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つつつシリーズ 座敷童子と貧乏神と

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 春と言えば何が思い浮かぶだろうか。
 桜。お花見。入学。入社。出会い。パンチラ。
 そう! パンチラッ。
 春と言えばパンチラの季節だ。吹きすさぶ一陣の風、春一番。神の御技か、悪魔の所業か。かぐわしく、麗しい女の子のふともも(太ももでも太股でもなくふともも。これ重要)を撫でるようにプリーツスカートを巻き上げて、神秘を隠した純白の布を我らに見せたまうのだ。
「何いってるですか、おめぇ」
 快活な声に軽蔑を含ませた少女の言葉が僕の耳に届く。
「現実逃避中なんだ。邪魔しないでくれ」
 僕は目の前に座る栗毛色の長い髪をした小さな少女に言った。
「逃げたって現実は変わらないですよ?」
 もっともらしいことを憐れみの目で僕を見つめながら言うが、現実逃避の原因はお前にあるのだ!
「じゃあ、私は大丈夫ってことね。嬉しい」
 線の細い優しい声で別の少女が言った。
 肩にかかる黒髪と泣きぼくろが目にとまる綺麗な少女だ。
 喋り方のせいか大人びて見えるが、背格好は栗毛色の少女とあまり変わらなく小さい。
 言うまでもなく黒髪の少女も原因の一つだった。
「あら、どうしてかしら」
 素知らぬ顔で言って見せるが言わなくたってわかるだろう。
 そう。話は少し遡る。


 三月某日。春眠暁を覚えず。昔の人はうまいこと言ったもんで、春の心地よい暖かさは眠気を誘う。誘うべきだ。べきなのだ。
「……暑い」
 僕はコンクリートの塀に寄りかかり、アスファルトの地面にしゃがみながら呟いた。
 今日は夏かった。もといカルカッタ。……暑かった。
 寒いギャグを自分で言った所でまるで涼しくはならなかった。
 さっき言った通り、今は三月。冬将軍は北のほうに帰っていき、春の女王がフルートを吹いているよう時期なのだ。
 そうだというのに汗で湿ったシャツが肌に張りつく気持ち悪さを僕は味わっていた。
 茹だるように、茹だるように暑い。このまま干からびてミイラにでもなってしまいそうだ。
 それもこれも忌々しい引越し屋のせいだ。
 春と言えば進級、進学の季節。受験戦争を乗り越え、晴れて進学を決めた僕は新居に引っ越すことになった。
 実家からでは到底通えない――というほどでもないけれど、かなり早起きしなければいけない距離にある学校に受かったためだ。
 僕としてももっと近い場所が良かったけれど、そこしか受からなかったのだから仕方がない。
 その新居、僕の城となるアパートの前にかれこれ二時間近くいる。
 新生活のための物資を積んだ輸送車が来ないのだ。
 九時には来るというから待っていれば十一時だ。
 部屋の中で待ってればいいって? それができたらそうしてるよ、まったく。
 鍵がないのだ。英語でいうならキー。発音よくいえばKeyが。
 荷物と一緒に引越し屋の兄ちゃんに預けたからだ。
「お兄さん、引っ越してきたんですか?」
 急に声がして顔をあげると小さな女の子が僕の前に立っていた。
 思わず見惚れるような可憐な少女が立っていた。
 もちろん僕は悪劣なロリコンじゃあないので、その小さな少女に対して劣情を催すようなことはないのだが、仮にもし仮定の話をするならば だ。
 僕がもし劣悪なロリコンだとしたならばそういう感情が沸いてもおかしくない、いや、沸くと断言できる。
「おかしな顔をしてどうかしましたか?」
 僕は一瞬ぎょっとした。邪な思考が漏れていたのか、と。
 僕は愛想笑いを浮かべながら誤魔化した。
「えーと、きみはこのアパートに住んでる子なの?」
 すると少女は愛らしい笑顔で頷いた。
 どうやらこの少女は僕のご近所さんになるらしい。
「じゃあ、やっぱり引っ越して来たんですね。よろしくお願いします」
 小学生低学年か、幼稚園の年長組か、そのくらいにみえるというのに偉くしっかりした子だな。
 あれか? ロリババアとかいうジャンルの子なのか? 幼く見えるけど実は齢八十のおばあちゃんで名前はフネとかそんなんか?
 するとロリババア説急浮上の少女(?)はくすくすとおかしそうに笑った。
「そんな歳じゃないですよ。八十だなんて」
 そりゃあそうだ。漫画やアニメじゃないんだ。ロリババアなんてそうそういてたまるかってことだよな。
 自分の思考に「寒さ」を感じつつ笑った。
「ところでこんなところで何してるんですか?」
 もっともすぎる疑問質問だ。
 アパートに引っ越して来た新しい住人がそのアパートのコンクリの外塀の前でうずくまってりゃあ不思議に思って当然だ。
 しかし、これにはわけがあって――。
「わけがあって……」
 僕が口を開きかけたとき、ちょうど小さなトラックがやってきた。
 僕はそれの運転席の側に寄っていった。
「大丈夫ですか? 道に迷っちゃいました?」
 けっこうに入り組んだ場所にあるので、僕も初めてこのアパートを尋ねた時は見つけるのに半日かかってしまった。いや、まじで。 すると引越し屋の兄ちゃんは歯切れが悪く、曖昧に笑った。
 どうも様子がおかしいが路草でも食ってたのだろうか?
「そういえば朝の人と違いますよね」
 朝、家まで荷物を取りに来た人と今、僕が話をしている人は違う人だった。
「え……いや、先輩が急に、ちょっと。それで遅れてしまって。すみません」
 兄ちゃんは深々と頭をさげた。
 よくわからないが朝の人に何かあって、急遽この人が代わりを務めたのだろう。腹でもくだしたか。
 文句の一つや二つ言ってやろうと思ったけど、そういうことなら仕方ない よな。
 引越し屋の兄ちゃんが突然、変な顔をした。驚いたような、怖がったような。
 それから引越し屋の兄ちゃんは大急ぎで荷物を降ろすと、「頑張ってください」とよくわからないことを言ってさってしまった。
「あっ、ちょっと!」
 さんざん待たせておいて、しかも荷物は部屋まで運んでくれないのかよ! ふざけるな。
 さっきは許してやろうなんて寛大な気持ちだったが、堪忍袋の尾が切れた。文句言ってやる! と言っても言う相手がもういないのだけど。
 仕方ないのでこの引越し屋を使わないように友達に勧めるだけで勘弁してやるか。
「そういえば――」
 僕は隣人になるらしい可愛い少女と話をしていたことを思い出した。
 この怒りはあの子を愛でることで鎮めるとしよう。……再三だが僕はロリコンではない。
 しょうもないと自分で言うのはなんだけれど、しょうもない怒りくらいなら消し去ってくれるそういう笑顔を持った子なのだ。
 しかし、振り返るとさっきの女の子の姿はなかった。家に帰ったか、遊びに出掛けたのか、とにかく残念だ。
 仕方ないので道端に置かれたダンボールを自分で運ぶ。はっきり言って非力な僕にはとても重く気が滅入る。
 僕は一段昇る度に軋む鉄骨階段にびくびくしながら204号室を目指した。
 目指すと言ってもそんな距離はないのだが。
 部屋の前まで来ると、一度ダンボールを置き、次のダンボールを運ぶ。
 数は決して多くない。一人暮らしだということを考えても、むしろ少ないと言えるだろう。
 しかし、僕の腕はもうパンパンで動悸もやばい。
 ビバ! 虚弱体質。
 荷物をあさり、鍵を見つけるとドアノブに差し込んだ。鍵の回る音がして、ドアノブに手をかける。
 ノブを掴んだ瞬間、妙な違和感を覚える。腕を回すと、途中でとまった。
 鍵を開けたはずなのにノブは回らない。
「泥棒?」
 いやいや、そんなわけはない。僕ですらまだ入ってない部屋に何を盗みに入るというのだ。
 僕はもう一度鍵を差し込みまわした。
 若干の緊張の中、ゆっくりとドアを開ける。
 ドアから顔を出して、部屋の中を覗く――。
「ま、そんなわけないか」
 当然というか、必然というか、部屋の中に誰かいるはずもなく、がらんとした静かさが広がっていた。
 鍵があいていた理由が気にならなくもないが、気にすると怖くなるので考えないようにしながら、ダンボールを部屋の中に運んで行く。
 僕は一息ついて、部屋の真中に寝転んだ。
「――い!」
 いやー、しかし、鍵が開いてるなら僕の二時間耐久我慢大会はなんだったんだろうか。
「おい! 無視するなですよっ」
 当然、怒ったような激しい声が部屋を包んだ。
 何事かと起き上がると、眼前には見ず知らずの少女が立っていた。
「え? あ!?」
 なんだ疲れてるのか、僕。いやぁ、少しダンボール運んだくらいで幻覚を見るほどつかれるなんて、虚弱体質もくるとこまできてるな。
「幻覚じゃないです!」
 幻覚じゃないとするとなんだろう。もしかして違う部屋に荷物を運んでしまったのか? そうだとしたら大変だなあ。
「んなわけないです。ここはおめえの部屋ですよ」
 とりあえず外に出て、部屋番号を確認してみる。
「204」
 まぎれもなく僕が契約した204号室だった。
 じゃあ、どういうことなんだよ。
 あー、確か鍵開いてたんだよな。つまりあれか。
「泥棒か」
「こんななんもねえ部屋からなに盗めってんですか? 空気ですか」
 じゃあ、近所の悪餓鬼か? それともこのボロアパートには一部屋に一人幼女がオプションでついてくる幼女愛好家大歓喜の天国アパートなのか?
「んなわけないですよ! 頭わいてんですか」
 それじゃあ何なんだよ。
「その形の悪い耳かっぽじってよおく聴きやがれ!」
 なんでこの不法侵入幼女は偉そうなんだよ。
「そりゃあ偉いから偉いんです。なんせこの部屋にもう何年住んでると思ってるんですか」
 声高だかにそんなことを言われても、そんなことはしらねえよ。
「ていうか、早く何なのか言えや」
「あ、そうでした。キクリはキクリという名前なんです」
 まるで今までの態度が嘘のように三つ指ついて丁寧に挨拶するキクリさん。
 こういう風に深々と頭を下げられると僕の方も名乗った方が……って、危ない。不審者に個人情報を教えるとこだった。
「不審者じゃねえ!」
 名前を名乗ったところで不審者なのにはまるで変りはなく、僕の部屋にいる正当な理由にはならないのだ。
 少女は少しうつむいて黙ってしまった。それから少しして小さい声で何かを言った。
「――らしです」
「なんだって?」
「座敷わらしです」
 あー、春だからな。バカが沸くとはよく言うけれど僕の前に現れるなんてついてないな。二時間も日干しにされたり、引越し屋の兄ちゃんは真面目に仕事しないし、こんな頭ん中春の幼女がでてくるし。
「だーれーがーわいてるですかっ。キクリは正真正銘の――」
 キクリの声をさえぎって他の声が部屋の中を占拠する。
「嘘です。その娘は嘘を言ってます」
 そりゃあそうだ。座敷わらしなんてそんな妖怪だか神様だかわからん空想上の存在がいるわけがない。中学生までサンタクロースの存在を信じて疑わなかった僕でも座敷わらしは信じない。
「その娘は嘘を言っています」
 いやいや、そんな熱弁ふるわなくてもわかってますよ。
「本物は私です。その娘は貧乏神で嘘をついています」
 あれー、またでたのか? てか、聞いたことあるような声だ。
「お久しぶりです」
 華の咲くような可憐な笑顔の少女。
「きみはさっきの」
 そう。太陽にうなされている僕に安らぎを与えてくれた天使ちゃんじゃないか。
 少女はクスリと笑う。
「改めまして座敷わらしのヒメです」
 つまりなんだ。アパートぐるみのイベントかなにかか。
「逃げたい気持ちもわかりますけど本当に本当なんですよ」
 子供の頃はそういう妄想をするもんだからな。二人ともまだ小さいし本気になっても仕方ないか。
「仕方ねえですね、おまえは」
 キクリがあきれた面持ちで言うと、ふっと目の前から姿消えた。
 僕は目の前で起きた信じられない光景に水槽の上に手を差し出された金魚のように口をぱくぱくと動かしていた。
「信じました?」
 姿のないキクリの声が耳に届く。反対の耳に温かな吐息を吹きかけられた。
 しかし、振り返ってもヒメの姿はない。
「知ってます? このアパート、幽霊アパートって有名なんですよ」
「そうです。栗毛色の美少女と黒髪の醜少女がでるって有名なのです」
「じゃあ、引越し屋が逃げるように帰ったのは?」
 ヒメが姿を現した。口元には小さな笑みを浮かべている。
「私を見たからでしょうね」
 もう笑うしかなかった。
 こうして僕と彼女らの奇妙な共同生活が始まった。
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