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第2章 終戦のセントヴェリア

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「カルファも飲んだことだし場所を変えよっか。一杯だけで長居するわけにもいかないし」
 ショーコの言葉に従い、支払いを済ませて僕も店を出た。
 声には出さなかったがエーコさんの顔が物語っている。「いまさら何言ってんだか。普段は水一杯でねばるくせに」って。何も言わないのはショーコにカッコつけさせてあげたいんだな。だから僕も何も言わない。
 代わりに歩きながら五年前のことを話すことにした。
「ショーコさんがアリューザにいたころ、僕はセントヴェリアにいたんですよ」
「アルフヘイムの首都じゃん。君いいとこの子だったんだー」
「戦争で父母が死んでしまったので、孤児院にいました。経営者の大貴族マタウ・ラギルゥーが革命で殺されたため、孤児院は閉鎖。ラギルゥー一族の連枝のエミリオ・ゴールドウィン様に僕はひきとられました。養子ではなく、奴隷として」
 ショーコとは長い付き合いになるが、こんな話は初めてする。
 空気が張り詰め、ショーコは地雷を踏んでしまったかなという顔をしている。話したくて話しているということをわかってもらうために、僕は話し続けた。



 マタウは悪い人でしたが、エミリオは良い人でした。奴隷と言ってもエミリオ様に靴をはかせるだけの簡単な仕事です。奴隷は僕の他に七人いて、それぞれ服を着替えさせたり料理をしたり給仕したり掃除をしたりお針子をしたりと役割がありました。
 先代のフェデリコが暗殺され、エミリオは幼くしてゴールドウィン家の門地を引き継ぎました。だから世話をする奴隷が必要だったのです。
 戦争が終わってすぐのことでした。
 セントヴェリアのあのにぎやかだった町並みは、喪に服したよう静まり返っています。エミリオのお屋敷も例外なく静寂な夜の中にありました。
 先輩が寝巻きを着せ終わり、ベッドに座るエミリオのおみ足から僕が靴を脱がします。するとエミリオはいつものように仕事の愚痴をこぼしました。
「終戦協定が難航してるよ。甲皇国はアリューザ、レンヌ、フローリアの割譲という条件を突きつけてきた。禁断魔法による被害のなかった土地ばかりだ。アリューザは西廻りの交易の要衝、レンヌにはアルフヘイム有数の鉱山があるし、フローリアは大穀倉地帯だ。どの土地も手放すわけにはいかない」
 誰かが責任をとらなければなりません。ラギルゥー一族の最後の生き残りであるエミリオは、アルフヘイムの代表のひとりとして終戦協定の折衝に参画せねばなりませんでした。
 僕はわかってもいないのにうんうんうなずくだけです。エミリオは僕に話しているのではなく、考えを整理するために話しているのですから。
「かと言ってアルフヘイム側の対案、三方領地替えもヒドすぎる。アルフヘイムの北方に兎人と呼ばれる人間よりかはウサギのほうによく似た人々が住んでいるが、その兎人たちをエルフの土地に移住させると言う。空いた兎人たちの土地は甲皇国に割譲し、エルフ族はフローリアに入植する。そんなエルフ族にだけ都合の良い話が通るわけがない。西半分を禁断魔法に汚染された領地を捨て、豊かなフローリアを得たいだけだ。そもそも甲皇国もアルフヘイムも勝手なこと言っているが、自治を認められているはずのフローリアの代表は終戦協定に呼ばれてすらいないじゃないか」
 エミリオは熱っぽく長々と語り続けます。アルフヘイムの代表のひとりでありエルフ族であるのに、エルフ贔屓していないのはすごいなと幼心に思ったものでした。
「調停者であるSHWの代表のひとり、傭兵王ゲオルクの一喝のおかげで領土の割譲がなくなって本当に良かった。しかしアリューザ、レンヌ、フローリアの五年間の租借というところまでこちらは譲歩させられたんだ。そしてもうひとつの条件を飲まされた。甲家の皇族とアルフヘイムの巫女との政略結婚だ。両国和平のためと言うがていの良い人質じゃないか。精霊樹の巫女を失うわけにはいかない。エルフ族のニフィル・ルル・ニフィーも白兎族のマリー・シルヴァンニアンも。ウッドピクス族のワトソニアも。だから、だからしかたがなかったんだ。禁忌に手を染め、人工的に精霊樹の巫女を創るなんて。先代フェデリコの負の遺産、ホムンクルスの研究室がこの屋敷の地下にあるらしい。そのホムンクルスの巫女を花嫁として皇甲国に引き渡すことになった。もうどうにもならない」
 難しいことを話すエミリオはずいぶん大人に見えたけど、うっかり機密を語ってしまうあたりまだまだ子供なのです。語り疲れた寝顔は幼さを残していました。
 大人を演じる辛さは僕にはわかりません。
 このころの僕には子供らしい好奇心しかなかったのです。
 エミリオに毛布をかけてからそっと部屋を抜け出して、かび臭い地下室へと向かいました。
 地下室は暗く、手燭で照らしてみてもよく見えません。手探りで壁を伝うと指にクモの巣が絡まりました。手の先のひんやりとした感覚でミスリル銀の扉を見つけます。僕は後先考えずに扉を押し開きました。
 手燭をかざすと、空中に舞うほこりが白い線を作るだけで何も見えません。もっと奥に入り、注意深く手燭を近づけると黒い顔が浮き上がりました。
 僕は「わっ」と驚き跳び下がって、恐る恐る近づいていきます。何かが手燭の光をきらきらと反射しています。手で触って、つるつるとした透明な壁だということが分かりました。
 あとから考えるとこの石英の壁は培養槽のようなものらしい。
 壁の向こう側は液体で満たされていて、その液体の中を黒い肌の女の子がたゆたっていました。
 肩までのばした黄色い髪がなびいています。目を瞑ってぴくりとも動きません。生きているのでしょうか。
 よく見ようと手燭で照らすと、まぶしそうにまぶたを開けました。
 ターコイズのような水色の目に、僕は吸いよせられるように顔を近づけます。
 口を大きく開け、歯だけ閉じ、舌が見えるくらい開きました。それを繰り返しています。何か伝えようとしてるのでしょうか。パクパクと動かしている口の形を僕もまねてみます。
「ア、イ、エ? あっ! もしかして出してって言ってる?」
 この石英の壁を割れればいいのでしょうが僕は何も道具を持っていません。手燭で照らして紙束の散らばる机の辺りを物色してみましたが、あったのは分厚い本だけでした。真ちゅう製の錠前がついてる表紙の部分をぶつければ、壁にひびをいれるくらいはできそうです。
 錠前がついてるくらいですから高価な本なのかもしれません。しかし僕はためらわず本を透明な壁にぶつけます。錠前は元から壊れていたし、本は初めから後ろ半分が破れていました。だからぞんざいに扱うことができたのでしょう。
 壁の表面が少し欠け、縦に入った亀裂から複雑に反射し美しい。液体がもれ出て水溜りを作っています。
 あともう少し。僕は「割れるから下がってて」と声をかけて、女の子が下がるなり壁に本を打ち付けます。
 透明な石英の壁は高い音色を奏でながら砕け散り、液体の噴流に僕は扉の外まで流されました。
「女の子は!?」
 液体で明かりが消えた真っ暗闇に向かって僕は叫びます。暗闇からは返事はありません。しかたなく床を手探りして、落としてしまった手燭を探します。
 手燭は見つかりましたが灯火がありません。
「天にまします炎の精霊よ。火球を降らせ、我に燐光を与えたまえ。ライトニング!」
 手をかざしてみても明かりはつきません。種火ですらつかないなんて。大戦を終わらせた禁断魔法の影響で、精霊の加護が失われていることをまざまざと実感しました。
「今の何?」
「おわっと」
 急に話しかけられて僕は驚きました。
 鼻にかかったような甘ったるい声。真っ暗闇でどこにいるのかわからないけどずいぶんと近い。
 何というのは失敗した魔法のことを聞いているのでしょうか。
「呪文の詠唱だよ。明かりを灯す魔法」
「私、ヒャッカ。生まれたばかりだから自分の名前の他は何もしらないの。もっと知りたいから教えて。こうやってやるの? ライトニング! えいっ!!」
 朝が来たかと錯覚するほどの暖かな光が部屋を満たし、夜のとばりを払っていきます。手燭には煌々と魔法の火が灯っていました。
 今知ったばかりで魔法を成功させた上、この威力。そもそも詠唱を省略など初めて見ました。これが精霊樹の巫女の力なのでしょう。
 明るくなって気付いたのですが、ヒャッカは裸でした。僕はあわてて自分のマントをおっかぶせます。
「ありがと、えーと……」
「ジテンだよ」
「ありがと、ジテン」
 ヒャッカはマントで体を拭き始めました。
 タオルのつもりで渡したんじゃないんだけどな。
 石英の培養槽の破片が散らばり、部屋は水浸し。もう興味本位だったで済みそうにありません。僕は腹を決め、ヒャッカにも覚悟を促します。
「いいかい、よく聞いて。君はここに居たら、知らない人と結婚させられてしまうんだ。今ならいっしょに逃げ出せる。ヒャッカ行こう」
 僕の差し出した手をつかんでヒャッカは言いました。
「私は知りたい。すべてを知りたい。私に世界を見せて」
5, 4

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