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プロローグ

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「プロローグ」




その日も、広平は朝から「寺田国際記念競技場」の清掃にあたっていた。彼は清掃員なのだ。
普段から勤務態度は真面目で、大した問題も起こした事が無い。
それは、広平の人間的な徳というよりは、人と関わる機会がほとんどない職場だからだとも思う。人付き合いが苦手な広平にとっては、まさに天職と言える仕事であった。

青い制服に身を包み、右手には火箸、左手にゴミ袋を持って巡回するのが彼のゴミ収集スタイルだ。
まずは体育館周辺から。競技場内にはいつも様々なゴミが捨てられている。
タバコの吸い殻はもちろん、スポーツ用品の包み紙、菓子袋やら、使用済みのコンドームやら。
それら一つ一つを広平は愛を込めて火箸で拾っては、ゴミ袋へ入れてゆくのだ。

広平はこの仕事を愛していた。
無論、大した給料はもらえないが、静かな環境で落ち着いて仕事ができる。
やっていることだが、しかし、誰かの役には立っている。それだけで広平には十分に思えた。
喧騒にまみれて、汗だくになりながらどこぞの高いスーツを着こなし、携帯電話を片手にどこかのお偉いさんと交渉話をしては、ぺこぺこと頭を下げる。そんな仕事は確かに昇進や、ボーナスや様々な夢があるのかもしれないが、広平にとっては屁そのものでしかなかった。
彼はいつも「自分のペースで生きたい。」と願っているのだ。小学校の卒業文集にも、その一文だけを書いた。

広平は体育館周辺の清掃を終えると、すぐにテニスコートへと向かう。
だが大したゴミも落ちていなかった。残念そうに火箸をカチカチと鳴らすと、広平は次の場所へと歩を進めた。

途中、前方から犬を連れたお年寄りが歩いて来るのが見えた。
広平は歩幅を広げ、足早にそのおじぃさんの傍を通り過ぎると、じぃさんの背後で放屁した。消音は完璧だ。
気付かれた様子はない。
広平は、じぃさんの前方で屁をこいてしまうと、そのじぃさんの進行方向から考えて、臭源に直撃してしまうと考えたから、わざわざ背後で放屁したのだ。

「一日一善」を心がけている彼にとっては、まさにそれは「善」であった。満足気に口元に笑みを浮かべ、ポコチンを火箸で掴んで正しいチンポジにセットし直した。

次はサッカー場だ。暖かい日差しを受けながら、ゆっくりと歩く。頬をくすぐるような、優しいそよ風が気持ちよかった。

そのそよ風に木々の葉が揺れ、カサカサという耳に心地よい音が響いてくる。
さらに小鳥も何かを求めるような声ではなく、まるでその美しい日を演出するかのように、楽しげに鳴いている。

こんな穏やかな日は久々だーーーーー

そんな事をふと思った。その「穏やかな」という情景が彼には何故か懐かしく思えた。
だがそれが何故なのか、彼には果たして思い出せなかった。

気付くと、彼の眼前を精子が飛んでいた。精子だった。何故そんなものが宙を舞っているのか。その理由は分からなかったが。精子だということ、それだけはすぐに分かった。
その情景に彼の口はポカンと情けない具合に半開きになり、その美しい競技場を背景に、飛び交う精子の妖艶な姿に見とれていた。

男が、男子生徒の顔に射精したのだーーー

その事をようやく認識出来たのは、その男が男子生徒の傍らにクソを垂れ始めた時であった。
さらに口が開いた。悲鳴に鳴らない声がのど元まで上がってきていた。

男がこちらを振り向いた。

目が合った。

男は、そのままニコリと広平に微笑みかけると、ケツを左手で激しく擦り始めた。
そして、そのままどこかへ行ってしまった。

広平は、まるで何か魔物でも見たかのような顔でその場に立ち尽くしていた。

ふと、広平の精神に何かが入り込んだような感覚がした。
とたんに、脳内をすさまじいフラッシュバックがよぎった。記憶が蘇った。

ーーーそうだ・・・・あの日俺はエスカレーターの手すりに手ぬぐいを押しつけ、清掃をしていたんだ。
そしてふと上に目をやると、そこには巨大なちんちんを携えた男がエスカレーターの手すりにナニを押し付けていたのだ。あの時・・・あの顔は・・・忘れられない・・・今の総理大臣ではないか。
それを見た瞬間・・・自分の中で何かがフィーバーしてしまい・・・気付けばお花畑にいたんだ。さっきの懐かしいという感覚はそのせいか・・・ーーーー

彼の全身に何故か力がみなぎっていた。
広平は大声で奇声を発すると、それまで自分の分身のごとく大事にしていた火箸とゴミ袋を地面に投げ捨てると、ものすごい勢いで走り出した。

もう何も見えない。今はとにかくオナニーがしたかった。マスターベーションを求めていた。

ものすごいスピードで走っていると、前方から、先ほどのじぃさんが歩いて来るのが見えた。
彼に名案が浮かんだ。
じぃさんに俳句を披露してやろうと思ったのだ。きっと喜ぶだろう。
そのじぃさんから一メートルほど前方に立つと、自身の後頭部を見せながら広平は大きな声で俳句を読んだ。

「後頭部 
      
         ちらりと見せる
                     白い肌」

一分程、空白の時間が流れた。その間、二人は無言で見つめ合っていた。
じぃさんが何の反応も示さない事を確認し、広平はものすごい勢いで走りさった。

先ほどのオナニーをしたいという願望はいつのまにか、トイレの水のように消え去っていた。
それどころか、次の欲望が湧き出てきた。

「ビルに精子を塗りたくりたい。」

そう、心から真剣に思った。

広平はヒヒヒと笑うと、さらに早く走った。




参考文献『数学教師栗栖トリ』、『黄昏』第十一話
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