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No.32/御犬祭り /漫☆小太郎

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 大学生のKは、パンクした自転車を押しながら夏の山道を歩いていた。自転車旅行に出たはいいが、うっかり修理道具を忘れてしまったのだ。助けを呼ぼうにも延々人気のない森が続くばかり。道を間違えたかと地図を広げようとしたとき、ふと脇に目をやると、木々の合間にさびれたお社が建っていた。見ればいい具合に日陰になっている様子、Kは靴を脱いで縁側に上がりこみ、朽ちかけの板張りに横になった。一休みのつもりであったがそこは風が通って思いのほか気持ちよく、炎天下の行軍に疲れていたKはついついぐっすり寝入ってしまった。

 辺りが薄暗くなる頃ようやく目を覚ましたKは、大いに焦った。完全に暗くなる前に山を出なければ、一晩中闇の中をさまようことになる。急いでここを発とうと立ち上がったとき、しかし、Kの背後から彼を呼び止める声があった。
「もしもし、学生さんかい。こんなところで一体どうしたね」
 声の主は年のころ七十といった、腰の曲がった老婆だった。Kが地獄に仏とばかりに事情を話し助けを求めると、老婆は人のいい笑顔で彼を自分の家に案内し、一晩の宿泊を勧めた。

「あのお社はお犬様を祭ったもんでして、ここいらの守り神様なんですよ」
 案内されたかび臭い山小屋のような家で、Kはこの親切な老婆と少し世間話をした。
「表からは木が邪魔してみえんですけど、ここらは集落になっとりまして、人も結構住んでおります。今日はあのお社で夏祭りもありますで、見ておいきなさい」
 Kは老婆の厚情にに感謝しつつ、はい是非にと妙に渋みの強いお茶をすすった。

 一息ついた後老婆に促され外に出ると、暗闇の中ぞろぞろとお社に向かって歩く浴衣姿がみえた。なるほど老婆の言うとおり、民家は結構あるらしい。お社に着くと既に三十程の住民たちが集い、先程まではなかった祭りの櫓が組まれ、その下に椅子が一脚据えられていた。
「ささ、お客人はあそこにお座りなさい。私たちは周りで踊りますで」
 老婆は椅子を指差して言った。Kはさすがにそれはと遠慮したが、他の住民たちも是非にと勧めるので断りきれず、渋々椅子に腰を下ろした。するとどこからか音楽が流れ始め、住民たちはKの周りをぐるぐる回りながら、奇妙な踊りをはじめたのだった。
 はじめは居心地の悪かったKも、次第に不思議な気分になってきた。腰をくの字に曲げてひょこひょこ歩く村人の踊りは、まるで後ろ足で立ち上がった犬のよう、時折雷に打たれれたように体を跳ね上げる動作もまた滑稽で、Kは知らぬうちに息が詰まるほど笑い転げていた。

 ピリリリリ。そのときふいにKのポケットから場違いな電子音が響いた。瞬間、音楽が止まり、住民たちは皆踊りの姿勢で硬直したまま引きつった顔でKを凝視した。腹を抱えて笑っていたKも、少し遅れて場の空気の豹変に気付くと、あわてて住民たちに謝罪した。
「すいません、携帯の電源切り忘れていて。どうぞ気にせず続けてください」
 Kが携帯電話をポケットから取り出すと、電子音が一層大きくお社の庭にひびいた。するとどうしたことか、ギャイン、ギャイン! それを見た住民たちは皆奇声を張り上げ、Kを置き去りにして四つんばいの格好でどこかへ逃げ去ってしまったではないか。
 呆然と立ち尽くすKの掌で、まだ電話が鳴っていた。Kの母親からのコールだった。
「一日一回は連絡しなさいといったでしょう。あなた今どこにいるの?」
 どこってそれは。Kが周囲を見回すと、そこはただの空き地になっていた。座っていた椅子の位置に小さな石碑があり、目を凝らすとかろうじてこう読める。「御犬供養ノ碑」と。

 結局老婆の家も集落も、住民と共にきれいさっぱり消えていた。翌朝どうにかふもとの街にたどりついたKは、民家で自転車の修理道具を借りるついでに、例の空き地について聞いてみることにした。道具を貸してくれた初老の男性は、少し渋い顔をしながらもKにこう語った。
「あそこには昔大学の研究所があって、私の父もそこで働いてたんだよ。犬を使って何かの動物実験をしてたんだ。私も一度みたことがあるが……合図のベルが鳴ると、一匹ずつ犬が連れてこられてね。色々と器具をつけたあと、何度も電気を流す。そのたびに犬はびくんと痙攣する。今思うと残酷だが、子供時分の私はそれを見て笑っていたんだ。今更ながら怖くなって、たまに夢にみる。研究所はもう取り壊されたが、跡地には確か犬の供養碑が――」
 男がそこまで話したとき、Kのポケットの中でピリリリリ、と電子音が鳴った。
「ああ、すいません、お話の途中に」
 Kは携帯電話の電源を切ろうとしたが、男はあわててKの腕を掴むと血相を変えて言った。
「き、君、その音。丁度その音にそっくりなんだ、その実験開始の合図のベルが」
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