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3話

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「近付いてきてる......」

ラー子さんはサングラスを投げ捨てると、慌てた様子でビーチチェアから立ち上がった。
怒りか焦りか悲しみか。込められた感情の正体は分からなかったけれど、兎にも角にもトミノの地獄のような黒い気持ちがはっきり伝わってきた。
その言葉の矛先は、僕の喉元に向けられているような気がしていた。
心当たりは大有りで、ラー子さんを眠らせないという使命をすっかり忘れていた僕だった。

「ち、近付くって、何がですか!?」

ラー子さんが眠ってしまったのは自分の失敗だという自覚はあるけれど、それでも素直に謝罪できない僕だった。
少しでも僕から気を反らしたくて質問を投げ掛ける。

「……」

この一秒が、十秒にも百秒にも感じられた。ビーチパラソルの下にいるのに、嫌な汗が止まらない。
じわじわと地球の重力が強まっているような気がして、僕のこうべは沈んでいく。せめて叱り飛ばしてくれれば反省の意を示すことができるのに。

とうとうラー子さんが口を開いた頃、「〇ね」と言われれば今すぐ柵を超えて野球部の練習を邪魔するぐらいの覚悟ができていた。

「水」

「水!? 水ですか!?」

「水」

いつものラー子さんだった。
深い深い安堵の溜め息が思わず漏れる。
ラー子さんの喉が潤った頃、僕は再び同じ質問を投げかけた。

「そ、それで、近付いてるっていうのは......?」

「アポピ乃介」

いつものラー子さんに戻ったと安心したのも束の間、いつもと違うおかしなことを言い始めた。

「ア、アポピス......?」

「アポピ乃介」

それからラー子さんは自身のことをポツポツと語り始めてくれた。
駅前で大声でこんなことを言っている人がいたら見て見ぬふりをして家路を急ぐような内容だったけれど、話し手が太陽肉眼少女のラー子さんだからこそ信ぴょう性が高かった。
うすうす勘付いていたけれど、やはりラー子さんは普通の人間ではなかった。



ラー子さんとアポピ乃介は太陽で生活していた。
二人はライバルのような存在で、絶えず喧嘩を繰り返していた。
その実力はほぼ互角で、お互い勝ったり負けたりを繰り返してなかなか決着が付かなかった。
ある日ラー子さんは不意を突かれて、アポピ乃介の一撃で太陽から地球まで殴り飛ばされてしまったのだという。
今は地球に降りてくるアポピ乃介を、ここ○○高校の屋上で待っている。
その時にちょうど僕が現れたから、世話役として使うことにした。

ラー子さんの話は、これで以上です。

「ラー子さんは太陽で暮らしてたんですか?」

「そう」

太陽星人なんて、自称○○高校オカルト博士の僕ですら初めて聞いた宇宙の不思議だった。
火星人と金星人は知っていたが、まだまだこの世には不思議が溢れている。
ちなみに火星人はタコのような見た目をしていて地球の侵略を目論んでいて、金星人は人間と殆ど同じ見た目をしていて友好的な性格をしている。

話を戻そう。
ラー子さんの話を要約するとつまりこういうことになる。

「ラー子さんは、アポピ乃介と喧嘩の決着をつけたいということですか?」

「そう」

僕は勝手に裏切られた気分になった。もっとスケールの大きい話を想像していたから。
太陽の膨張に地球が呑み込まれるとか、巨大隕石が地球に迫ってきてるとか、その観測者としてラー子さんが存在している、とか。

でもラー子さん自身は至って本気のようだ。
だって、ほら、見れば分かる。

「ずっと此処に立って待ってる必要は無いですよね......?」
太陽の出ている間、一歩も動かず、大量の汗を流し、いつ訪れるとも分からない喧嘩の相手を待つラー子さん。
まるで巌流島の戦いで宮本武蔵を待っていた佐々木小次郎のようだ。いや佐々木小次郎だって、この環境だったら我慢できずに家に帰るはず。

ラー子さんは、ときどきドジな一面を見せてくれる。
僕にトイレを頼んだり、うっかり居眠りしてしまったり。
太陽星人だという衝撃の事実を知らされたものの、ところどころで人間らしさが感じられて、むしろ親近感を抱く僕だった。



その日は珍しく、午後から天気が崩れ始めた。
どこからともなく現れた黒雲が青空に蔓延り、太陽をすっぽりと隠してしまった。間もなく一粒の雫が僕のつむじを打つ。
これは本当に珍しいことだった。ラー子さんと出会ってからというもの、不自然なほどに快晴が続いていたから。



日を跨いでも天気は回復の目途を見せることなく、むしろしばらく休んでいたせいで調子が上がったのか、降雨は勢いを増していった。
だから太陽なんか全く見えやしないのだけれど、律儀に学校に来ている僕だった。
カーテンを開けて今日の空模様を確認した瞬間にあることを思い付いたから。

小学生ぶりに長靴を履いて、足首まで埋まる水をバシャバシャと蹴りながら、小さな非日常を楽しく進んでいく。
ババババと傘を叩きつける音は他の音をシャットアウトして、まるで世界に僕しかいないような気持ちになった。
でも、屋上に向かう階段に、ラー子さんが座っていてくれた。
僕と言えば、ここで自然に横に座れるような男ではない。壁に寄り掛かってラー子さんの背中を眺めるのが関の山だった。

「……」

「……」

鈍色の雲は山の向こうまで伸び続けている。きっと今日一日はこのままだろう。
いや、このままであってほしい。

僕はラー子さんと遊びに行きたかった。
普段なら屋上にて不動の時間、今のラー子さんは退屈そうに鼻歌なんて歌ってしまっている。
遊びに誘えば、断る理由が無いはず。

ラー子さんが火星人だろうが太陽星人だろうが、僕が抱いた想いは変わらなかった。
出会いの始まりはオカルト研究会会長としての知的好奇心だったけれど、今や純粋な僕個人としての恋愛感情に発展していた。
一度は完全に無視をされてしまったが、その後もこうして毎日会っているということは、まだチャンスはあるはず。

この好機と、落とし玉貯金で膨らんだ財布は、僕の自信に繋がっていた。

「雨も止みそうにありませんし、どこか行きませんか?」

それでも、言えなかった。
「雨」の「あ」が喉に引っかかる感覚がする。無理やり吐き出せば、胃袋ごと外に出てしまいそうだ。
この心の乱れの原因はなんだろう。
オーラが崩れているのか、チャクラが乱れているのか、アーマが蓄積されているのか。
要は好きな女の子をデートに誘う勇気が出なかった。

なんとか言葉を吐き出そうとくねくねのようにくねくねしていると、ラー子さんがすっくと立ち上がった。

「行きたい場所がある」



「歌って、踊れて、食べ物がある場所」というラー子さんのお願いを満たせる場所。
僕たちは十五分ほど歩いてカラオケボックスに来ていた。
案内されたのは十畳ほどの広い部屋で、奥は一段高く、ステージのようになっている。

ソファに腰かけるラー子さん。物珍しそうに、部屋の中をキョロキョロと見まわしている。その様子から、太陽にカラオケは無いということが分かった。
僕はラー子さんの対面少し横、つまりはす向かいの位置に座った。

「音楽が聞きたい」

デンモクを渡すと、難しい顔をして画面を指でペタペタと触り始める。
十分ほど経った頃、大きなスピーカーが振動を始めた。

そのイントロは、鼓膜を引っ搔くようなギターサウンドと地の底から轟くようなドラムビート。僕が以前ラー子さんに勧めた、ホラーコアでピースフルで僕にとってはサザンクロスな音楽だった。

僕が好きな曲を、僕が好きな女の子が歌ってくれている。
ラー子さんが太陽を見つめるように、僕はラー子さんの歌う姿を目に焼き付けた。

歌い終わるやいなや、我慢できずに立ち上がる僕だった。たった二本腕の拍手では、この気持ちを伝えきれない。
その拍手も終わらないうちに、またイントロが始まった。

同じ曲だった。

「食べ物を用意して」

「はい。どんなのがいいですか?」

ラー子さんはメニュー表には目も向けず言った。

「全部」

「全部!?」
お祖母ちゃんとお祖父ちゃんから貰った大切なお年玉は、カラオケボックスの店員の給料になることが確定した。

注文が終わるころ、ラー子さんは三曲目を歌い始めていた。いや同じ曲だから、三曲目ではなく三回目だ。
店員が働きアリのように料理を運んでくる間もラー子さんは歌い続ける。
テーブルに置ききらない分は、椅子や床の端に置いてもらう。
店員の目なんか気にしない。同じ曲を歌い続ける。
揚げ物、麺類、おつまみ、デザート、ドリンク……。お弁当の蓋を開けたときのような、おかずの匂いが部屋中に充満する。
一反木綿のようなレシートの一番下には、見たことがない桁の数字が並んでいる。

ラー子さんの要望はまだまだ止まらない。

「踊って」

「え、踊るんですか!?」

僕のような人間はダンスに良い思い出がない。
ダンスをやってそうな見た目の人間にからかわれたことは数知れず。
体育の授業の創作ダンスで恥をかいたキミと僕は、きっと良い友達になれるはずだ。

それでも僕は立ち上がる。
こうなったら、どんなお願いでも聞いてやるつもりだ。財布も体力も、使い果たしてやる。
選んだのは青森県の一部に伝わる盆踊り。ラー子さんの歌唱とは真逆のジャンルだけれど、他の踊りを知らないから許してほしい。

ラー子さんはステージの上で歌い続ける。
僕は部屋中をぐるぐる踊り続ける。
いったい何時間たったんだろう。
ラー子さんが隣に座っていた。
初めてラー子さんと目があった。
ラー子さんの唇は焼きそばの味がした。

外に出ると雨は止んでいた。
初めてラー子さんと出会ったときを思い出させるような快晴が広がっていた。

「行こう」

雨上がりの道を二人で並んで歩いた。
傘を置き忘れたことに気が付いたのは、校門をくぐってからのことだった。
3

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