の担当がこの男という事だ。
 正社員なので、担当した店が成功すれば当然出世する。果てはマネージャーや、もしかすると次の社長だって夢ではないかもしれない。優秀なSVならば店の繁盛に一役買ってくれるし、一見利害は完全に一致しているように見えるが、なかなか一口には説明出来ないちょっと複雑な事情もあり、これについては今後機会があれば述べるとしよう。
 とりあえず現段階では、魔界の右も左も分からない俺にとって、この支倉SVは非常に頼りになる存在であるという事は間違いない。何故なら彼は、人間と「魔人」のハーフだそうで、つい先ほど実際に触らせてもらったが、髪の毛の下には小さな角を隠していた。


 支倉SVの運転するローソンカー(白のトヨタ・ヴィッツで、側面にローソンのロゴが大きく描かれている)に揺られ、まず最初にやってきたのは、いよいよ俺が経営するローソン店舗……ではなく、「森ビル」だった。
「なんでこんな所に森ビルが!?」
 と驚く俺に、支倉SVはさも当たり前のように言う。
「魔界進出を考えているのはローソンだけではないですよ。とはいえ安心してください。コンビニは春日さんの店が最初ですから、ライバル店はまだありません」
 普段街を歩いていて、森ビルの多さに驚いた経験には覚えがあるが、魔界に来てまで同じ事をするとは思っていなかった。しかもおどろおどろしい他の建物にあって断固として無個性を貫くコンクリートの塊は、俺に奇妙な安心感さえ抱かせた。
「あの、支倉さん。今日はここで一体何を……」
「今日はこれからオープニングスタッフを決めます。魔界での第一号店という事で、全体の半分は人間界から経験者を送り込みますが、魔物でないと分からない事もあると思うので、もう半分は現地の魔物を雇う事になっています。その為の面接ですね」
 理には適っていたが、受け入れがたい事実だった。つい数週間前まで頭の中にぼんやりと思い描いていた俺の店に、魔物の類はいなかったはずだ。
「既に魔界の情報誌に募集はかけていましてね。なんと30匹もの募集があったので、それぞれ時間をずらして来てもらう事になっています。いやはや、これは大仕事ですよ」
 普通、コンビニのバイトを希望する場合、店舗内のバックルームで面接が行われるが、新規店舗の場合オープニングスタッフとして大量に募る事が多い。聞いた話によれば、既に営業が始まっている店舗の募集よりも、やる気のある人間が来る事が多いらしく、それだけ長続きもするそうだが、反面未経験者の比率が高く、0から研修が必要で、一長一短といった所だろうか。まあ応募してくるのが魔物という時点で未経験もへったくれもない気もするが。
「面接中は私も隣について補佐しますが、あくまでもオーナーは春日さんですから、自覚をもって挑んでくださいね」
 柔らかい物腰と爽やかな笑顔で優しく刺された釘は深く俺の心に突き刺さった。そうだ、俺が知らないのは魔界の事だけではない。
 エレベーターで3階に上がり、廊下を歩いて一室に入ると、パイプ椅子が1つあった。その前には長机があり、机の向こう側にも椅子が3つ並んでいる。
 そして席には1人の女の子が座っていた。スーツに眼鏡、髪はショートカットの黒髪で、肌からしてかなり若く、一見すると就職活動中の大学生のようにも見えたが、座っていたのはむしろ机の向こう、面接官側だった。銀縁の眼鏡は冷徹な印象を与えているが、よく見るとわりと童顔で、少なくとも魔物には見えない。
「こんにちは」
 女の子からのあまりにも普通の挨拶に、俺も普通に返す。
「……こんにちは」
 俺は支倉SVに視線で説明を要求したが、「あ、彼女は気にせずに」と言って、何やらにやにやとするだけだった。これ以上の不可解事は俺のキャパシティーを遥かに越えてしまうぞ、とちょっと困ったが、かといって出て行けとも言いだせず、俺は促されるまま支倉SVと謎の女の子に挟まれる形で真ん中に座り、履歴書のリストを眺めた。


 面接の1人目、いや1匹目は、学生のスライムだった。
 完全なる軟体。大きさはちょうど洗濯機くらいで、動くたびに虹色のボディーが変化を見せた。ドアが開いてこの寒天が部屋の中に入ってきた瞬間は、まさしくホラー映画のワンシーンを彷彿とさせたが、面接官側の席に逃げ場はない。
「あ、人間の形に変化していただけますか?」
 支倉SVの指示に大人しく従い、ぼんやりと顔、胴体、手足といった具合に形を作る。
 いくらバイトの面接とはいえ、全裸で来るのは社会人としての自覚に欠ける気もするが、まあまだ学生という事なので仕方ないか。
「まずは自己紹介の方をお願いできますか?」
「ピ……ピキィーーー!!!」
 しまった。と、俺は致命的な事に気づく。
 古浪社長は、魔界の事を『変わった海外』と表現したが、そんなに変わっていない海外に行く時でさえ言葉の壁という物は高く立ちはだかる。魔界であればなおさら、こうした人語を解さない相手に会うという事もあらかじめ想定しておかなければならない事だった。今更ながら俺は俺のしようとしている事の困難さに動転する。
「と、今のがうちの種族に代々伝わる初対面での挨拶でして、どんな状況でも種族の誇りは捨てるなというのが両親からの教えなので、失礼を承知で挨拶をさせていただきました。僕の名前はスベスと言います」
 え……何この理性……? というか日本語全快で逆に引く。そもそも一体どこから声を出しているのか。俺のスライム像からは激しく逸脱した常識的なスライムだ。
 たじろぐ俺に、支倉SVが「何か質問を」と、耳打ちをする。
「あ、えーっと……スベスさんはどうしてローソンで働こうと思ったのですか?」
「ローソンは地上で非常に有名なコンビニだと聞いています。僕は将来、地上に出て人間を根絶やしにするという目標があるので、その勉強にもなりますし、歯に衣着せぬ言い方をすれば、今通っている学校の学費の為でもあります」
「人間を根絶やしに、ですか。それは非常に高い志ですね」
 支倉SVが感心したように言う。確かに高いか低いかで言えば高い目標だと言えるが、そういう問題か?
「魔王軍ならば出来ると考えています」
 スベス君は目鼻の無い顔で大きくにっこりと笑った。諸事情を考慮しなければそれはただ単におぞましい笑顔であり、悲鳴をあげる事に何の躊躇いもないのだが、これが俺の店のクルー候補であるという事を思い出すと、別の意味で悲鳴をあげたくなった。
 その後、アルバイト経験の有無(当然なかったが、狭い所に入るのは得意との無駄情報)や、実際に採用した場合のシフトの件(毎週日曜は家族でピクニックなので不可能との事)などについてを聞き、最後に俺はこう質問した。
「実際にローソンで働き始めた時、こんな店にしたいといった理想はありますか?」
 スベス君は少し考え、しっかりとした口調で答える。
「魔物達にとって『当たり前』の存在になりたいです。何か欲しい物がある時だけではなく、近くに来たついでに何となく寄ってしまうような、そんな自然なお店になれたら良いなと思います」
 スライムなのにやたらと芯のある事を言うので、思わず俺も同意しかけた。
2, 1

  

 下手な人間よりも頼りになりそうなスライムに、案外魔物のクルーも悪くないかもな、と思っていた途矢先、2匹目にきたゴブリンによって俺の期待は完全に裏切られた。
 赤ら顔にスキンヘッド、服装は腰ミノ一丁という格好でやってきた彼は、部屋に入るなり敵愾心むき出しで、片手には短剣を携えていた。
「カネ、モラエル、キイタ」
 と、バイト希望なのか強盗なのか微妙に分からない第一声は、完全に俺を凍りつかせる事に成功したが、一方で支倉SVは冷静で的確に事務をこなす。
「あ、武器は置いてもらえますか?」
「カネ、クレ」
「……えーっと、言葉は通じるかな?」
「ワカル、カネ、クレ」
 よし、通じてない。
 その後何度か上のようなやりとりを繰り返し、「お金は働いて得る物」というたったそれだけの事実を伝えると、ゴブリンは席につく事なく帰っていった。逆上して襲われなかっただけ良かったと考えるべきか。
 魔物と一口に言っても、その知能、常識という物は、激しく個体差があるらしい。支倉SVによれば、ゴブリンの中でもまともなのはいるそうだし、最初に来たスライムのスベス君はスライムの中ではかなり人間よりな、話の分かるスライムだったようだ。採用不採用は後日改めて連絡すると伝えたが、今すぐ採用を知らせても問題はない。
 生活していく上では困難なように感じるが、こと面接においてはこれだけはっきりと採用不採用の境目が分かれてくれる事はありがたくもある。となると、問題はその比率だ。やはり上級の魔物ほど知性も高い傾向にあるらしいが、果たしてそんな上級の魔物がローソンのバイトの面接に来るかどうか。
 スライム、ゴブリンときて、次にやって来たのはドラゴンだった。俺の心配は杞憂だった。
 いきなり色々と飛ばしすぎじゃないか? という別の心配が生まれたが、別に戦闘をする訳ではないし、結局このドラゴンにはすぐに帰ってもらう事となった。何故なら彼は、面接会場に入る事が出来なかったからだ。
 窓越しに少し話をしただけなので、全体を見た訳ではないが、顔が余裕で3階まで届くような存在はコンビニ店員にはやはり相応しくない。理性があり、火が吹け、空が飛べる、といった特技がある事を教えてもらったが、やはり店に入れない巨大さというのはいかんともしがたく、非常に惜しい人材ではあったがお引取り願った。しかしドラゴンの中でも人間に従う気のある個体というのは非常に珍しいらしく、支倉SVが名刺を渡し、何かローソン関係で働き口があればすぐに連絡すると約束していた。
「しかしこんな調子で店を経営する事なんて出来るのでしょうか……?」
 俺のうっかり漏らした弱音に、支倉SVは真剣に答える。
「春日さん。そんな半端な気持ちでは、例え地上で経営したってすぐに潰してしまいますよ。確かに魔界でやるという事は未知数ではありますが、デメリットもあればメリットもある。あなたはあなた自身と、あなたと契約を結んだローソンをもっと信じるべきです」
 流石は一流大学出身の頭脳というべきか。それとも、流石は魔人というべきか。始まってもいないのに弱気になる俺とはまるで出来が違うようだ。


 その後も魔物の面接は続く。その過程を全て説明する事は困難な為、有望だった候補だけをあげていこう。
 主婦のピクシーは体が小さいので力作業は出来ないものの、持ち前の明るさと人当たりの良さがあって接客には向いているように見えた。改めて言うまでもなく、接客はコンビニ業務において重要な仕事であり、接客力から来る常連の獲得は新規店舗にとって今後の明暗を分ける課題でもある。
 小型のドラゴンも来た。人間とほぼ同サイズで、後ろ足2本で立っていた。この場合はリザードとでも言うのだろうか? 高校生だそうで、夕方の勤務を希望していた。眼鏡をかけた真面目そうな風体で、少し大人しすぎるかな、と不安になったが、支倉SVが「戦闘力も評価対象ですよ」と言ったので、その点については非常に頼りになると確信した。部屋を出た後、雌だった事に気づいたが、「1日にどれくらい食べるんですか?」は、少し失礼な質問だったかもしれない。
 がたいの良いゴーレムは終始無口で、最低限の受け答えしかしてくれなかったが、元々人間に作られた魔物との事で、忠誠心はあるようだった。力仕事は得意な上、長時間の勤務には自信がありそうなので、おそらく夜勤には打ってつけだろう。接客面では少々の不安が残るが、ゴーレムとはこういう物だ、というのはおそらく来店するお客様も把握している。
 トロール、というのだろうか、ゴーレムにも劣らない体躯の、ずんぐりむっくりとした生き物もきた。こん棒を手にして入ってきた時はゴブリンと同程度かなと予想したが、聞いてみるとどうやら部族のアクセサリーらしく、謝罪した後すぐに壁にたてかけた。話してみると意外に礼儀を重んじるタイプで、フリーターなのでシフトの面でもかなり融通がきくらしい。
 真っ赤な顔に長い鼻、そして一本歯の下駄、といえば天狗だ。果たして魔物に分類されるのかどうか微妙な所で、こちらでもそこそこ珍しい存在らしい。高血圧を自称し、朝の強さに自信があるらしく、年齢もいっているので真面目に働いてくれそうな印象を受けた。品出し、接客の時にその特徴である鼻が若干邪魔になるかな、とも思ったが、意外と柔らかいので畳んでマスクの中に仕舞う事が出来るとの事で採用を決定した。
 残念ながら、惜しくも採用出来なかった魔物としては、はきはきしたゴーストや生き生きとしたゾンビがいた。前者は霊体なので商品に触れない事が発覚し、後者は食品も取り扱う性質上、腐っているのは流石にまずい。しかしどちらも丁寧に理由を説明すると納得してくれたので、ゾンビに至っては帰る際に「お店がオープンしたら客として寄ってみますね」と笑顔で言ってくれたので、思わず心が暖まった。
 ゴブリンの後にも話の通じない、武器を持った魔物はちょくちょくやってきたが、突然強襲を受けるといった事はなかった。俺は表面上淡々と、胸中四苦八苦しながら質問を繰り出し、支倉SVは手元の資料を見つつ時々俺にアドバイスをくれ、そして隣の謎の女の子はただ黙々とノートパソコンのキーボードを叩いていた。
 次々と来る魔物を見つつ、クルーの構成を考えていく。この滅茶苦茶な状況にも、段々と慣れてきた俺がいる。住めば都というのはどうやら本当のようで、俺も俺自身の適応力に驚愕する。
 やがて26匹(3匹は来なかった)の面接を終え、最後の1匹がやってきた。


 先の尖った尻尾と、頭に生えたツノ、背中には黒い翼が生え、下半身は獣のような毛に覆われている。
「……悪魔さんですか?」
「あ、はい、デーモンの方、やらせていただいております」
 その態度は分をわきまえた若手芸人のようだったが、顔は中年だった。悪魔と聞いて、漠然と妖艶なイケメンを想像した方には申し訳ないし、またこのデーモンにも失礼にあたるかもしれないが、率直に言えば仕事でくたびれたおじさんが酒に酔ってコスプレをしたようにしか見えなかったのだ。いくらなんでも分厚いレンズの眼鏡に、見れば腹も若干たるんでいる。
「まず、このローソンクルーのアルバイトに応募した経緯をお願いできますか?」
「あ、はい」
 と答え、咳払いして、痰が絡み、もう1度咳払いしてから述べる。
「先日私、会社の方をクビになりまして、何せ営業の方が下手なもので……あ、悪魔の営業というと、皆さんも少し聞き覚えがあるかと存じますが、願いを叶える代わりに魂をどうのという奴ですね。あれを総合的に取り扱っていた会社でした、はい。えーそれでー、その会社をクビになったもので、魂の方が手に入らなくなってしまいまして、妻も子供もいるものですから、次の会社が決まるまで、急場しのぎという形で……あ、いや、失言でした。働かせていただきたいと、えー心から思っております。はい」
 確かに、この調子では営業成績の方は芳しくなかっただろう。悪魔はもっと毅然とした態度で、飄々としていなくては。話の組み立てすら危ういこの悪魔が相手ならファウストも道を踏み外す事はなかっただろうにと思う。
「それでは、いずれその人間の魂を取り扱う仕事に復帰したいとお考えなんですか?」
 と、確認の意味で尋ねると、デーモンは急に怯えたようになり、
「あ、いやはやしかしですね、やはり私はどうも人間を騙すのが苦手らしく、前の会社でも逆に何度も騙されてしまうような有様でして、今の人間はアレですね、まさに悪魔ですね」
 ほとほと疲れたといった表情で、デーモンは俯く。くたびれたおじさんのようだ、と表現したが、訂正しよう。くたびれたおじさんその物だ。
「あ、ですけど、ローソンの方で採用してもらった暁には一生懸命働きます。真面目だけが取り柄なんです、昔から。はい」
 ううむ、と俺は首を捻る。正直、クルーとしての適正はほぼないに等しいが、単純に気の毒になってきた。人情で採用するのはあまり好ましくないが、このデーモンはあまりにも人が好すぎる。いや、人間味に溢れているというべきか、デーモン離れしているというべきか。こういうデーモンが一生懸命働いてくれると、それにつられて店全体の雰囲気も良くなるのではないだろうかと、期待してしまう俺がいた。
 もう少し、このデーモンの真意を確かめる必要があると判断した俺は、少し踏み込んだ質問を繰り出す。
「ところで、会社を解雇されたとの事ですが、今はどうやって生活しているのですか? 差し支えなければ、お聞かせ願いたいのですが」
 デーモンは照れと恥らいの混ざった表情になり、俯き気味に答える。
「えーその辺の魔物を捕まえて食べております」
 ん? と俺に疑問符が浮かぶ。
「その辺の……というと……?」
「まあ、普通に道端を歩いている魔物を、ぱくりと」
 嫌な予感。戦々恐々、尋ねてみる。
「……共食いですか?」
 くたびれデーモンは、俺の問いかけにまるで冗談でも聞いたようにははっと軽く笑い、首を横に振る。
「共食いだなんてとんでもない。私が食べるのは下級の魔物だけですよ。ここに来る時も、スライムを1匹いただいてきました」
 やがて予感は現実味を帯びてくる。
「あーっと……そのスライム、名前分かりますか?」
「え? ああ、学生証持ってましたね。えーと確か……スベス、とか言ったかな?」
 あぁ……。
 1つだけ、分かった事がある。魔界には神も仏もいないらしい。
 面接が終了した後でもまだ仕事は続く。今日面接にきた魔物達を振り返り、履歴書を見つつクルーの構成を吟味する。約束通り、あらかじめ用意してくれた人間のクルーは10人で、いずれも支倉SVが過去に担当していた店からの引き抜きや、直営店(フランチャイズ契約とは違い、ローソンが直接運営している店舗)からの異動という形で、練度の高いクルーを選んでくれたらしい。
 本来ならば、新規店舗にここまで手厚い保護をする事はまずない。しかし魔界での1号店、この店での成功が今後の魔界におけるローソンの展開を決めるとの事もあり、どうやらここまでの事をしてくれているらしい。
 採用候補を揃え、仕事が一段落ついたので、契約を結んだその日から疑問に思っていた事をぶつけてみる。
「何故こんなに重要な店舗なのに、俺とのフランチャイズ契約にしたんですか?」
 支倉SVは仕事の表情のまま、あくまでも世間話風に答える。
「んー僕の聞いた話では、春日さん、とある有名な陰陽師の血筋だそうですよ」
 へ? と俺は思わずアホみたいな顔になる。
「いやね、僕もあんまりオカルトは信じないんですけども、そういう血筋の人って、やっぱり特別な力っていうのかな? 聖なる加護? 的な物に守られていて、魔物も手出し出来ないみたいです。まあ、蛙の子は蛙って奴ですね」
 魔人のハーフでもオカルトは信じないのか。という突っ込みはひとまず置いておいて、まったくの初耳である自分の祖先に、ローソン調査部の情報収集能力の恐ろしさを覚える。
「しかも春日さん、実家が寺じゃないですか? だからますます、って感じらしいですね。まあ本部的にも、いくら能力の高い人を直営で送り込んでも、魔物に食われたんで撤退しますじゃあ済みませんし、やはり春日さんが適任みたいです。セミナーでの『命を懸ける』発言もありますし」
 確かに、俺の実家が寺である事は認めよう。委細省略するが、家業を継ぐのが嫌でオーナーを志望した面もある。
「納得しましたか?」
 納得とかそういう次元を超えていたが、どこから正したら良いのか分からず、「ええ、まあ……」と俺は曖昧な言葉を返す。
「それに、直営店ではないものの、経営面に関しては、心配していないみたいですよ」
 さらりと放たれた支倉SVの台詞に、一瞬俺は、俺の経営能力への信頼を期待したが、まだ結果を出していない俺にそれはいくらなんでも不自然だと思い直し、訊ねてみる。
「えっと、それはどういう意味ですか?」
 支倉SVは、ぽんぽんと肩を叩き、にこっと表情を崩す。いや、俺の肩ではない。面接の時からずっと同席していた、謎の女の子の肩だ。女の子はイケメン支倉SVのスキンシップにこれっぽっちも動じず、一定のリズムでキーボードを叩き続ける。
「ね? 頼りになるでしょう」


「あの、そろそろ紹介の方を……」
 俺が促すと、支倉SVは魔人スマイルで「まだ早いかな?」と答える。女の子は何も言わない。
「春日さん。実際に魔界に来た第一印象はどうですか?」
 明らかに強引に話を変えた事に動揺しつつも俺は答える。
「そう……ですね。まだ分からない事だらけですが、ローソンがこっちでも有名なのはひとまず安心しました」
 面接中も、魔物達はほとんどローソンの事を知っていた。店舗はなくても噂は届いているらしく、セブン、ローソン、ファミマのコンビニ御三家の知名度はほぼ人間界と変わらない。これはローソンの看板を掲げる1番のメリットであり、先行きを期待させてくれた。
「僕もね、最初の客入りに関しては、ほとんど心配していないんですよ。何せ魔界の1号店ですから、物珍しさで来てくれるお客様が多いだろうし。となると、問題はリピーターの獲得ですよね」
 俺は頷き、今日会った魔物たちを、今度はお客様として来店されると仮定して思い返す。
 とりあえず身体のサイズに関しては、臨機応変に対応する必要がある。一応店舗には4台分の駐車場があるとの事なので、例えば大型ドラゴンが来店された際には、そこで待機してもらって、クルーが注文を聞いて会計を済ませ、商品をお渡しするという手段を踏む必要があるだろう。小型過ぎるお客様も、手の届かない商品は取ってあげたり、袋を小分けにする気配りが求められる。
 それと、今日来たゴブリンなどを見ていると、根本的にレジでお会計するというシステムを理解してもらう必要性もあると感じた。オープンしてしばらくは、常時売り場に必ず1人、レジや品出しのクルーとは他に案内係を用意しておこう。多少人件費が嵩んでしまうが、極力不快な思いをさせない為には仕方のない出費といえる。
 また、店内でのマナーについても、定義を魔物の事情に合わせて変えていくべきだも思う。例えば、ローソンでは原則ペットを連れてのご来店は遠慮していただいているが、お客様とペットとの境界線が曖昧な魔界ではこのルールは意味をなさないだろう。逆に、店内での飲食、及び捕食は、人間界以上に徹底的に禁じなければならない。皆が平等に、安心してお買い物をする為には仕方のない事だろう。
 その旨を話していると、支倉SVはため息と共に答える。
「スベス君の件は残念でしたね。しかし弱肉強食というのも魔界のルールですから。……まあ、これは人間界も大して変わりませんが」
 確かに、魔界の方がちょっと分かりやすいというだけかもしれない。
 しかし、悲しい物は悲しい。クルー候補が別のクルー候補に食べられた訳だ。悲しまないはずがない。
「最後のデーモンは不採用ですか?」
 と尋ねてきたのは、支倉SVではなく謎の女の子だった。聞きなれない声に気づいて俺が見ると、モニターからあげた目と目があった。
「……いや、採用するつもりですよ」と、俺は答える。
 しばしの沈黙。
「何故ですか? 有望なクルー候補を食べられてしまったのに」
 最初の挨拶以来、初めてのまともな会話にたじろぎつつも、俺は俺の意見を述べる。
「魔界では捕食も当たり前の事だそうですから、そこに人間的な感傷を持ち込むのは良くないかなと。それに、事情を説明したらあのデーモンさんも反省して、正式に採用されたらクルーは絶対に食べないと約束してくれましたし」
 女の子は、しばらく無言で何かを考えた後、レンズ越しに俺を覗きこむ。
「……それは、食べられたのが人間でも同じ事を言えますか?」
 俺は、答えられなかった。


 森ビルを後にして、再びローソンカーの車内。今度は助手席に俺、後部座席に謎の女の子、もちろん運転手は支倉SVという形になった。
「いよいよお店へ向かいますよ。気分はどうですか?」
 やたらと楽しげに支倉SVが言うので、俺は「楽しみですね」と同意する。実際は、それと同じくらいの不安もあったが、今更言い出しても仕方がない。
「到着する前に、何か聞いておきたい事とかありますか?」
「えーと……出来れば後ろの席にいる女性について教えてもらいたいと……」
「ところで春日さんは、今のローソンの方針をどう思っていますか?」
 またも強引な話の摩り替えに、俺は苛立つ気さえもう起こらない。どうしても答えたくないというのなら、それもまた良いだろう。今更人間の1人や2人の素性が明らかになった所で、俺は大して驚かない。よって、俺は何も文句を言わずに支倉SVの質問に答える。
「海外展開に力を入れる方針は、時代に即していると思いますよ。ローソンは開拓精神によってここまで発展してきたと言っても過言ではありませんし、コンビニの完成形だと俺は思います」
「ほう。例えば?」
「フライドフーズをコンビニで大々的に取り扱った事ですとか、最近ではチルド弁当、チルド寿司の成功もあります。アニメやゲーム作品とのコラボはお手の物ですし、Loppiのマルチメディア媒体としての利便性は郡を抜いています。ローソンセレクトやウチカフェといったオリジナルブランド製品も知名度を徐々にあげてきており、ナチュラルローソン等の取り組みで企業イメージも良いと思われます」
「……優等生みたいな答えだなぁ」
 俺自身もつまらないとは思うが、事実なので仕方がなく、欠伸までされる筋合いはない。
「それじゃあ、古浪社長についてはどう思いますか?」
「経営に関してですか?」
「いやいや、人柄とか、印象とか。ぶっちゃけていいですよ」
「尊敬出来る方だと思いますが……」
「もうやだなぁ。もっとぶっちゃけてくださいよ。別にチクったりしませんから。僕はもっと春日さんと仲良くなりたいんですよ」
 支倉SVのにやけっぷりからして、何を求められているかは明らかだった。俺も別に人付き合いが得意な方ではないが、腹を割ったコミュニケーションの大事さは知っている。特に軽口が人と人の結びつきにもたらす効果は甚大だ。
「……色は黒いですよね」
「ふっはっは! 確かにそうですね」
 やはりこういう事か。と俺は納得し、もうちょっと捻る。
「悩みとかなさそうで、鬱には絶対ならないタイプですね」
「ふんふん」
「あと、性欲強そう」
 ハンドルを切り損ねる勢いで支倉SVは爆笑し、「春日さん言いますね」と俺の肩をぽんぽんと叩く。
 このSVとは、なんとか仲良くやっていけそうだな、等と思っていると、目的地に到着した。
 車を降りた瞬間、俺の不安は期待にかき消された。
 青い看板に白のストライプ。店頭には燃えるゴミ、燃えないゴミ、ペットボトル3種のゴミ箱と、ATMの取り扱い銀行の表示板。犬走りは正方形のタイルが敷き詰められ、窓ガラスにもローソンのロゴとラインが入っている。店頭幕は今は空で、のぼりも掲げられていない、駐車スペースを区切る白線、ポールの上にはおなじみの牛乳瓶が描かれた看板。そして扉には、「ローソン魔界9丁目店」の文字。
 これが俺の店だ。
 実物を目にして、そんな当たり前の実感が押し寄せる。
「あ、感動している所申し訳ないんですが、1つ良いですか?」
 と、支倉SV。俺は振り返り、例の魔人スマイルに首をかしげる。
「フランチャイズの契約上、経営者は『2人』いないと駄目だってのはご存知ですよね?」
 もちろん知っている。いわゆる「オーナー」と「店長」。両方を1人が兼任する場合もあるが、その場合でも、それとは他に専従者は必ず2人いなければならない。これは当然アルバイトでは駄目で、契約には必ず2人の人間が必要とされている。
 しかしこれに関しては、既に古浪社長と話が済んでいる。特殊な状況を考えて、もう1人の契約者は免除すると、確かそう言っていた。
「いや、正確には免除という訳ではなくてですね。本部が用意するという事なんですよ。もちろんローソンの取り分以外の利益に関しては、春日さんの独り占めですからご安心を。単刀直入に言えば、魔界の第一店舗として、本部の息のかかった人間を1人は置いておきたいという意向ですね」
 話としては、分からなくもない。そして同時に、先ほどからずっと気になっていた問題も解決する話ではある。
「もしかして、彼女ですか?」
 遅れて車から降りてきた女の子を指さし、俺は訊ねる。
「春日さん、ご名答。それじゃ、自己紹介をどうぞ」
 女の子は髪を整え、眼鏡の位置を正し、お辞儀をした後に言う。
「私、春日さんとこれから魔界9丁目店を共同経営していく古浪(ふるなみ)みつきと申します。性欲強そうな男の娘です。改めて、よろしくお願いします」
4, 3

  

「もういいですから、顔をあげてください」
 俺は額を地面にこすり付けるように首を横に振り、ひたすら無言で土下座を続ける。
「気にしてませんし、父に言うつもりもありませんから」
「そうですよ春日さん、大した事じゃありません」
 優しい言葉に便乗する魔人、今はただの悪魔に怒りを覚えつつ、俺はゆっくりと、申し訳なさいっぱいの顔を持ち上げていく。そして2人と目を合わせた瞬間、再び頭を地面に叩きつける。
 何せこれから看板を借りようという店の社長を、社長の娘の前で根拠なしの誹謗中傷でこき下ろしたのだ。これくらいの事はして当然、時代が時代なら切腹も止むを得ない状況と言える。
 それにしても許せないのは、魔人の小倅ではないか。危険な笑顔で近づき、親身になるふりをして、仲良くなりたいなどと戯言を抜かし、俺を見事に奈落へと叩き込んだ。なんたる悪辣、なんたる陰湿。この恨みはいつか、いつか晴らしてみせる……とはいえ、実際に悪口を言ったのは紛れもなくこの口であり、支倉SVは何も俺に強制してなどいない。
 そうか、このくらいの事は容易く出来なくては、ローソンという大企業でのし上がる事など不可能なのかもしれない。実際、支倉SVの評判はすこぶる良く、担当する店舗は軒並み結果を出している。1日一緒にいただけで十分に分かるくらい、頭のキレる人物である事は間違いない。
 しかし、しかし……。
 これから仕事を共にして、店を発展させていこうという同志に対して、決して言ってはいけない言葉だというのは分かっている。しかし今、たった1度だけ、しかも心の中でだけ叫ばせてもらおう。
 ふざけんなこのクソ野郎!
「春日さん、そもそも、社長の娘である事を黙っていて欲しいと支倉さんに頼んだのは私です」
 その言葉に、ようやく俺は顔をあげる。
「そんな風に気を遣われたり、卑下されたりするのが嫌でした。これから一緒に働いていく訳ですから、対等な関係が作りたいと思っています」
 俺は今度は慌てて立ち上がったが、まだ腰は低く構える。
「でも、結果的に騙すような事をしてしまって、こちらこそ申し訳ありません」
 そうして頭を下げる古浪さん。育ちの良さが滲み出ている、角度から何から正しすぎるお辞儀だ。その美しさにある種の感動を覚えつつある俺へ、令嬢は更にこう続ける。
「おかげで春日さんの事がよく知れました」
 ごく自然に差し伸べられた右手に、俺は恐る恐る握手を返す。
「その通り。みつきちゃんのする行動に無駄な事は1つもないんですよ春日さん。彼女はお父さんから筋金入りの帝王学を叩き込まれていますから」
 と、支倉SVは楽しそうに言う。
「……父の陰口を言うように誘導しろとは言ってませんが」
「あれ? そうでしたっけ?」
 すっとぼける支倉SV。
 どうやらこっちには握手ではなく1発のビンタが必要なようだ。
 その後、同じルートで人間界に戻り、最寄のホテルで一泊した。支倉SVは何故か2部屋しか予約しておらず、さも当たり前のように俺を1人の部屋にしようとしたが、俺は全力で支倉SVを俺の部屋に引っ張った。頼れる共同経営者がわずか3ヶ月で休職では洒落にならない。
 寝る前に、今日あった出来事と、思った事をノートに書き留め、眠りにつく。オーナーとしての初仕事1日目は、こうして波乱の内に、支倉SVの愚痴を枕に聞きながら、幕を閉じる事となった。


 そして翌日より、人を殺す勢いの多忙が始まった。
 オーナーとして、やらなければならない事は大量にある。魔物のクルーはほぼ決定したが、人間のクルーはまだ正式には決定していない。支倉SVと古浪さんが、ある程度目星をつけておいてくれたのだが、実際に採用するかどうかは俺の判断も必要であり、しかも全員、魔界の存在をまだ知ってすらいない。一般的に、魔界の存在は秘匿されているようで、それを知っているのはごく一部の人間らしい。
 つまり、これからローソン魔界9丁目店で働こうとしているクルーは、つい数日前の俺と全く同じ状況であり、皆それぞれ「おそらく断らない理由」があるそうだが、1人1人きちんと確認をとっていかなくてはならず、これは1日や2日で出来る作業ではない。1人ずつ、シフトも合わせて考えながらの説得。時には実際に魔界に連れて行き、時には雇用条件の交渉に一晩を費やした。
 結果、魔物にも負けず劣らず、というとやや言い過ぎかもしれないが、個性的な面子が集まったと思う。もちろんほとんどの人が熟練のローソンクルーであり、仕事面に関しては問題ないと踏んでいるが、果たして魔界という環境に慣れる事が出来るかどうか。興味津々といった人もいたし、単純に怖がっている人もいた。しかし最終的には、全員魔界9丁目店で働く事を了承してくれた。
 それから店の内検もした。一見するとただのローソンだが、建てるまでにはかなりのドラマがあったらしい。何せ魔界の存在は秘密であるから、人間界から大量の人員を投入する事は出来ない。しかし魔界の建築技術は、人間界のそれよりかなり遅れている(魔王城だけは例外らしいが、他は全て土や骨や魔界独特の奇妙な植物を使った建築)。そこで、長年来の関係があり、信頼のおける設計士及び親方と話をつけ、魔界の建築業者と協力してもらい、試行錯誤の末に完成したのがこの店舗だ。おそらくその過程だけでドキュメンタリー1本分は撮れるだろう。
 そんな様々な人や魔物の苦労の甲斐もあり、出来上がったローソンは完璧だった。外見から内部に至るまで、人間界のローソンと寸分違わずといった具合で、しかも魔界の気候も考慮に入れているというから、魔物と人間の種族を超えた共同作業には、ただただ賞賛しかない。
 それらの作業と平行して、市場調査も行った。といっても、これはほとんど古浪さんが担当し、俺は概要についてを聞いただけなので、誇れるような仕事をした訳ではないが、どうにかおおよそ魔界の状況は理解した。
 ようは昭和初期における日本の田舎だ。魔物達の食糧事情は、ほとんど自給自足に近い。違いといえば、悪魔がスライムを食うといった食物連鎖も組み込まれている所と、整備されているインフラが水道、ガス、魔力という所くらいだ。電気は無い。だが心配はいらない。魔力供給会社から供給された魔力を、電気に変換する装置がきちんと店には取り付けられている。変換効率も決して悪くないので、むしろ地上よりも月々の電気代(魔力代)は抑えられる見込みらしい。
 ちゃんと貨幣も流通している。魔王城が正式に発行している物で、もちろんレジでの支払いもこれで行う事になる。作りはシンプルで、名前までは知らないが上級魔物の肖像も印刷されており、偽札防止用の魔除けも刻まれている。人間の魂を原料に刷られていると聞いた時は正直ぞっとしたが、手にしてみると何の変哲もないただの紙だった。当然のように、円やドルとの為替も行われている。


 つまりこの魔界という社会において、魔物たちは植物や下級魔物を捕食して暮らし、自分に出来る仕事をして、人間の魂つまり貨幣を手に入れ、インフラや、対等な物品との交換をしているらしい。ここに人間界の店であるローソンがオープンする訳であるから、需要を読みきるのは非常に難しい。古浪さんは俺と会って話している間、パソコンから指が離れた事がないくらいで、俺より遥かに忙しそうだった。恥ずかしながら、俺はIT関係には疎い方なので、パソコン関連はどうやら店が開いても古浪さんにお任せする事になりそうだ。
 かくして弾き出された開店時の在庫総額は820万とんで12円。店舗の大きさからすると、やや大きめの数字といえる。在庫総額というのは、呼んで字の如く商品を全て販売価格に直し、その全てを足した金額の事である。一般的な店舗で400万から600万程度、大型店ならば1000万に乗る事もあるが、魔界9丁目店の規模でそこまで積むと、バックルームはダンボールで埋まる事になる。
 もちろんこれは一括で払う必要がある訳ではなく、月の売り上げからその都度引かれていく(というより本部が全て計算してから給料という形で店の取り分が手元に来る)ので、心配はいらない。商品の内訳についても、古浪さんにわざわざ紙に印刷してもらった見せてもらったが、正直言うといまいちピンとこなかった。勉強不足である事を否定はしないが、やはりいくら情報を得たとしても、実物を見なければあまり深く考えられないタイプなのだ俺は。
 それと、魔界オリジナル商品の開発について、支倉SVとの打ち合わせもこなした。魔界限定で販売する商品を、開発部と協力して作っていこうという話だ。これは何も珍しい話ではなく、人間界、日本に限定しても、地域によっては販売していない商品、している商品の違いがある。中でもおでんなどは地方色に合わせて具材を揃えており、ちくわぶは関東だけ、沖縄にはミミガーがあるといった大きな違いから、はんぺんの形、こんにゃくの色といった微妙な違いにも開発部は対応し、商品を揃えている。きっと魔界にぴったりのおでんも、その内作り上げる事だろう。まったく新しいジャンルの商材にも手を出す必要性も生まれるかもしれない。
 その為にはまず、魔物の意見を多く取り入れなければならない。これは採用した魔物クルーから意見を聞いていき、必要と感じれば店内に目安箱も設置する予定だ。もしかしたら、魔界オリジナル商品の中から全国で売られる事になる物が生まれる可能性もある。正直、楽しみだ。
 こうして、人、者、場所という3つの条件を整えていく毎日。睡眠時間は減ったが、充実感はあった。仕上げに、店の近くに人間可のアパートも借り、引越しも済ませた。古浪さんもどうやら同じアパートの1つ上の階で住むらしい。支倉SVは人間界から通うようだ。他にも担当する店があるので、当然といえば当然か。
 ストアコンピューターとレジも入れた。三日かけて全ての商品を並べ終わった。FFを揚げるフライヤーを設置した。バックルーム内の机やロッカーの配置も終えた。名札と一緒に制服も届いた。そうこうしている内に瞬く間に一ヶ月が過ぎ、いよいよ店が開く。
 俺の戦いがいよいよ始まる。
 そして迎えたオープン当日。朝、寒気と鼻づまりと喉の痛みで俺は目を覚ます。
 おそるおそる体温計に手を伸ばす。
 数分後、表示された数字は、
 38.9度。
 血の気が引くと同時に頭痛が始まる。
 どうやら風邪をひいたらしい。
 ああ、誰か、遠慮なく俺を罵ってくれ。
5

和田 駄々 先生に励ましのお便りを送ろう!!

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