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2話

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「水」
「はい」

「汗」
「はい」

「トイレ」
「はい。......はい!?」

手術室のような会話が交わされているけれど、ここは前回から変わらず○○高校の屋上であって、病院ではない。
屋上で手術をしているわけでもない。
ラー子さんは肉眼で太陽を見られるほどに健康だから、きっと病院の世話になることはない。

ラー子さんは今日も太陽を見つめ続けている。
眉間には皺が刻まれていた。その深さは眩しいからではなく、なにか意志が込められているようにも見えた。
額に浮かぶ汗も、夏の暑さ以外の理由がありそうで。

「口開けてください、水を注ぎますよー。
もう要らないって思ったら、手を挙げてくださーい」

ラー子さんが太陽を見つめ続けられるように、身の回りのお世話をしているのはオカルト研究部の僕。
この夏休みは宿題なんかほっぽりだして、唸りを上げるクーラーの下でルーマニアに存在する悪魔学校の入試対策をするのが本来の予定だったのだ。
しかし目の前、ラー子さんが現れた。
悪魔学校とラー子さん、どちらを選ぼうか。僕の中にある邪なテミスの天秤はすぐに結論を出した。
わざわざルーマニアに留学するよりも、地元で素敵な女性と過ごす方が楽しいに決まっているのだ。

僕はラー子さんの横に並んで立っていた。邪な気持ちが無いと言えば噓になる。
僕は太陽の下にいる意味はないのだから、本当なら日陰で休んでいればいいのだ。ラー子さんに呼ばれた時だけ小走りで駆け付ければいいのだ。
でもそれは、なんだかズルい気がしていた。
あと邪な気持ちもある。

あぁ、暗いところで大切に育てていた白い肌に太陽光線が突き刺さる。
制服の袖から伸びるラー子さんの二の腕。僕と同じくらい白い。
日焼け止めを塗っているのだろうか。だとしたら僕の勝ちである。
何故なら僕の白さは薬品に頼っていない、天然ものだから。

あぁ、頭皮から汗ではなく脳漿が染み出している気がする。
だから馬鹿なことを考えてしまうのだ。

「水」
「は、はひぃ......」

塔屋の日陰に置いた2Lペットボトルを取りに行く。
僕が屋上に来てから二時間しか経っていないけれど、既に空の容器がいくつも散乱していた。
申し訳ないけれど、まず僕が一口。
このままではラー子さんの元に戻る前に倒れてしまうから。
あぁ、結露した外側もペロペロといきたくなってしまう。
僕の名誉のために書いておく。これは僕用のペットボトルだ。ラー子さんのペットボトルは別に用意してある。決して間接キッスではない。
僕はそこまで邪な男ではない。
未開封のペットボトルを片手に、定位置に戻った。



僕が朝七時に屋上の扉を開けると、もうラー子さんがいた。
座布団に胡坐をかいていた。
部活動の朝練で学校が開くのが七時から。僕は苦手な早起きを頑張って最速でやってきたのだ。
それなのにラー子さんに先回りされていて、なんとも言えない気持ちだった。

座ったまま僕に雑用を託すラー子さんの姿は真打の落語家のようだった。
ならば甲斐甲斐しく世話を焼く僕は見習いというところか。
本当に落語家だったらラー子さんを袖から眺めて芸を盗んでいただろう。
ラー子さんの芸と言えば当然太陽ガン見であるからして、十年も経てば僕も立派な太陽肉眼少年だ。
いや確かに僕は眼鏡をかけているけど、太陽が見れるほどに強い眼球が欲しいわけじゃない。
僕が欲しいのはラー子さんについてのエトセトラだ。

僕は落研ではなく、オカルト研究会に所属している。
上を向いてはUFOを探し、下を向いてはツチノコを探す毎日である。
そんなことのために高い眼鏡を買わせてしまって、両親に申し訳ないと思うこともある。ラー子さんに誘われなければ、ルーマニアまでの留学費用も頼むところだった。
僕はラー子さんのことが知りたかった。
目的はなんなのか、身体は丈夫なのか、ブルーベリーが好きなのか。
これはオカルト的にはあまり関係ないけれど、好きな食べ物、得意な教科、カラオケで歌う曲とかも知りたかった。
しかしいきなりプライベートに踏み込む勇気もなく、ラー子さんに言われるがままに働く状態が続いていた。



「トイレ」

ラー子さんのその口ぶりは、「宿題見せて」くらいの軽い口調だった。
だから、猛暑で頭がやられてしまっている脳漿流出ボーイの僕は軽い気持ちで「はい」と答えてしまった。
ラー子さんの発言をしっかり理解できたのは、それから三秒後のことだった。

トイレ!
すなわち......排泄行為!
ラー子さんのリクエストに応えるべく頭を働かせる。
トイレ。トイレ。
トイレの花子さん。
赤い手。青い手。
ダメだ。オカルトの情報しかでてこない。
ふと頭によぎったのは、空のペットボトルの存在。
かぶりを振ってかき消す。
『そんなこと』を女性にさせる度胸がなかった。

「トイレは.....トイレでした方がいいと思います!」
「......」

初めての背信行為だった。
ラー子さんの視線は変わらず上を向いているが、何故か突き刺すような感覚を覚えた。
しかし「はいどうぞ」と空のペットボトルを渡すような行為、僕にはできなかった。

「......行ってくる」
ラー子さんは屋上から出ていった。
扉が閉まるギリギリまで太陽を見つめていた。




「ふあぁ......」

大きなあくびを漏らすラー子さんは、ビーチチェアにゆったりと体を預けている。
強烈な太陽光を遮断するビーチパラソル。
飲み物や軽食が並ぶサイドテーブル。口元まで運んでいくのは、もちろん僕の役目だ。
声がかかるまでは、パラソルの端っこで体育座りをしている。
ラー子さんは太陽を、サングラス越しに眺めていた。
肉眼で直視できるのにサングラスをかける必要はないと思うけれど、この雰囲気を楽しんでいるように見えた。


○○高校の屋上には南国ビーチサイド向けのグッズが並んでいるけれど、現実は周りを青い山々に囲まれたド田舎だった。
八月が近づいていくにつれ太陽の猛威は勢いを増していき、とうとう音を上げてしまったのだ。僕が。
それは、つい一昨日のこと。
朝顔さえ開かないような暑さが降り注いでいて、僕もその時の記憶は残っていない。
気が付いたら塔屋の日陰にいて、ワイシャツには乾いた鼻血が張り付いていた。それは爪を立てるとパリパリ取れ、蕩けた頭でしばらく夢中になってしまった。
どうやらラー子さんがここまで運んでくれたらしい。
大声でお礼を投げると空を向いたまま「うん」と言われた。

ラー子さんのため。いや、自分のため。僕はホームセンターに駆け込んだのだった。



ミンミンゼミの大合唱、吹奏楽部の演奏、風で葉っぱがこすれる音。
暑ささえなんとかできてしまえば、屋上は邪魔の入らない快適な空間だった。
体育座りのまま見上げるラー子さんの髪はとぅるとぅるしていて、これがキューティクルというやつだろうか。見ても見ても飽きない、まるでベクシンスキーの絵画のようだった。

「眠い......」
ポツリと溢したのはラー子さんの方だった。
僕も同じ気持ちだった。
ほどほどの暖かさと耳をくすぐる環境音は、僕の瞼も重くする。

「起こし……」
て、が言えないぐらいに睡魔に襲われているラー子さんを救うのは僕の役目であり、これは僕に訪れたチャンスでもあった。
僕は眠気覚ましに会話を繰り広げつつ、ラー子さんのパーソナルな部分を知ろうと思った。

「好きな食べ物ってなんですかっ!?」

「ない」

「好きな教科ってなんですか!?」

「ない」

「…………」

「…………」

「眠い……」

僕の三本の指に収まる程度の過去の恋愛経験を踏まえて考えてみる。
出た結論は単純で、だからこそ切れ味鋭く残酷だった。
ラー子さんは僕に興味がない。
僕のことなんかなんとも思ってない。
僕のことが好きじゃない。でも嫌いでもない。
そこらへんの石ころと同じだ。
おい僕よ、メンタル自傷はここまでにしておこう。そろそろ立ち直れなくなる。

夏休みが始まってから十一日。
毎日一緒に屋上で過ごしているのだから、ラー子さんの胸の内に特別な感情が少しは芽生えているだろうという僕の妄想は全く見当違いだった。
この自惚れや失恋は、僕の両足を自宅まで全力で走らせるには十分なエネルギーを発生させていた。
しかしその一歩を踏み出さないのは、オカルト研究会としての僕だった。
肉眼で太陽を見つめるラー子さんという不思議人間。ここで繋がりを断ってしまうともう二度と出会えないような気がしたのだ。

僕はぐちゃぐちゃの気持ちを落ち着けるためにスマートフォンを取り出した。
再生ボタンをタップすれば、ホラーコアでピースフルで僕にとってはサザンクロスな音楽。
血生臭いスクリーミング、悲鳴のサンプリング、でもそれが心地よく、

「良い音楽……」

まさかラー子さんの気持ちも掴んでしまうのだった。
僕は好きなアーティストを褒めてもらえて、なんだか救われた気持ちになった。
ラー子さんのこの一言は、やっぱりまだ恋のチャンスがあるかもしれないと僕を自信過剰にするには十分すぎた。

リベンジに燃える僕の魂なんか知る由もないラー子さんは、やがてスゥスゥと寝息を立て始める。
僕がこの曲を聴きながら初めて寝落ちしたときは、満員電車でゾンビに襲われる悪夢を見た。
一両目に乗っていたゾンビが周りの人間に噛みついて、どんどんゾンビが増えていく。
増えたゾンビたちが周りの人間に嚙みついて、二両目、三両目とどんどんゾンビが増えていく。
僕が乗っているのは五両目。目的地まではまだまだ到着しない。
焦燥感が胸を埋め尽くす。でも満員電車だから身動きが取れない。逃げられない。
とうとう五両目の貫通扉までゾンビが迫ってきて......。目が覚めた。

一応、ラー子さんの顔を確認する。人形のような顔で眠っていた。
どうやら僕以上のオカルト耐性を持っているらしい。
こうなったら、付き合うのは諦めるとしても、せめてオカルト研究会には入会してほしい。
オカ研のメンバーは僕一人だけだ。独りじゃ、コックリさんもできない。
ラー子さんと一緒にコックリさんがしたい。
廃墟とか心霊スポットも行きたい。
あ、オカ研の活動と称して二人で色んなところに出かけて、それで少しずつ距離を詰めていくのはどうだろうか。
いや、それはいけない。
テニスサークルとか言っといて○○○○する馬鹿な大学生と同じになってしまう。僕は高校生だから知らんけど。
とにかく、オカルトに対しては真摯に向き合いたい。
でもホラー映画はセーフとする。ラー子さんと映画に行きたい。

しかし最近の新作の出来はいただけない。
ならDVDをレンタルして僕の家で二人っきりで見よう。これもセーフとする。
借りる映画を迷っていると、ラー子さんの目がリングのあのシーンがごとくカッと開いた。
ビーチチェアから立ち上がり、言葉を漏らす。

「近付いてきてる......」

それは僕が初めて聞く、ラー子さんの感情の籠った声だった。
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