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最後のバラストグール

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 アルクレムはカードを切るのが下手である。



 カシカシカシと手の中でカードの束を分けては繋ぐを繰り返し、そのたびにカードをポロポロこぼす。貴重なカードだから(それは誰かが使っていたタロットだったが、もう誰のものだったかはわからなくなっていた)スリーブ(カードを保護する鞘状のもの)に入れていくつもの傷を隠していたが、アルクレムが触るたびに新しい傷が増えていくのだった。
 それを見て、眉をひそめて不機嫌な顔をする者がいる。いわく、カードというのは傷一つなく滑らかで、どの札も平等な裏を持っているべきだと。そうでなければ表と裏という二元性は崩れ、混沌とした秩序のない無意味な遊びが始まるだけだと。そうかもしれない。実際に、アルクレムの前で豪奢なソファに腰掛けて、その手さばきを見るフィブリオの表情は不愉快まではいかないまでも、呆れて苦笑いを浮かべている。それでもどこか親しみを覚える表情を造れるのは、彼女の人もポーカーのようなものであれば有効だったかもしれない。フィブリオは結局、勝負もしなければ祈りもしない、プレイヤーならざるものだったけれど。

「なあアルク、モニターは点けなくていいのかい?」

 フィブリオが笑ってアルクレムに問う。アルクレムはショットガン・シャッフルに失敗し、またカードを床にバラ撒いては、コップから水も飲めなくなった老人のようにがっくりと肩を落として拾い集めるのだった。そして答える。

「あん? いまさら見るまでもないだろ。結果は見なくてもわかる。そう思わないか?」
「思うね」

 フィブリオはお互いの間にあるガラステーブルからワインの杯を手に取って揺らめかせてから、唇を湿らせる。何か毒のある花のような赤い口が囁く。

「でも、旧友の最期を君なら見送りたいのかと思ってね」
「あいつに言いたいことは、もう言った。いまさら繰り返すことはなにもないよ」

 アルクは肩をすくめる。シアタールームで二人、向かい合い、ぺちぺちとカードをテーブルに並べながら、

「あんたはどうなんだ、フィブリオ。この蒸気船の終わりになにか感慨はないのかい?」
「感慨ねぇ」

 フィブリオは唇に指を当て、うーんと煌々としたシャンデリアを見上げる。

「もともとこの船は門倉いづると兄さんが造った船だった……なぜだと思う、アルク。ちゃんと門倉いづると話し合ったことはあるかい?」
「いや、ないね」
「実際のところ、あの二人は神に反逆したかったとかなんとか言っているけれど……わたしにはそうは見えない。むしろこの船は、子供の駄々だったんだよ」
「子供の駄々?」アルクは視線をフィブリオに吊り上げる。
「ああ。命は一つしかない、だから『リベンジ』の機会があるべきだ、なんて、むかしの門倉いづるだったら言ったかな?」
「さあな。俺があいつと会ったのはあの世が最初だから」
「言わなかったさ。むかしの彼なら」フィブリオの喉が美酒をすする。アッシュグレーのスーツにこぼす心配はなさそうだ。
「彼は、捨てたくないもの、失いたくないものを、戦いの果てに手に入れすぎた。そうしてだんだん……弱くなっていった。いつだって怖かったのさ。自分が失うのも、誰かが失うのも、もうごめんだ、うんざりだ。それは優しさなんかじゃない……ただの拒絶だ。もう耐えられなくなってしまったのさ。彼の人生に溢れるほど満ちていた『悲劇』にね」
「悲劇……」
「中毒するほどの苦難が、門倉いづるの人生にはあった。母から愛されず、友人もその手にかけた。好敵手も。もういづるには何も残っていない。だから、自分と同じような目に遭う人間が一人でも減ればそれでいい……どうだい、とっても素敵な駄々だろう?」
「ああ」とアルクは笑う。
「とっても素敵な駄々だなァ」
「だから、この船が沈むなんていうのは、門倉いづるの受難がまた一個増えたくらいのもので、わたしにとっては、そうだな、お気に入りの映画館が閉鎖されるようなもの。ちょっぴり寂しいけれど、飽きても来ていた。そろそろ仕切り直しの頃合いかなとわたしも思っていたんだ。だからこの『ガサ入れ』はちょうどよかったくらいでね」
「映画ね」とアルク。
「いづるとの約束を破って、部位奪還に参加しなかったのも、その映画とやらを楽しむためか?」
「脚本には色を足さなきゃ見栄えがしない。そうだろう? わたしのおかげで、真嶋慶は最低の悪夢を楽しむことができたじゃないか。救いたかったはずの女性のために捨て身で戦った挙げ句、真っ向から完全に否定される……いや実に気の毒で涙が出るよ。うるうるしてくる。でも、そういう悲劇が人を感動させるんだ。ああ、あいつでなくてよかった、自分は幸せものだ……ってね」
「幸せは、感じられたか? フィブリオ」
「そこそこね。ま、こんな船にそれほどの値打ちなんてないってことさ。所詮、一度しくじったやつが、もう一度やって上手くいくわけがない。結局、なるようにしかならない。天にまします我らが神の御手によって、そう決まってる」
「そうかもしれないな、フィブリオ。すべて決まってる。もう手遅れってわけだ」

 アルクレムは並べたタロットから一枚めくり、それを見て舌打ちして、またカードを混ぜた。フィブリオはワインを飲みながらそれを眺める。

「ねぇ、わたしのことを占ってくれてたんじゃないのかい?」
「いまのは俺のだ」

 とアルクはまた、ヘタクソな手さばきでカードを切る。
 もう勝負など、ずいぶん永くやっていないのだ。

「ちょっと待ってろ」



 ○



 そして――

 あらかた仕事を終えたリコーズは、バーカウンターに座って酒を飲んでいた。




 さすがこの船は魔法の国の夢の船、どんな美酒でも揃えてあった。聞き分けのないバラストグールや風変わりなスレイブドールの追い出しに手を焼いて、あっちこっち殴られたり引っ張られたり噛みつかれたりしたものだから、少々ぐったりしていた。ショットグラスにちびちびと酒を注ぎ、ドタバタと回収作業に入っている部下たちを見ながら、舐めるように飲む。
 門倉いづるから蒸気船『アリューシャン・ゼロ』襲撃の予告を聞いた時には驚いたものだ。前々から、あの船に乗り込んだ魂と出てきた魂の総量が合わないことは噂されていた。とはいえ、その管理官はあのフィブリオだ。いくら冥区の長たる門倉いづるといえども迂闊に手を出せば戦争になる。だから見逃す、というのもいづるらしくはないと思いはしたが、それでも今のいづるに再び決起するチカラが残っているようにはリコーズには思えなかった。
 門倉いづるは戦い過ぎた。もう休んでもいい頃だ。
 誰しもそう思っていたし、そうあって欲しかった。リコーズは一人の部下として、そして一人の友人として、門倉いづるには休養していて欲しかった。あんな歴戦を経て、それでも戦おうという方がイカレているのだ。いづるはもう、狂気の沙汰に身を委ねるには、捨てられないものが多すぎる。
 そのはずだった。
 何がいづるに火を点けたのだろう、リコーズが酒の液面にその答えを見出そうと沈思黙考していると、なにやら騒ぎの音が聞こえてきた。誰かが大声で喚いている。腹の底から叫んでいる。リコーズは顔を上げてそちらを見ると、陸戦服を着た部下の一人がぶん殴られてゴロゴロと床を転がっていくところだった。
 立ち上がる。
 騒ぎの主は、三人の幽兵にしがみつかれながらも、引っ剥がしてはぶん殴り、捕まえられては振り回され、乱闘の果てにボロボロになっていた。丈が合っていないのか借りたのか、両手両足の裾をまくり上げたアッシュグレーのスーツはビリビリに破れ、なにかのオイルでシャツは黒く汚れている。機関室かゴミ捨て場に隠れていたのかもしれない。
 その男は、そのバラストグールは、脂ぎった密林の戦士のような褐色の顔で、叫んでいた。

「ふざけるな! 何が終わりだ、信じられるか! 俺は、俺はこんなところで終わらんぞ! てめえらみんな、皆殺しにしてやる!」
「どうしたどうした」

 リコーズは仕方なく酒をカウンターに置いて、階段そばで暴れているそのバラストグールに近づいた。また一人、部下が蹴り飛ばされて階下にゴロゴロと転がり落ちていく。
 バラストグールが、リコーズを睨む。

「おまえが大将か、この騒ぎの……」
「騒ぎを起こしてるのはおまえだ。悪いが、この蒸気船は閉鎖だ。おとなしく俺らに連行されてくれないかな?」
「嫌だねぇ」両側から羽交い締めにされながら、バラストグールが獣のように笑う。
「俺は、集めたんだ。俺は、集めたんだ。もう五つ、集めた。あと一個なんだ。それを、なにが、おしまいだ。ふざけるな。俺はやるぞ。最後までやる。絶対に生き返ってやる!」
「ははあ、なるほどねぇ」

 リコーズは無精髭の生えた顎をこする。だんだん話が見えてきた、というところ。

「確かにそいつァ悔しいだろうな。まさか真嶋慶以外にも全部位奪還(レイズデッド)に挑んでるやつがいたとはな。一個や二個ならいざしらず、五個じゃ確かにもう一息で生き返れるもんなァ……だが、なにも心配しなくていいんだぜ。俺たちがあんたを連れて行くのは、べつに地獄じゃない。たぶん、お気に召すと思うよ、アンタなら」
「おまえの戯言なんざ知るか」ぺっとバラストグールはツバを吐き、
「俺は生き返るんだ、俺は帰るんだ!」
「どうしてもか」
「どうしてもだ」
「聞き分けがねぇ兄さんだ……おい、離してやれ」

 リコーズの指示にまだバラストグールを抑え込もうとしていた部下たちがびっくりして顔を見合わせる。

「いいんですか、隊長。こいつ、絶対にこの船を降りませんよ」
「なあに、俺には魔法がある」
「なんだと! ずるいぞ!」
「いや待てって、落ち着け。暴れんな。言葉のアヤだよ……素直なやつだなァ。こっち来い。座ンな」

 陸戦服たちから解放されたバラストグールが襟元を広げながら、リコーズとバーカウンターに腰かける。その目はまだギラギラとリコーズを睨んだままだ。

「てめえら……いきなり乗り込んできて、勝手しやがって。一泡吹かせてやらねぇと気が済まねぇぞ」

 はいはい、と聞き流しながら、リコーズはどこか懐かしい気分を味わっていた。そう、そうだった……こういう男だった。いつも何かを憎み、怒り、歯向かおうとしていた。
 リコーズが見る、そのバラストグールの目は、そういう輝き、いや輝きというには強すぎる、灼熱に燃えていた。そう、燃えていたのだ……

「まず、アンタの言い分はもっともだ、と言っておこう。確かにこのまま終わるのは納得ができねぇだろう。真嶋慶がいなければ、いまごろ勝負していたのはアンタだったかもしれないんだからな」
「ああ、そうさ。あいつがハナ差で先に仕掛けたんだ。俺はちゃんとめざましをかけたんだ!」
「わかった、わかったよ」寝坊は自分のせいだろと思いつつ、リコーズはにっと笑ってみせる。それにバラストグールは訝しげな顔をした。
「なんだ? 気持ち悪いな」
「勝負しよう」
「なんだって?」
「だから、俺と勝負しよう」

 リコーズは女を口説くように身体を傾けて、親密そうな笑顔を見せた。

「使えるものも、ちょうどあるしな」

 そう言って、カウンターのリモコンを手に取り、備え付けられたブラウン管のテレビの電源をオンにする。砂嵐のチャンネルをいくつかさまよって、見つけた。
 銀色の死装束をまとった女性と、赤い薄汚れたシャツの背中を丸めた、バラストグール。
 男が目を見開く。

「真嶋……」
「いま、下で二人は勝負してる。しかも佳境だ。ボディポーカーのルールは聞いてるか?」
「俺は生きてる時にやったことがある」

 男は画面を見ながら答えたものだから、その返事にリコーズが驚いた表情を見せたことに気がつかなかった。

「……ぜんぶのチップがテーブルに乗ってるな」
「おもしろいことになってるぜ」

 リコーズは無線から聞きかじった戦況を、かいつまんで眼前のバラストグールに教えた。

「……つまり、二人とも五枚破棄を連打して引き分け継続して、いま最終ラウンドってことか」
「そういうこと。ルールを知ってるならわかるだろうが……もう、これからあの二人はいまオープンした五枚から、追加ドローで手札を変更していくしかない。もうショーダウンはしちまったんだからな」
「これまで破棄したカードは45枚(1ラウンドで10枚破棄☓4ラウンド。それに5ラウンド目で5枚破棄して45枚)。追加ドローには6カウント必要だから、デフォルトで引けるカードは現状……」
「7枚」とリコーズが言葉を引き継ぐ。そして面白そうに笑い。
「5たす7で12。それがあの二人の決着だ。リザイングルナと真嶋慶のボディポーカー。そしてここにも俺とアンタがいる」

 バラストグールがリコーズを見る。リコーズもバラストグールを見る。

「どっちが勝つか、賭けだ。俺が勝てば、一緒に船を降りてもうひとつの命は諦めてもらう」
「俺が勝ったら?」
「なんとか俺たちの司令官に話をつけて、最後の部位を賭けた勝負をさせてやる」
「信用できない」
「そうか。じゃ、こうしよう。もともとこれじゃフェアじゃない。俺は負けても失うものがないからな。面倒なだけだ。だから、二人の勝敗を決めるのは、あとにしよう」
「あと? あとっていつだ」
「こざっぱりしないことは抜きにしよう。なにがあろうと、あの二人はそれぞれこれから7枚めくる」

 リコーズはニヤニヤ笑いをやめない。
 楽しいのだ。

「どちらか片方が12枚めくった時。その時、どっちが勝つか、俺たちで決めよう」
「ふざけるな。先手が有利すぎる」
「だから先手は」

 手を相手に差し伸べて、リコーズは言う。

「アンタにやるよ」
「……なおさら信用できるか。バカか、アンタ?」
「フェアだろ?」
「俺に有利すぎる」
「どうかな。先手は真嶋慶だが、あいつなら驚きの隠し技を持ってるかもしれない」
「さっき言ってただろ。この船で、しかもあの場でイカサマをすれば、抜いたカードが燃え始める。アンタが言ってたことだぜ」
「そうだな。でも」

 真嶋慶なら、やりかねない。

「どうする? ま、乗るしかないと思うぜ」

 バラストグールは不機嫌そうに顔を歪めた。

「どうして」
「だってどうせさ……」

 リコーズはふっと笑った。

「どれだけぶん殴られたって、絶対、納得なんてしないんだろ?」

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