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そば(h31.04.22)

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もうあと一週間ばかしで平成が終わる割には実感がない。毎日がとても忙しい気がする。時代に取り残されるまいと皆必死に働いているような気がするのだが、これからのことに没頭しているという感じで悪い気分ではない。
内輪の集まりだが、平成最後の飲み会をするのでコンパでも上げようかという話になった。エロありにするかどうかみたいな話を聞ききながら、風情もくそもないなと思いはしたものの、適当に相槌を打って承服したが、今日に至るまでそういうものを本気で楽しんだことがないということを思い出した。
新都社でも好んで拝見させてもらっているが、性的な遊びを本気で楽しんでいる人に関してはとても面白く見える。よく人前でそんなことできるなということや、大人しそうな若いのが商売女のおっぱいを触らされてはにかんでしまうのとかを見ると、なにやら暖かい気持ちになるのだが、自分の番となるともうダメで、死ぬほどしょっぱい奴になってしまう。
陰キャと陽キャという言葉があるが、人前でエロを開けっぴろげで楽しめる人間は陽キャの類であると考えている。河川敷でセックスをしているホームレスに関しては、いかがなものだろうか。

エッセイのジャンルとして一番メジャーなのは食べ物に関してのことだろう。グルメ漫画のようなものも、あれも一種のエッセイだ。エロいものよりも、食べ物の話題は万人に普遍である。ヴィクトール・フランクルがナチスのユダヤ人強制収容所の中で体験したことを記した名著「夜と霧」の中でも、人間は極限の状況に陥ったときにでも食べ物の話をすることに著者が衝撃を覚える叙述があったと思う。
日本において、食べ物エッセイとして最も綴られているのは「蕎麦」でないだろうか。歴史性も深く、今日まで多くの文化人が偏愛した結果、儂はいまだに正しい食べ方が分からない事態に陥っている。
蕎麦絡みの巷で良く出る話題に、月見蕎麦なら月見をどこで崩すか、かきあげ蕎麦ならかきあげの浸し加減はどの程度か、というものがある。(勝手に出しているだけなのかも知れない)
儂は月見は崩さず残して最後つゆと一緒に啜り口の中で潰す、かきあげは蕎麦を下から捲ってかぶせてモロモロにしてから食べるのだが、皆さんはどうだろうか、気分次第、とてもどうでもいいという方もおられることだろうが、いずれにしてもこの話を振って返答をもらうとなんだか相手の人柄が少し掴める気がするのだ。とは言っても勝手に親しみを覚えたところで、その相手と必ずしもうまくやれるとは限らないが。

近年、人間摩擦でどこもかしこも炎上している話ばかりだったが気がするが、問題に対する捉え方や責任の求め方が妙なことも多かったように思う。これも物の食べ方のようなもので気を付けたい。
年越しそばだけでなく、長寿や交友の末永きを祈って長いものを食べる習わしは多く、儂の家でも翌月も生き長らえるようにと月末は長物を食べる風がある。
死ぬほどラーメンを食っている現代人は色々短いのかという疑念が生じたが、考えないことにして、平成の内にあと3回は蕎麦を食べたい。ここで「御代越し蕎麦」というものを思い付いた。
儂がそば屋なら絶対やる。具材は平成り(ひらなり)の特大草鞋コロッケで、丼の底に黄身を抜いた輪切りのゆで卵一片入れて0の輪で令和、安直すぎるって思われたかも知れないけど儂がそば屋なら絶対やる。
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