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五章 戦う御巫さん

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五章 戦う御巫さん


―おいおい、いい加減慣れろよな。
―何泣いてんだか。おい、どうせ見えてたんだろ?
―そいつはただの返り血だよ。

―俺と、おまえが殺した奴らのな。



「ふー、ふー、落ち着け俺。こんなに声を荒げてると変態さんみたいだぞ。しかも俺は血まみれで上半身裸。本当に変態さんの格好をしてるじゃないか。とにかく静まれ俺。静まるんだ俺」
 と俺は必死で深呼吸する。すべてはお空に輝くお月様の影響である。さんさんと降り注ぐその光は否応無しに俺を変身させようとしてくる。しかも先ほどバディ君達と激しい戦いを繰り広げたばかりで、その余韻でちょっと気分が高潮気味なので、もう少しでも気を抜けば変身してしまいそうな勢いである。
「うー、そんなに俺が憎いのか、お月さん?」
 俺はちょっと涙目になって空を見上げながら、家への道を急ぐ。倉岡さんの検査とか報告に付き合わされてかなり時間をくったので、もう辺りは真っ暗である。余計に月の光はさんさんと強さを増す。しかもこういう時に限って雲一つないし。もうどうにでもしてくれという心境だ。満月じゃないのが唯一の救いだった。
「……ん?」
 もう家が直前の曲がり角で、俺はふと人の気配に気づき立ち止まる。角から顔だけを出して覗いて見ると、誰かが俺の家の前の塀に腰掛けているようだ。この匂いからするに――玲菜さんか? 
 何でこんな時間に俺の家の前に―?
「む…」
 玲菜さんがふと顔を上げて俺の要る方を見る。俺は思わずばっと顔を引っ込めた。
 そういえば昼間蔵岡さんを抱えて逃げる時、思いっきり玲菜さんに見られていたのだった。多分あの時俺は眼が銀色に光ってて、爪とかも異様に鋭くなっていたんじゃないかなぁという気はする。そこにこんな上半身裸で血まみれで帰ってきた姿を見られたりしたら、やばいなどというものではない。やばすぎる。
「来たか、正貴」
 ひたすら気づかれてなかった事を祈っていたというのに、玲菜さんがそう言って俺のところに歩いて来るのが、音とか匂いという非人間的な感覚で感じ取れる。しかも口ぶりからして、俺を待っていた様な感じである。やっぱりあの姿を見られていたのだろう。そりゃ、眼が銀色である。爪が異様に鋭いのだ。人を抱えて百メートル数秒ぐらいの速度で駆けていたのだ。疑問に思われて帰りを待たれていても、何の不思議もない。
「く……っ!」
 俺はきょろきょろと辺りを見まわすが、隠れれそうな場所は何処もない。ほぼ一本道であるし。これだから田舎って嫌だ。俺はとりあえず思いっきり跳んで、近くの家の屋根に乗っかろうとしてみたのだが―
 しゃりん…。
 鈴の音がしたかと思うと、いきなり体が重くなってあぅと地面に落ちてしまう。しかも何故だか、そのまま何かに縛られているかの様に体が動かない。
「…っ!? ………!?」
 俺が声にならない悲鳴を上げていると、玲菜さんがたん、と音を立てて俺の前に姿を現した。俺はその姿を見て思わず息を呑んだ。いつもの巫女服姿なのだが、髪を結って束ねてあり、背中に弓をしょい、懐には刀の様なものを差していて――まるで何かと戦う為に武装してきたかの様な姿だったからだ。
「鳴神八賀陣の戒めを受けるとは……やはり、か。ぬしはやはりすでに……」
 玲菜さんは囁くように言って顔を落とす。体がまったく動かない俺は、声も出せずにただ玲菜さんを見る。八賀陣? 確か玲菜さんの神社の神様の名前だったような気がするが――魔を討ち封じるという神様だとか何とか。
「この街で〝歌〟を奏でているものがおる。破滅の歌じゃ。それが奏で終われば、すべてが滅んでしまう……破滅の歌。わらわは憂いでおったのじゃ。歌が主らの封印を解かぬかと……恐れておった。今までより何重にもぬしらへの封印を強くし、〝奏でるもの〟に見つかる事のないよう、ぬしらの体に〝壁〟をしき――そして一刻も早く〝奏でるもの〟を見つけ、退治しようと――血眼になってその〝奏でるもの〟を探しておった」
 玲菜さんはそう言いながら背に手を回して弓矢を取る。そして矢を構え、俺に狙いをつけると、ためらいもせずに撃った。
「しかし、まさかその〝壁〟で護っていた者が〝歌〟を奏でていたとはの。わからぬはずじゃ。自分で創った〝壁〟の中の波動など、感じれるはずもない。例えその者がすでに魔物になっていようと、の」
 驚くべき事に、その寸前たがわず俺の眉間に向けて飛んできた矢は、俺には届かなかった。俺の体にささる直前に、別の何かに刺さったように止まったのだ。途端、ぱりん、と音がして、俺の体の周りの空間がガラスのように崩れていく。そしてその途端いきなりぶわっとしたものが俺の体から舞い出て、俺の目の前の矢は、それに掻き消されるように弾け跳んだ。もう自分の体が普通じゃない日常には慣れっこだが、こういう不気味な現象が起きたりするとさすがにちょっと嫌な感じだ。
「……〝壁〟を解いた途端、この魔気か。八賀陣の加護を受けた破邪の矢が、跡形もないわ」
 玲菜さんはそう言ってふぅ、と息を吐く。俺はといえば、やはり何もできずに転がっているだけである。いきなり目の前に矢をつきたてられて、訳のわからない事を言われて、おまけに体が動かない。一体俺が何をしたというのだろう? そりゃ、根も葉もないデマで惑星一つを壊滅状態に追い込んでしまったという前科はあるが。でも、ばれたら大問題になるとかで、あれは俺となんとかポリスだけの秘密になったはずだ。
「ぬし、なのじゃな?〝歌〟を奏でておったのは」
 そんな俺の考えを知ってか知らずか、玲菜さんは悲痛な表情で俺を見、そしてぐっと唇を噛んだ。まさか知ってるのか? 俺がマイラとかいう、一つの惑星を窮地に追い込んだ罪人であるという事を……!?
 いや絶対知らないはずだ。多分。そう信じたい。
 それにポリスの人はマイラ星を悪い様にはしないと約束してくれた。むしろポリスの統治下の下、より良い星になるだろう、というのがバディ君の談だ。
「血の匂い、じゃな。今宵も……奏でてきたのか? 〝滅ぼすもの〟を呼ぶ〝破滅の歌〟を。今宵の生贄はあの時抱えておった女子か? このような時間をかけて…さぞかし甘美じゃったのじゃろうな。人の命で奏でる歌は。今宵で何人めじゃ? 歌の終りまで後何人じゃ? 二人か? 三人か? それともあと一人か? もう奏で終えたのか?」
「あ……あぅあぅあぅああ……!」
 俺は言葉にならない叫びをあげる。何やら知らないが、玲菜さんは多分俺があの時抱えていた蔵岡さんを殺して食ったとでも思っているようだ。何だか酷い誤解である。一応マイラとかいう星も、ほとんど抵抗する準備もしてない時にやられたのが幸いしてか、死人はなかったらしいし。俺は一応人殺しだけはしてないはずなのだ。この血も倉岡さんにひたすら吐かされ続けた自分の血反吐だし。
「……何故、じゃ?わらわはちゃんとぬしらの封印を絶やさなかったではないか。ぬしは、一番薄くしか魔物の血を受け継いではおらぬはずではないか。なのに、何故なのじゃ……?」
 ふるふると震える声で玲菜さんが呟く。何だかもう俺の言葉など届かない領域に突入している様子である。いや、どっちにしろ俺のは言葉になってないのだが。でも玲菜さんとは俺が物心つく前からという昔からの知り合いである。口の動きとか雰囲気だけでも意思が通じるのではないか、という俺の考えは無謀だったのだろうか? まあ完全無欠に無謀か。無謀すぎるな。
「何故なのじゃ!? 何故目覚める!? 所詮人は魔には勝てぬというのか!? ならばわらわらは大樹も……明守も――この手にかけねばならぬというのか!? わらわの十年は何だったのじゃ!? 意味がないものじゃったとでもいうのか!? ならばわらわは何なのじゃ!? わらわが神力を身につけたのはぬしらを手にかける為ではない! ぬしらを護りたかったからじゃ! なのに……何故…っ!」
 玲菜さんは弓矢を握り締め、声を張り上げて叫ぶ。いや、よくわからないけど絶対何か勘違いしてると思う。別に俺、変身したって玲菜さんに泣かれなきゃならない事は――いや、まあしたけど、それは知られてないはずだし。くぅ、しかし冗談で一つの星を破滅に追い込んでしまったかと思うと、本気で良心がずきずき痛む。この事はできれば二度と思い出さないでおこうと決心していたのに、玲菜さんのいけず。
 俺がそんな事を考えながら玲菜さんに恨みの視線を投げかけていると、やがて玲菜さんは顔から手をどけてゆっくりとその手をおろした。
「何処で〝歌〟を奏でる事を覚えたのかは知らぬが……いや、魔物は元々知っているのかもしれぬな。知らぬほうがおかしいのやもしれぬ。自らの神を目覚めさせる方法をな」
 玲菜さんはそう言って、再び弓を手に俺に狙いを定める。
「……せめてこれ以上貴様の手が汚れる前に、貴様を滅するのが鳴神八賀陣の巫女としてわらわができる最善の手段じゃ。一度目を覚ました魔物は、何をしても消えぬ。消えぬのじゃ。ぬしらの父上殿と母上殿がそうであったようにな」
 そう言って弦を引く玲菜さん。何やら事情はよくわからないが、本気で俺を撃ち殺そうとしている雰囲気なのだけは確かだ。しかも俺は体の自由がまったく効かない。狼森正貴、享年十六歳のピンチである。
「あぅあああぅうぅあああぅうっ!」
「許せ、正貴」
 ぎゅんっ。玲菜さんの呟きと共に放たれた矢が、俺に向かって飛んでくる。何かやたら遅い。最近無意味に危険な世界で闘い続けていたりしたせいか、俺の反射神経はやたら発達しているらしかった。普通の人間の力で打った矢など、まるでコマ送りの様に感じてしまう。が、やっぱり体は動かないのでそれは余計に恐怖を倍増させてくれるだけであったりする。いくら俺でも、生身の状態で頭をあんなので打ちぬかれたら絶対死ぬと思うのだ。なのに体はやっぱり動いてくれない。本気で泣きそうな状況である。
「あぅあぅあぅっ!!」
 俺は断末魔の気分で声をあげた。矢が目前に迫り、俺は思わず目を瞑る。
その時。

―おいおい、何してんだよ。

 頭の中に声が響く。同時にばちんっと音がして、俺の中で何かが膨れ上がる。

―あんたにこんなところでくたばってもらっちゃ、俺の方が面白くないだろうが。

 また声が響く。そして俺の喉が勝手に咆哮をあげ、体が俺の意思とは裏腹にごきごきと音をたてて変形していく。何だ?何だ!?俺が自分に何が起きているのか理解する間もなく、俺は銀の毛に包まれた本来の人狼の姿に舞い戻っていた。
「ウォォォォォォォォンッ!」
 俺の喉は再び激しい咆哮をあげる。気がついた時には、俺は折れた矢を口に、玲菜さんに向けて唸り声をあげて駆けていっていた。
「……本性を現したか。なんと禍禍しい姿よ。父上殿、母上殿の時以上の波動を感じるわ」
 玲菜さんがそう言って弓を引く。しかしそれより早く俺は跳躍し、玲菜さんに向けてその鋭い牙を剥き出しにして大きく口を広げ――
「ってうわぁぁぁぁぁぁっ!?」
 俺は自分の牙が今にも玲菜さんに食いつこうとしているところではっとして口の動きを止め、慌てて後ろに飛びのいた。すんでのところで兄の結婚相手になるかもしれない人を食い殺してしまうところだった。一体俺はどうしてしまったというのだろう?変だ。まるで何かが俺の体に入ってきて俺を乗っ取っていた様な――

―なんだよ、つまんねぇなぁ。また殺さないのかよ?

 また声だ。頭の中に直接響いてくる様な声。何処かで聞き覚えがある様に思えるが、ない様にも思える。何かとらえどころのない、声――
「一体何なんだっ!? 何がどうなってるんだ!?」
―それより、今は目の前の女に集中した方がいいんじゃねぇか? 戦いの最中なんだろ?
 そこではっとして玲菜さんの方を向く。と、今にも放たれた矢が俺を捕らえる寸前の状況だった。はっとして俺が跳び上がると、その矢は地面に突き刺さりぼんっとその一面をへこませる。コンクリートで固められたその場所を、である。何だか絶対食らいたくない威力だ。俺はちょっとびびりながらも少し後ろに着地し、慌てて手を振る。
「ちょっと待ってくれ、玲菜さんっ! 何か次々色んな事が起きて訳がわかんなくなってきたけどっ! とにかく誤解なんだ! 絶対に玲菜さんは何か俺の事誤解してるんだっ!」
「誤解…?」
 俺の言葉を聞いて、玲菜さんはふと弓をおろす。話を聞いてくれる気になったのか、と少しほっとした俺の耳に、しゃりん、というあの嫌な音が跳びこんでくる。
「そうじゃな。誤解しておったわ。ためらいもなくわらわにまでその牙を振るうまでにそなたの中の魔物が強くなっていようとはの。これ程になるまで気づいてやれぬとは、わらわはなんと愚かじゃった事か。今滅して楽にしてやるが故、許してくれ正貴」
 しゃりん…。玲菜さんがその手の鈴のついた木の棒の様なものを、音を立てて揺らす。何やら訳のわからない力で縛られそうになり、また少し体が重くなりかけたが、それは何とか気合で吹き飛ばして俺は必死で声を張り上げる。
「だからっ! それは不可抗力というか俺にもよくわからない事態が起きた結果でっ! とにかく俺は玲菜さんが思ってる様な事はしてないからっ! 多分! その歌うのとかあんまり好きじゃないしっ!」
「それ程血の匂いをさせておいて、そんな誤魔化しが通ると思うておるのか? いい加減正貴のふりはやめて本性を現したらどうじゃ? わらわはそんな芝居に付き合うほど情に脆くはないぞ」
 ばびゅんっ! また俺が立っていた位置を矢で破裂させて、玲菜さんが怖い声で言う。やはり俺からするとたいして速度でないので、矢を避ける事事態は難しくないが、何というか矢の通った軌跡さえも青く輝いて、俺を拒む様なそんな力を放っている。あれだ。多分、その場所が『清められた』というところなのだろう。矢を避ける過程でそこに触れてしまった俺の体は、ぶわっと音を立てて燃え出してしまった。
「これは何て言うか深い事情があってっ!とにかく俺は潔白なんだってばぁぁぁっ!」
 火を消しつつ矢から逃げ回り、俺は必死になって叫ぶ。しかし問答無用で飛んでくる矢が、俺の言葉など聞く耳持たぬという玲菜さんの意思を強く表してくれている気がする。俺は泣く泣く跳んで近所の屋根を移りまわる。
「鳴神八賀陣の加護あらん事をっ!」
 玲菜さんのかけ声と共に、また鈴の音がして俺の体ががくんっと重くなる。
「まず……っ!」
 思わず態勢を崩したところに玲菜さんが狙いをつけた矢が音を立てて飛んできて、どすんっと俺のわき腹に突き刺さる。そしてその瞬間爆発でも起きたかの様な衝撃がそこに走り、俺は吹き飛ばされる様にして地面に叩きつけられる。
「渇っ!」
 そこに玲菜さんがすかさずもう一本矢を叩きこんでくれ、俺の胸を射抜いてくれると同時に、しっかりと地面に縫いつける。そしてその後でお約束の衝撃が体に走り、俺はがふぅと血を吐いた。何だか最近こういう目にあってばかりだ。一体俺が何をしたって言うんだろう? しかし、心臓のすぐ横辺りを貫かれて結構平気な自分もちょっと怖いぞ。どういう生命力なんだ俺は。
「これでちょこまか逃げられぬな」
 弓をすぅっとおろして玲菜さんが俺に歩み寄ってくる。まずい。矢で縫い付けられている上に、さっきの鈴の音のせいで体がまた重くなっていてまともに動かない。そんな俺に容赦する事なく玲菜さんは腰の刀みたいのを抜いて高くかかげ――
(やばいっ!本当に殺されかねんっ! どうする俺!? 何とかしてくれ俺っ! 俺を助けろ俺っ!)
 あせりのあまり訳のわからない事を必死で考えながら、俺は力を振り絞って何とか体の呪縛みたいのを破り、間一髪のところで跳びあがって玲菜さんの刀を避ける。何だか立つ時に刺さっていた矢を体を貫通させる形になったので、死ぬほどの激痛が走ったが、とにかく壁を蹴り後ろに転がって間合いをとる。
「はぁはぁ……」
 さすがに息がきれてきた。何せ、先程バディ君達と激しい戦いを繰り広げて来たばかりである。その疲れも癒えないうちに、それより更にきつい戦いをしいられれば当然というものだ。
「くそぅ、こうなったらっ!」
 俺は覚悟を決め全力で地面を駆けて玲菜さんの前へ移動する。玲菜さんを殴ったりしたら後が怖いが、この状況ではそうも言ってられない。ここは一つ、一発どごんと鳩尾にでも入れて倉岡さんみたいに縄でぐるぐる巻きにしてから話を聞いてもらうしか――
「って何だ!? 熱っ! あちあちあちっ!」
しかし玲菜さんに向けて放った俺の拳が、触れるか触れないかの地点で、焼き鏝でも押し付けられた様な激痛付きで押し返される。玲菜さんは俺の速さに付いて来れなくて反応すらできてなかったはずだというのに、一体これは何なんだ? 熱い。痛い。死ぬ。
「無駄じゃ。いくらぬしの力が強かろうとも、鳴神八賀陣の加護を受けしわらわの体には触れられはせぬ」
 玲菜さんが火傷した手を必死でさする俺に、容赦なく矢を打ってくる。俺は慌てて飛んで屋根の上に飛び乗った。見ると、玲菜さんの体は薄くだが矢と同じ様に青白く輝いている。玲菜さんの言った〝加護〟というやつらしい。多分触れたりしたらさっきみたいばちっと焦げる様なもので体を護っているのだろう。道理で俺に噛まれそうになった時とかも、あまり用心してなかった訳だ。
 要するに、切り札であった『えいっと気絶させてちょっと縛ったりして無理矢理にでも落ち着けてから話を聞いてもらう作戦』は使用不可という事になる。他にいい作戦も思いつかないし、しかも矢はどんどん放たれてくるし。もはや泣くしかない状況だ。
「くそぉっ!」
 俺は本当にちょっと泣きながら跳びあがって、くるりと背を向ける。この状況ではもう逃げるしかない。とりあえず俺の速さに玲菜さんは付いて来れないみたいだし、逃げられない事はないはずだ。根本的には何の解決にもならない上に何だか余計に事態をややこしくしそうにも思えるが、触れれもしない今の状況ではそれ以外に手はない。あの〝陣〟とやらを壊す程の威力で殴ったりしたら、玲菜さんを殺しかねないし。
 がきんっ。
「って、あれ?あれ?あれ!?」
 逃げようとして走ってた俺は、いきなり何かにぶつかってしまいあたふたと声をたてる。何もないはずの空間に、壁みたいのができていて先に進めないのだ。
「すでに結界をしいておいた。もはや逃げられぬ」
 慌てふためく俺と裏腹に、ゆっくりとした足取りで玲菜さんが歩み寄ってくる。そういえば確かに空間に妙な違和感みたいのを感じる。この違和感には覚えがある。家のまん前だというのにこれだけ騒いでもあの騒ぎ好きの詩織が飛び出てこない事からしても、多分恭平さんに襲われた時と同じ様なやつを玲菜さんもしているという事だろう。あの、それを解くまで中の俺達は何にも干渉できないし、される事もできない、というやつだ。どうりで平気でびゅんびゅん矢を打ったりとかしている訳である。でも地面に穴を開けたり何だり平気でしているし、恭平さんの結界やらとは多少性質は違うのかもしれない。恭平さんのにはこんな壁みたいのはなかったし。 
「覚悟せい、正貴」
 どっちにしても、俺が殺されそうだという状況にはあんまり変わりない。
「くそっ!どうしろってんだ!」
 俺は舌打ちをして近所の家の屋根に飛び乗る。気絶作戦も駄目、逃げるのも無理、更には全然俺の話を聞いてくれそうもない。今も俺に弓矢で狙いをつけてくれてるし。
 ――八方塞りじゃないかっ!
「滅びるがよい、魔物めっ!」
 ひゅんと音がして、また玲菜さんが射った矢が俺を狙ってくる。どうしたものだろうか。俺はその矢を体を返して避けつつ、腕組をして唸った。
「一つ状況を整理してみよう」
 何故だかこういうやばい状況になると逆に落ち着いてくるという性分の俺は、逆に落ち着いて玲菜さんの矢の軌跡を見て交わしながら考えをまとめてみた。
 まず話からするに、玲菜さんは俺に人狼の血が流れている事を知っていて、それ押さえる封印みたいのを昔からかけてくれていたらしい。何で俺ほど血が濃い人狼がこの年まで目覚めなかったのが不思議だ、と恭平さんが前に言っていた事があったが、これで納得がいく。
 まあここまではいいとして、問題は玲菜さんは俺が人を殺したと思っているらしい事だ。今日半狼化して蔵岡さんを抱えていたのを見て、あの後、彼女を殺してきたに違いないと思い込んでいるようだ。血まみれで上半身裸で帰ってきたのもまずかった。多分、玲菜さんの頭の中では、あの時の倉岡さんみたいに、今話題の大型獣による連続殺害事件とかの犯人も俺に違いないという事になっているんだろう。それでこれ以上俺が人殺しをする前に退治しようとしているらしい。酷い誤解である。
 そう、誤解だ。倉岡さんにいたっては論外として、他の殺人も絶対に俺ではない。恭平さんの話によれば、人格を失わない人狼というのはその時の状況や状態でその性質を左右される事はないらしい。つまりは、俺が無意識に狼男になって人を襲っているなんて事は有り得ないのだ。もしかしたらそうなんじゃないか、と俺も実は少し心配だったので恭平さんに相談してみたところ、かなり確信のある口調でそう言われたので間違いないだろう。恭平さんの事は信頼してもいいと思っている。つまりは俺はまったくの誤解で命を狙われている事になる。要は、この状況をどうにかするには、玲菜さんに誤解だと気づいてもらう為の作業が必要になってくる
 思えば恭平さんにも似たような理由で襲われたのだが――恭平さんの場合は変身して喋っている俺を見て誤解だとすぐに気づいてくれた。しかし玲菜さんは俺がどれだけ喋っていても問答無用という感じだ。
 最初の噛みついて喉を食いちぎり未遂。あれがまずかった。もうあの時点で玲菜さんの頭の中では俺は完全に魔物になっていて、もうどれだけ泣こうが喋ろうが、人間のフリをして隙を誘おうとしている様にしか見えてないのだろう。恭平さんの話によると、変身して理性を失った人狼が人語を解す事など普通はないはずであるから、気づいてくれてもよさそうなのだが。でも、玲菜さんは俺の事を人狼というよりは〝化け物〟として捕らえている感じがする。口ぶりからしても、性質とかもあんまり知ってはいなそうだ。多分恭平さんと同じ路線で説得というのは難しいところだろう。
「となると……やっぱ『気絶・ぐるぐる巻き延々説得作戦』と、あと一つ詩織に使った『気絶・みんな夢だよ作戦』の二つしかやっぱり思いうかばないところなんだが……」
 どっちにしても、気絶させれないので無理だ。あの絶えず光って玲菜さんの体を護っている膜みたいのが消えない限り、俺は玲菜さんに触れれそうもない。焦げるし。
 ひゅんっ。
 考え事に夢中に成りすぎたのか、玲菜さんの放った矢が俺の頭を少しかすってすぐ横に突き刺さる。熱い。かすっただけだというのにこの熱さは犯罪だ。そんなに俺を殺したいんですか、玲菜さん――?
 俺はせめて非難の視線でも浴びせてやろうと玲菜さんの方を見て、思わず言葉を失った。
「そりゃ、そうだ」
 俺は頭をかいて視線を外す。
 そりゃ魔物だから殺さなきゃで納得される程、俺は玲菜さんにとってどうでもいい存在じゃないぐらいの自信はある。何せ小さい頃からずっとの付き合いだ。当然の事だ。
「だからってあんな泣きそうな顔されると、俺が悪い事してるみたいじゃないか。何にも悪くないのに」
 俺は何だかやるせなくなって歯軋りする。だいたい、玲菜さんが光る矢を打ちまくるので逃げるのに精一杯だ。何とかしなければとは思うのだが、何の方法も――ない……?
 俺はそこでふと立ち止まり、玲菜さんを振り返る。立ち止まった俺に向けて、玲菜さんはやはり弓を引く。そう、やはり、だ。となれば、手はある。俺はにぃっと笑みを浮かべて、だんっと勢いをつけて玲菜さんの近くへと飛んだ。
「ふっふっふっ、やるな人間。甘く見ていたが、貴様がここまでの力を持っているとなるとどうやら俺も本気を出さねばならぬようだ」
 俺の言葉に、玲菜さんは肩で息をしながら睨み返してくる。どうやらかなり疲れているようだ。それは当然だろう。あんな重そうな弓を先程から休む間もなく使い続けているのだ。これは余計に有利になってきた。俺は思わずほくそ笑んで話を続けた。
「どうした? もしやもう疲れて動けないというのではないだろうな?がっかりさせるなよ、人間。せっかく先程女を食らってたぎっている血を萎えさせないでくれ」
 俺の言葉に玲菜さんはかっと目を見開いて、矢を放ってくる。俺はふっと笑って、腕を引き――そしてかけ声と共にその手で矢を弾き飛ばした。
「なっ……!?」
 驚く玲菜さん。俺は腫れてじんじんきている右手をそっと背中に隠しつつ、余裕ありげな笑みを浮かべて玲菜さんを挑発した。
「くっくっくっ、こんなものか? 人を食らい、魔物としての力を蓄えたこの俺に、こんなちゃちな威力で通用する訳がないだろう? 本気をだせ」
 それにしても手が死ぬ程痛い。じんじんきている。一体どういう原理でただの矢にこれ程の威力を持たされるのか疑問だ。下手なミサイルより強力なんじゃないだろうか。
「……もはや真に魔物と化してしまったのか、正貴?」
「魔物? 何の事だかさっぱりだが―」
 俺はにんまりと自分でもいやらしいぐらいの笑みを浮かべて言う。今程目の前で見て確信した。やはり俺の思い通りだ。後は、玲菜さんに全力を出してもらいさえすればよい。俺は笑みを絶やさずにぼそりと呟く。
「今宵食らった女は、極上の味ではあったな」
「貴様ぁぁぁぁっ!」
 俺の言葉に、玲菜さんが我を忘れて弓を引く。狙い通りだった。逆上した玲菜さんは、今まで以上に矢に力を込める。理屈は知らないが、矢はあれだけの威力を誇っている分、打つにはかなりの力を必要としているようだ。そしてその力は、矢を食らった時焦げた事からもわかる様に、玲奈さんの体を護る力と同質のもので、つまりは――
 意識を集中させた俺の目に、コマ送りの様な感じで玲菜さんが弓を引く動作が映る。そして玲菜さんが弓を目一杯引ききり、それを俺に放とうとしたその瞬間――俺はすぅっと息を吸って地面を蹴り、玲菜さんの目の前に瞬間的に移動する。そして矢を跳ね除け、同時にどすんと玲菜さんの鳩尾に拳を叩きこんだ。
「矢を出す直前には、矢に力がいく分、体を護る壁みたいのが薄くなってるって事、か。ふぅ、どうなる事かと思った」
 崩れ落ちる玲菜さんを抱きかかえながら、俺はようやく一息をついた――。

「……うーむ。何でこういう日に限って、大樹の奴こんな時間にシャワー浴びてたりするかな。汗とかその他もろもろで一刻も早く風呂に入りたい気分だというのに」
「それよりあんたなんで上半身裸で泥まみれなのよ? そっちの方が物凄く気になるわよ」
 風呂場の前で腕組みをする俺に、横の詩織が顔をしかめて言ってくる。俺はふっと笑って答えた。
「色々あってな」
 嘘じゃないし。
「そう。それより聞いてよ、あの後! アイス買ったら福引券貰えてね、それでその福引でなんとっ! こんな素晴らしいものが当たったのよ! 見て見てっ! あんたに見てもらいたくてわざわざ待ってたのよ!」
 豚の形をした蚊取り線香の入れ物を誇らしげに高げる、夜の十二時だというのに人の家で勝手に待っていてくれた俺の盟友殿は、嬉々とした声をあげていた。
「はぁ……」
 俺は息を吐いて、空を見上げた。何故神様はここまで俺に追い討ちをかけるのだろう?
 実は俺もあの豚くんは前から狙っていたのに。
 まあ、勘違いのお詫びとして玲菜さんから小遣いを貰えたからいいか。説得に要した時間が二時間だった事を思えば、実質時給五千円の仕事だ。悪くはない。
 さんさんとやっぱり俺を照らす月の中、血とかのカモフラージュの為に体につけた泥が、やけに冷たくねとねととしていて嫌な感じだった。ちなみに怪我はすでに完治しているところがちょっと怖くはあった。恐るべしだ、俺の体。
15, 14

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