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第1話 150キロの世界

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第一話 150キロの世界


98年の夏の高校野球は第80回目の記念大会というのもあり、過去最大の55校が出場することとなった。全国大会の2週間前となると、各都道府県から代表校が決まりだし本格的に仕事が忙しくなった。私は当時日刊エブリデーの新聞記者をし、全国の代表校に走り回っていた。私の書く記事は評判がよく、日刊エブリの読者からは「選手の情熱が伝わってくる」と言われたほどである。事実、私は取材をした高校球児からも、下の名前が「治」だからか「おっさん」という愛称で慕われていた。
まぁ私のことは置いといて、話を高校野球に戻そう。
大会前の注目選手といえば、なんといっても春の全国大会優勝校横浜高校の松坂大輔。そしてもう一人、松坂とともに百五十キロの剛速球を投げるといわれている沖縄水産高の新垣渚である。
大会一週間前、私はカメラマンとともに沖縄まで新垣渚の取材に出かけたことは今でも覚えている。今日はそこでのことを書いていこうと思う。

夏真っ盛りの沖縄、それはもう灼熱地獄であった。車から見える海にすぐにでも泳ぎたい気分になったのを覚えている。
汗だくで沖縄水産高校についた私とカメラマンは、練習している選手を見て目を丸くした。
彼らはなんと汗一つかいていないのだ。
まるで魚が海を泳ぐかのごとく、この沖縄の猛暑の中、野球に励んでいたのだ。私は沖縄県勢が甲子園で猛暑の日の勝率が9割以上を誇っている理由が分かったような気がした。

そして私たちは30代前半の若き監督に今年の意気込みを取材した。
監督は一言、「とにかく新垣をみてくれればいい」とだけしか言わなかった。(あとで知ったことだが、この若き監督は就任一年目であの2年連続準優勝を成し遂げたほどのひとであった。)
私たちは監督に連れられるまま新垣のいるブルペンまで足を運んだ。

ズバババーンッ

何かとてつもない破裂音が聞こえた。
まさかこの音は新垣のボールがミットに入るときの衝撃で出る音なのか、と監督に尋ねると、
「ああ、ついに完成したようだな」と監督が言った。
私たちは期待と不安を抱きながら新垣の見えるほうまで急いで走った。そこで見た衝撃はいまでも忘れられない。いままで20年間新聞記者をやってきたが、これほどの速球を投げる投手を見ただろうか、いやない。新垣の投げたボールが一筋の光となって軌跡を描いてた。私は驚きのあまり言葉が口からでなかった。
「松坂大輔なんて目じゃない。おそらくこの夏、この男が甲子園のヒーローとなり熱くさせるだろう。」
私は本気でそう思った。
文句なしの剛速球、スライダーの切れ、そしてなんといっても顔のかっこよさ。松坂とは比べもんにならない。
私はすぐ原稿を書き、本社に送った。


翌日の日刊エブリには「平成のヒーロー出現か!?」という見出しで
平成の怪物を踏み潰している新垣少年の絵が一面に掲載された。




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