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絶え間なく  後編

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     H E A V Y   K N U C K L E !


第三話 絶え間なく 後編

 封筒は開いたままで何も書かれていないまっさらなものだった。
中にいく枚かの紙の厚さを感じ取れる。ただ長年折りこめられて
いたかのような平べったさだった。

 「…。」
 洋仁は何回かその表と裏を確認する。しかしまっさらなものだ。
もしやお金が入っているのかと中身を取り出してみる。
中には三つ折りにたたまれた便箋が入っていた。
 そこには縦書きに書かれた文面。



『 この手紙をお前が読む時には私は今生を離れている事を意味する。』


 遺書だった。


 洋仁は目を見開いた。思いもがけないものが目に飛び込み全身が凍りつく。
周囲の物音が急に何倍も大きくなるように洋仁は感じた。
 恐る恐る周りを見回すがそこには先ほど通ってきた公園が寂しげな
様子を見せているだけだ。誰かが立っているわけでは無い。

 洋仁は一瞬本を拾い読みした事を後悔したが、放っておいたからといって
かたわらに遺書があるのは同じ事だったはず。
 そう思い直しまた怖いものみたさによほど近い好奇心を元に、
その遺された手紙を読み進める事にした。
 もう一度あたりを見回したが先ほどとあいも変わらない公園の風景だった。


『遺した品や蔵書は好きに処分してくれて構わない。○○(達筆で読めない)
 の古本屋では事情を話せば多少は色を付けて買い取って頂けるだろう。
 隣組の方々へもご挨拶を宜しく頼む。また神野君小野君、彼らが無事
 帰ってこられたなら生前の厚恩を謝しておいて欲しい。』

 一行空けられた後にこう書き記されている。

『私が生涯に読破した書は数千巻積めば数十丈に及ぶ事だろう。
 しかしそれでお前に何か素晴らしい言葉をそこから残せるかと思えば
 それが思い浮かばない。不思議な事にこの手紙を書くにあたっては
 あれだけの量が束になってもかなわないものに今私は向かい合っているのだ。』 

 洋仁は黙って便箋に目を落とし続ける。

『正直有体に言えば私が学んだ内実には自信を持っていた。上手い言葉を記せる
 だろうと勇んで筆を取った。しかし事ここに至ってようやく大切な事が
 分かったような気がする。
  それは自分の本心だ。
 いくら書を読み数冊を諳(そら)んじたところでこの願いに比べるべくもない。
 お前をいくら金言麗句を並べ立て飾り立てても、私がお前を見つめ
 感じ抱いたこの本心こそが何よりも価値があるものだった。』

 「…。」

『イイカ、私がいくら遠い場所に居ようと時間が間を隔てようと、
 お前が強い思いを持って居る事は私は深く知っている。
 どれだけ私とお前の向かい合う事が困難であっても、
 絶対にお前の大事な本心は存在しているのだ。
 罵られようと貶されようと他の誰かがお前に不理解であったとしても
 私がお前を知っている。気高く生きていなさい。』

 そしてまた一行空けられた後にこう記されていた。

『ずっとお前の味方だから。』


 最後に年月日そして『春ウララカナル日ニ』と記されている。

 洋仁は頭が一杯になっている。
全文を読み終えこの感情をどうすればいいのかが分からないでいる。
 これまでにない新鮮な思考に向かい合ったという漠然とした
感情が洋仁を満たしていた。

 何度か読み返したくなるが、この人が誰宛に書いたものなのか。
多分書いた本人は亡くなっているだろうけれど、これを宛てた先の
本人が読んだその時点すでに亡くなっていたのだろうかと、
取り留めの無い疑問ばかり浮かんでくる。

 しかしそれらを確認するにはこの本の元々の所有者に
会う必要があった。それにこのいきさつを知っている人も
もう亡くなっているのかもしれない…

 洋仁は段々と眠りの世界へと入っていった。
首をすくめ、万全の用意が出来た防寒スーツの中に引きこもっていく──


 どこからか呼ぶ声が聞こえてきた。「洋仁君」
温かみのある男性の声だ。傍らに女の人の声もしている。
どこか幸せそうな




 「んっ…」
 洋仁は朝焼けを顔に受け、まぶしさに体を震わせた。

 朝日だ。初日の出の光である。
太陽が遠くの稜線から半分も出掛かったところで洋仁は目が
覚める事に成功した。

 洋仁は自分が涙を流している事に気付いた。胸の奥に感情が残っている。
その時この手紙が洋仁にとってどのような意味を持つのかを
洋仁は悟ったのだった。


 この手紙は長い時間を越え今度は自分に出会う定めだったという事を。

 また、自分は”自分であっていい”という事。

 そして”ある誰か”が心から願うものを持っている以上、
 自分も”本心”を持っていると。

 
 洋仁にとってはそれで充分だった。自分を信じていいと
思えた事が何よりも嬉しい事だったのだ。


 洋仁は家についた時に随分と叱られた。警察に捜索願を出すところだったと
母親に何度と無く言われたのだった。
 初詣で賽銭を持った参拝客を狙った強盗に襲われたのかとか
心配したじゃないとよく分からない事を洋仁は責められた。
 父親は「初日の出も見たのか。よかったな。」と洋仁に言った。
それに対して母親はそういう問題じゃないでしょう、ちゃんと言ってと
言うが、父親は帰ってきたのだからよかったじゃないかと言って
寝室へと向かっていった。


 洋仁はこうした両親の思いも、時々現れる『無関心』の合間に
過ぎないという事は分かっていた。
 でも、『今そう思ってくれている』事に対しては感謝したいと
思うようになっていた。

 洋仁の目には少しながら数年前の柔和な面差しが戻り始めていた。



 そこからは言わば快進撃である。
特段、学校の成績や対人関係に変化があったわけでは無かった。
 変化は着実に洋仁の中で起こっていた。

 走り、跳び、叩き、食べ、そして眠る。
洋仁の顔色も段々と血色を帯び、表情を見る者に多少の安心感を
覚えさせるまでになってきた。

 そしてそんな中での物理学と体の動きとの結合。
それまでの流れをコンパクトに、相手の油断の中で放てるように。

 また自分の気持ちは自分の気持ちと、明確な気持ちで放てるようになった。
それまでは自分のいわば恨みを込めて練習する事にためらいがあったのだが、
 相手も自分の意思で洋仁を殴っている以上、
対等の意思の行為という事に気付いたのだった。


 三月を過ぎ新学期を向かえ、同級生達も受験の学年という
自覚を持ち始める。それはかの連中といえど多少は意識はするようで、
二年生の頃に比べればつるんでくだらない話ばかりしているという事は
少なくなったようだった。

 杉浦はゴミ捨てに向かう洋仁とすれ違った時などはつばを
吐きかけるような事をし、いじめをする性根そのものは
三年になっても同じもののようであった。


 四月も半ばに差し掛かる頃のある日、洋仁は下校の間際に杉浦が
体育館の裏に一人で居るところに遭遇する。
 仲間とだべり終わって、同じく杉浦も帰ろうとするところであった。
 
「お前の受験する馬鹿高校どこ?」
 目隠しになる垣根越しに杉浦は言った。
洋仁は数年越しに取り戻した本来の柔和な笑顔を杉浦に向け、
垣根の間へ体を滑り込ませ、そしてバックを足元に置き

 全力で鉄拳を杉浦の顔面に叩き込んだ。



 地面に置いたバックを拾い上げまた同じ垣根の隙間から出て
正門へと向かう。

 ふと立ち止まり、空を見上げる。
花びらと葉の入り混じった桜の木から豪勢に桜が散る。
 胸に一息吸い込みそして吐き、洋仁はまた歩き始めた。

 


 ───洋仁の運動を終えた後に空を見上げる癖が始まったのは
この日からである。


 高校二年生になっても相変わらず毎夜の習慣は続くのだが、
その日の運動を終えた洋仁は、例に漏れず空を見上げる。
 この日まで途絶える事なく毎晩夜空を
見上げ続けて来たのは、途絶える事の無い洋仁の鍛錬と、
絶え間ない洋仁の本心の存在によるものだった。


 あの手紙が訴えた思いでさえ今もなお、絶え間なくそこに
在り続けている。




 電灯を消し布団へ横たわる洋仁。暑苦しい夏の夜を迎え洋仁は
久しぶりにあの元旦の事を思い出していた。

 (あの手紙を書いた人は、夏をどう過ごしていたのかな、
  クーラーはあったのだろうか…)


 考えても仕方が無いと思い直し、洋仁は目を閉じた。



      第二話 絶え間なく 後編 終
3

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