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「白崎 思織のヤクルト」

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夕食の買出しに行く途中で名前の知らない生徒に夕食の献立をリクエストされた。その子は私と同輩の人に敬語を使っていた記憶があるので、私よりも後輩だと思う。駅前に向かうため予め用意してある自転車に乗ったときにその子が大きな声で私を呼んだ。

「思織ちゃん。今回はカレー以外のものがいいよ」

きょとんとする私を置いてきぼりにしてその子は消えていった。私はきょとんとしすぎて正門に正面衝突してしまった。

先輩の私をちゃんづけして呼ぶというのは私にしてみれば違和感を感ぜざるをえないのに、その子は当然であるように話していた。まるで私を同輩と見ているようなしゃべり方じゃない。

買い物を終えて学校に向かう途中、自転車を押しながら坂道を登っていたらそのことを思い出して私は少し熱く、重たいため息をついた。よく見るがいまだに名前を知らないその子がなぜ私を同輩と勘違いしていることはなんとなく理解している。

目の前にはアスファルトの坂道が長く延びている。その坂を上りきるのに私は何分かかるのだろう。ハンドルを握る自分の手と、長く影を伸ばしている私の足を見つめて私はその時間がかなり長いものであることを肌で感じ取った。同時にその原因となることも分かっている。

そしてそれが私を同輩と勘違いする人間がいることの原因であるのと被っているということも、私は理解してしまう。カラカラと回る車輪の音が悲しく響く。夕焼けの空を駆け抜ける風も肌寒く、私は着ている服の胸元をぎゅっとにぎりしめた。

買い物しているときは大抵上目遣いになる。他人から見下されているみたいで不快指数は上がり続けていた。でも悪いのは私だった。

私の体は成長が止まっているように中学生と同じく、未発達な部分が目立つ。まだまだ成長の余地がありそうなのに、発達しないのは神様のいやがらせなのかな。

でも私の心は成長しすぎている。それこそ普通の高校二年生では体験していないことを体験してきている。時々動くのにたまらなくぎくしゃくしてしまうのはそのずれが私の中でさびとなっているからかもしれない。

でも動きがぎこちないのはまだ大丈夫だった。いつか成長しすぎた心が破裂しないか私は心配なときがある。そんなことなどあるわけがないのに。でも時々爆弾を抱えている音が胸の中から聞こえてくる。それを聞くと、私は自発的に昔を思い出してしまう。

半分ほど坂道を登ったところで私は自転車を押すのをやめた。夕食を作るのも、学校に帰るのも、全てを投げ出したくて、そんな私から逃げるために自転車で坂道を下りたくなる。最もそれはただの無駄なことだ。

幼い私の中に巣くう大人の私に嫌悪することからは逃れられない。それを知って転がるように憂鬱になる。こんな気分になってしまうのもあいつが学校に来ないからに違いない。あいつは何をしているのだろう。近くにいるはずなのに私は会えない。

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夕食の準備もなんだか気が進まない。後輩に言われたものの結局買い物のときにはカレーの材料を買ってきてしまった。それだけでよかったものの、半ば放心状態だったせいか関係ないものまでビニール袋に入っている。

鮭やこんにゃくはまだいいとしてヤクルトはどうしようか本当に妙案が浮ばない。

それでも自転車を止めて学食に向かう。両手にぶら下がるビニール袋の重さを体全体で受け止めながら私はふらふらとした足取りで前に進む。私は今自分が頼りなさそうに見えている。夕食の用意をできる自信がないから?いつもはこんなことなかったのに。

一人なのがそんなに耐えられないものなの?そんなことはない。夕食の後には七子だっている。それならどうして何回も夕食を作っているのにそんなに不安が胸の中に蓄積されていくの?それは大都井さんがいないから?自問自答を繰り返しながら私は足を進める。

夕食の用意は一人で行わなければいけない。こんな日は初めてだった。いつもなら大都井さんが手伝ってくれるのに今日は彼女はいない。そして一人で夕食を作る日々がいつになったら終わるのかも見当が付かない。

厨房も広く感じてしまうのだろうか。解決できない数多の疑問を抱えたまま私は厨房の入り口を通る。乾いたままの調理器具が壁のあたりで宙吊りになっている。換気扇も回っていないこの場所は私では覆せないほどに閑散としていた。

しかしそんな厨房に、あからさまに誰かがいる。入って早々その人と目が合ってしまった。私はそれが白昼夢の出来事のように見間違えて入り口で棒立ちになり固まってしまう。

「白崎先輩ですか?」

目が合った瞬間にその人が話しかけてくる。長袖のティーシャツに足首まで隠せるスカートをはいていて、組んだ両手を腰の後ろに回して、厨房の調理台に寄りかかっていた。抑揚の在るはっきりとした声は彼女のどこかしっかりしている性格を現していそうで先輩と呼ばれたことが少し恥ずかしくなった。

「うん。そうだよ。どうしたの」

見たことない人だ。寮に入って随分たったと思ったけど彼女のことを見たことはない。一回見ただけで忘れない綺麗な容姿をしているからそれは確かなことだと思う。彼女は私が探していた人だと分かるとほっとしたように肩の力を抜き寄りかかっていた姿勢からちゃんとした直立になる。

「えっと……葵といいます。その夕食の準備を手伝おうと思いまして」

軽く会釈をした後に彼女は両手を胸の前で重ねる。彼女が着ていたティーシャツの長袖が少しずり落ちた。そのせいで彼女の腕が少しだけ除かせる。腕に巻かれた包帯が蛍光灯の光よりもまぶしく見えた。
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ゴミ捨て場のバケツのような大きさのある鉄の鍋にはシチューがコトコトとおとなしい音を出して煮えていた。鍋の胴体にはそれをかき混ぜる私と後ろのほうで使い終わった調理器具を洗っている葵さんが映っている。

シチューになってしまった理由はカレーのルーを間違えてシチューのほうを買ってきてしまったことに帰ってから気づいたからだった。でも夕食を食べる人たちはカレーに飽きているようなので結果だけみるとよかったことになる。

シチューの水面にぽつぽつと上がる泡がはじけている。それをみながら私は鼻歌でも歌いながらそれをかき混ぜている。この場所で静なのは葵さんぐらいだった。

「そうだ。葵さんはヤクルトいる?」

ヤクルトという言葉に葵さんの耳がピクリと反応した。私は口数の少ない葵さんが私と一緒で緊張していないか心配で会話の糸口を見つけるつもりのだけだったのに、葵さんの返答は私の期待以上だった

「白崎先輩がいらないのなら頂いてもいいですよ」

葵さんは洗い終わった包丁を真っ先にしまう。葵さんは自分の後ろ髪を結わえていたゴムを外す。できの悪かった小さなポニーテールがはらりと広がり、彼女は私の傍に犬のように寄ってきた。

葵さんの雰囲気はさっきまでと同じように澄ましたものだったが、目がとてもわくわくしている。口元が緩んでいるのに私は気づかない振りをしてビニール袋の中に唯一残っているヤクルトを取り出した。

「ありがとうございます」

お礼を全部言い終わる前に葵さんはヤクルトを飲み始めた。音はしないけどくぴくぴと言う擬音が付きそうな飲み方に私はちょっとだけ癒される。

元々夕食を食べる人で出し合ったお金で買ってきたものだけどたまにはこうやって自分だけのものを買うのも悪くはないだろう。こっちは小さい体を無理に使って多人数の夕食を作っているんだ。

そう都合よく解釈してビーフシチューの味見をする。鮭やこんにゃくが浮いていることを覗けばビーフシチューそのものの味だった。振り返ると両手でヤクルトを握り締めて半開きの口のままどこか遠くを見ている。何かを達観したかのような目つきに私は思わずにやりとした笑いを浮かべてしまった。残りのヤクルトも全部彼女に上げておこう。

「白崎先輩は休日の夕食を一人で作っているのですか」

葵さんが始めて私に話をふってきた。実際もうみんなが来るのを待つだけなので手が空いている。雑談の一つや二つはしたくなるのだが、まさか葵さんからしゃべりだすとは思わなかった。もしかしてこれがヤクルト効果なのだろうか。

「前は大都井さんと一緒に作っていたのだけどね」

「前はというと今回だけ来れなかったということですか?」

私がどこか今日が特別な一日のように言ってしまったからなのかもしれない。葵さんはヤクルトの空容器を握り締めたまま私を見つめて、自分の中で思索を張り巡らせている。

それは彼女の中で聞くべきかどうかの決心が揺れているようだった。だけどその目は私に説明を求めているように輝いている。葵さんは口よりも目のほうがよく語る人のようだった。私もヤクルトを一つとり、一気に飲み干す。

空になったヤクルトを捨てると学食のほうを向いて一人ごろのように話し始める。私にとっては憂鬱の原因になっていた大都井さんの不在を他人に話すのは、葵さんがねだっているからではなく、私が誰かに話したかったからだった。

「彼女はしばらく来れないのかな。だから今日は葵さんが来てくれてとてもうれしかったよ」

「その大都井先輩がこれない理由はあの事件のせいですか」

葵さんはヤクルトの容器を持っていることを忘れているのかそれをにぎりしめたままでいる。私はその袖口から包帯が見え隠れしていることをまた見てしまった。心の中でそうなんだと呟く。なんとなく私は彼女が大都井さんのことに興味を持っている理由を見つけることができた気がする。

ここで嘘をついても何の利点もない。だから私は小さい首を縦に振った。私はそれで振り返るとシチューをお玉でかき混ぜる。特に意味はない行為なのに体を動かさないでおくと彼女に自分が考えていることをぼろぼろとしゃべってしまいそうだった。

でもそんな小さな動きでは私を束縛することはできない。心の中で大きくうねり狂う渦潮に巻き込まれるまま私はぽつりぽつりと言いたくないことを言い始めてしまった。

「体育館のわき道で組み伏せられているのをみんなで発見したらしいね。現行犯逮捕だったみたいよ。でも大都井さんはショックで寝込んじゃって、だから今日は私一人で作ろうとしていたところなの。葵さんがどこまで知っているのか分からないけど犯人は一応いるのだから安心したら?同じ寮生の志工とかいう奴」

「志工先輩は……違うと思います」

ヤクルトの容器を捨てる音がして私は振り返った。冷蔵庫に寄りかかって葵さんが若干目をそらしている。

「香矢のこと知っているの」

葵さんのことについていろいろと疑問はあるのだけど、私はまず香矢のことについて尋ねた。今度首を縦に振る番になったのは葵さんのほうだった。私はその事実にお玉がシチューの中に沈んでいることを忘れてしまった。

何を話すべきで、何を話さないべきなのか私は決められず、ただ黙っているだけしかなかった。ただ葵さんは私も香矢のことを知っていることに何かを感じているらしい。

「そろそろ夕食の時間だからお皿の用意しようか。香矢のことは夕食の肴のつもりで話してあげる」

本当はあまり話したくない。あいつのことは私の中では思い出したくないことになっている。甘い記憶でもそれは変わらない。
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私は葵さんとビーフーシチュー両手にさまよっているとちょうど食堂の隅のほうで空いている場所を見つけたのでそこで向かい合って座った。掃除が行きとどっていないのか少し埃っぽいこの場所だけど私は迷わずその場所に座った。

この場所を選んだのはそれなりの理由がある。やっぱり他人には香矢の話を聞かれたくないという嫌悪感が学食に人が集まるたびに、私の中で強くなっていたからだった。葵さんも私の判断に反論がないのか文句の一つ言わずについてくる。

「白崎先輩は志工先輩とどういう関係なのですか?」

皿を机の上においていきなり葵さんが尋ねてきた。何の脈絡もなく聞いてきたので、外でざわめいている木々のように私の心がささくれ立った。しかしすぐに私が香矢のことを話すと約束したのを思い出して、ほっとしたままシチューを口に運ぶ。

出来立てのシチューは程よい温かさで私の体の中を温めていく。そのおいしさに舌鼓を打ちながら私は自分の料理の腕を自画自賛する。そして私の中の氷が解けるように少しずつ香矢のことを思い出していった。

「今はただのクラスメート。昔はよく話していた……ぐらいの関係」

自分の答えに一番納得できないのは自分だった。香矢とは今は確かにクラスメートでしかない。けど昔はただの話し相手ではない。もっと深い関係を香矢の間で引いていた。

話すのに抵抗があるとはいえ、香矢のことで葵さんに嘘をつくのは果たして最善の選択だったのかはわからない。葵さんが私を同じ道を歩んでいるのなら包み隠さずに話したほうがいいのかもしれない。

けど私はそれだけはしゃべれなかった。それが香矢と私の甘い記憶だからだった。

「そして?葵さんはどういう関係なの?」

葵さんは私が上げた残りのヤクルトを飲んでいて、飲み終わったあとに頬を薄いピンク色に染める。それがヤクルトにご満悦しているのか、それとも私に香矢のことを聞かれて困っているのか。多分両方だろう。

だけどその反応がどこか昔の私を瓜二つで私は彼女の事が普通に心配だった。

「よく世話になっています」

ちょっと考えもしていなかった答えが返ってきた。あいつが女の子の世話なんかできるようになったのか。葵さんの顔には少しも迷惑そうな色は見えてこない。世話か……。私は香矢を世話していた側だったかな。

もしかしたら葵さんと香矢の関係は私が考えているものとは違うものかもしれない。それをちょっと確かめたくて私はさらに質問をぶつける。

「香矢のことどう思っている?」

同じ夕食を食べているみんなの騒いでいる声が遥か遠くから聞こえてくる。私たちのことは気づいていないみたいだけど時折ちらちらとこちらを見る視線を感じる。普段はいない葵さんがいることに珍しさを感じているのだろうけど、香矢のことを聞かれはしないか私は終始肝を冷やしていた。

葵さんはシチューをスプーンでかき混ぜてたまたまあたったジャガイモを口に運んだ。考えるように彼女はゆっくりと噛み続け、飲み込む。話しづらいのは分かるし、葵さんには悪い気分であることもわかる。でも好奇心が私の中で大きかった。

「少し無愛想なところがあってそっけない態度しかとらないけど、そのあいまあいまに志工先輩なりの思いやりを見つけることがありますね。見た目以上に先輩は優しいのだと思います」

そういって、葵さんは無邪気に笑う。恥ずかしさを無理やり押し隠したような笑顔は彼女の十八番のように映る。私は葵さんの動作を冷静に観察していた。

他人の目から見たら昔の私はそう見えていたのかな。いやなことだけど私は言わなくてはいけない衝動に駆られて、持っていたスプーンを置くと腕を組んだ。じりじりと上の蛍光灯が点滅する。

「確かにあいつは優しい。それは認めるわ。でもねあいつはそれ以上に自分勝手なところがあるの。少し矛盾しているけどあいつはそういう人間だといつか分かるわ」

「でも志工先輩があんなことをしたとは思えません」

「それについては私も同意見。実際あいつはあんなことをやらかすほどぼけていないし、そんな邪な奴じゃない。だけどあいつは葵さんがおもっているほどのお人よしではない」

私は自分の意見を肯定するために水を飲んでそのコップを強めに置く。馬鹿なことをしているとは思う。これはただの葵さんにたいする八つ当たりだとは思う。だから私は香矢についてははなすことをやめることにした。葵さんも私の動作からそれを汲み取ったのか。黙ってシチューを食べていた。

私たちが作ったシチューはちょっとぬるくなっていた。時間の経過がどこかむなしい。香矢のことで時間を消費してしまったことがどこか不快だった。

「そういえばどうして今日厨房に手伝いに来てくれたの」

沈黙を少しでも晴らそうと私は初めに気になったことを話しに出した。葵さんは最後のヤクルトを飲み干している途中だった。

「狩屋という人が呼びに来てくれました」

「七子が?」

葵さんはスプーンを咥えながら頷く。頷くたびに咥えているスプーンがプルプルと揺れていた。葵さんがこの夕食のことを知らなかったということも予想外だし、七子がそのことを説明しに、見ず知らずの人のところまで歩きに行くのはもっと予想外だった。

でもなんだろう。やはり少し複雑だ。どういうわけか素直に喜べない。七子がそのように活動的になったのは何か裏がありそうだからだった。七子が見返り的なことを考えているということではなくそのようなことができるようになった原因が単純なものではないような。

なんだか私はむしゃくしゃしてきて、頭をかき回す。上手く言葉に表せないな。私が黙っていると葵さんはその詳細を詳しく話してくれた。

「私の部屋に来てくれて、それで休日の日は夕食を食堂で作っていると説明してくれて、えっとそれから暇なら白崎という先輩が今日の準備をするから手伝ってもいいって。」

「そうなんだ。今日はどうもありがとう。おかげで助かったよ」

シチューを平らげると私は立ち上がった。もう他のみんなは私たちよりも夕食を食べ終わって学食から出て行っている。皿洗いをするのも私の役目だがそれをする前よりも先に私は葵さんにお礼を言っておきたかった。

「いえ。私も白崎先輩と話せてうれしかったです。」

その礼儀正しいお辞儀の裏で私は香矢の姿を垣間見た。

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葵さんにはああ言ったけど香矢には今度会いに行ってみようかな。今の状況から、あいつは葵さんを除けば一人ぼっちのようだし、ここら辺で恩を売っておくのも悪くはないかもしれない。

食器を洗いながらうっすらと陰りゆく空を見つめて、私は今日が雲ひとつないことに気づく。肉眼でも流れ星を見つけられそうな絶好の天体観測日和だった。
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もう一年前のことになるのだろうか。

私はこの学校を一目見て気に入った。絶対にこの学校に入ると心に決めて、そして体が腐るかと思うくらいの猛勉強の結果それを実現することができた。私がこの学校を気に入ったところは山の中にあるということだった。

ここなら誰にも邪魔されずに天体観測をすることができる。実際学校での記念すべき第一回の天体観測は学校の屋上だった。舞い上がっていた私は南京錠をぶち壊すと屋上へ踊りだしていった。

うれしさで興奮が加速する。体中がほてり、私は獣のような瞳をして望遠鏡を組み立てる。周りの音などほとんど聞こえていなかった。

「誰かいるの?」

落ち着いた声が背中を冷やりとさせる。大人びた声に操られるように私は振り返る。私よりもすこしだけぬきんでている背丈をした女子生徒がまっすぐ立っていた。黒いマントと三角帽子に包まれてt、知的な眼鏡が月明かりを反射している。

私は疑うことなく彼女が魔女だと思った。こんな山奥にある学校にはお似合いのように魔女が住んでいるんだ。それを肯定するように夜空を飛び交う梟が屋上の淵にとまり小さく鳴いた。

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満点の空に浮ぶ星たちは、チョコレートケーキにまぶされた粉砂糖のようだった。硬い屋上の床の感触が背中を冷やす。私は無造作に起き上がるとぽっかりと空いた心を抱えながら深呼吸を繰り返した。

少し早いけどもう帰ろう。望遠鏡を片付けると私は校舎の中へもどっていった。

平坂先生が今日は当直のはずなのに一向にすれ違わない。それは私は時間を変えて歩いているからなのか。それともあの事件の犯人が見つかったから安心しているのか。廊下を通る隙間風がどちらなのかと私に問いかけをしているようだった。

女子寮についたら無音だった。女子寮の窓はほとんど黒く塗りつぶされて、誰かが起きている気配の欠片さえ感じられない。私は欠伸を繰り返しながら女子寮に近づく。そのときに目の端で何かが動いたのをたまたま捕らえた。

反射的にその方向へ顔を向き、何が動いたのかを確かめる。

女子寮の入り口から少しはなれたところの木々の隙間に七子がいた。後姿しか見えないが、あそこまで長い髪をして、そして背丈から考えると七子以外の人間ではなさそうだ。私は七子が何をしているのか微妙に興味をそそられて立ち止まりじっと目を細める。

そしてそのときに気が付いた。七子以外にもう一人いる。

暗闇にまぎれて顔がよく見えないけど男子のようだった。彼と七子は何か話している。遠くからでは聞こえない。ぼそぼそと断片的な言葉の欠片が届いてくるだけだった。私はそれに子供心をくすぐられる。

もう少し近づけばはっきりと会話を聞き取れるかもしれない。もう少し近づけば鮮明に相手の顔が分かるかもしれない。でももう少し近づいたら、また七子の知らなかった一面をしるかもしれない。

私は欠伸をして望遠鏡と寝袋を持ち直すと女子寮に入っていった。月明かりで長く伸びる影が女子寮のそれに飲まれていく。それを見届けると帰ってきたという実感がゆっくりとわいてきた。

もう眠い。七子のことは私には関係ないことだと思う。さっさと自分の部屋に帰る。荷物を適当に隅に固めると私は二段ベットを上り、布団の中にもぐりこんだ。扉の開く音がする。七子の視線を私は布団越しから感じていた。

「思織。寝てるの?」

私は答えられなかった。寝たふりを続けて目を瞑る力を強くする。七子はそれ以上何も尋ねなかった。狸ね入りなどしなくてもよかったのに私は七子と会話するのが躊躇われた。

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■スクラップ

○思織と友達の中身のない会話

「ねぇねぇ思織。この学校ってちょっといわくつきの話があるらしいよ。なんでもね。学校のどこかで占いをやっている魔女がいるんだって。悩みを抱えている生徒が草木も眠る丑三つ時に学校をさまようとひょっこりと小さな扉が見えてその先にその生徒がいるみたいよ。それでねその魔女は女子生徒みたいな体格と容姿をしてて、それで悩める子羊にめちゃくちゃ的確な助言をくれるのだって」

「へぇ」

「でもねここからが肝心なのだけど。悩みを相談しに来た生徒は絶対にその魔女のことを他人に話してはいけないのよ。それとその魔女の助言どおりに行動しなくてはいけないのだって。それを破ると大変なことになるみたいよ。とあたしが聞いた話はこんなものなのだけどそれについてどう思う?」

「別にどうも。ただの怪談話じゃない。だいたい魔女なら魔法で解決しなさいよ」

「そうよね。魔法で解決できたならあんたの身長も延ばせるかもね」
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