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六章 戦う狼

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六章 戦う狼


―血がたぎるよなぁ。

俺は笑って手をぺろりと舐めた。その手は赤く染まっており、それを舐めた口は恐らくもっと赤に染まっているに違いない。その牙はたった今、人の喉を食いちぎったばかりなのだから。
 俺は笑って手をおろす。その手はすでに半ば人間のものではなかった。爪が怖いほどに鋭くなっており、人間のそれより狼のそれに近いものに変化している。俺はその手を道の横の塀にかけ、にたりと笑った。

―どうした?怖いか?もっと怖がってもいいぜ。その恐怖って奴が、〝歌〟ってやつを奏でてくれるんだそうだからな。どんどん怖がってくれや。

笑う。抜けた腰で必死に後ずさるその女性に、俺は感嘆の息を吐いた。

―本当に、たまんねぇよ。

俺は笑う。ぎぎぃっと音を立て、壁に爪の跡が刻まれる。

―なんでこんなに、人間ってやつはいいんだろうなぁ。

ごきこぎと音を立て、その手が、その体が変化していく。俺は人狼本来の姿に戻る時のあの興奮感を味わいながら、だんっと跳んで女にその手を振り下ろした。

―死に様がよ。

 金。
 金の閃光がそこに走る。
 そして次の瞬間、その金の光は俺の視界を鮮血で赤く染めた―。



「えっ、貰っていいの?本当に?悪いわねぇ、大ちゃん」
 何故だか何時もの様に食卓に紛れ込んでいる詩織が、大樹の分の食事を半ば無理矢理に近い形で奪って行くのを見つつ、俺はふぅと息を吐いた。何故に朝から肉なのだろう。あんな夢を見た後に、さすがに肉はきついというか何と言うか。今朝見たあの夢―ぐちょって首筋噛み切ってぐちゃくぢゃと噛んでごくんとかしてたあれを思い出すと、とてもじゃないが食べる気にはなれない。
「何、正貴もいらないの? じゃ、あたしが貰うわね」
「あっ、ずるい! 詩織ちゃんは大樹の貰ったんだから、正貴のは僕のだよっ!」
「オーホッホッホッ! 甘いわね明守さん! こういうのは早いもの勝ちなのよ!」
 俺の肉を奪い合って、明守と詩織が熾烈な争いを繰り広げる。いつもの事だが、朝から元気な奴らだ。だいたい俺はやるなんて一言も言ってないだろうに。そりゃ食欲はあんまなかったが。
「それにしても、大樹が食事残すなんて珍しいな。どうかしたのか?」
 がちゃがちゃと皿を鳴らして肉の取り合いをしている詩織と明守の方は放っておき、大樹の方を見る。何だか心なしか顔色が悪いようにも見え、俺は少し心配になって口を開く。
「もしかして風邪でもひいたのか? 顔色悪いぞ?」
「ううん、別に。少し食欲がないだけ」
 大樹は首を振って言うと、中身を詩織に食われて空になった皿をがちゃがちゃと重ねて台所に持っていく。
 まあ俺も食欲が無かったりするから人の事はあまり言えない。
 でも俺のは肉体的というより、精神的なものだ。今朝見た夢があまりにグロかったからである。さすがの俺も、人がぐちょぐちょのミンチにさる夢を見た後に肉は。無理だ。
「まったく、大樹は真面目すぎるんだよね。辛いんなら休めばいいのに」
「ねぇ。正貴なんか風邪引いてなくても学校さぼろうとするのに」
 結局、詩織に全部取ってかれた様で、明守は少し泣き泣きになりなっている。詩織は勝ち誇っていたが。
 まあ、大樹の顔色が少し悪い事をのぞけばいつも通りの朝だ。
『では、次のニュースです。昨晩また大形獣に襲われたものと思われる女性二名の遺体が王森町の役場付近で発見されました。二人とも遺体には食いちぎられた様な跡が残っており――』
「またぁ?なんかこの国もぶっそうになったわねぇ。そろそろ統一し直す必要があるかしら。でもその前に色々やる事があるしねー」
 テレビから流れるニュースを聞いて、詩織が食後の茶をすすりながらしみじみとした感じで言う。何だか、「統一し直すけとか「やる事」辺りに多少どきりとするものを感じるのは俺だけだろうか。ちなみに、まだ詩織は俺を探すのを諦めてないようで、今でも〝狼っぽい奴がいたら報告するのよ〟と俺に時たま念を押してくる。早く諦めて忘れてくれる事を祈るしかない。まあ詩織は結構飽きっぽいところもあるから――
「……冗談、だろ?」
 俺は呆然と呟いてテレビに視線を釘付けする。
 流れていたのはニュースだ。昨日殺害された女性二人の、名前、そして顔写真。
 見覚えがあった。ありすぎるぐらいあった。
 今朝の夢で、俺が〝殺した〟女の人達だ。映し出される殺害現場の場所にも見覚えが――あった。テレビの映像に、俺が夢の中で爪をたてて残した傷痕が、くっきりと残っているのが映し出されている。
「夢じゃ……ない?」
「何? もしかして知ってる人なの?」
 詩織がお茶をすすりながら不思議そうに聞いてくる声が、妙に遠く感じられた――。


「おそらく、同調というやつでしょう」
 トコロテンをずるずるとすすりながら、恭平さんは目を細めて言った。この人が目を細めてない時というのも見た事は無い気はするが。
 何にしても、恭平さんはとんと箸を置くとふむ、と頷いて言った。
「その殺人行為をしている誰かの意識に、貴方の意識が同調して、まるで自分の意識の様に感じ取ってしまっている。貴方ではありませんよ。前にも言った通り、貴方の場合では、そういうふうに意識がない状態で行動する、という症状は出て来ないはずですから。何度か調べさせても貰いましたしね」
 その日の放課後、俺はいつもの喫茶店で恭平さんに例の夢の話を聞いてもらっていた。前に恭平さんに襲われた時以来、恭平さんには何度か会って多少相談に乗って貰ったりしていたりする。
 いつもは変身をできるだけ押さえる方法とか、やばい女に見つからない様にする方法とか、そういうわりとソフトな話なのだが、今回ばかりはそういうのとは少し特色が違う。何せ、下手をすれば俺は夜な夜な人を殺して歩く殺人鬼かもしれない訳で――まあ、恭平さんの話によるとそれはない、という事だが。
「しかし、妙にリアルなんですよ。こう、その人を引き裂いた感触まで手に残ってるって感じで――」
「それだけ深くその人物と同調してしまっているという事でしょう。とりあえず、何度もいう様ですが、貴方自身だという心配はいりません。もしその可能性があるのなら、私がとっくに何らかの手を打っていますよ」
「まあ、恭平さんがそう言ってくれるなら安心なんですけどね」
 俺はようやく来たスパゲッティをフォークに巻きながら息を吐く。
「とにかく、毎晩あんなの見せられたらたまったもんじゃありませんよ。その同調ですか? 俺とそれしてる奴、絶対まともじゃないですよ。完璧に人を殺すのを楽しんでますもん」
 むぅと口を尖らせる。同調している奴なのかどうなのか知らないが、あの切れっぷりは半端ではない。人の頭潰して心底楽しそうに笑ってるのだ。心底俺に別の人格とかがあってああいう事をしてるんじゃなくてよかったと思う。正直、ああいうのには、虫唾が走る。
「ふむ。ところで、何かその人物の手がかりでも覚えていませんか?」
俺 がスパゲッティを加えて唸っていると、恭平さんがふとそんな事を聞いてくる。俺が顔をあげると、恭平さんは少し真剣な表情で言ってきた。
「いえね、実は私もその人物を探しているところだったりするんですよ。何せ、もう人を十人以上も殺している。私も仙人のはしくれとして、さすがに放っておく訳にはいきませんからね。どうやらとびっきりに強力な〝人狼〟の血を引いているらしい事だけはわかるんですが、それ以上は何も手がかりがなくて」
「はぁ…まあ、俺としても放っとけないとは思いますけど」
 俺はむぅと考え込んで今までの夢を思い出してみる。確かにその人物とやらが人狼だというのは間違いない。変化しかけの姿しか見た事はないが、それは俺のその時の体にそっくりだったし、何よりあの人狼でしか有り得ない興奮感というか、高揚感――あれはまぎれもなく俺と〝同族〟の者のものだろう。
「だけど、実は『そいつのやらかす行為』の方が印象的すぎて、そいつ自身の事については全然記憶に残ってないんですよね。変身しきった後はいつもあやふやになるし……」
「そうですか。それは残念だ」
 恭平さんはふぅと息を吐く。
「正直に言うと、私が貴方を見つけた時、きっと貴方がその殺人を犯している人狼に違いない、と思ったんですよ。強い血を引く人狼なんて滅多に居ないはずですし、それでたいした確認もせずにあんな行動に出た訳で――まあ、貴方には悪い事をしましたが。とにかく、その人狼は本当に手がかりをまるで残していないんです。人狼の〝匂い〟だけは嫌味なくらい残して行くんですが、それ以外はさっぱりで。いやはや、本当に厄介ですよ」
「はぁ……」
 俺は生返事を返す。その人狼の事について何かが頭の隅っこに引っかかってる様な気がするのだが、思い出せない。何かが引っかかっているのだ。何か――何かとても印象的な事だった気がするのだが――
「他の場所ならいざ知らずここは〝王の眠る地〟です。一刻も早くその人物を見つけ出しとめなければ、最悪の事態になりかねない。何か気がつく事があったら連絡してください」
 恭平さんはそう言って帽子を深くかぶって立ちあがろうとする。急に立ちあがった為、少しテーブルがゆれる。俺のフォークが光を反射して輝く。俺はそれを見て、思わず声を上げた。
「あ……」
「? どうか?」
 不思議そうな顔をする恭平さんに、俺はぽつりと返した。
「いえ…はっきりと覚えてる訳じゃないんですけど」
 その金色のフォークを手に、俺は呟く様に言った。
「何て言うか、雰囲気が。上手く言えないけど、身にまとってる空気みたいのが――」
 金。
 金の空気を身にまとっている奴、だった気がする。


 ぐしゃ。

 今日の獲物は少しやかましかったが、それもまた一興だ。

―最近じゃ、もう一人お客さんが見てるみたいだしな。このくらい盛り上げてやらなきゃ申し訳ないよな。

俺はまた声を高らげて笑う。ふと気づくと、何やらやかましく騒ぎ立てる声がする。俺を捕まえようと人間どもが駆けつけてきたらしい。警察とやらか。俺は楽しくて楽しくて仕方なかった。

―蟻が像を捕まえられると思ってるのか?

俺は笑い声をあげ、天を見上げる。そこにある俺の力の源たる月は、今宵も美しい光をたたえていた―。


「誘っているんでしょうね」
 恭平さんはトコロテンをすすりつつ、きっぱりと言いきった。
「人狼というのは、やたらと同族にたいして権威を誇示したがる傾向があります。濃い血を受け継いだ同族――つまり貴方が近くに居る事を知って、おびき出そうとしているんでしょう。もしかしたら、〝匂い〟をあれだけ強く残して行くのも、それが理由だったのかもしれません」
「ちょっと待ってくださいよ!」
 俺は恭平さんの言葉に、たまらずだんっとテーブルを叩く。
「それじゃあいつは俺を呼び出す為だけにあれだけ人を殺しまくってる訳ですか?昨日なんか警察の一部隊――」
「まあ、それだけとは言いきれませんが。貴方をおびき出そうというのが、その人物の目的の一つではあるんでしょう」
 だんっ。
 俺は再びテーブルに手をつく。そこに指がめり込むぐらい、強く力を込め俺は恭平さんを見る。
「だからこそ、先程の作戦が有効なんですよ。確かに少し危険ではありますが――」
「やってみますよ、その囮役ってやつ。今夜ですね?」
 こんな気分になったのは、多分生まれて初めてだろう。俺は強く歯をかみ締めて、そう言っていた。
 俺はこれ以上ないくらい、そいつに苛立ちを覚えていたらしかった。


 空を見上げる。ちょうどいい事に、ほぼ満月だ。正確には満月まであと三日ちょいってところだが、そんなのは関係ない。透き通る様な星空の中、俺の意識は月だけに集中されていく。
 玲菜さんには言っていない。あの夜の後、玲菜さんから色々な話を聞いた。俺の両親が俺と同じ人狼――それも人格が制御できないタイプのそれ――で、玲菜さんの母さんの手で葬られる事になった事。その後、その息子の俺達のその血が目覚めないようにずっと見守ってもらっていた事。これ以上、玲菜さんに迷惑はかけられない。だから。
 俺が一人で解決しようと。そう決めた。
 どくんっ。俺の体が、心地よい高揚感と興奮感に教われ、心臓の鼓動が激しくなっていく。
 出て来い殺人鬼野郎。てめぇも〝同族〟なら匂いでわかるはずだ。
 ごきごきと体を変化させ、俺は叫んだ。

 俺は――ここに居るっ!

 俺はその姿を人狼へと完全に変化させ、月に向かって吼えた。


 俺はここに居るぞっ!


 静かな夜の街に俺の咆哮が木霊し、その空気を震えさせる。恐らく街中に響きわたったはずだ。あの殺人鬼野郎が俺の事を意識していようとなかろうと、これだけ敵意を剥き出しにした叫びを投げかけてやれば――
「ついに……見つけたわよ」
 そこで唐突に頭上から声がして。
 俺は、完全に固まった。
「どれだけ探しても見つからないかと思えば、急に魔力剥き出しにして自己主張? 何考えてんのかわかんないけど――」
 頭上からの声が続く。脂汗が、たれる。
 忘れていた。完璧に忘れていた。
「このクィーン・オブ・ダークことアリエス様をこけにした罪、まさか忘れたとは言わせないわよ!」
「あああああっ! 忘れてたぁぁぁ! 完全に忘れてたぁぁぁ! 俺の馬鹿ぁぁぁぁっ!」
 俺は例の衣装で完全武装して空に浮かぶ詩織さんを前に、頭を抱えて叫び声をあげていた。
「探したわよぉ……!もう気が遠くなるくらいさがしたわ、あんたの事は」
 詩織さんは形容しがたい笑みを浮かべて、とんと俺の向かいの廃ビルに着地した。
「な、何の事だかさっぱりわからないんですが。誰か他の人と勘違いしてませんか?」
 後ずさりしつつ俺は手を振る。どうしよう。こんなに怖い詩織さんは、幼稚園の時に詩織がおねしょした事をみんなに言いふらした時以来だ。
 逃げるしかない。それしかないそう俺が決心したその時、いきなり詩織の目がかっと光る。咄嗟に跳ねて避けた俺が見下ろすと、さっきまで立っていた地面に巨大なクレーターができていた。例のイビル・アイとやらか? 何なんだこの威力。何か犯罪的だぞ。
「このあたしの不敗神話に泥を塗って!
 おまけに意識のないあたしの体を弄びあろう事かピ―な事とかピ――な事までしておいてよくそんな台詞が吐けるわね!
 許せない……っ! 乙女としてあんただけは絶対に許せないのよっ!」
「誰がそんな事をしたんだよぉぉぉっ! だいたい乙女なんならそういう放送禁止用語みたいなのをためらいもなく大声で叫ぶなよっ! お願いだからっ!」
「うっさいわねっ! 何正貴みたいな事言ってんのよあんたっ! とにかく死になさい!」
 詩織さんは命令形で俺の生存権を否定しつつ、例の青白いビームを容赦なく撃ってくる。
 まずい。何がまずいって、下手に会話をすると正体を気づかれてしまう恐れがある。というよりはまず話を聞いてくれそうにないし、口での説得はほぼ不可能とみていいだろう。
 かといって、本気モードの我が盟友殿と戦うのは危険すぎる。彼女は野球のゲームの対戦で、「ストレート勝負よ!」と言いつつフォークを投げてくる様な陰険な人なのだ。
「おとなしく死になさい! 何避けてんのよ!」
 何と言う理不尽な台詞だろう。ええい、もう怒らせて隙でもつくしかない。俺は半ばやけくそになって叫んでやった。
「はっはっは! ばれてしまっては仕方がない! そうとも!ピ―させてもらった! ピ――どころかピ―ピ―なところまでやった! 君は中々いいもの持ってたぞ詩織くんっ! もはや君のピ―はピ―ピ―までピ―済みだけどね! はっはっはっ!」
「なっな……っ!」
 俺の…更に過激な言葉の連続に、さすがに詩織が絶句して顔を赤らめる。
「い……いくら何でもそこまではされてないだろうとっ! 淡い希望を抱いていた乙女の純情を踏みにじったわね!? このケダモノぉぉぉっ!」
 詩織が絶叫して赤い塊を投げつけてくる。だんっと後ろに飛んで避ける俺だったが―

 ぼんっ。

「は、はい?」
 思わず間抜けな声をあげて、俺はその――今まで廃ビルが建っていた場所を見やる事になった。何なんだあの威力は? 絶対普通じゃないぞ!? 一発でビルをこの世から消し去るか普通!? 一体何なんだこの女は!?
「殺すっ!もう乙女として断固あんただけは殺すわっ!」
「あああああっ! 嘘っ! 嘘だってばぁぁっ!」
「死ねぇぇっ!」
 聞く耳持たずにまた赤い塊を作り出す詩織さん。何か火に油をそそいで更に火薬を投げ込んでしまった様な気がひしひしとする。逃げよう。逃げるしかない。俺はくるっと詩織に背を向けて、まさしく脱兎のごとく駆け出した。
「逃がすもんかぁぁぁっ!」
 詩織がぼぼんっと俺に向けてあの赤い塊を投げつけてくる。でかい。貯める時間が長かった分さっきの比ではない。あんなのを食らったらどうなるかわかったものではない。俺は必死で跳びあがって何とかやり過ごすが、同時に巻き起こるもの凄まじい爆音に思わず下を見ると、直系五十メートルぐらいのクレーターが下にできている。もともと呼ぼうとしていた人狼と戦う気で人の居ない場所に居たからよしとするもの、そうでなければ大惨事になりかねないところである。あの暴走ぶりでは後先考えてくれてるとは思えないし。
「このケダモノぉぉぉっ!」
 と、いきなり詩織さんの声で現実に引き戻された俺は、目前に移動してきていた詩織さんの鉄拳をもろに食らう。こちらも半端じゃない威力だ。何だか殴った手が青く輝いてたし。俺は何故だか冷静にそんな事を考えながら、成すすべなく吹き飛ばされて地面に叩きつけられる。鬼の様な威力である。そこへ詩織さんは畳み掛ける様に今度は黄色い光を手の中に創りだし、一気に俺に向けて投げつけてくる。
「死ねぇぇぇっ! 死ぬのよっっ! 死になさいっっっ!」
「うわぁぁぁぁっ! 今度は黄色かぁぁ!?」
 この態勢からでは避けれない。俺は思わず目をつぶって観念する――が、予想された衝撃はいつまでたっても来はしなかった。不信に思い恐る恐る目を開けた俺の視界に飛び込んで来たのは――
「おいおい、人を呼ぶ声がするんで来てみりゃ――何やってるんだよ、同族さんよ?」
 その黄色い光を片手で握りつぶして笑みを浮かべる、金色の人狼の姿だった。


 金。全身があますところなく金の毛皮で覆われており、その牙や爪は俺以上に鋭かった。見ただけでわかる。

 こいつは――強い。

 肌にびりびりとそんな空気が伝わってくる。俺や、詩織もおそらく普通の闇の住人からすれば力のある方なのだろうが――そんなのがかけらも通用しないであろうくらい、その目の前の金の存在は力に溢れていた。
「何あんた!? さてはそいつの仲間なのね!? あんたあたしが意識ない時にピ―した仲間なのね!?」
 しかし詩織さんの方は頭に血が昇って、そこら辺を全然理解していないようで、きぃーっと叫び声をあげて地団駄を踏み、びしっと俺達の居る方向を指差して叫んでくる。
「二人とも跡形もなく消し去ってあげ――」
「うるせぇなぁ」
 その金の人狼が、上を見上げて言う。そこまで、だった。俺に見えたのは。
 次の瞬間には、詩織は空中に跳んだそいつに蹴り飛ばされ、隣りのビルに音を立てて叩きつけられていた。
「同族同士せっかくの感動のご対面の場面なんだぜ? もう少し静かにしてくれよ」
 そいつはそう言ってたんっと地面に着地する。速いとか、そういう次元を超えている。化け物、だ。本物の。
〝それは貴様の同族ではない。貴様より格下の銀狼だ〟
 頭に直接語り掛けてくるかの様な声がいきなり響く。同時に頭上に男が〝突然〟に現れる。目つきの鋭い、白い服に見を包んだ、透けるような白い肌をした白髪の男。白い、男。 こいつのは――〝速さ〟じゃない。
「何だ来たのかよおっさん? 今日は〝歌〟の方はしねぇぜ? それよりこっちの方が百倍楽しそうなんでよ」
 金色の人狼が、空を見上げて言う。歌? 何の事だ?
〝構わぬ。もはや〝歌〟は十分だ。無理に音を加える必要もない〟
「へっ、ようやく〝我らが王〟ってやつが蘇る訳かい? 時とやらが来てた割には、随分手間隙かけさせられたよな」
〝その苦労もすぐに報われる。かの君が蘇ればおまえも知る事になるだろう。絶対の王を持つ喜びと、その偉大な力の恩恵を〟
「けっ、そんなもん糞くらえだっての。俺は楽しみたくてやってるだけだ」
 その金色の人狼と白い男を前に、俺は一歩も動けずに居た。何か、こいつらと俺は住む世界が違う――上手くは言えないがそんな感じがして――俺はそこでは汗をかいて立っている事しかできなかったのだ。
「まあ、そう警戒なさんなって。俺はこれでもあんたの事は一目置いてるんだぜ? 時々見ていたんだが、なかなかどうして、銀色しか持たない割には、あんたたいした力持ってるみたいじゃねぇか」
「見て、た……?」
 思わず後ずさりながらの俺の言葉に、その金色の狼は意外そうな顔で言う。
「何だ? 気づいてなかったのかよ? 冷てぇなぁ。同族同士、何度も意識が同調してたじゃねぇか。あんただって、俺の意識の中に入ってきてただろ? 俺も何度か、ああいう風にあんたの中には入らせてもらった事があるんだよ。たいていは傷だらけだったが、いい戦いっぷりしてたぜ、あんた」
 そいつは笑って俺に歩み寄ってくる。それだけで汗が足れる。うるさい程心臓の音が激しくなっている。怖い。コワイ。コワイッ!
「アアアアァァァァッ!」
訳がわからなくなってそいつに跳びかかっていった俺は、力の限りにその爪を振り下ろす。しかしその爪がそいつに当たると思った瞬間――そいつは金の閃光と共に消えた。
「そう興奮するなよ。同じ血を引く仲間じゃねぇか。言ってみりゃ兄弟みたいなもんだろ?」
 そして後ろからの声と共に、強烈な衝撃が走る。俺は言葉を発する暇も無く吹き飛ばされ、地面に叩き付けられていた。そこにたんっと前に金の狼が着地し、くいっと俺のあごを上げて上を見させる。
「いいなぁ。俺の爪を受けて死なない奴ってもの久しぶりだ。たいていの奴はすぐおっちんじまってよ、もう張り合いがなくてさ」
「へぇぇぇぇ、それはまたご立派ですこと」
 突然飛んできた赤い閃光が、横なぎにその金色の狼に襲いかかる。油断していたようでそれをまともに食らった金の狼は、激しい爆音と共に吹き飛ばされた。
「でもね、このあたしに泥なんてつけてくれた時点であんた死んだわよ? 人が乙女の純潔を取り戻す為の戦いをしてる時に横から出てきて邪魔をして、ただで済むとは思ってないでしょうね?」
 背中の黒い翼をきらめかせて空に浮かぶ詩織が、かなりきている時の顔で怒鳴る。あれは辺り全部に怒りをぶちまけないと止まらない時の顔だ。今の詩織の力なら本当に辺り全部破壊し尽くしない、が――

 ぱん。

 相手が、悪すぎる。突然した弾ける音と共に、詩織は何かの力に押しつぶされる様にして地べたに叩きつけられた。それは、俺の頭上の白い男が、詩織に手をかざして握り締めただけで起きた現象だった。
「余計な事すんじゃねぇよ、おっさん」
 金の狼も、ぺろりと舌を出して起きあがる。その金の体毛には、傷一つ負っていない。先程ビルを一つ消し飛ばしてみせた詩織の攻撃を、まともに食らったはずであるというのに。
〝ふむ。大分力は戻ってきているようだ〟
 白い男が自分の手をまじまじと眺めながら呟く。俺達なんぞまるで気にかけていない、という様子が痛いくらい伝わってくる。やっぱりこいつら――普通じゃない。
「しかし今のはなかなかよかったぜ、ねぇちゃん。格好ばかり派手かと思ったら、結構やるんじゃねぇか」
 ぶぅん、と金の狼の爪が空気を引き裂く。
 まずい――! 俺は全力で駆けて反応できずに居る詩織を抱えると、思いっきり地面を蹴った。同時にその場所が音を立てて崩れ去る。
「え……?」
 詩織は訳がわからないと言った様子で声をあげる。無理もない。俺でさえ、ぎりぎりで反応できたのでしかない程の〝速さ〟だったのだ。あの金の狼はまるで遊びの様に放ったそれであるにもかかわらずに。

 ぼんっ。

 しかしその時突然体を襲った押しつぶされる様な感覚に、俺はがっと血を吐いて一瞬気を遠くする。ぎりっと歯を食いしばり後ろを振り向くと、白い男が無表情に俺の事を一瞥している。何なんだ今の力は?何かをぶつけられたとかそういうのじゃなく、突然現れた力に押しつぶされた――そんな感じだった。
「だから手を出すなって言ってるだろうがおっさん。こいつらは俺の獲物だぜ」
〝ふむ〟
 白い男がそう言って無表情に俺を見る。怖い――怖さではこの男の方が上だ。少し視線を交合わせただけだというのに、俺の体はがたがたと震えを伴っていた。
「しおりんぱぁぁぁぁんちっ!」
 しかし、その時いきなり腕の中からの詩織の蹴りを食らって、俺はがふぅっと血反吐を吐いて吹き飛ぶ事になった。詩織はそんな俺に更に青い光を何発か投げ込んで更にがふがふと血反吐を吐かせてくれてから、びしっと腰に手を当てて声をあけた。
「あたしを助けて恩を売って許しと得ようという魂胆でしょうけど、そうはいかないわよっ! ピ―やピ―ピ―までされて、こんな事でちゃらにしてあげる程あたしは人間はできてないわ!」
「こ、この馬鹿……少しは状況をだな……!」
 俺は蹴られて痛む顔をさすりつつ起き上がる。さっきのってどこら辺がパンチだったんだろう?
「乙女にとって純潔を汚した男を排除するのは他の何よりも優先されるのよっ! だいたいさっきちょっと人のお尻触ってたでしょう! このケダモノッ!」
 更に何か光の塊みたいのを投げつけてきて詩織が俺に罵詈雑言を浴びせ掛ける。前から確信していたが、この女やっぱりまともじゃない。普通この状況でここまでアホな行動ができないものだ。
「おいおい、俺を無視して楽しんでんしゃねぇよ」
「詩織っ! 上だっ!」
 俺はそこではっとして叫ぶ。何時の間にかそこに移動していた、金の人狼が、詩織の頭上で両手を組んでふりあげている。駄目だ――思わず俺が目を閉じたその時、その声は染み入る様に響いた。

「〝縛〟」

 きぃぃぃん。同時に走る金属音。両手を振り下ろそうとしていた金の狼は、その態勢のまま固まってどすんと地面に落ちていく。
「あ……!」
俺はようやく、少し明るい声をあげる。そうだ。そうだった。俺は〝囮役〟で、敵を引きよせる役で――
「駄目ですよ、金狼くん。女性にはもう少し気を使ってあげないるようにしないと。いくら戦いの最中とはいえ、顔を狙うなんて論外です」
 ばふっと帽子をかぶりなおしてその場に現れたこれ以上ない程心強い存在に、俺は思わず拳を握り締めた。
「ふむ。それにしても少しばかり遅刻をしてしまったようですね」
 〝退治役〟のその人、鈴木恭平さんは、そう言って目を細めた笑顔を見せた――。

17, 16

  

「やれやれ、〝銀狼〟〝金狼〟の揃い踏みに、〝闇の女王〟のお嬢さん、更には〝王の側近〟の白蛇さんのご登場ですか。いやはやさすがに〝王の眠る地〟。本当にびっくり箱だ」
 恭平さんはふぅと息を吐くと、ゆったりとした足取りで俺の方に歩いて来る。
「何だ、てめぇは?俺の体に何をした?」
 金の狼が、ずるずると立ちあがりながら恭平さんを睨む。
「おや、それを食らって動けるとは、さすがに金狼くんなだけはある」
 恭平さんはそう言ってぴたりと足を止め、金の人狼に向き直る。
「きょ、恭平さんっ!」
 俺はそこで白い男が恭平さんに手をかざしている事に気づき、ぎょっとして声をあげた。いくらなんでも人間があの威力を食らえば、即死なのは間違いない――が、その手が握られても何も起きはしなかった。白い男が初めて目を剥く。
 恭平さんはにっこりとして帽子を抱えると、頭上の白い男に向かって指を振った。
「無駄ですよ。これでも仙人のはしくれですからね。そういう自然の力を借りる様な術では私には効果を及ぼせませんよ。何せ私は――」
 そこで金色の狼が余所見した恭平さんに牙を向いて襲いかかる。本当にあの術にかかっているのかと疑いたくなる程速い。しかし、恭平さんの足が独特のリズムを刻んだかと思うと、その牙は中を舞い、逆にくるりと身を返した恭平さんの肘が金の人狼の背中に打ち込まれていた。
「自然と一体となっていますからね。不意打ちなど無駄な事です。この空気そして大気が、私の〝目〟の代わりになってくれていますから」
 〝爆〟
「がっ……!」
 同時にあがる爆発に、金の狼は地面に叩き付けられうめき声をあげる。
「うーむ。それにしてもこの気配は――そういう事か。あまりにも魔の血が強すぎる為、魔としての性格が人のそれと完全に分離してしまっているタイプですね。道理でどれだけ昼間探しても貴方を見つける事ができないはずだ。こういうタイプの人は、表面に出てない時は魔の波動も隠れてしまい、目覚めてない人と区別がつきませんからね。そこまで計算していたとはさすが王の腹心というところですか、白蛇さん」
 恭平さんはばふっと帽子を直しつつ上の白い男を見上げる。何だか心強すぎる。さすがだ恭平さん。俺を殺しかけた人なだけはある。
「え、ええと……なんかよくわかんないけど」
 そこでようやく殴られそうになり目をつぶっていた詩織が目を開け、ごほんと咳払いした。恥ずかしかったのか顔が赤い。
「そこのおじさん! あたしを助けてくれたのね? 感謝するわ!」
 その癖やたら偉そうに恭平さんをびしっと指差して言い放つと、今度は何故だか俺をきっと睨んで叫んできた。
「でもそこの銀色の奴! あんただけは絶対に許さないからね! 何だかそのおじさんと人知り合いらしいけど、あたしを助けてくれたのはあくまでその人! あんたじゃないんだから! あんたに感謝する言われはちっともないんだからね!」
「俺もさっき助けてやっただろうが! おまえを抱えて跳んで! 思いっきり助けたろ!」
「うるさいわね! そんなもんでチャラになるとでも――」

〝貴様、何者だ?〟

 辺りに広がる圧倒的な空気に、俺と詩織は思わず口をつぐんで白い男を振り返る。白い男は恭平さんを睨みつけたまま、その白い唇で頭の中に声を直接投げかけてくる。
〝たかだか人間が、何故我が素性を知る? 何故忘れられし王の存在を知る?〟
「おやおや、私をお忘れですか? 〝王の側近〟さん? かつては命をかけて戦った事もあるというのに、冷たい話だ」
 恭平さんの言葉に、その白蛇と呼ばれた男は体をぴくりとさせ、表情を変える。
「何なんですか、その側近とか、王とか? 一体どういう事なんです?」
 俺が上の男から注意をそらさない様にして尋ねると、恭平さんはとんと帽子を押さえ、いつも通りのとぼけた声で語り始めた。
「昔この地に魔の者が居た。すべての魔の者を凌駕する力と、完全なる魔の性を持つ魔の者が。そのまさに魔の王たる彼の力を称え、そして恐怖して世界は彼をこう呼んだ。その名を――」
〝魔王〟
 と、そこで上空の男からそれがあがる。まるでこの台詞だけは、他の誰にも譲れないかの様に。恭平さんは驚いた様に空の白い男を見上げえ、しかしすぐに話を続けた。
「そう。そして彼はその強大な力で、世界すべてを破壊しようと願った。その完全なる魔の本性が破壊だけを望んだのです。彼は自分に従うわずかな魔の者を率い、世界すべてを敵に回して戦った。誰もがそれを愚かな行為に思った。世界すべてが彼の敵だったのですから。勝てるはずがなかった」
 と、そこで恭平さんは一息つく。そして目線を男から俺の方に移して言う。
「だが、彼は勝ったんですよ」
〝そう。我らが王は勝った。我らが王の力は世界すべてを凌駕した。世界は王の前に滅びるはずだった〟
「が、彼が世界そのものに対して勝利し、今にも世界を滅ぼさんがその時、彼の手の者から裏切る者が出た。それこそ狼王フェンリル。最後の純潔の人狼――貴方達の血の元となった人物ですよ」
 恭平さんはそう言ってぽんと帽子をかぶりなおす。
「フェンリルはわずかに生き残っていた人間達と手を組み、王を封じる為に〝歌〟と呼ばれる禁呪を使った。
 人の命を音と見なし、歌に見立てて奏でる呪い。それが〝歌〟です。
 フェンリルと人間達の〝歌〟は何とか成功し、魔王は封じられました。歌を奏でた者達の命と引き換えにね。そして平和が戻った。その大戦で強い力を持つ魔族はほとんど失われていた事もあり、魔族達は何ら抵抗無く人間達に受け入れられ、魔も人間に溶け込む事を望み、本当の平和が訪れる事になる。
 当初は王の復活は危惧されていましたが、当時魔王さんの手下の中でも最高の力を持っていた、フェンリルがその自らの命までも込めて奏でた〝歌〟です。誰にも解く事はできないとされ、やがてすべての者はかの王の事を忘れていきました。
 その〝歌〟を奏でる手伝いをしていた駆け出しの仙人や、魔王と共に封じられ、最近封印の弱くなった隙間をついて復活された、魔王の側近だった人などを除けばね」
〝そういう事か。貴様……見覚えがあるぞ。あの時の――あの時の人間か!〟
 男が叫ぶ。それだけで辺りの空気が歪み、弾けとぶ。ようやくわかった。
 この男の力は〝空間〟だ。空間を操っているのだ。恐らくはその強大な魔力を持って。
「つまりはこういう事でしょう? 封印された王を復活させる為、貴方はこの地で再び〝歌〟を奏でている。今度はかの王を封じる為でなく、封印を解く為の歌を。あのフェンリルの奏でし歌です。普通なら敗れるところではないが、時間の流れで威力が落ち、かつ封じた者の血を色濃く受け継いだ――いや、それ以上の力を持った〝金狼〟がそれを手伝うなら、かなりの高確率で封印は解ける」
〝そこまでわかっているのなら、何故逃げぬ? もはや王の目覚めは時間の問題だ。貴様程度では何もできぬ事は身にしみているはずだ。もはやあの時とは違いフェンリルはない。王に対抗できる者などすでにないのだぞ〟
「いやいや、確かにかの王が復活なされば手はありませんけどね。幸いにもまだ歌は奏で終えられていない。奏で終える前に〝奏でている〟存在の方を止めてしまえば、後はどのようにもなる、とは思いませんか?」
 そう言って恭平さんは札を取り出して男に構える。男は何も言わずに大きく手を振りかざすと、その手をぐっと握った。
〝この男は、危険だ〟
 ばちんという音が辺りに響く。恭平さんが珍しく動揺した顔で咄嗟に後ろを振り返る。
〝消せ〟
「言われなくてもやってやるぜ! 地べたに這いつくばらせれて、こっちもぶち切れる寸前だったもんでなァァァァァ!」
 白い男の言葉が終わらない内に、恭平さんの術が解け自由になった金の狼が地面を蹴る。どうやらあの術を破られるとは予想外だったようで、恭平さんはそれに対応できてない。
 やられる――!
「あああぁぁぁぁぁぁっ!」
 そう思った瞬間、逆に俺は目を輝かせる。地面を駆け、その金の人狼が恭平さんを捕らえるより速く、そいつに渾身の力を込めた爪を叩き付ける。
「なっ……!?」
 そいつは地面にへたり込んだまま、驚いた表情で胸を押さえる。そこには俺の爪が刻んだ傷痕が、くっきりと刻まれていた。
「これ以上飯を不味くされてたまるかっての。そう簡単に俺の前で人殺しなんてできるなんて思うなよ」
 俺は息を切らせながら笑ってやる。しばらくは呆けていたそいつだったが、やがて凶悪な程顔をゆがませて、楽しそうに笑いだした。
「うひゃひゃひゃひゃっ! いいぜ、最高だ!」
 そいつはとんっと跳んで、白い男の浮かんでいるすぐ横のビルに飛び乗る。そしてぐいっと俺達を見て続ける。
「大戦の生き残りの仙人さんに、最高の力を持つ同族、てか。ゲームの駒としちゃ十分だ。いいねぇ。これでやっと面白くなって来たぜ」
「あら、一人忘れてない? あたしもこういう楽しそうなお祭りは大好きなのよ?」
 そこでそいつのすぐ横を、青い閃光が駆けぬけて行く。その閃光と隣りのビルに命中し、それを跡形も無く弾けさせる。つう、とそれがかすった頬からたれる血を舌で舐めながら、そいつはそれを放った人物――空で不敵な笑みを浮かべている詩織に視線を移す。
「それに、サキュバスのねぇちゃん、と。これだけのカードがそらってるんだ。どうせなら決着はもっと大きな舞台でつけようじゃねぇか。なあおっさん?」
〝……確かに、今はまだ微妙な時期。あえて危険を犯すのは得策ではないか〟
 白い男がまた手を振り上げる。と、今度は頭上にぽっかりと穴が開き、そこに巨大な城が現れる。虚空に浮かぶその真っ白な城は、妙に禍禍しい雰囲気を放っていた。
「虚空城……王が城、ですか」
 それを見た恭平さんが、目を細めてぼそりと漏らす。白い男は笑みを浮かべると、真っ直ぐに伸ばした指を天に向け、しっかりとした口調で告げた。
〝すでに城が封印は解かれた。王の封印も持って後三日〟
 そこで金の狼が、にぃっと笑って月を指差す。
「つまりは次に月が真円を描く時――」
〝「我らが王は、蘇る」〟
 二人の姿がその空間に吸い込まれていく。はっとして追いかけようと跳ぶが、すでに遅くその空間は二人を受け入れて閉じて行く。

―三日後のこの時間だ。

 その金色の狼の声が、俺に語りかける。

―〝歌〟の最後の仕上げをここでやる。俺達を止める、最後のチャンスだ。

―止めれるものなら止めてみな。

―兄弟。

 そしてそいつの姿は掻き消えた。
「くそっ!」
 俺は空を切る感触しか伝わってこない爪に舌打ちして、だんっと地面に着地する。あの話が本当なら、一刻でも速くあいつらを退治しないととんでもない事になりかねないというのに。
「歌に関与していない我々があの城に入る手段は事実上皆無――つまりは、あの金狼君の言葉通り三日後まで待つしかないでしょうね」
 恭平さんはお手上げのポーズを取って言う。
「さて、気付きませんか? 先ほどからこの町を覆っている違和感に。
 結界です。外の者は中に干渉できず、中からは外に干渉できない。普通の人間なら結界がある事にすら気づかない。それ程強力な結界です。結界をかけた白蛇さん以外にはまず解く事は不可能でしょう。
 つまりは私達だけで、あの白蛇さんや金狼くんと戦わなければならない事態になってしまった訳です。
 世界の半分を焼いた実績のある魔王さんを復活させたくなければ、彼らを何としても止めなければならない。怨恨の方は後回しにした方が得策と思うのですが、どうでしょう?」
 と詩織に笑顔をむける恭平さん。遠回しに俺を苛めるなと詩織に言ってくれているのだ。ナイスだ恭平さん。俺はかつてこれ程人を尊敬した事は無いかもしれない。
「わかったわよ。あいつらやたら威張ってて腹立つし。あたしだって世界が滅んでもらったりしたら困る訳だし。正直、なんか話が飛びすぎてていまいちピンときてないんだけど」
 詩織は何か収まりきらない顔でぶつぶつ言っていたが、ふと思い出した様に口を開く。
「でも、あんた一体何者な訳? 私の記憶が確かなら、その魔王を封じた大戦とかいうのって何千年も前の話だったんだけど」
「いえいえ、別にどこにでもいるただのおじさんですよ。少し仙道をかじっていて、少しだけ物事に詳しいね。まあ、これでも仙人のはしくれですから、それなりに長生きはしてますが」
 そう言って俺が前に似たような質問をした時と同じ様に、にこにこ顔で返す恭平さん。何だか、やたら凄い人に思えてきたのは気のせいだろうか。というより話をまとめると千才超えてる事になりかねないんだが。
「そして、もちろん貴方も手伝ってくれますよね? 狼森――」
「あああああああああっ! もっ、もちろんですよっ! もうあんな奴らばしってやっつけましょう! ええ! 人として許せませんよ!」
「何急に大声あげてんのよ?だいたい人にピ―とかしてておいて、何が人として許せないよ、ケダモノ。まあ戦力が少しでも多く欲しいところだし、あんたへの報復はこの件が終わるまで待ってあげる事にするから、安心しなさい」
 詩織が俺の近くに降りて言う。どうやら名前は聞かれていなかった。俺がほっと胸をなでおろしかけると、いきなり詩織が俺の顔をまじまじと覗きこんでくる。
「な、なんだよ?」
「……やっぱり、正貴じゃないみたいね。喋り方が似てるし、もしかしたらと思ってたんだけど――
 声が全然、違うもの」
 詩織はうん、と頷いて、背中の羽をばさりと広げる。
「まあ、あんたの正体についても、とりあえず保留にしておいてあげるわ」
 そして、詩織は羽をばたつかせて空へと消えていく。俺は少し呆けてその様を見送っていた。
 当然の事だが、変身前と変身後の俺の声は全然違う。喉や口の形状からして狼に近いものになっているのだ。同じであろうはずがない。

 神様。
 詩織をお馬鹿さんな奴に生んでくれた事に、心から感謝します。
 俺は少しだけ救われた気分で両手を握り、天に感謝していた。



「あれ? 大樹は一緒じゃないの?」
「え、いや、違うけど」
 こっそりと忍び込もうとしたところをいきなり明守の奴に見つかってしまい、俺はびくびくとしながら答えた。むぅ、今回は変身する前に服を脱いでおいだし、まあ公園で血のりとかも洗い流してきたし別に見つかっても害はないのだが。それでも何だか後ろめたいというか、落ち着かないというか。
「でも大樹、正貴と遊ぶ約束したみたいな事言って出てったよ?」
「はぁ? いや、そんなもんしてないぞ、俺。何かの間違いじゃないのか?」
 俺はもう開き直って堂々と家に上がる。忍び込もうとしてたから窓からであったが、明守は全然気にしてくれている様子はない。まあ最近じゃ何時もの事だから仕方ないけど。
「でも、〝兄貴が呼んでやがる〟とか何とか言ってたし。大樹のお兄さんって僕と正貴の二人しか居ないと思うんだけど」
「じゃあ、明守が呼んだんだろ。無意識に」
「そ、そうかな? そう言えば呼んだんじゃないかって気も。てや、でも、そしたらなんで外に行くのさ。僕ずっと家に居たのに」
「いや、しかし俺は大樹を呼んでなんて――」
 俺はそう言いかけて、はっとして靴を投げ捨て階段を駆けあがる。
 俺が、呼んだ?
「そんな馬鹿な事があるかっ!」
 俺はだんっと鍵をこじ開けて、大樹の部屋に入る。 
「俺が呼んでいたのは、殺人鬼野郎で――」
 酷く片付いた大樹の部屋。俺より一回り小さな服が、小奇麗にで棚にしまってある。棚は開け放しにされていて――
 目覚めた兆候なんてなかったじゃないか。この前の事件の後、玲菜さんにちゃんと調べてもらって、明守も、大樹も大丈夫だって――
『この気配は、成る程、そういう事か。魔の血が強すぎて、人の人格と別の魔の人格を―普段は魔の人格は眠っているので、目覚めていないのと同じでわからない――』
「……何で、気づいてやれなかったんだ?」
 俺は呆然と呟いて、力なくその場に座り込む。
 兆候がなかった?
 気づいてやる為の要素はいくらでもあったはずだ。体調の変化。笑顔を見せなくなった事。いくらでもあったじゃないか。
「あ、勝手に入ったら怒られるよ? あれ?何これ?大樹怪我でもしたのかな?」
 床に投げ出された、血染めのタオル。床に広がる、血の染み。それも、一回や二回でつく様なものじゃない。そういえば、最近大樹が俺達を部屋に入れてくれた覚えがない――。

 〝兄弟〟

 あの金の色の人狼が最後にいった台詞の意味が、今ようやく理解できる。
「あの野郎、いつもこうだ。人に心配をかけたくないんだか知らねぇけど、なんでも一人で抱え込みやがって。俺達は家族じゃねぇか。何で何も言わねぇんだよ……?」
 俺は明守の胸倉を掴んでゆすりながら、ぎりっと歯を噛み締める。
「そうだよねぇ。怪我したら怪我したって言えばいいのに。絨毯ぐらい買い換えてあげるのにさ。いつも大樹にはお世話になってるんだし」
 明守がうんうんと頷いて言う。そうだ。父さんと母さんが死んで、何も食わずにぼぉーとしてた俺達に、飯を作って食わせてくれて―一人で何でもして―何かあったらすぐ食事抜きにして、横暴で、でも――
『歌を止めるには、奏でている本人の命を断つしかありません』
 恭平さんの台詞が、妙に生々しく耳に響く。
 俺は血が出そうなくらい歯を食いしばる。そして確信した。

 金色の狼。フェンリルとやらよりも力は上かもしれないという、あの何人もの人間を紙くずの様に殺して、楽しむ為に魔王を蘇らせようとする下衆野郎は――


 俺の弟の、狼森大樹だ。
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