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絶え間なく  前編

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     H E A V Y   K N U C K L E !

第二話 絶え間なく 前編

 その日から3年。試行錯誤の末に洋仁は日々鍛錬を続けるに至った。
響き続けた音は洋仁の体にぶつかり続けただろう。絶対の言葉は
数年に続く継続を生み出したのだった。

「999、1000…」
 左右の拳1000回に及ぶ打突が終わった。乾いた音が止み静寂がまた路地裏に戻る。
夏の夜空特有のゆらめいた星空が洋仁の上に広がっている。
 洋仁には運動を終えたすぐ後に
空を見上げる癖があり、この星空を見上げる事になる。

 例に漏れず、洋仁は空を見上げた。いつかこの空と地上の間を満たすこの世の理
(ことわり)によって皆と繋がりたい。
…今もつながっているはずだけれど強い実感が欲しい。
 そう願っていた。洋仁は孤独を感じていた。




 洋仁は中学の辛い体験を克服していた。具体的には内向的な方へ
落ちる事を免れていた。中学三年生の時に杉原を殴る事に成功したのだ。

 三年の一学期より身長が急激に伸び始め少しずつながら同級生との
体格差が縮まっていく日々。身長にコンプレックスの無い人間には
気づく事もまれなとても細かい事だが、洋仁にとって身長が
1センチでも2センチでも近づく事は、100メートル走で前の走者
にまさに追いつこうとしている、そんな価値を持っていたのだった。

 洋仁が鍛錬を始めてから約半年、それは客観的に見ても目覚しい進歩だった。
食事に気を使い毎日続けられた運動。食事や運動のみが自分の味方と
ばかりにのめり込んだのだ。
 そしてそれは事実だったと言えるだろう。

 その時その時の答えが何よりも洋仁を後押ししたのだった。


 そして一番の進歩は、洋仁の目的へと掘り進んでいくための
ドリルヘッドとも言うべき部分、”激烈に重い一撃”
 それを実現するために洋仁は格闘技の本をまず読み漁った。
どれも読んでは試し、読んでは試しを続けた。
 しかし2週間もすれば何故かその効果が遠いもののように感じられてしまう。
洋仁はこう考えた。
「強い人間がその体格に則って編み出した技だから(これを書いた本人は)出来るんだ」

 洋仁は読む本を変えた。それは高校から学びはじめる物理学の入門書だった。
背が高くて体重が重い人間のパンチは重い。蹴りも重い。
単純に重いモノを上から落とせばそれは重い衝撃に決まっている。
背の低い僕…いやオレは、体重の少ないオレは…。

 40キロの砂袋が落ちてくれば当然凄い衝撃のはずだ。
大人でも軽々しく出来る人もそうは居ないだろう。
 その衝撃がこの小さい拳に集中すれば…きっとそれなりのはずだ。

 洋仁はそう考え全身の重さの分布から走った時、跳ねた時、殴った時の重心移動を
観察し続けた。そして自分の拳にその重心が一番速く重くかかる方法を
模索していったのだった。


 ある日それは実を結ぶ事になる。
それは身長が160センチに及ぶかどうか、体重も40キロ台の少年が
編み出したものにしては明らかに精密かつ効果的なものであった。

 捨て身で全身を崖から投げ出すものを自分の拳頭に集中させるような。
そんなものだった。

 その腕を支えるために腕の筋力を、胸から上の動きを支えるために
背中と腹の筋力を、それを支えるための腰、下半身、その鍛錬を支えるための持久力、
全てを動かす食事、休息。全てが一つの目的のために回転するように働き始めた。
洋仁なりの、重い一撃のために。


 しかしそれを実行する本人の心は…暗くうつろげなものだった。
口数は少なくなり親と顔をあわせる事を無意識にも避けるようになった。

必要な食事の事だけはその要求が通るような態度を取り繕い、自分を駆り立てるものを
ありのまま走らせるために親との会話を創り上げる事は、
洋仁に相当な苦痛をもたらすものだった。

 食事の量が増えた事などに関しては親は成長期なのだと喜ぶようなそぶりを
洋仁に見せた。ただそんな関心を現すのはひと時のみ。すぐ傍観に戻る。
そんな傾向が親にある事を洋仁はうすうす気付きだしていた。

 ひと時見せる親のその感心のために、洋仁は一度死ぬほど大量に食事をとらねばと、
発作的に考えた事もあった。
 何かがおかしいと思う気持ちと、親に見ていて欲しいと強く願ってしまう
自分の心に挟まれて、洋仁は苦しみ続けた。絶対に運動を続けなくてはという
決意と心の飢え。

 洋仁は学校では暗い顔つきをするようになり、友人達と向かい合うその視線も
重く暗いものへと変貌していった。
 段々と洋仁と接していた友人達も距離を置くようになった。
洋仁は静かに、独りになっていった。


 年末は中学三年を迎える年にあたって進路希望の決定などあわただしさが
現れる季節となった。洋仁は周りがその話に夢中になっている中、
一人決めかねていた。
 そして大晦日。年越しの番組を見る気にもならず、母親の作った年越しの料理も
自分を作る材料なのだからと自分に言い聞かせ口へ運ぶ始末。

 両親は表情が希薄になった洋仁に向かって、正月を迎えるのだから
もっと明るい顔をしろ、何を考えているのと小言を言い始めた。

 洋仁は何でもない。大丈夫といつもは口にしない気を使う言葉を吐き
自分の部屋に戻っていった。「大丈夫だから静かにしているよ」
 両親は顔を見合わせ、そしてまた年越しの番組へと視線を移すのだった。

 (誰も自分を信じはしない心配もしない)
洋仁は一人部屋の中で自分にそういい聞かせた。その言葉しか思い浮かばなかった。
 毎日の辛い運動も何のためにしているのか、第一好き勝手にやっている奴らも
こんな苦しさも覚えずに今頃楽しんでそして心配する事も無いじゃないか。

 洋仁は泣きそうだと思った。しかし涙は出なかった。
その事に洋仁は愕然とした。涙が出ない。

 今までなら涙が出てくるような事なのに、何故か涙が出ない。目の奥に
もやもやした感じがして悲しさがこみ上げてこない。
 もう自分はおかしくなったのかと心が深く沈もうとし始めたその時だった。
洋仁の耳に除夜の鐘が聴こえてきたのだ。

 すぐ次の音がすると思えば鳴らず、忘れかけたその次の瞬間にはまた聴こえてくる。
洋仁の心がわずかながらにその音色に向いていった。
 うつろな目で窓を見上げ洋仁はつぶやいた。
 「初詣にいこう」

 電気カーペットは点けていたが暖房はそれのみの部屋にいた洋仁の、
体は食事をした後にも関わらず冷たく冷え切っていた。
 意識して深い呼吸を数回繰り返しながら立ち上がり着替えを考える洋仁だったが、
これで外に出るなら、いくら着ても足りないのではないかと思えるような凍えだった。

 結果、普段の冬の外出する装いにもう一枚外套と下着、セーターそして
タイツを追加する事になった。
 「初詣に行って来ます」
 ドアが閉まるガチャンという音が、冷たくしんとした路地に響いた。

 少し大きな通りへ出るとちらほらと初詣へ向かう人が見える。
幼い子を連れた親子。大学生くらいのカップル。高校生くらいの
はしゃぎながら歩く女の人たち。
 それを見た洋仁の心に思わず(いいな)という言葉が思い浮かんだ。
洋仁はその気持ちの理由が分からず、自問自答しながら産土の神社へと歩くのだった。


 神社への階段を登る。境内ともなれば出店も並び多くの人が
参拝のためごった返している。そんな中洋仁は一人黙々と階段を登るのだった。
 神殿が見え始めると何故か待つのが長く感じられる。
不思議に思いながら洋仁は並んだ。

 お祈りにまず学業が上手くなりますようにと学生だから当然だろうと
思った事を洋仁は祈った。そして本願である体を強く大きくそして
本当に強い一撃が打てるように…

 そう願おうとした時洋仁はふと抵抗を感じた。
自分の心に戸惑いながら、心を落ち着かせ何を自分が願っているのか
ありのままを思い浮かべる。
(…なるよう力を尽くしますから神様どうかお見守りください)
 そう願った。

 参拝を終え階段を下り、神社を後にする洋仁。
にぎやかだった境内が遠くなるにつれまた静かな住宅街を歩く事になる。
 洋仁の心にまた寂しさが襲ってくるのだった。

 ここからまた暫く歩けば高台があり、そこにある公園から
初日の出がよく見られるはず。
 洋仁の脳裏にそんな事が思い浮かんだ。しかしその高台へ行く道は階段のみで
しかも薄暗く気味の悪い道。人口もそう多くは無いこの街でそこへ行く人間もそうは居ない。
そんなところであり、しかも途中街灯が無いところさえある。
 ただ、帰ってもあの辛さに耐えるだけ。今なぜか初日の出を見てみたいそんな気が
洋仁の心をさざなみ立たせていた。


 洋仁は高台へ登る階段を登っていた。丸太で四角く形取られた段を
一段抜かしで上っていく。不思議と恐怖は感じられなかった。
 思わぬところに民家がいくつか点在し、また街の明かりが
自分をぼんやりと照らしていたからだった。

 高台の公園に着くと、そこには二本の街灯が辺りを照らしていた。
一つは滑り台の行き着く砂場横、もう一つはこの街で生まれ育った
文豪の碑の隣りに。石碑の隣りにあるベンチに腰をかける洋仁。

 向きは南側で太陽が昇るであろう東の方角も上手く視界が開けている。
 (かなり寒いが日が出るまでは耐えられそうだ。)
 防寒のコートの下にはジャンバー、そして手袋、マフラーに帽子。
追加された下着たちのおかげで
じっとしていても案外に耐えられるほど暖かさが保たれたのだった。

 ふとベンチの傍らを見ると、分厚い本が数冊落ちている。
暇つぶしだと洋仁はその中から一冊本を取り上げてみる。

 真っ黒な表紙、それは哲学書のようだった。ところどころが旧字体で書かれ
洋仁に読めない部分がある。

 作者と発行年月日を確認しようと裏表紙を開くとそこには、
一つの茶封筒が挟まれていた。




             後編へ続く
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