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ダメな大人の高校編

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06 まるでダメな青春


中学時時代、それは私の全盛期と言ってもいい。
勉強はかなりできたし、スポーツでも優秀な成績を残せた。
文壇に立ってスピーチをしたこともあったし、友達も多かった。
親友と呼べる人間もいた。彼は私のようになってなければいいが。
そんな私は県内でも偏差値でトップ3に入るそこそこ優秀な高校に入る事ができた。
実にリア充である。


だがその高校は男子校である。
繰り返そう。男子校である。

そもそも、男子校の存在意義ってなんだ?

戦時中であればわかる。
男は兵士、女は国内で工場で働く訓練と別々の事をするのであれば
学舎を分けるのにもメリットはある。
だが、今の日本で一般人が兵士になる事など想定していない。

賛否両論あるだろうが政府や国際的な思惑を抜きにして、
ただ現代の戦争という点のおいてのみ焦点を当てれば、
一般市民100人を訓練し、戦場に出す予算があれば、
そのお金でレーダー1台買った方がはるかに効率がいいのだ。

隊列を作り、銃や剣で突撃していた時代ならともかく、
現代戦争は兵器の差が戦力となる。
1000人銃を持って集まったところで爆撃機や戦車の前に為す術はない。


有事の訓練をする必要がない以上、
男子だけが学ぶべき学問などあまりない。
せいぜいどうやったら女性を口説き落とせるか、
悦ばせるセックスの仕方ぐらいのものだが、
そんなものを3年かけて教える学校があったら紹介して欲しい。
倍率が高かろうと入り直すかも知れない。
まあとにかく、現代において、男子校に存在意義がないことはおわかり頂けただろうか?


女子校ならわかる。
大切な一人娘が変な男と付き合って妊娠なんてさせられたらたまったものじゃない。
完全に防ぐのは無理だろうが、女子校に通わせることで
男性絡みのトラブルに遭遇する確率はかなり減らす事ができる。
親としても、娘が大切な女子校に預けることで安心感を得ることができるだろう。

だが男子校は違う。
まったくそんな意味は無い。
むしろ男子校に通い、女を知らない事で将来ホストに嵌まったり、
大学で悪い女に騙されたりする。
男子校で学べることは共学でも学べるがその逆はない。

男子校の存在意義がまったくわからない。
誰か教えて欲しい。




私はそんな男子校で3年間過ごすことになった。
中学時代の友達同士が付き合いだした、恋人ができた、
なんて浮ついた話をしている時に私は別の事をしていた。


なぜか私は文学部に入部し、アニメ部と親交を持ち、
オタク達と濃い話をしたり小説を書いたりしながら、3年間過ごすことになったのである。




※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ 



私は中学の時はバリバリのスポーツマンだった。
オタクなどとはもっともかけ離れた存在である。
腹筋は割れるほど鍛えていたし、友達とはカラオケに行ったりもした。
どっちかというとウェーイ系のノリだった。
漫画も少年ジャンプやマガジン程度しか読んでおらず、
唯一オタク的な知識と言えばエヴァンゲリオンぐらいだ。
当時エヴァは社会現象にもなっていて、アニメに疎い私でも耳にする事があった。


ではなぜ高校でもスポーツマンを選択しなかったのか。
その頃の私は、漫画家を目指そうとしていたからである。


前述したように、私は絵を描く趣味があった。
鉛筆の走り書きだが、ストーリーにした漫画はノート10冊分ぐらいはあった。
友人達からも絵が上手いと褒められた。
調子に乗った私は、高校在学中に漫画活動に取り組もうと志したのだ。

元々体育会系とか、そういうノリは苦手な部分もあった。
親しい友人とは明るいノリで接する事ができるが、初対面の人間相手は無理だ。
久しぶりに会う人間に対しても妙によそよそしくなってしまう。
お盆で親戚が集まる場所に行くのは苦痛でしかなかった。
私の家以外のいとこ同士は東京に住んでいてちょくちょく会っているらしく、
小さい頃から、いとこ同士で集まると疎外感を感じていた。

そういった部分もあったので、私は元々オタクとしての素質があったのかもしれない。


とにかく、高校入学当初は漫画アニメ研究部に入ろうと思っていた。
だが入学式後の部活動紹介で漫画アニメ研究部の紹介を見て、私は漫画アニメ研究部を諦めた。


アニメ部紹介、部長の第一声。
丸眼鏡をかけた明らかにヒョロヒョロの先輩が壇上に立ち、第一声こう言った。





「こんにちは、漫画アニメ研究部ですニョ!」




!!!!!!!!!?????
男子校である。
偏差値がそこそこの高校の、新入生の視線が集まっている壇上である。
恥ずかしくはないのか?????


仮に羞恥心を捨てられたとしよう。
ニョってなに? ニャならまだわかる。猫だ。猫はかわいい。
男が語尾ににゃをつけても気持ち悪いが猫はかわいい。
でもニョってなに?


これは後々になってわかったのだが、
当時オタクの間では「デジキャラット」というアニメが流行っていて、
そのヒロインのデジコというキャラが語尾に「ニョ」を付けるのだそうだ。
……と、本人から聞いた。

だからなんだって話だ。
ここは男子校だし三次元だしそいつはデジ子じゃない。
そもそもこの進学校の新入生でデジキャラットの挨拶をしてわかる人間がどのぐらいいるんだ。
もちろん私も知らなかった。
その時の私は、よくはわからないがこの人はイタい人なんだと思った。


「私達の活動を紹介しますニョ☆」



漫画アニメ研究部にいる人間と私の間には、
外国よりはるかに遠い距離と分厚い壁があるらしい。
私は入部をやめた。



だが創作活動はするつもりだったので、
代わりの部活に入ることにした。
それが文学部である。


文学部の部長は高身長のちょっとひょろい印象がある人だった。
おとなしめで、私が今まで付き合ってきた人種とは明らかに違った。
だがさっきの超絶電波受信男と比べればはるかにまともに見える。
説明もわかりやすいし、何より語尾が普通だ。

文字による創作活動を行い、定期的に部誌を発行するというもので、
絵の練習と掛け持ちすることは十分可能だろう。

絵の練習は家でするとして。
文学部でストーリー的な部分を磨いていくのも悪くないと思い、
私は文学部に入部した。

この選択が、私の一生を左右することを、私はまだ知らなかった。



07まるでダメな高校生活



というわけで文学部に入部した。
文学部には3年の先輩1人に、2年の先輩が4人いた。
私を入れて新入生は2人だ。

文壇で文学部について説明していたのが3年の先輩だ。
初顔合わせを終えると、早速先輩から命令が下った。

「人数もいるし、今月部誌を発行したいから何か書いてきてくれ」

入学したてで右も左もわからない後輩に何を言ってるんだこいつらはと思った。
特に授業に関しては進学校ということもあって、ペースが普通の学校よりもはるかに速いのだ。

本来は3年間で学ぶはずのカリキュラムを2年までに全て終わらせて、残りの1年は
受験対策に費やすのだそうだ。
入学した初日に、「1年生は5時間、2年生は7時間、3年生は9時間、家で勉強するように」
などと担任が言っていたのを思い出す。もちろん学外でだ。

……うん?
労働基準法ってなんだっけ。
いや、学生には労働基準法は適応されないのか。
そういう問題ではないだろう。
というか、普通に考えて無理だろう。寝る時間がない。
クラスの誰かがその事を指摘すると、とりあえずそのぐらいの気持ちで取り組め、という事らしい。
進学校を謳っているこの高校においては、生徒の進学率が経営に大きく関わるのだろう。
とりあえず、授業が予習前提で進むのは間違いないようなので、
特に数学と英語は予め予習してくるようにとの事だった。

とんでもない学校に入ってしまったと思った。
部活動紹介と合わせて、まだ入学式だというのにこの学校にはすでに2回もドン引きしてしまった。
だが、漫画家を目指すにしても大学に行くことはマイナスにはならない。


「漫画を描くには漫画だけを描いていてはダメだ」というのが、当時の自分の持論だ。
スポーツ漫画を描くには実際にスポーツを経験した方がいいし、
料理漫画を描くのなら自分もある程度料理ができた方がいい。

手塚治虫は医師免許を持つほど医学知識が豊富なのを活かして「ブラックジャック」を描いた。
スラムダンクも、作者が実際にバスケをやっていたからこそ、あそこまでリアルに描けるのだろう。

高校3年、そしてその後の人生で漫画だけを描き続けていては、きっと面白い漫画は描けない。
どこかで行き詰まる。だから大学に行ったり、色々な人生経験を積むべきだ。
当時の自分はそう思っていた。実に賢い。
もっともこの時の理想とは裏腹に、
自分は大学どころか漫画すら描かなくなってしまうなんて、皮肉な話だ。
意志薄弱。だからこそまるでだめなおっさんたる由縁なのだが。




話題がだいぶ逸れてしまったが、
とにかく学校の勉強をしながらも、文学部として部誌を発行するために
作品を提出する事になった。
しかし、何を書けばいいのやら。
これまでの人生で小説なんて滅多に読んだ事は無い。
高校に入学するまで、ライトノベルの存在さえ知らなかった程だ。

せいぜい星新一か、芥川龍之介、国語の教科書に載っていた名作の抜粋程度である。
漫画なら週刊少年ジャンプを毎週読んでいたんだが。
さて、困った事になった。

悩んだ末、自分の処女作がはじめて完成したのは……2日後ぐらいだった。
事件はショートショートの推理モノだった。
寿司屋に家族が来た。子供を間に挟んで座り、仲良く家族で食事をする。
だが、父親は突然口から血を吐いて倒れる。毒殺だ。犯人は誰だ?

犯人は母親である。
父親の浮気が許せなかったから殺した。
子供のためにも自分が捕まるわけにはいかない、などと供述するが当然見逃すはずもない。
いや、子供を思うなら子供の前で父親を殺すなよトラウマになるぞとか、
探偵と助手役と被害者と子供と寿司屋の店員を抜いたら自動的に母親が犯人確定だよとか、
ツッコミどころは色々あったがなにぶん初めてなので許して欲しい。
唯一褒められた点は、犯人である母親の主張ぐらいのものだろう。

「子供のために取った皿を父親が横取りした。
子供が食べていたら子供が死んでいた。父親が皿を取ったのはあくまで偶然なのだ」

……まあネタバレしてしまうと、子供にワサビって辛いよねと、そういうことなのだが、
高校生がはじめて書いたにしては及第点じゃないだろうか。
とにかく、こうして作品を提出できた私はひとまず勉強に集中することにした。
学校の授業ペースは中学校の比ではないほどに速く、ついていくのがやっとだった。

1学期の成績は、学年でも中くらいだった。
中学校では常に20位以内をキープしていただけに少しショックだったが、
周囲も同じような連中が集まっているのだ。自然そうなる。

もちろん、その間にも漫画の練習はし続けた。
3年間に1度でいいから、ジャンプの新人賞に投稿しようと思っていた。






だが夏休みが終わる頃。
勉強も漫画もそっちのけで文章を書く事に嵌まっていくことを、
この時の自分はまだ知らなかった。









8, 7

  

08 まるでダメな友人

この学校が、文化部の部活を掛け持ちできる事を知ったのは6月頃のことだった。
文学部の2年生3人が、アニメ漫画研究会と掛け持ちしているという衝撃の事実が発覚したからである。

ある日、文学部の集まりで図書館に行くと彼はいた。
忘れもしない。入学式の日、部活動紹介でアニメ漫画研究会の代表として
語尾に「ニョ」をつけて喋っていたあの人だ。

その異世界人と自分の部活の先輩が親しげに喋っているのを見てしまったのである。
そしてどういう事か尋ねて、先の掛け持ちの事実が発覚したのである。

この時、私はその人と自己紹介をして少しおしゃべりをしたが、
時々何を言ってるのかわからないところもあるが割と普通の人だった。
普段から語尾に「にょ」を付けているわけではないらしい。
あれはあの日だけの特別なのだそうだ。

なんていうか、自己紹介でアピールしようとしてかえって痛々しくなったみたいな
ダメな例である。
あんな紹介じゃアニメ部(以降は面倒なのでこう略す)には新入生なんて入っていないだろうと思っていたのだが。

なんと6人入ったらしい。文学部は2人。2.5倍もいる。
私は混乱した。

あの部活動紹介で入部する人がいるなんて……そんな馬鹿な……
その時私は、世界の広さを知った。

このうち4人と、私は後の人生においても大きく関わる事になる。
だがいまはひとまず置いておき、この場で親しくなったのは1人だ。
その中に、クラスメイトがいたのである。



※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ 



このアニメ部に入っていたクラスメイトについて紹介しよう。
彼を仮にリノと呼ぶことにする。(さすがに実名はまずいのではぐらかす。まあ本人が見たら即バレするだろうが)
リノは見た目はひょろっとしている。身長180センチとクラスでも大きい方だが、痩せている。
だが不思議と見た目からはオタクらしさは感じない。

オタクのイメージと言えば、牛乳瓶の厚底のような眼鏡、極端な体型、ボサボサの髪。
リュックサックにTシャツジーンズファッション。
そんなイメージがあると思う。

だがリノは全然違った。
休日、リノと映画を見に行くことになった。
「APPLESEED」という、押井守のアニメである。
すごくリアルな3D映像ということで、当時ちょっとした話題にもなった。

待ち合わせに来たリノは、ニットキャップを被り、首にはネックレスをかけ、
センスのいいジャンパーとすらりとしたズボンを履いていた。
髪は美容院にいったのか整っていて、今もワックスをつけている。
渋谷や原宿にいても違和感のないファッションだった。

「待たせちゃったかな、悪いね」

集合5分前である。しかもキラキラの笑顔。
彼自身、結構なイケメンな事もあって相当に眩しかった。
自分が女なら映画の後はホテルに直行してもおかしくない程に魅力的に見えていた。

「そういえば、昨日の深夜アニメのアレ見た?」

だが口から出る話題はアニメかゲームの話で、しかも相当ディープである。
口を開けば美少女がどうとか、ヒロインがかわいいとか、幼女最高とか
そんな事をマシンガンのように言っているのだ。

残念イケメンとはまさしく彼のためにある言葉だと、私は思う。


中学時代までバリバリのスポーツマンで、
読んだ漫画といえば少年ジャンプ作品、オタク作品で知っているのはせいぜいエヴァぐらいの私では、
彼のディープな話についていくことはできない。
オタクとしての知識量は、湖と水たまりぐらいの開きがある。

そんな私と話していてもリノは気分を損ねず、
私にわかりやすく色々な事を解説してくれる。

まあ何はともあれ、彼が高校ではじめてできた休日も遊ぶ気の合う友人となったのは間違いない。





「君ってどんな小説書くの?」

映画が見終わり、感想もひとしきり話し終えると、彼は私にそう尋ねた。
文学部の私の作品は読んでいないらしい。

まぁ友人だからって、作品に興味を持ってもらえるかは別だ。
高校生の自作小説を読むぐらいなら買った本を読んでいる方が100倍有意義なのは私も認める。

私は素直に答えた。

「実はあまり小説って読んだ事がないんだ。
 漫画はよく読むだけどね。だからいまいちピンとこなくて」

この言葉に、彼の目の色がはっきり変わった。
炎が爛々と輝き、捕食者が草食動物を見つめるような危険な眼光を宿していた。

オタクによくありがちなアレである。
「こっちの世界にどっぷり浸からせてやろう」と。

翌日から、彼は学校で色々な本を私に貸してくれるようになった。
これが、私がラノベというものに触れた初めての機会だった。


「ブギーポップは笑わない」「キノの旅」「ダブルブリッド」「キーリ」「ウィザーズブレイン」

名だたる作品群である。
彼の作品を見る目は卓越していた。


ラノベというものをまったく知らなかった私にはどれも面白い作品ばかりだった。
ダブルブリッドの1巻を読んだときは、感動の余り泣いてしまった。
小説を読んでガチ泣きしたのはあれがはじめてだ。

元々知識などないのだから、彼の英才教育によって、
中学までバリバリのスポーツマンだった私は、1学期を終える頃、
立派なオタクの道に足を踏み入れており、彼の話にもある程度ついていけるようになっていた。
彼も何かやりきったような顔をしていた。


そして夏休みに入ろうかというところで、再び文学部の先輩に呼び出された。
そしてこう言われたのである。

「文化祭ですごいの1冊出すから、夏休み中に何か大作を仕上げてこい」と――


09 まるでダメな夏休み



この学校には夏休みはない。


……と断言してもいいほどの宿題の量。
さらには夏休み中10日ほど学校に来て授業をやるらしい。
夏休みは30日だから、1/3が潰れることになる。

ひどい学校だ。まるで牢獄である。
教室にはクーラーもないのでさながら真夏の学校は地獄と化していた。

クーラーがあるのは職員室、それと教員のみが使える特別教室の準備室と図書館である。
夏期講習が終わると、文学部とアニメ部の面々は図書館に集まってだべる事が多くなっていた。

※だべる……だらだらする、の意味。たぶん死語



雑談の中で、文学部の先輩からは作品の進捗はどうかと聞かれる。
私は自信を持って答える。

「超大作出します」

おお、と声があがると同時に、1人の先輩は苦笑い。
この2年生の先輩を、ヒロと仮に名付けよう。

「あまり長編はやめてくれよ……」

1年生の創作意欲に水を差すようなこの言葉。
別にこの人にやる気がないわけではない。
それはとある事情が絡んでいた。



当時、携帯電話もパソコンもまだ一般家庭には普及したばかりだった。
持っていない、と言ってもさほど驚かれることはない。
私がいるのは60歳に近い祖父母の家である。パソコンなんてあるはずもない。

文学部の作品は、PCで編集し印刷した物を発行していた。
手書きではない。だが、パソコンがないので私は手書きしかない。
誰かが私の手書きの文章をパソコンで打ち直しているのである。
その主な担当がヒロだったのだ。


つまり私の作品がでかくなるほど、時間は削られていく。
迷惑な事この上ないのだろうが、部誌を出すという名目上、やめろとも言えない。
私の作品規模によっては、彼は休日返上しなければならなくなる。

だが安心して欲しい。
彼の休日を救済する手段を、私はこの時用意していたのだった。

「祖母の知り合いが、パソコンを譲ってくれるらしいんです。
 これからはデータ形式で原稿を提出しますよ」


この時の彼の心底安心した顔は今でも覚えている。
鮫の海から1人だけ生還した人間はあんな顔をするのだろう。

私自身、手書きのままではいつまでも不便だし、
打ち直させるのは申し訳ないと思っていたから、祖母から話を聞いたときは
とても嬉しかった。

それにインターネットというものにも興味があった。
リノとネカフェで触ったことがあるが、あれが自分の家で使えるのは
夢のようだった。

私は、パソコンが届く日を楽しみにしていた。




そして届いた。
四角い筐体、キーボード。
印刷機のように分厚い底にはプリント機能がついていた。
……いや、もうこれ印刷機なんじゃないか?



それはワープロというものらしかった。
ワードプロセッサー。文章を書いて紙に印刷をするためのハードウェアである。
見た目はノートパソコンととてもよく似ている。




…………まあ、いいんだけどね。
データで渡せるのは変わりないから、先輩の負担は減るわけだし。
当時はデータの保存はフロッピーディスクでやりとりをしていた。
CDやDVDすらまだ先の話だし、オンラインストレージなんて未知の世界だ。
あの頃に比べて、世界は確実に進歩しているのだと思う。

こうして夏休み明け、文化祭向けの大作を、データで提出することができたのだった。



10, 9

  

10 まるでダメな文学部




文化祭は概ね成功したと言える。
文学部が作った部誌は100ページを越えた。
OBをはじめ、訪れた人の何人かが買っていってくれた。
自分の作品がはじめて、第三者の目に触れる事が楽しみで仕方なかった。


自信はあった。
私の作品はSF作品。
とある事情で記憶を無くした戦闘部隊の恋人同士が別々の組織に雇われ、
恋人とは知らずにターゲットと殺し合うという話である。
最初の頃の星新一に似せたショートショートや推理モノと比較すれば、
ずいぶんラノベに染まったと言えるだろう。

とはいえ、外部から感想が届く事はまずない。
連絡手段がないし、わざわざ文学部の部誌の感想を言いに
学校に手紙や電話をしてくる人なんてレアケースだろう。

とはいえ、はじめて知らない人の目に触れる事になった
自分の力作だ。感想を聞かせて欲しかった。
それは文学部の他の面々も同じだったのだろう。


「文学部で集まって、作品の批評会をするというのはどうだろう」

先輩の誰かが言った。
3年生の先輩は、文化祭をもって引退する事が決まっていた。
2年のヒロ先輩が部長になり、新しい文学部の活動が始まった。


その提案に、特に反対意見は出なかった。
文化祭から1週間後の放課後、私達は互いの作品を読み、批評する会を設けることとなった。








場所は物理室だった。
静謐な図書館で批評会をするわけにもいかない。
先輩はアニメ部、文学部、物理部を掛け持ちしているらしく、
この日は物理部の部室を借りる事になった。


順番に前から見ていく。
だいたいが誤字脱字の指摘で終わる。
批評会を提案したはいいものの、具体的に何を言えばいいのか、
この素人高校生達はわかっていなかったのである。

だから具体的に突っ込める場所として、誤字。
とにかく誤字誤字誤字と誤字の指摘ばかりが続く。
誤字でゲシュタルト崩壊しそうな勢いだ。


1つ上の先輩、仮にリョウと呼ぶことにする。
リョウ先輩は変な人だった。
出会えばとにかく空手の型の練習をしていた。
空手の道場に行っているらしいのだが、別に学校でやる必要もないだろう。
アニメ部とはやはり、学校の中でも異端の存在らしい。
オタクの集まった変な部活動といえば今風のラノベにありがちだが、
あいにくここは男子校だ。かわいい女の子なんて空想上の生き物でしかない。


リョウ先輩の作品は、私以上の長編だった。
私は彼の作品から読むことにした。
顔もしらない作家ではなく、自分と普段親交がある人間の長編である。
作者の実態を知っているというのはなんだか変な気持ちになる。
早速見ていこう。


主人公の部屋に転がり込んできた女の子。
最初は主人公も嫌がっていたが、彼女がやがて大切な存在になっていく。
だが、彼女の命はとある事情があって、夏が来る頃には死んでしまうのだ。
それをなんとかしようと奮闘する主人公。
実に王道ラブストーリーといった感じである。



なんだこれと思った。ありえねーだろ。
いやいや、いきなり突然女の子が1人暮らしの男の家に転がり込む!?
しかも下の名前呼び!? 頭おかしいのかこの女!
受け入れる主人公もどうかしてるぜまったく!
はぁ、ありえない面白くない。
感想のために一応ざっくり読んでおくか。

ん……? この子病気なのか? そういえばさっきのページで伏線があったな。
え、倒れたぞ? 死ぬってどういうこと!?
実は昔出会ってた? ああ、だからこの馴れ馴れしさ。

おい主人公!あきらめんながんばれよ!
シジミがトゥルルってがんばってんだよ!
いけるいけるいけるいける!
よし、ハッピーエンド!
セリフがくっさいけど、これだけの事をやったんだから許せるよ!
あーよかった、感動した。






と、そんな感じの感想を抱いた。
読み始めた頃と終わりでは、私の印象は180度変わっていた。
というような事を語るとリョウ先輩はとても喜んでいた。
気持ちはわかる。私も早く、自分の番になって誰かに褒めて欲しい。
期待ばかりが膨らんでいく。

とうとう自分の番になる。
誤字脱字の話が多かったが、内容になると褒められもする、だめ出しもされる
感想は可も無く不可も無くといったところだろう。
少なくとも、10ページにも満たなかったもう1人の1年生部員よりはマシな作品ができていると思った。
今思えば、この私の考え方はクズもいいところだ。
素人同士の作品の良し悪しを比べてどちらが優れている、劣っているなどとくだらない。
だが生の感想を聞いた私のテンションはあがっていた。

よく漫画家や小説家が、読者の声を聞くとモチベーションがあがると言っていたが、
まさしくその通りだった。
次はもっと褒められたい。認められたい。
すごいって言わせてやる。

自分の中でやる気が充ち満ちているのがわかった。
他の誰よりもすごい作品を書いてやる!


そんな私の些細な競争心が。
1年の終わりに、私の心に小さな爆弾を埋め込むことになるのだが、
私はこの時、まだそれを知らない。



番外編 カリ暮らしのアダルッティ

※この話にはエッティな要素も含まれますのでご注意ください。
 また、不快な下ネタや犯罪行為なども描写されますのでイヤな人は飛ばしてください



神様、私はここで懺悔することがあります。
墓に持って行こうと思ったけど時効だしいいよね?



……





思春期、男子校、祖母の家。
ここで1つの疑問が生まれるのではないだろうか。
そう、性欲の解消をどうするかである。
15歳から18歳という思春期まっさかりの、抑えきれない性欲は、
夏休み寸前には爆発寸前にまで膨れあがっていた。





恥ずかしながら、私が自慰行為というものを知り、はじめて及んだのは高1の夏だった。
すでに童貞や処女を喪失している同級生がいる中でだいぶ遅れていたと自分でも思う。
理由はいくつかあった。


1つは、家族間で下ネタや性的な話など一切しなかったことだ。
なぜか家族の間では性的な話がタブー視されていたというか、誰も口にしなかった。
インターネットもないし、父親はそういう雑誌を子供の目の届かないところに巧妙に隠していた。
私が日常的に触れるエロといえば少年漫画のたまにあるエロいシーンぐらいだ。
アダルトコミックなど見たこともない。

ただ、体が大きくスポーツが得意だった私は、人一倍性欲は活発だったとは思う。
小学校の高学年ぐらいから、異性の体にはとても興味があった。
見ていてムラムラする。
同級生の女の子の体操着を見ておっぱいを揉みたいと思ったし、
当時はブルマだったので、ブルマからはみ出る下着を
永遠に眺めていたいと思った。

そんな欲求を解消させる方法を一切知らなかった。


もう1つの理由はやはり家族絡みなのだが、父親である。
バラエティー番組を見ればくだらないと文句を言い、
ドラえもんの秘密道具などばからしい、現実を見ろ。
それが父の口癖だった。
小学生当時、父親を尊敬していた私はその言葉を真に受けていた。


俗物的な欲望に染まるなんてくだらない。
男は硬派でなくてはならない。
バラエティーや流行の歌なんて、おっかけるのはくだらないことだ。


当時の私は本気でこう思っていた。
小学6年生で、友人達とカラオケに行ったとき、
1人だけ皆が歌っている歌がまったくわからず、
「およげたいやきくん」や「北風小僧の寒太郎」と、
小さい頃NHKで聞いた事がある歌しか歌えなかった。

友達は2度と私をカラオケには誘わなかった。





……だから歪んだのだろう。
もっとも言い訳にしかならないが。
レベルの足りない遊び人が賢者のように振る舞うなんて無理だったのだ。
歪んだ私の欲望は小学生当時、とある犯罪行為として現れたのだ。




小学校。母親がまだ比較的まともだった頃の話だ。
母親は健康のために、週一で夜に開かれるバドミントンに参加していた。
その場所は、私が当時通っていた小学校の体育館だった。


私はそこで、同じように母親に連れられた子供達とカードゲームをしたり、
卓球をしたり、バスケットをして遊んでいた。
だがふとある日、私以外に誰も来ていなかったことがあった。
1人で数時間も遊ぶのはつまらないものだ。
バスケットのシュートや卓球の壁打ちで時間を潰したが、さすがに飽きてきた。

私は男子トイレで用を足した。
時間はすでに夜。周囲は真っ暗である。
コートとトイレなどがある脇の通路は隔たれ、音もろくに聞こえてこない。
トイレから出た私は、ふとその部屋の前で足を止めた。

女子更衣室である。
女子バスケ部はかわいい女の子が多く、私が気になっていたクラスメイトもいた。
そんなクラスメイト達の私物が、この部屋にはあるのだ。
倫理やモラルはさておき、一部のおっさんにとって小学生女子の私物が保存してある部屋など
まさに理想郷、桃源郷、ワンピースと言えるのではないか?

当時の私はおっさんではない、ショタである。
だが、クラスの女子の私物があると知れば興奮するほどには変態で、正常な男子の反応と言えよう。


現在、私を見ている者はおらず母親達がトイレ以外でこちらに来ることはない。
人が通る確率はかなり低いのだ。
夜の体育館に忘れ物を取りにくる小学生なんていないだろう。

ここで鍵が閉まっていれば引き返したかもしれない。
だが当時の田舎の学校の体育館の防犯レベルは、変態小学生の存在をまったく考慮していなかった。


その時、悪魔が囁いた。
そして悪魔の囁きに私は耳を傾けた。

物音を立てずに中に侵入すると、好きだった子のロッカーを漁った。
彼女の練習着があった。夕方の部活からまだ時間が立っていないせいか、
少し湿っていた。
誰も邪魔はいない。
私は自分の歪んだ欲望に身を任せ、顔に近づけて、思いっきり息を吸った。

……汗臭い。
女の子は甘い匂いがするなんて幻想だ。
女だろうが男だろうが汗は変わらない。
匂いは想像とはだいぶ違うものだった。

だが、これが彼女の匂いかと思うと興奮した。
思う存分堪能した後に、他の女子の私物にも手を伸ばした。
靴下やブルマがあった。匂いを嗅いだり、股間に押しつけたりもした。
持ち帰ったりはしていない。そんな度胸は私にはない。
今日私物がなくなれば、真っ先に疑われるのは私である。
その程度の理性は働いていた。

以来、母親のバドミントンについていくたび、私は女子更衣室に侵入して
歪んだ欲望をぶつけていた。

この時、すでに私は精通していたと思う。
夢精をしたこともあった。
だが肝心の自慰行為の仕方が、私にはわからなかったのだ。
女子更衣室に忍び込む背徳感、好きな女の子の私物を漁る快感。
それは私にかつてない興奮をもたらした。だがそこまでだった。
そこからどうすればいいのかが私にはわからない。

クラスの女子とエッチな事をする妄想は毎晩のようにしていた。
中学でもそうだった。だが、それは想像の域を出ない。
当時、ネットもない、アダルトビデオを見たこともない私は、
射精をする、という事がよくわからなかった。
夢精以外の射精を知らないまま、ついに高校生になった。


高校生になってからは、小遣いを毎月5000円もらえるようになった。
たいていは気になったラノベや漫画、デッサンの描き方など漫画の専門書に使われた。

だが夏休み、本屋で目にした1冊のグラビア誌に目が釘付けになった。
そのグラビア女性に目が釘付けになった。
純粋そうな黒髪、爽やかな笑顔。なにの胸は大きくはちきれんばかりの白い水着が劣情をそそる。
その興奮は、私に取って耐えがたいものになっていた。

私はそのグラビア誌を購入し、部屋に籠もると、鍵をかけ、ベッドに腰掛け、
膝の上で買ってきたグラビア誌をめくった。

目当てのグラドルのページで、自分のイチモツに手をかけてこすった。
得も言われぬ快感が襲ってくる。そこで私はふと思った。
このままこすり続けたらどうなってしまうのだろうかと。

快感が増していく。
何も考えられなくなるほどぼーっとして、
体が痙攣したかと思うと、股間が熱と痺れで麻痺し、何かが飛び出した。

それが、私に取っての初めての自慰行為だった。
雑誌はダメになった。
以来、私は定期的に自慰をするようになり、
そしてそれまでの歪んだ欲望はなりを潜めたのだった。






反省しています。
すみませんすみません。
その節は大変ご迷惑をおかけしましたと共に
お世話になりました。







12, 11

  

11 まるでダメな呪い





文学部のもう1人の1年生部員。名前を仮に仮にガワラとしよう。
戦場ヶ原、なんて苗字ではないので安心して欲しい。
彼はツンでもないし文房具も常備していない。
控えめでおとなしく、典型的な文学少年といった感じだった。
アニメやラノベなどまったく知らず、オタクでもない。

最後に会ったのは15年以上も前になるので、今では彼がどんな声だったのか、
どんな顔だったのかすら思い出す事もできない。

けど、事実として覚えている。
彼がそこにいたこと。
彼の作品に対し、私は優越感を抱いていたこと。
今、会えるのなら、私があの時彼にした数々の非礼を謝りたい。
そして、今の私の作品を見て欲しい。
だが、それはおそらおくもう叶わないだろう。


彼は1年生の終わりに、東北に引っ越していった。
それ以来、私は彼には2度と会っていないし連絡も取っていない。




少々悲しく、寂しく、そしてイヤな話になる。
見たくない人はブラウザバックして欲しい。









批評会というものが文学部の中で開かれるようになり、
私はメキメキと力を付けはじめていた。
もっと褒めてもらいたい、すごいと言わせたい。
そう言われたくて、私は必死に作品を書くことに没頭した。

成績はみるみる落ちていき、下から数える方が速くなっていた。
赤点が増え、教師からこのままではまずいと言われた。
落ちこぼれのレッテルを貼られた。

だが構わなかった。
月一での部誌の発行、そして批評会が私にとっての、高校生活の全てだった。

物語の書き方を勉強することは、後々漫画の道に進むのに必ず役立つと
信じていたためでもある。
もっとも、この時は絵の練習なんてそっちのけで文を書くことに没頭していたので、
本末転倒もいいところであるのだが。


私が力を身につけ、先輩達にも褒められる事が多くなる一方、
もう1人の1年生部員、ガワラは代わり映えのしない、
はっきり言えば特に面白くも無い作品シリーズを毎月10ページほど、
出し続けていた。

私は、彼を見下していた。
最初は同程度の技量だったが、文化祭が終わり、冬休みに入る頃には
歴然とした力の差ができていた。
彼の文章の荒さが目立つようになり、批評会では酷評する事も多くなった。

「ここは、もっと丁寧に描写しないと。
 同じように淡々と書くだけじゃ盛り上げが足りないよ」

「要らない部分を書きすぎてる。この文章はまるまるカットできるでしょ」



……思い出して、自己嫌悪。
タイムマシーンがあれば当時の自分をぶん殴りに行きたい。

ここは進学校で、本業は学業で、文学部の活動など、
日頃のストレスのはけ口でしかない。
そんなものにのめり込んで成績を落とす私の方こそ、
本来は見下されるべき存在だというのに。


「きみの作品はすごいね」
「ここの話、すごくいい。夢中になって読んだ」


彼の口から出てくるのは、そんな私の作品に対する賞賛ばかりだった。
私はますます天狗になった。
先輩の作品に対しても容赦なく突っ込んでいった。
そうやって他人の作品を下だと評価することで、
相対的に自分の作品の価値をあげようとしていたのかもしれない。

特に1年生のガワラの作品はおせじにも良作とは言い難い。
荒削りで、どこかで見たようなストーリー。
ツッコミどころも多い。
そして私は、鬼の首をとったかのように彼の作品を叩いた。
叩いて叩いて叩いた。
そうする事で優越感を感じていたかったのだ。

けれど彼は、決して。
どんなに自分の作品を叩かれても。
私や、他の人の作品を叩こうとはせず、賞賛ばかりしていた。

「ボクにはこんな文章書けないよ」

当たり前だ。
私がこのレベルの文章を書くために毎月どのぐらい本を読んでると思ってるんだ。
気に入った表現はメモして、わからない言葉は意味を調べて、
美しい文章は模写する。
そうやって努力をしてるんだ。



お前なんかと一緒にするな。




「だからね、次の次の文学部の部長はきみがいいと思う。
実力的に見ればそれがいいのは誰の目にも明かだよ」



部長か。
正直めんどくさい。
私は作品を書くことに専念したいんだ。
イベントを企画したり、部誌の発行で指揮を執ったり、
そういうのはガワラに任せたいんだけど?



「ごめん、それは無理だよ。
ボクは口べただし、あんまり人に強く言えないし。
部長には向いてないよ」




心配しなくても、私も手伝うし、
部誌の発行なんて誰が指揮執っても一緒だよ。
大丈夫、できるって。がんばえー


「それにボク、2年になったら転校するから」


そっか。転校するのか。
それで、次はもっと良い作品を書いてくれるんだろ?
よかったら締め切り前にアドバイスしようか?


「親の都合で、2年になったら転校するんだ」


……ん?
てんこう、テンコウ、転校……
次の作品のタイトル?



「……転校するんだ」



転校。
そうか。

…………

――こいつ、転校するのか。
じゃあもういいか。



……正直に白状しよう。
番外編で告白した罪など、今から言う事の業の深さに比べれば些細だ。
落とし穴と奈落ぐらいの差がある。少なくとも私に取って。

私は、彼に転校すると言われたその時、自分の心の中に潜むゆがみに気づいた。




「そっか。じゃあもう君の文章読む必要ないんだね」




私は彼に、こんな言葉を投げかけた。
ひどいやつだと思う。でもそんな言葉が出た。
彼を嫌いだったわけじゃない。自分をリスペクトしてくれるし、
部の中ではたった1人の同級生として一緒に頑張ってきた仲だ。

だが好きかと言われるとそれも違う。



ああ、そうか…………


この時、私は気づいた。
自分自身が取り返しのつかない事になっている事に。
















私は、他人に対して好きとか嫌いとかの感情が一切持てなくなってしまっている事に、
この時気づいたのだ。















自己分析するが、これは間違いなく、あの家族の確執が原因とも言える。
母親が裏切った事がじゃない。
父親の素面を知ったことでもない。





私の家庭は、あの日。
母親の浮気相手が訪ねてくるまで、

どこにでもある普通の家庭で、
そしてとても幸せだったのだ。


クレヨンしんちゃんの野原一家のような
深い深い絆で結ばれていると信じていた。





15年間だ。
それがなんだ?
その絆が、たった1人の知らないおっさんの言葉でいきなり壊れたんだぞ?。
違う、壊れていた事に気づかされたんだ。


絆なんてなかった。
愛し合う家族なんていなかった。
あれほど自分を大切に思っていると信じていた母親にさえ、1度は捨てられた。
何年かけようが人間の絆なんて一瞬で壊れてしまうんだ。

この家庭が最初から壊れていたのなら、
私の失望もここまで深くはなかったのかもしれない。
だが母は父の悪口を子供の前では言わないと決めていたし、
父も子供と遊ぶときは普通の父親だった。

表面の上では完璧に幸福な家族だった。
だがそれは、ちょっと突いただけで簡単に壊れてしまうような
砂上の上の均衡に過ぎないのだと、私は身を以て知った。
老木の中身がすかすかのようにだ。
老木の幹がいびつにグニャグニャになるように、
私の家は、見た目の完璧さとは裏腹にすかすかのまま、
15年もの間、歪にはぐくまれてきたのだ。


その経験から、私の魂が学習した。
感情なんて、形のないものに拘っていけない。
自分の事が大好きだと言ってくれた人間だって、
数秒後には嫌いになっているかもしれないのだと。


そして自分も。
自分が好意を寄せている人間の事も、
自分は次の瞬間には嫌いになっているかもしれないのだ。
父が、あれほど愛していた母に一瞬で愛想が尽きたように。




愛してるなんて、次の瞬間にはゴミに変わりうる。
移ろいやすいものを信じてまた傷つくのはごめんだ。
……やめよう。
言葉に期待するのは。
感情に期待するのは。

そうやって、私は痛い目を見たじゃないか。



人間の感情なんて、ゴミ以下だ。
それがあの時、家族が私に残した呪いであり、教訓だ。







だから、ガワラが転校すると知って、
私はガワラに対する興味がなくなってしまった。
抱いていた優越感も、彼に対する親しみも何もかもが、
彼が転校する、その1点だけですべて消え失せた。



もうすぐ赤の他人になる。
だったら仲良くする必要なんてないだろう。

それが私が出した結論だった。




「そうだったんだ……」



ガワラがそう言った。
何に納得したのかは聞かなかった。
興味がなかったからだ。

ガワラとはその後、転校するまで表向きは仲良く今まで通りに接したが、
厚い壁があるのを私ははっきり感じていた。



ガワラから引っ越した後の連絡先は聞いていない。
聞く必要もなかった。
私は、彼に対するあらゆる興味を失っていたからだ。



その時に行った非礼の数々は、
おそらく彼を傷つけてしまったことだけは後になって理解した。
その点に関しては謝りたいと思う。


そして、これは比喩でもなんでもない、
私は1秒前まで喧嘩していた相手とでも平然と喋る事ができるし、
昨日恋人だった相手にも簡単に失望することができる。
今でもそう信じている。




まるでだめなおっさんは、
この呪いで多くの人をこれから巻き込み、
自分自身も不幸にしていくのである。
12 忘れもしないあの夏の日


2年生になった。
ガワラは転校し、文学部の新入部員は私1人になった。
新入部員は1人も入らなかった。
悲しいが仕方ない。

ちなみにアニメ部は5人も新入生が入部したらしい。
あんな濃すぎる空間にそんなに部員が入った事は驚きなのだが、
1年生は300人いるらしいので、300分の5、
つまり60人に1人の割合でディープなアニオタがいたのだとすれば
納得出来ない統計ではない。

その300分の1にすら引っかからなかった文学部は
危機的状況に瀕していた。
3年生の4人と合わせて部員数は5人。
この学校は部活動として存続させていくためには部員を5人用意する規則があり、
つまり誰か1人でもいなくなれば即廃部。
3年の先輩が夏に引退した場合も廃部という事になる。
まずい状況である。
だが、すでに先輩方には策があるらしい。

ところで、この高校は文化部が掛け持ちという制度を覚えているだろうか?
文学部の3年生にも3人、アニメ部と物理部と文学部を掛け持ちしている人がいる。
つまるところ、先輩方が考えていた策とは他の部から部員を引き抜き
掛け持ちさせることだった。

この掛け持ち制度のおかげで、
この高校は現在、文化系の部活が30個以上あるカオスな状態だった。
頭のいい進学校を謳っている割に頭が悪い制度だ。

さて、話は戻るが、文学部の危機に先輩方が取った行動は、
自分たちが掛け持ちしている部活から、
部員に掛け持ちするよう頼むということだった。


結果、アニメ部の3年生1人と2年生が2人、
そしてアニメ部に入った1年生の新入部員が1人、
文学部と掛け持ちをすることになった。
濃いメンツが揃っている事で校内でも有名なアニメ部だけに、
どんなオタクが来るのか私も内心ドキドキだった。

2年生の2人を、カンとマッキーとしよう。
この後、現3年生が引退した後に私が部長になるのだが、
マッキーは副部長を務めてくれた人物である。
理系の学生で普段は割と常識人なのだが、
会話の最中、唐突に奇声をあげることがある。
別に病気とかいうわけではないし、
TPOは弁えている。部活の時だけそうなる。
そういうアニメ部のノリらしいのだが、
知り合って1年ほど、どう接して良いかわからなかった人物だ。


カンとは、10年以上の長い付き合いとなる。
彼はアニメ部で最も漫画を書いている人物だ。
暇さえあれば漫画を書いている。
授業中に机で同人誌の原稿を書いて、教師にキレらた事がある。
将来、彼はプロの漫画家としてデビューし、雑誌で連載も持つことになるのだが、
それは後の話。

3年生は、1年前の入学式で語尾に「ニョ」を付けて部活動紹介を行ったあの先輩だ。
この時の口癖は「うぐぅ」になっている。
「kanon」というゲームに嵌まっているらしかった。

残りは1年だが、こいつが問題児だった。
名前はクロとしておこう。
こいつは、こゆいオタクが揃うと校内でも評判だったアニメ部の中でも、
いっそう個性的な人物だった。
私の人生で現れた変人ベスト3には入る。

まず、とにかく落ち着きがない。
休み時間はいつも廊下をダッシュしている。
そして上級生の教室にやって来ては、勝手に上級生の席に座って
アニメ部の部員と濃いアニオタ話をして帰っていく。

頻繁にそんなことをやっているので、
上級生の間でもクロは有名だった。
クロの存在が、アニメ部の風評に拍車をかけた感がある。

アニメ部つながりで、クロはリノにも絡みに行く。
リノと私は2年でも同じクラスになり、私は遠巻きにその様子を見ていた。
隠れオタであるリノは、クロがやって来ると露骨にイヤな顔をする。
リノがアニメ部に入っているのは1部の人間しか知らないのだ。
最初は他人のふりをしているリノだったが、
クロがあまりにもしつこくやってくるので途中で観念したらしい。
1年の時はうまく隠していたのだが、
リノがアニメ部に入っている事は2年のクラスでは
クロのせいでほぼ全員が知る所となった。

そんな個性的な連中を新入部員として迎え、
文芸部は新たに9人となった。
今まで通りに部誌の発行、批評会という活動で1学期が終わろうとする頃、
カンが私にこんな事を言った。

「アニメ部の部誌を文化祭で出すんだけど、きみも作品出さないか?」


どうやら私が絵を描いているのを見ていたらしく、
それでお誘いしてくれたらしい。
さて、どうしたものか。

現状、1年前ほどアニメ部に対して嫌悪感はない。
すっかりオタクに染まっていたし、文学部の中で接する機会も増えた。

彼らの部誌は1学期に1冊程度の割合で発行されている。
絵はギャルゲー風だ。
ギャルゲータッチの絵には抵抗はあるものの、
あれば読むぐらいの免疫はすでについている。


そして、文学部の活動ですっかりおざなりになっているが、
私は元々漫画家志望なのだ。

ネーム(漫画を書く前のストーリーを実際にコマ割りにしたもの)
はすでに何本も仕上げているし、ペンタッチの練習もしている。
1度形にしておくのもいいと思った。
私は、カンからの誘いを受けることにした。


2年の文化祭にて。
私は、とうとう漫画作品を1本、描く事になったのだ。


1年生より宿題の量も増え、本格的な受験対策が始まる。
去年より時間が取れないのは間違いない。
けど、1年間文学部で磨き上げてきた話を作る技術と、
自主的にやっていた絵を試すいい機会だ。
私は燃えていた。

夏休み中に、はじめて自分の漫画を1本、書くのだ。
処女作ならぬ童貞作。
楽しみだ、どんなものを書こう。

そんな期待を胸いっぱいに膨らませた夏休みが始まり数日。
私の人生の中でもっともやる気に満ちていたあの日。






忘れもしない。


家から届いた1本の電話。
あのどす黒い感情を、私は死ぬまで忘れることはないだろう。






















弟が、まだお(初代)に殺されかけたのである。







14, 13

  

13 忘れもしないあの夏2



その日、夏期講習から家に帰ってくると祖母が怖い顔をしていた。
……なにかとんでもないことをやらかしてしまったのではないかと、
私は内心ひどく怯えた。

祖母のそんな顔を見たことがなかったもので、
玄関先で靴を脱ぐことも忘れて、
おそるおそる声をかけた。

「ど、どうしたの?」



祖母は無言だった。
無言で近づいてきて、私の肩に手を置いてぎゅっと握った。





間近で祖母の顔を見てようやく気づいた。
祖母は怒っていたのではない。
怯えていたのだ。

唇を噛み、顔は青ざめ、
カチカチと噛み合わない歯をどうにか落ち着かせ、
私に何かを告げようとしているのだと。


実際はそんなに経っていないのだろうけど、
私はこの状態で30分ほど待った感覚があった。


「落ち着いて聞いてね。
お前の弟が、殺されかけた」




???????

言われてることの意味が理解できなかった。
だが祖母の状態から、とにかく冗談ではない事だけは理解した私は、
落ち着かせるように祖母の肩を無言で叩いて、
祖母がしゃべれるようになるのを待った。

そして、祖母から聞いた話はこういう事だった。




初代まだおを覚えているだろうか。
母と浮気をして、母と結婚する約束をして自分の家族を捨てたものの、
その後あっさり乗り換えられたダメ男である。

事件のあらましはこうだ。
夕食を共にするため、母は弟を家まで迎えに来たらしい。
弟が先に車に乗り、母を待っているところに、
初代まだおの車が面から突っ込んで来たらしい。
弟は意識を失い病院に担ぎ込まれた。

不幸中の幸い、命に別状はなかった。
ただ頭部からの出血を考慮し、
精密検査で2、3日入院することになった。
母の車は止まっていた事が幸いだったらしい。
だが、一歩間違えれば弟は死んでいた。




息子が死ねば、母とまた一緒になれると思った。

初代まだおは母にそう言ったらしい。
初代まだおは母を連れ去ろうとしたが、
近所の人達が集まって騒ぎに成り、
その場から逃走したのだそうだ。









「……………………ふざけるなよ」






視界が真っ赤になった。
あまりの怒りで、前が見えなくなった。


ここまで激昂したことは今までに無かった。






母が音信不通で消息を絶ち、いつの間にか家に戻ってきていたあの日。
母を罵倒したあの日でさえもっと冷静だった。
少なくとも、どうやって母を傷つけようかと考えるだけの
冷静さはあったのだ。


だがその時は違った。
冷静さなんて欠片もない。
怒りのあまり、言葉を発することもできなかった。


たしかに、母が初代まだおにした事を仕打ちを思えば、
無理心中しようとしたことは百歩譲って理解できなくもない。
人が人を殺す理由としては十分だろう。


けどな……けどな。


「弟は、関係ねーだろうがっっっっ!!!!」



正面衝突だったら、見えてただろう?
助手席に乗った弟の顔が。

ぶつかる直前、弟はどんな顔をしていた?
恐怖に怯えていた? 状況が理解できず呆然としていた?


フロントガラスに頭を打って、流血した弟を見た時、
お前は何を思ったんだ?



お前、言ったな?
息子がいなくなればと。
弟を殺すつもりだったとはっきり口にしたな?



言葉にならない様々な思いが頭の中を駆け巡った。
その頃の弟は、私にとって世界で1番大切な存在だった。
他人に対し感情や期待を抱けなくなってしまった私にとって、
弟や父との絆はずっと昔から持ち合わせていた大切なものだ。
今だって、自分の命よりははるかに大切だ。

だらしない親のせいで崩壊しかけた家庭の中で生きてきた、
たった1人の血を分けた兄弟だ。
小さい頃、自分の後を泣きながらついてきたあいつの姿を
今も忘れてない。



……それを殺そうとした。



…………だったら、仕方ないよな。





「俺がお前を殺しても、お前は許してくれるよな?」





それが祖母の話を聞いてから、ようやく言語化できた
私の最初の言葉だったのを、今でも覚えている。



私はこの日はじめて、
人を殺したいと、心の底から思い、
初代まだおを見つけ出して殺すことを本気で決意したのである。
14 忘れもしないあの夏3




――撃っていいのは、撃たれる覚悟のある奴だけだ。



コードギアスというアニメの主人公、
ルルーシュの口癖だ。
実に同意する。

ネットで他人を叩くなら自分が叩かれる事も考えるべきだし、
陰口を言うなら自分が言われても文句を言ってはいけない。
仇討ちをするなら自分も仇になることを覚悟すべきだし、
暴力を振るうなら返り討ちになることも考えておくべきだ。


なぁ、初代まだお。
お前は関係ない弟を、自分の欲望のために殺そうとしたんだよな?
だったら、その兄貴の怨みを買って、
自分がぶっ殺されたとしても、
それは仕方ないと割りきってくれるよな?




…………



初代まだおは逃亡していて、
私も狙ってくる可能性があるとのことだった。
家から一歩も出ないようにと警察からも言われた。

だがそれはむずかしい注文だ。
なぜなら今から初代まだおを殺しにいかなければならない。
人の弟を殺そうとした報いを受けてもらわねばならない。

幸か不幸か、今は夏休みだ。
学校は休み。欠席の理由で怪しまれることもない。
まず何をするかを考える。

目下、初代まだおをどうやって殺すかだろう。
弟がやられたように車をぶつけてやりたいが、
車は持っていないし免許が取れる年齢ではない。、
毒殺というのも現実的ではないな。

だとすれば刺殺、絞殺、撲殺。
いずれにしても直接手にかける必要がある。
私はニンジャでも暗殺者でもないので、
まったく気づかれずに暗殺、なんて土台無理な話だ。
なのでもみ合いになった時の事は考えておくべきだろう。

初代まだおの身長は180ぐらいか。
私より10センチほども大きいし、
体格も一回り大きかった。
となればリーチ差を考慮した方がいいのか。

包丁……どうだろうか。
単純な疑問なのだが、よくドラマでやるように
あんな簡単に女性の力で衣類を貫通するものなのだろうか?
そうはならない気がする。
研ぎ澄まされた日本刀ならいざ知らず、
その辺に売っているような安物の包丁では
服を貫けず包丁の方が曲がってしまうかもしれない。

リーチ差と殺傷力を考えるに、
武器は棒のようなものがいいだろう。
金属バットか、木刀。
あれは十分な殺傷力がある。


小学校低学年の頃、一時期剣道の道場に通っていたことがある。
その先生は教え子にはちまきを強要し、木刀で素振りをする
スパルタで、私は木刀で頭を何度か小突かれた事があった。

痛かった。
ちょっと触る程度でもあの痛さである。
ならば力をこめて振り下ろせば、怪我どころじゃすまないだろう。
包丁と違って、実際にどんなものか知っていたから、
相手へのダメージを明確に想像することができた。

私物の多くは、実家から持ってきていた。
漫画を描く時に剣を構えたポーズの参考になるかもしれないと
持ってきた木刀が、まさか殺人に役に立つとは思わなかった。
竹刀袋に入れれば持ち運びも用意だ。

次に、初代まだおが今現在どこにいるかを考えなくてはならない。
これがむずかしい。
当時は携帯電話の所有率は7割といったところだ。
料金も今よりずっと高い。
初代まだおは離婚した後会社を退職し、
現在はアルバイトで食いつないでいるらしく、
携帯を持っているかは微妙なところだ。

とりあえず、初代まだおの家に行ってみるか。
母のかつての仕事仲間であるあの男の家には、
母の車で何度か訪れた事がある。
逃亡中の男が家に戻っているとは思えないが、
行き先の手がかりぐらいはあるかもしれない。

だが万が一はありうる。
実際、初代まだおが家にいたらどうするか?
殺せるのか?


頭の中で、何度も何度もイメージしてみる。
ちょっと太ったあのだらしのない体型。
清潔感のないボサボサの頭。澱んだ瞳。

男は私の顔を知っている。
息子を殺すつもりだと言っていた。
私も殺されるかもしれない。
だが、自分が殺そうと思っていた相手がいきなり家を
訪ねてくるのは想像もしていないはずだ。

私と会った一瞬、ぽかんとなる初代まだお。
その頭に振りかぶった木刀を、全力で振り下ろす。

初代まだおは頭から血を流す。
弟と同じように。
視界が血でふさがるかもしれない。
痛みの発生した箇所を手で押さえるだろう。

状況が把握できていないところに、
もう1度木刀を振り下ろす。
頭を抑えていた手が砕ける。
手を離したところにもう1度。
激しい痛みで膝をつく。
もしかしたらようやく状況を呑み込んで
何か言うかもしれない。

だが許さない。
私は無言で木刀を振り下ろす。
「弟の仇だ」なんて事も言わない。
この歪んだ男は「お前のせいで兄貴に殺されかけた」と
弟に怨みを持つかも知れない。
そんな事はさせない。
この殺意は私のものだし、
お前を殺すのは私なのだ。
きっちり私を恨んで死んで欲しい。
そんなことを考えながら私は木刀を振り下ろす。

何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。
何度も。何度も。何度も。何度も――

イメージトレーニングは完璧だ。
準備もできた。
祖母の目を盗んで、私は家を出る。
たぶんもう帰って来れないだろう。
孫が殺人犯だと知れば祖母は悲しむだろう。
だが、初代まだおを私は許す事ができないし、
生かしておけばまた弟が狙われるかも知れないのだ。
申し訳ないと思いつつも、声に出すことはできないので、
ただ頭を下げるだけに留めた。




そして、外に出た私を――





「おっ、なんだなんだ?
 縄跳び、ジョギングの次は素振りでもするのか?」



玄関を出てすぐのところで、にこやかな声で話しかけられた。
祖父であった。

夜勤から帰ってきたのだろう。
バイクにまたがり、ヘルメットをかぶった祖父が立っていた。

祖父の言葉を補足すると、
文学部に入った事による運動不足を解消するため、
私は縄跳びやジョギングを数日に1度しているのである。
私が剣道をやっていたことも知っていたから、
竹刀で素振りでもするのか? そういう意図での言葉だ。



……中身は木刀で今から人を殺してくる。
まさかそんな説明をするわけにもいかない。
どうやってごまかそうか。

「運動なら、今からじーちゃんと一緒に
バッティングセンターでも行くか?
バイクに乗せてってやるからな、ん?」

「いや、いいよ。
じいちゃん仕事で疲れてるんだろ?
ゆっくり休みなよ」

「まだヘルメット被ってるし、
すぐ近くまで乗せていくだけなら
そんなに大変でもないさ。
待ってろ。お前のヘルメットも今出してやるから」

「あ……ちょっと」

止める間もなく、じーちゃんは玄関の棚から
ヘルメットを1つ取ると、私に寄越した。

「じーちゃん、甲子園は毎年見てるんだ。
今日は孫のスイングを見てやるよ」



……祖父は、普段はこんな強引な人物ではない。
夜勤明けの祖父は、帰ってきたら風呂で汗を流しビールを飲み、
夕食の時間まで寝る。
野球が好きで、夕食を食べるときはいつもナイター中継を見ている。
仕事で疲れてる時は自分のバイクで出かけようとは、
あまり言わない。


普段と違う祖父に対し断る言葉が見つからず、
……何がどうなったのか。
人を殺しに行く予定が、
そのまま祖父とバッティングセンターに行くことになったのだ。

100キロどころか90キロの球にも
まったく当たらなかった。



結果的に、300球ほどやって、
まともに飛んだのは2割にも満たないだろう。
これより50キロも早いボールを3、4割で打つんだから、
プロはすごいなと思った。

そして、300回もスイングをさせられた私は
完全に息があがってしまっていた。
疲れたと言っても祖父がずっとお金を入れるので
結局プレイするはめになってしまったのだ。

膝に手をついてバットを手放した私を見て、
祖父は笑って言った。

「いい気分転換になっただろ?」


……思えばこの時、
祖父は私を見て何か察していたのかもしれない。
仕事から帰ってきたばかりで事情は知らないはずだったが、
私の様子を見て、何かイヤな予感でもしたのだろう。

祖父のおかげで私は、
疲労と、あれほどの殺意と怒りがなりを潜めてしまっていて、
とても今から人を殺しに行く気になんて
なれなくなっていた。



……ふと冷静になって考える。
こんな事をしてる場合じゃなかった。
私が今、やるべき事はバッティングセンターでバットを振ることでも
初代まだおの頭をかち割ることでもない。


「じーちゃん、ついでだし駅まで連れてってもらっていいかな」

「ん? いいけどどこ行くんだ?」

「……弟のお見舞い。なんか、怪我したらしいから」



私はまず、1番最初にやらなければいけないことに
ようやく思い至ったのである。

……もっとも、あの男が弟と私を狙ってくる可能性がある以上、
どこかで手を汚さなければならないだろう。

居場所を突き止めて必ず殺す。
私は、漫画のストーリーを熟考するよりもはるかに慎重に、
初代まだおを殺す方法を練る。

頭に包帯を巻いた痛々しい弟の姿を見たとき、
初代まだおに対して、そして母親に対して怒りがこみ上げてきたのを、
私は生涯忘れない。

必ず報復する。
そう決意したのもつかの間。
数日後にはその全てが無駄となってしまった。

初代まだおは死んだらしい。
自分の部屋で首を吊ったのだそうだ。
部屋には母に向けて書かれた遺書が残っていたのだという。

母に聞いたところ、男の遺書を読まなかったそうだ。
私もそれが正しかったと思う。
1度は愛した男とはいえ、命を賭した情熱を受け止められるほど
私の母は強い人間ではない。

弟の病室で母と会ったとき、
私は恨み言の1つでも言ってやろうと思ったのだが、
顔が青ざめ目を泣きはらし弟のすがりつく母親の姿を見ていたら、
とてもではないがそんな事はできなかった。

もちろん、私も母も弟も、あの男の葬儀にはいっていないし、
そもそも葬儀を行ったのかさえもわからない。

なにはともあれ、母を愛し、弟を殺そうしたあの男は
私が殺す前に人生に終止符を打ち、
2度と私の前に現れることはなくなったのだ。。
16, 15

和製のまだお 先生に励ましのお便りを送ろう!!

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