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第九話

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 はっきりと、御見舞ではなく、ましては冷やかしなどでもなく。
 小鳥のように透き通った声。女神のような慈愛の瞳で横たわる渉を見つめる。

  その少女は存在そのものが周囲とは違っていた。次元が違うとでもいえばいいのだろうか。三次元で暮らす人々の上の次元からやってきたような。

 その時、さらにありえないことが起きる。

 ベッドに横たわる、この植物状態の少年の目が開いたのである。クラスの人間はぽかんとして見ている。

 渉の目が開く。その目の焦点は二年間体に閉じ込められていたにも関わらずしっかりと少女を捉えていた。

 少年の口が微かに動く。もはや周りの人間も奇跡に目が釘付けだった。全ての目線が少女と渉に集まって離れなかった。瞬きすらできないほどに。

「う……そ…………だ」

 目の前の少女を見てようやく渉が振り絞った言葉がそれだった。急激な混乱と感情の激流に流されることを恐れるように渉は現実を否定した。

  どんな美しい花を並べても、彼女の微笑の横では色褪せてしまう。そんな微笑が渉に向けられていた。

「(こんなことは…………本当のことじゃない)」

 いつだったか、辛すぎる現実を受け入れられない時に何回も頭の中でリフレインさせた言葉。それを今はこの時に使った。

 二年間ぶりの発声。長い間使われなかったその器官では途切れ途切れの掠れた音しか出せなかった。その声に未来の目尻から雫が流れる。

「遅くなって、ごめんね。もっと、早く来れれば良かったんだ」

 喋っている途中で彼女のクリアグリーンの瞳から雫が溢れてきた。その雫は溢れて止まらなかった。

「ごめっ………うっ……うっ……私が泣いちゃったら、駄目なのに。渉が過ごしてきた、耐えてきた地獄は想像を絶するフラストレーションでいっぱいだったね…………ずっと、ずっと一人で頑張ったよね。私は……いつも見てた……」

 渉をここまで地獄に追いやった全てに悔しがるように、そして、自分が許せないというように話す。

 未来は涙を拭う。

 渉は未だ信じられなかった。まだ幻覚を見ていると言われた方が信じられる。だが、実際のところ渉にはどっちでもよかった。願うのはこの夢が終わらないことだけだった。

 その時さらに新たな面会者が訪れた。
 個人用にしては広い病室が人でいっぱいになった。白衣をまとった整った顔立ちの渉のよく知る男。輝く金色の髪の女性。どこか獅子を思わせる少年。蓬色の髪の女の子。その女の子の腕に抱えられた、この世界には存在しない紫色の龍。黒いゴシックロリータの洋服に身を包む女性。白髪の老人。猫目のツインテールの女の子。茶色のコートの男。その他にも実に懐かしい顔がやってきてくれた。

 当然クラスの人間達は誰なのか分からない。

「ふむ……運動神経が全て潰れてしまっているな。それにおまけにセロトニンが分泌されてないな。海馬も収束している」

 医者のようにスラスラと渉の状態を話すこの男。

「あ…………あ……久尊……寺……博…………士。そんな……状態な……のか………………?」

「でも俺達が来たからにはもう安心安全だぜ」

 茶色のコートの垂れ目の二枚目が答える。

「……ふっ……………ふふふ……………なん……か自然に…………笑えるんだ……………………春秋」

 渉が笑みを浮かべる。

 人を小さな体でかき分けて蓬色の髪の女の子が一番前まできた。何か言いたそうだっだがその女の子はなかなか声が出なかった。
 すると胸に抱えたドラゴンが翼を広げ渉の胸に飛び乗った。

「ご、ごほっ」

「「「シュラ!」」」

 シュラの名前を知るみんなが声を出した。

「いつまで寝てんだー!!さっさと家に帰るぞー!!」

「シュラ」

 渉がその龍に答える。シュラを触りたいが手が動かない。家に帰る?俺はもう一度あの場所に行けるのか?この世界では俺は何もすることができない。一切の自由が奪われているんだ。みんなに触れたい。
「起きてください。起きて、また一緒に遊んでください」

 咲夜の消え入りそうな嘆願するような声が渉の心にさらなる波紋を広げる。

 皆が渉を囲んでいる。ありえない光景が繰り広げられている。

 そこでは何もかもがまるで逆転しているようだった。見向きもされないものと賞賛を浴びるもの。現実的なものと非現実的なもの。なにか図りしえない人智を超越したことが起きていた。この個性的で存在感のある上妻家の人々に、クラスの人間達は気後れするばかりだった。

 渉が目を覚ましたことにクラスの人間達は驚いていたがどうでもよかった。渉が目覚めてようが、植物状態だろうが、極論すれば死んでいようが興味はなかった。

 その中のスクール内という狭い中でカースト上位に存在する若者などは自分が無視されることに慣れておらず、みっともなく動揺していた。

「なっなんだお前ら!?今は浦賀のクラスメイトの俺達の面会時間だぞ。早く部外者は出ていけよ!」

 その言葉に部屋の空気は氷点下まで空気が冷たくなったようだった。その冷気は上妻家全員から放たれていた。
 絶対零度の視線を放つのはアリーシャだった。

 ライムグリーンの混じる金色の豊かな髪を持つアリーシャや、上妻家のは周囲の現実感溢れる床や、ベッドや、空調機、テレビ、そしてクラスメイト達と対比するように存在している。
 アリーシャの真紅の瞳が冷たくクラス人間達を見据えた。ぞくっとするような美しさで睨まれて、クラスの人間達はたじろいだ。

「あなた達は何なんですか?非常識ですねぇ。いい大人もいるようですが面会時間は守って下さい」

 教師が言った。
 これに答えたのは黄土色のフロッグコートを着こなした、紳士だった。

「ええ、申し訳ありません。我々には時間がなかったもので……」

 その紳士は神威だった。深みのある落ち着いた声で答える神威に退く気はもちろんなかった。強固に受けられたが、教師が非常識なこの連中のことを一目で嫌いになった。その苛立ちが教師に持論の展開を促した。

「私の賢いも言った通り、今は我々の面会時間ですよ。それなのに図々しくもずかずかと乗り込んできて、社会のルールを知らないのか。まったく。だいたいあなた達はなんなんだ。まだ聞いてないぞ」

 これには理性的な声と口調で藍子が一刀両断して答えた。藍子は時として、特に何かを断ずる時に数学の公式ように短い言葉を使うことを信条としていた。頭の回転の速い藍子が言ったのは簡潔なことだった。すなわち、

「家族です」

 と。にっこりと微笑みながら。

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