ピエール滝が捕まったのでわしも薬物について書きます。
そもそもこの頃ニュース番組でこういったスキャンダルや事件に対して、芸人などがガチャガチャ言ってるのを見ると腹が立って、(タレントでない)学者以外発言を許すなと思います。
このことだけに関して主張がすごくありますが置いておきます。
「薬物はその依存性などから人体や精神に深刻な害を及ぼす可能性があり、売買のシンジケートなどを通して犯罪の温床となり続けている。」
というわけで、社会的に薬物の肯否定を議論したときに肯定派これを完全に否定しなければいけません。海外での解禁事例を持ち出しても説得力は弱いでしょうし、肯定派は非常に分が悪い。それに実際、夫や妻、自分の子供にもやって欲しくないでしょうし、古稀のお祝いに「おばあちゃん元気で長生きしてね、はいコカイン」ということはまず起こり得ないでしょう。
これを「別にいいんじゃね?」とする人は思想がパンクとされ、「別にいいんじゃね?大晦日はウチ家族全員で睡眠薬やりながら鍋つつくよ」という人がいれば、存在自体がパンクとされます。(本来パンクは枯れ木の意ですが、ここではぶっ飛んでいるというニュアンスで読んでください)
つまり、雁字搦めの社会の正論理に対して真向するのがパンクロッカー達で、そういうところが格好良かったわけです。電気グルーヴもとても正気の人間が生み出したとは思えない、言語を溶かして再精製した妄言のような言葉の羅列、聞いたことない上に強烈にキャッチ―で中毒的な音作り、そういうところが魅力的だったわけです。
ようするに、存在そのものがパンクで薬物的だった人が世の中の表舞台に出て来て、結局薬物の使用で捕まる、こんな茶番はありません。
それにパンクで薬物的な人物が作り出した作品、映像や楽曲にしろ何にしろ楽しんでいただろお前はと、大衆向けにデフォルメされていたとしても、確かに我々の中には非社会的でおおよそ真っ当でない感覚を愉しむ受容体が存在しているという事を今回はピエール滝が教えてくれました。
でもチャゲ&アスカのアスカみたいのは別にどうでもいいです。
なんでも面白ければ持て囃す世の中では対立し続けるのも難しくなってしまい、世の中に迎合され切ったパンクやロックはその本質を果たしているとは思われません。社会の流れに逆らうことがパンク・ロックだとしたら、生まれてから一切の主張もせず殺されて、それはスーパーの安いとり肉ぶた肉のように消費される一命を意識的に全うすることだと思います。
今回のピエール滝は「間違いありません」のひと言で、メディアや司法に調理の一切を任せているような感じはそれを思わせました。別にそんなこともないという情報が入ればこの印象は覆りますが。
でも、ピエールさんが好きなの、みんな。
と、薬物のことについて殆ど書かなかったので、わしが薬物の売人扱いされていたときのことを書きます。
十代の頃、大槻ケンヂが好きでコラムも読んでいました。そこにペヨーテというインディアンが儀式で祖霊と対話する用の幻覚サボテンが、日本では園芸用で烏羽玉という名称で売られており、購入して糞不味くてラリらず吐くという話がありました。これも二番煎じ三番煎じのネタではあったのですが、当時のわしには兎に角センセーショナルで真似をしようと思ったのであります。
ネット通販でどこかの園芸店から購入し、さっそく齧ってみると本当に不味く、口に入れた瞬間に胃が収縮運動を始め、大槻ケンジがしたように無理やり酒で嚥下する他ありませんでした。
大槻ケンジはここでバットトリップを防ぐために、エロ本を取り出して楽しい楽しいと連呼をしたと書いていましたが、わしは当時付き合い立てだった彼女に電話をしました。状況を説明すると、
「そんなことをする人と一緒に入られないから、もう別れよう」
と泣かれました。こういうことが積み重なって結局別れるのですが、この時はもうやらないと約束して、翌日から十数個購入していたミニ烏羽玉をサークルの先輩や友人に配り始めました。あまり仲良くない人には単に鑑賞用としてあげていたのですが、経緯を話していた友人もおり、飲み会の多い大学のことですぐに尾ヒレがつき、晴れて薬の売人呼ばわり始まりました。
ちなみにわしもラリったりしませんでしたが、過酷な環境でもなく園芸用で育てられたこの烏羽玉には恐らく幻覚物質も入っていなかったと思います。でもわしの人生で一番まずかったものとして思い出されるので、薬物としてでない角度からも適度な刺激を受けられると思います。長い人生の一服にどうぞ。