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三 異常

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 天之宮高校は、高校というよりも大学に近いタイプの学校で、学校の敷地の隣には学生用の寮が完備してある。
 市の中心部からはそれなりに距離があり、また遠方からの学生も多いということで数年前に施設された、比較的新しい建物だ。とは言っても学生寮なのでそこまで設備は揃っておらず、一番人が集まる場所といえば、一階にある食堂だった。
 寮にある食堂なので、もちろん主に利用するのは寮生。
 しかし昼や夜の時間帯には寮生以外の生徒も、更には教員なんかもこぞって押し寄せた。
 理由は当然、美味い・早い・安い、の三拍子が揃っているから。
「にしても相変わらず人が多いこと」
 牛すじ肉を咀嚼しながら、凜太郎は周囲に目を遣る。
 食堂は二〇〇人ほど収容出来るくらい広いが、今は席がほとんど埋まってしまっている。
 それもそのはず、今の時間帯は寮生限定で無料の晩ご飯が振る舞われるのだ。寮生のほとんどがここぞとばかりに食堂に集まるため、朝や昼とは比べ物にならない数の人が食事を摂っている。
「ふん、人が多いのは嫌になるわね。カレーが不味くなりそう」
 凜太郎の向かいで、ぶつくさ言いながら牛すじ煮込みカレー(大盛り)をかっ食らう奈綱もその一人。
 奈綱は口振りとは裏腹に寮食を毎日楽しみにしていて、生徒会の仕事が終わると真っ先に食堂へ向かっていた。凜太郎は実家暮らしで食堂に来る必要はないのだが、下僕ということで奈綱に相伴させられている。
「お前はもう少し上品な食べ方できないのかよ宝条。口の周りカレールー塗れだぞ」
「ふふ、これを舐めとる瞬間が最高に至福なのよ。凜太郎もまだまだね」
「俺には一生到達できない領域だ」
 スプーンを置き、凜太郎は「ごちそうさま」と手を合わせる。
「というか、どっちかって言うと凜太郎のほうが気持ち悪いわよ。まるで舌で舐めとったみたいに完食してるし」
「汚え口で汚え例え出すな。出されたものは綺麗に食べきるのが礼儀だろ」
 凜太郎は満足気に笑いながら、お盆を持って立ち上がる。
「じゃーな。口の周りは綺麗に拭いとけよ」
「待ちなさい凜太郎。従者が主人を置いて帰っていいと思ってるの」
「帰るも何もお前はここが家だろーが。残念ながら俺は実家暮らしなんでね」
 ひらひらと手を振る。
「食い過ぎて死ぬなよ、宝条」
「余計なお世話よ、|綺麗好きのクソ《ニート・シット》」
 カレー食ってる時によくクソだなんて言えるな。
 奈綱の声を背に受けながら、凜太郎は子どもを寝かしつけた親のような気分になって、また溜め息を吐く。


     ■

 凜太郎の家は街の外れにある。
 それも住宅地とは違う方向の、木々に囲まれた道を抜けた先。一応道路の舗装はされているが、周辺に民家はほとんどないので、明かりらしい明かりも灯らない。夜になると漆黒とも言えるくらいの闇が広がり、ほとんど月明かりを頼りにして家に帰っていた。凜太郎は幼い頃からこの道を歩いているのでそれほど明かりは必要としなかったが、何も知らない人が雨の日にでも彷徨こうものなら遭難してしまいそうなほど暗い。そこを凜太郎は歩いていた。
 四月とはいえ、七時過ぎという時間になればもうすっかり夜だ。生徒会の仕事が終わってすぐに帰れば薄暗いうちに家まで帰り着くのだが、奈綱の存在がそれを良しとしなかった。
 奈綱による拘束が始まってから、もうすぐ一ヶ月が経つ。
 奈綱の従者という名目で、凜太郎は日頃から奈綱と行動を共にせざるを得ない状況に、今もある。昼ご飯の時も、授業の実験の時も、放課後になってからも、隙あらば奈綱は凜太郎の襟首を引っ掴んで連れ回した。当初、あの二人は付き合っているんじゃないかと噂されたこともあったが、圧倒的に傲慢な態度の奈綱を見てからは、凜太郎を見つめる周囲の目線が憐れみを帯びるようになった。校内において凜太郎の位置づけは「宝条奈綱の下僕」という形で確定されつつある。
 別段それについて不満はなかった。下僕と言っても行動を共にしているだけなので、奈綱と一緒にいるというより面倒を見ている感覚に近く、凜太郎は子どもをあやすような意識を持って奈綱と接していた。もともと世話好きなので、それが嫌になるということは今のところ感じていない。
 だが、凜太郎には不安なことが一つだけあった。
 それは、内緒の趣味がバレる、とか。
 生活リズムに支障が出る、とか。 
 そういった類のことでは、ない。
「…………」
 無言のまま、凜太郎は帰り道を歩く。
 携帯に流れる音楽がイヤホンを通じて、凜太郎の耳に流れ込む。
 それに意識を集中させなければ、不意に何か得体のしれないものが視界に飛び込んで来てしまいそうな気がして、凜太郎はボリュームを上げる。シャウトするボーカルの声がイヤホンから漏れだすほど大きくなり、真っ暗な世界の中でパンク・ロックだけを頼りに、早歩きで帰路を急ぐ。
 そうしていても――視界の端では闇が奇怪に蠢き、
 草木の擦れる音が何かの言語の形をとって凜太郎の聴覚に入り込もうとし、
 羽撃くカラスが何かを訴えるように鳴き続け、横を掠めて飛び去って行く。
 凜太郎には、分かる。
 他人には分からないモノを、認識してしまう。
 それが凜太郎の“異常”だった。
 凜太郎は、それを自分ではない誰かに知られるのを恐れていた。イヤホンからガンガン音を流そうが、嫌でも認識してしまうそれを、凜太郎は心の底から嫌っていた。一人の時は音楽を聴くなりして気を紛らわせば何とかなったが、誰かと一緒にいる時なんかはどうしようもない。変な行動を取れば、異常者として扱われるかもしれないからだ。
 騒ぎを厭う凜太郎は、とにかく平穏な生活を送りたいと思って、今まで一人で過ごすことが多かった。学校の友達はいるにはいるが、プライベートで関わることはほぼない。自分が謎の後遺症を抱える人間であることを誰にも知られたくないからだ。
「全く、クソッタレな人生だ」
 治すどころか、誰にも相談の出来ないこの症状。
 このままこんな生活が続いてしまえば、ストレスでいつか発狂してしまうんじゃないか。
 そんなことを考えていた、その時――――

 ひやり、と冷たさを持った手が、凜太郎の肩を掴んだ。
「!」
 凜太郎は虚を突かれて、心臓が跳ね上がりそうになる。
 自らの異常のことについて考えている最中だったので、驚きは余計に大きい。自分にしか見えない何かが肩を掴んでいるのかとも脳裏で考えたが、幾らか冷静になると、凜太郎の肩を掴んでいる感触には憶えがあった。
 そして、
「凜太郎、つ~かまえた」
 精気に欠ける、魂を抜かれたような声を聞いて、確信した。
「……気安く触んじゃねえよ、クソ野郎」
「何だよ、凜太郎。お前好きだったろう。こうやって後ろから驚かすの。だから、俺も真似してみた」
「気持ち悪いんだよ、離せ」
 凜太郎は身体を翻して、肩を掴んでいた手を振りほどく。
 振り向いた先に立っていたのは、ぼさぼさの長髪を指先で弄る、着物じみた黒装束を纏った男。一度見たら忘れられない容姿を持つその男は、凜太郎を見ながらにこにこと笑っている。
「何で家から出てきてんだ、クソ兄貴」
「おれをその辺のニートと同列に置くんじゃないよ、凜太郎」
 名を、萩村正親。
 肩を掴んだのは、凜太郎に残された唯一の親族だった。
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