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恋愛の正攻法

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「栄子、何やってるの?」
休み時間。トイレの手洗い場で私の親友である栄子が真剣な表情でリップクリームを握っていた。
「うわっ!紅子か。急に話しかけないでよ。」
「ごめんごめん。で、なに?怖い顔でリップクリームなんか見つめちゃって。」
私は栄子の隣の鏡に立って手ぐしで髪をいじりながらまた尋ねてみた。
すると栄子は得意気にニヤリとして私の目の前に薄桃色のリップクリームを突き出した。
「恋のおまじないさ!」
「恋のおまじない?」
突き出されたそれをよく見てみると、小さな円柱上のクリームの部分に器用に文字がこう刻まれている。

道下正樹 LOVE

「うわぁ~何これ?」
「だから、言ったじゃん。恋のおまじない!」
そう言うと、栄子は私の方に向けていた身体を鏡に向け、鏡に映った自分の顔をしっかりと見つめて
唇にリップクリームを塗り始めた。リップクリームからはほのかに桃の匂いがした。
「こうやってね、ピンクのリップクリームに好きな人の名前とLOVEって書いて誰にも借さないで
自分で使い切ると好きな人と両想いになれるんだよ~。」
栄子はリップクリームを塗り終わると顔は鏡に向けたまま笑顔で舌なめずりをしている。
「ふ~ん。道下くんのこと好きだったの。いが~い。」
「道下君には内緒だよ。」
「はい、はい。」
道下君はごく一般的な男子だけど、実は男に興味があるという噂を聞いたことがある。それは
栄子には伏せておこう。知らぬが仏ってやつだ。
「道下君、いつもおどおどしてるけどそこが可愛いよね~。母性本能をくすぐるっていうか~。」
道下君の本当のこと知ったら、どういう反応するのかな。
ほんのりと頬を赤らめて、そう話す栄子に私は苦笑いを浮かべながらとりあえず相槌を打っておいた。
「でもさ~、実際、本人にアタックしなきゃおまじないにご利益があったとしても始まんないよね~。」
若干、栄子が興奮ぎみだったので、そんな苦言を呈することで私は彼女を落ち着かせようとした。
「う~ん、そうだけど~。」
栄子は落ち着ついたようだけど、声のトーンまで下がってしまったようだ。さっきまでのウキウキと
した様子から一変して、栄子が徐々に暗い表情になっていくのがわかった。先行きの見えない
恋の行方に不安を感じてしまったのだろうか。
「はぁ~道下君とお喋りしたいなぁ~。」
溜め息とともに俯く栄子にどのように声をかけようか私は考えあぐねてしまった。
内気な女の子ってなんか可哀想だ。だって、好きな人を想う気持の片隅にどこか気恥ずかしさが
まとわりつているのだろうから。恋愛の正攻法を実践するにしても、それはきっとすごく勇気がいるん
だろうなぁ。だから、おまじないなんていう不確かなものにすがろうとするんだろうなぁ。
「大丈夫!きっと両想いになれるよ!」
「そうかな~。」
「もう!何のためにおまじないしてんの!」
私はパッと栄子の手からリップクリームを奪い取り、唇に塗るマネをしながら言った
「しばらくは~リップクリーム借して!なんて言わないからさぁ~。協力するよ。」
「ありがと。」
栄子は暗い表情で、リップクリームを私から取り上げて物憂げにそれを見つめる。
「ご利益あるって!」
「だよね!だよね!」
また栄子の顔に笑顔が戻った。おまじないのまやかしにすがろうとする栄子が健気に思えて
私は飼い猫を可愛がるように栄子の頭を撫でてやった。栄子は元気を取り戻したようだった。


トイレを後にして私たちは教室に戻ろうとした。すると栄子は隣のクラスの教室の前に立ち止まった。
「あっ、そうだ私、隣のクラスの友達に現国の教科書借してたんだった。」
「あっ、そうなの?次の授業、現国だよ。」
「本当に?やばっ。私返してもらってくるね、先行ってて。」
「わかった。」
栄子は慌てて隣のクラスに駆け込んだ。私は栄子が教室に入って、私に背を向けたことを確認すると
すぐさま、自分の教室に戻った。よし、まだ休み時間はある。どうせ、栄子は友達とおしゃべりをして
いくに決まってるから、教室に戻ってくるのは始業チャイムが鳴ってからだろう。
好きな人に話しかける時間は十分にある。私は、自分の席に着いて机の中からCDを取りだしてから
また立ち上がり好きな人の席まで近づいていった。


「道下君。」
「うわっ!びくっりした。なんだ阿部かよ。なに?」
そして私は自分の顔の前に手を合わせてイタズラな笑顔で道下君に言った。
「あのさ~、さっきの授業うっかり寝ちゃってさぁ~。ノート取ってないの。だからノート借して。」
ちょっと、控え目に舌なんか出したりして可愛い女の子アピール。
「え~、マジで?まぁ~別にいいけど。」
「本当!ありがとう。道下君って優しいね。」
何気ない日常生活の中で、好きな人の事を誉めてあげるのもポイントの一つ。
「あっ、この間借してくれた”ウッーウッーウマウマ~”のCD、マジでウケけたんだけど~。
 はい!CD返すね。ありがとね。」
満面の笑みで私は、道下君に彼が私に借してくれたCDを返した。
「だろ~。ニコニコに色んなバージョンあるんだぜ。」
「へ~そうなんだぁ、じゃあ今日ウチに帰ったら観てみよう~っと。そんじゃあね~。」
「おう、また面白うそうなの見つけたら、CD貸してやんよ。」
「うん!ありがとう!」
好きな人と共通の趣味を持つことは話のタネになるし、話すこと自体のきっかけにもなるので
好きな人と親密になるためには押さえておきたいポイントの一つだ。
私は手を振りながら、教室の一番後ろのにある自分の席に戻った。


自分の席に着いてしばらくしてから思ったより早く栄子が教科書を両手で持って教室に戻ってきた。
そして、道下君の方に視線を向けながら、私の耳元で囁いた。
「なんだか、道下君、機嫌がいいね。」
「そうみたいだね。………。」
私は道下君の機嫌がいい理由を悟られないように、ぼそぼそとこう呟いた。
「やっぱり、本人に直接アタックしなきゃ意味ないよね~。」
「うん?紅子今なんか言った?」
栄子は口元を両手で持った教科書で隠しながら私に尋ねた。
「……なんにも。」
ふと、気が付くと私は自分の唇がすっかり乾き切っていることに気が付いた。
私はそれを何度も舌なめずりをして何とか潤そうとした。いつもなら、栄子にリップクリームを
借りているところなのだが、まあ、今回はいい。
ふと、視線を栄子の唇に移した。リップクリームが塗られた栄子の唇は蛍光灯の明かりを浴びて
艶めかしく光り、その唇に十分な潤いがあることを示していた。さらに妖艶な美しさすら感じさせる。
それとは、対照的に自分の唾で濡らされた私の唇はどこか現実的な潤いに満ちていた。

   
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