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「志工 香矢の来客」

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自分の部屋で寝ていると士友がノックもせずに入ってくる。士友は香矢の服装を見て眉をひそめるが具体的な感想を述べずに香矢の椅子に座る。何も言わず足を組んで思い出し笑いのように息を単発的に吹き出していた。

香矢を挑発するための動作に決まっているのだが、香矢は無視し続けて寝たふりを続けていた。お腹がなるような奇妙な音が上から聞こえている。窓を見なくてもそろそろ天気が崩れるであろうことを肌で感じ取る。

「いつまでそうして寝ているつもりだ。葵君のことはどうした?」

笑うのに飽きたのか士友は顔を上げて香矢の洋服ダンスの方を見ている。そこには何日も着ていない香矢の制服がかけられてあった。机の上をたたく士友の指が香矢をせかすように神経質に動く。

香矢は寝返りを打ち頭をかきながら起き上がった。香矢の思うがままにかき混ぜられた髪の毛はまるで鳥の巣のようになっていた。自分の体をだるく動かしてベットに腰掛けると下から士友をにらみつけた。

「少し聞きたいことがある」

開かれている窓からはじっとりと湿った風が流れている。香矢の部屋を縦横無尽に駆け抜けた跡にそのまま同じ窓から抜け出ていった。士友は香矢の目にすこし意外性を感じているのか士友とは思えない口の開き方をしていたがそれが続くのもほんの一瞬だった。

香矢を哀れんでいるように大きくため息をつくとくるりと体を回して顔を見えなくする。

香矢に聞く耳を貸さないのばかりかこれから話す話題さえも気に食わないかに見える。それでも香矢は自分の口を開いた。久しぶりの来客でそれが士友だ。溜まっていた鬱憤を晴らすにはちょうどいいだろう。

「なぜ古都に目をつけた?」
「危ないからに決まっているだろう」
「本当のことを言え」

士友の胸倉を掴む。香矢はそろそろ我慢の限界が訪れていた。士友がどうして古都に接近する必要があったのか。初めから疑問に感じていて、いつまでも聞く機会を逃していたものだった。

「いつまでもあんたのわがままに振り回されるのも迷惑なんだ。何か別の理由があるからだろ。犯人探しをしたいのなら古都の傍に俺をおく必要はない。それなのになぜ古都を自分の手の届くところに置いておくんだ」

士友に散々逃げられて聞きそびれていたことを口にする。風の体当たりを受けているのか窓ががたがたと揺れている。士友は睨みつける香矢の蛇のような視線を相殺するように尖った矢のような視線を飛ばす。

数分間互いに視線を交わし続け空気さえ痺れそうな緊迫感が広がっていた。龍と虎のような構図を先に崩したのは士友だった。香矢を哀れむような、呆れるような、複雑な表情を浮かべて口を手で拭う。

「伊達や酔狂でお前を利用しているわけではないがお前に話す義理はない」
「話さないのならもうお前の頼みは聞けない」
「それを聞いてどうするつもりだ?もう葵君のことは突き放すつもりか?」

そっと士友は自分の手を香矢の手に重ねる。軽くなでられているかのようなのに血液の流れが止まるかのように強い力だった。香矢は分かっている。士友がこれでも手加減していることを。

そして士友は前から知っている。香矢はもう士友の頼みだけではなく、自分の意思で古都の傍にいるんだと。軽い舌打ちと共に士友から手を放した。士友はそれで満足げに頷く。

「だよな。俺が何を考えようがお前は葵君を手放すつもりはないだろう。それだけ確認できたら十分だ。こっちはこっちで忙しい。お前も大変なことになっているだろうが同情はしない」

士友は景気よく笑うと自分の手を香矢の頭の上に追いた。思うが侭に香矢の頭を撫で回す。もう抵抗する気にもなれなかった。士友は香矢の胸中を手に取るように見ている。

それを改めて分からされて香矢はその現実に耐えるだけで精一杯だった。士友はそれだけ言うと満足したのか自分の部屋から出て行く。香矢が何日も開いていない扉を開き外へと出て行った。扉の前でしかれている境界線が香矢にはまぶしすぎる。

「もう香はいないからな。お前だって葵君がいて楽してるのだろう。ちょうどいい代わりを見つけてやったのだから少しは感謝しろよ」

そして扉が閉まる。扉の隙間から士友が薄く口を開いているのが分かったが香矢はまっすぐ見ることができなかった。士友の本当の目的はそれを言うために来たのだろう。たった数秒で言い終わるその言葉。しかしそれだけで十分だった。

扉が閉まる音が香矢の頭の中で反芻される。そのたび内臓を締め付けられるような痛みがきりきりと強くなっていく。

叫びたかった。叫んで自分の歪んだ怒りをぶちまけたかった。でもぶちまける相手はどこにもいない。そして誰相手に発散させてもそれは自分に戻っていくだろう。香矢の怒りの矛先はもともと自分にしか向いていないのだから。

自分で自分の首を絞めるようにその怒りに体中を傷つけられていく。嗚咽を漏らしながらベットの上に転がる。自分が泣いているような気がして、でもそれを認めたくなかった。やがて意識がだんだん遠ざかり香矢はまた暗闇の中に戻っていった。
ーーーーーーー

記憶の底から蘇ってくる自分を呼ぶ自分の声。少し控えめで、だけど香矢を呼び止めたい意志をかたくなに感じさせるその声を香矢は受け止められなかった。その声を受け入れる何かが自分の中に足りなかった。

香矢は俯いて歯を食いしばる。そして引き寄せられるようにその姿勢のままその声から遠ざかっていった。声は少しずつその大きさを失っていくが、香矢を呼ぶ感覚はどんどん短くなっていく。

自分から離れようとしているのではなく、自分があれに近づくことができない。香矢はそう言い訳めいた理屈を考えて香矢はその声から離れていく。そして完全に聞こえなくなったとき香矢はほっと胸をなでおろした。自分があの声から逃げたという事実には都合よく気づかない振りをして。

何回もノックの音が聞こえている。かすれた視界でベットから床の上へと転がり落ちる。そしてそのまま転がると扉のノブに手をかけて立ち上がった。扉を開くと寮の廊下に走っていた清涼な風が部屋の中にまで入ってくる。

前髪がわずかに揺れて、目を細める。セーラー服を身にまとった古都が立っていた。予想外というより、男性寮に入ってからここで女性を見るのが初めてのことでどう返答をすればいいのか分からなかった。

寝不足だったためか頭がきりきりと痛む。そのためか心にもなく香矢の顔つきはふてぶてしくなっていた。古都は香矢の姿を見た瞬間に胸をなでおろしていた。香矢は一旦机の上の時計に目を投じる。

「よかった。先輩がここにいなかったらどうしようかと思いました」

振り返ると古都がわずかに目をそらして、女性らしい仕草で胸の前で自分の両腕を絡めている。香矢は古都が気づかないように腰の辺りをかきむしると、ため息をつくように音もなく息を吐いた。

さっき見たところ時計は限りなく正午に近かった。平日の今なら他の寮生に出会うこともない。もともと人数も少ないからその確立は香矢が予想するよりも遥かに小さなものになる場合だってある。

それでも古都がここにいることに納得できなかった。

「別に女性が入ってはいけないという規則はないけど、ここは男性寮なんだからあまり大胆な行動は控えろよ」

ぶっきらぼうな言葉を口走りながら、古都をどうするかを考えていた。今の状況を赤の他人に見られることを第一に避けなければいけない。そうなるとこのまま追い返すのが一番の得策に見えてくる。士友の話を聞いた後ではますますそうするべきだという主張が香矢の中で積み上げられていく。

しかし香矢はこのまま一人になって夢の中でまたあの声を聞くのは忌避したかった。それなら古都に少し時間を割いてもいいかもしれない。それに古都もそれを期待してここに来たのだろう。

「とりあえず入れ」

この場面を誰かに見られること以外に最悪なことはないだろう。古都を招き入れてくつろぐように言った。

ベットに座った古都は全身に力が入りすぎていて表情もとてもぎこちない。獲物としてつれてこられた小動物のように全身を震えさせていた。そうかしこまれるとどうしたら困るのだけどどう声をかければいいのかわからなくて香矢は椅子に座って古都をずっと見続けていた。

「学校は行かないのですか?」
「行きたくても行けない」
「どうして……」

古都はそれまで言うのが精一杯だったのか声をしぼませて、そのままうつむいてしまった。香矢はずっと黙っていた。古都がしゃべるのを待っているからではない。今はただ何も考えたくなかった。

「教師たちが考えているのと実際は違うことだと私は信じています。違うなら違うって言うべきです。それなのにどうして教師の指示に黙って従っているのです?」
「今思うとそういう選択肢もあったかもしれないな」
「そんな……他人事みたいに言わないでください」
「他人事だよ。別に学校なんかどうでもいい」
「だって学校に来てくれないと私と話できないじゃないですか」

古都は勢いよく立ち上がると香矢に向かって自分の感情と共に言葉を思うままにぶつけてくる。古都から高く、強く押し寄せてくる津波のような迫力に香矢は水をかけられた面持になった。

これほどまで必死な古都を見るのが初めてだった。古都は泣きそうな自分の表情をすれすれで保ち、またおずおずとベットに座りなおす。ベットの淵に腰掛けるのではなく壁を背もたれにして体育すわりをした。操り人形の糸を一本一本切っていくように彼女の体から力が抜けていく。

それでも古都はしゃべった。かすれるような声で自分のありのままの意志を香矢に伝えてくる。鼻をすする音に刺激されて香矢はこれまでの自分の言葉の意味のなさを理解し始めた。

「私はもう、離れたくない。先輩はどうなのですか」

やっぱり香矢はしゃべれなかった。ベットの上で体育すわりをしている古都を見るともどかしさが体を駆け巡る。古都の体は自分の体よりも小さく見えていた。まるでこのまま

「俺は……」

見捨てるわけがない。香矢はそう答えるつもりだった。言い始める前に乾いた音が耳に届いてきた。

窓に石が当たっている。下から舞い上がるような軌跡を残しもう一回窓に当たる。明らかに誰かが投げて当てている。下から投げているのも、二回当たっているのも香矢にしか分からないメッセージだった。

「また来てくれないか。いや今度はこっちから行く。だから今日はもう帰ろ」

古都は香矢の言葉に納得できるはずもなく両手を上下に振り回して文句を言っていたが香矢はそれを全て無視して古都を扉の向こうに突き出すと鍵を閉めた。

「いいか。絶対に正面玄関から帰ろ。それから近日中に必ず会いに行くからもうここには来るなよ。俺が迷惑というよりお前が心配だ」

扉越しにこれだけ指示すると古都の一切を無視した。古都は何度も扉を叩いていたけど時間がたつにつれて音量が尻すぼみになっていった。香矢は古都が離れたことを確認してほっと息をつく。経路を変えさえすればあいつと古都がはちあわすことは絶対無い。歩調が違いすぎる。

頭を振って思考を切り替える。そろそろあいつが来るはずだ。何のために来るのかいまいち分からないがそれを考えたところでその答えに行き着くことは叶わないだろう。

そういえば今更疑問が芽生えてくる。どうして古都は俺の部屋を知っていたのだろう。誰かに尋ねなければ分からないはずだ。もしかしたら今ここにくるあいつが古都に教えたのだろうか。

扉ががたがたと揺れた。ノックもせずにいきなりあけようとする強引さは相変わらずだった。香矢は無言のまま鍵を開く。ばねが伸びたように扉が開くとその先には誰もいなかった。

しかし少し目を落とすと予想していた人物がこちらを睨んでいる。男性としては平均よりも少し低い身長を持つ香矢よりもさらに小さい背丈は一度見るだけで強烈な印象を与える。白崎 思織がそこに立っていた。
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窓を閉め切り振り返ると、思織は勝手に鞄から熊のぬいぐるみを引っ張り出している。無邪気に笑いながら熊の手足を動かしている彼女は誰が見ても子供のようだった。表向きにはあどけない顔つきに見えるのに、香矢にはそれがひどく裏があるように見えていた。

椅子の上であぐらをかく思織は初めからぬいぐるみの方に用事があったかのように振舞っている。その動作一つ一つがいやみぶっていて容姿に似合っていない。それが香矢の神経を逆なでさせていく。

四畳も満たしていない狭い部屋の中で思織は香矢のことを見向きもしない。思織が何か用があるから、絶対に言いたいことがあるのだから香矢の元に来たということだと香矢は解釈している。

それでも思織は香矢のことを無視し続けていた。ため息をしようと思ったがそれをする気力さえ失われる。息も詰まりそうなこの密室に思織といるだけで我慢ができなくなっていた。鼻歌のような思織の気楽な声が彫刻等のように香矢の忍耐力を削っていく。

「いやみでも言いに来たのか?」
「まさか。今更耳にたこなことを言ったって香矢は別に動じないでしょ?」

思織は自分の手でぬいぐるみを頷かせると息をもらすように笑いをかみ殺していた。忌まわしげな香矢の視線に少しも気づかない振りをしてまたぬいぐるみとじゃれていた。

気でも紛わすためにCDプレイヤーの電源をつける。軽快な太鼓を叩く音の後にそれにのせて笛の音がスピーカーから溢れてくる。

何度も聞いたこのイントロは「めぐり」であることは間違いない。でもこれが再生されるとは思っていなかった。そういえばランダム再生にしていたっけ。何時もは使わない二段ベットの上へとのぼり、香矢は硬いベットに転がる。思織のことを無視して「めぐり」のサビを聞き入っていた。

「葵さんとどういうご関係でして?」

抵抗もなく香矢はため息をだして上体を起こしベットから身を乗り出した。椅子の上であぐらをかいたままで思織はにっこりと絵で書いたような笑顔を光らせている。

その温かさが波のように伝わってきた。それに当てられて香矢は吐き気を催してくる。いつかは古都と思織が顔を合わすだろうと思っていたけどこんなに早く、しかも最悪のタイミングになるとは。あまりの展開にめまいがしてくる。

ベットの淵から手をはなしてごろりと横になる。手で視界を覆うと少しだけ気が楽になった。それと同時に思織に対しての余裕が生まれてくる。

「お前には関係ないだろ」
「失礼ね。昔の彼女に対してそんなぶっきらぼうな言い方はないでしょ」

思織が動いたのか、椅子がきしむ音が部屋の中で響く。薄く開いた香矢の目の向こうでは二段ベットの梯子につかまっている思織がいた。思織のこちらを見てくる瞳は天使のような香矢を哀れむ光を放っている。

顔のつくりもあいまって香矢はそれが本当に天使のように見えた。だから香矢はもう一度寝返りを打って思織の顔から目を逃がした。

思織の言いたいことは分かる。香矢が古都と知り合いであることに非難はしないだろう。関係を持ったことも思織にとっては関係ないことであることも十分理解しているだろう。だけど思織が問題にしているのはそれからに決まっている。

香矢の中で決断のときだった。古都の前で誓うのよりもこいつの前で誓うことの方が格段に責任が重くのしかかる。だが答えはもう決まっている。

「古都のことは……もう置いていかない」

さび付いているような感触が指の先から全身に回っていく。甘い味が口の中で広がっている。くるくると視界が回り、胃がきゅうっと締め付けられる。

古都が物のような言い方はしたくなかった。けど見捨てたりはしないということも言えなかった。恥ずかしいというよりもそれをできる自信がなかった。なにせ香矢が見捨てた人物がいま目の前で梯子を掴んでいるという事実が香矢の自信を減らしている。

香矢の宣言と同時にCDプレーヤーから流れていた「めぐり」が曲の終わりを迎える。次に流れてきたのは落ち着いたピアノの音だった。もう何回聞いたかも分からない「楔」だけどその悲しいピアノの戦慄が自暴自棄に拍車をかけていく。

香矢がどう言おうが思織はたぶん香矢のことを許してくれていない。思織は香矢のことを信用していないだろう。それに値する男だ。しかし香矢はその言葉を偽る気にはなれなかった。

思織は香矢の背中をずっと眺めていた。「楔」が部屋の中で垂れ流されている中で、思織の息づかいがそれよりも大きいように聞こえている。

「そんな台詞を香矢から聞けるとは思わなかった」

軽蔑するわけでもなく、見下すわけでもない思織が自然に出す声。

「まぁ失敗しないことね。これは葵さんのためではなくて、あんたのために言っていんだから。私のことはもう忘れることね。香矢と違って十分大人だもん。あんたにかけられた魔法はまだかかったままなんだから」

梯子から小さくジャンプして思織は「楔」をくちずさみながら部屋から出て行った。大人と言い切ったわりには思織の足取りは子供のようだった。開け放たれた扉のさらに向こうからチャイムの音が聞こえてくる。

「なんだよ。あんな気持ち悪いこといいやがって。昔のことをますます思い出してきちゃったじゃないか」

一人になって「楔」の音だけを聞いていても、香矢は思織の言葉が耳に張りついていた。

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■スクラップ

○一昔前の香矢と思織

「なんか最近よく噂されるのよ」
「何を?」
「私と香矢のこと。香矢が私としか話さないから香矢と私が恋仲みたいに思われているわけ」

「迷惑なら今後一切口を聞かない」
「私は別に……。だけど香矢の方はどう感じているの」
「俺は迷惑じゃない」

「でも恋人じゃないのに」
「言わせておけ」
「もう。なんでそんなに他人に無関心なのさ。それなら本当に恋人でもいいの」

「別にそれでいいだろ」
「……。やっぱだめだよ。香矢には香がいるじゃない。私よりも大切なのでしょ」
「そうだ。でもあいつは彼女じゃゃない」

「じゃあ私が……その……彼女でも本当に文句ないの?」
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たに 先生に励ましのお便りを送ろう!!

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