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12.たったひとつの冴えた負け方

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 役満ツモではこの点差は埋まらない。出アガリじゃなくっちゃダメだったんだ。
 国士十三面は普通にフリテンになる。
 俺は襖に貼ってある白垣お手製のルール表を睨みつけた。
 字が定規で区切ったみたいに整っているのがまた腹が立つ。
 視線を下ろし、こんな時に限ってあっさりできあがった俺の十三翻をブチ壊してやりたい気持ちに駆られるが、なんとかこらえる。煽ってんのかちくしょう。
 打牌した振りをして多牌してしまおうか。
 そう思い、おそらく雨宮は俺の不審な手さばきを見逃さないだろうがな、と俺がやぶれかぶれ右手を上げかけた時、ふいに股に視線がいった。別に膨らんでたわけじゃない。か、勘違いするなよ!
 俺のあぐらをかいた膝が座布団に描く三角地帯、そのド真ん中に転がっていた三萬を俺は下がっていた左手で拾った。無我夢中だった。
 手牌の左に三萬をくっつけ、首を傾げながら迷う振り、そして右手を横断させて、三萬を掴んだ。まるで最初からそこにあったみたいに。
 打牌。
 これで雨宮に当たったら卓をひっくり返して窓から逃げる。
 雨宮はにやっと笑った。
 が、手牌はそのまま。
 通ったのだ。
 俺はトイツの中を一丁、左手に握りこみ、その際に右手を手牌の端にかぶせて枚数が減っていることを悟らせないようにし、おそらく十二枚になっているだろう上家の座布団に放った。
 何も音がしない。
 白垣の左手がすっと卓にあがった。
 血管がどくどくと脈打っている。思考が白熱して、怖いとも、嬉しいとも、思えない。ただ熱い。嗚呼――――――






 ――――――ロン。

 ようやっと、それだけ言えた。











 雨宮がひっくり返って卓上に財布を打ち捨てた。
 俺はあえて中を見なかった。どうせ何も入っていやしない。
「国士十三面ね――ふっふっふ、白垣、いつからおまえと天馬は仲良しになったんだよ」
「僕はみんなの味方だぜ」白垣はにやにやしている。「誰の言うことも聞かないという点では、君ら二人と同じだけどね」
 烈香がぶすっと不貞腐れているのを見て、俺はようやく、その場に散らばっている金がすべて俺のものになったことに気づいた。
「俺ならどうしたかな――」雨宮は天体観測でもしているように、天井の木目を見上げていた。
「俺なら、ぶっこ抜きまくって四暗刻を作ったかな」
「その腕でか」
「ああ、この腕で」ぽん、と空っぽの袖を残った手で叩く。
 白垣も雨宮に倣ってばったりその場に倒れこんだ。いつもは陽気なやつの顔にも、どす黒いクマができている。
「やぁ、やっと終わった。僕はもう麻雀牌は見たくないよ」
 疲れた、疲れた、とぼやいているうちに、白垣は寝息を立て始めた。
 俺はすっくと立ち上がり、その場の有り金をかき集めた。
 どうやら校内一の座を手にしたようだが、もう麻雀なんか打ちたくねえから、そんな称号は白垣か、進藤あたりに譲ってしまいたかった。やつらにこそ相応しいだろう。
 雨宮が俺の背後に立っていた。
「天馬、悪いが今手持ちがなくってな――」
「忘れてやる」掠れた声はノイズに邪魔されたように聞き取りづらかった。
「だから、前と同じだ。俺の前から消えろ、雨宮」
「そうはいかねえ」なぜか雨宮は引かなかった。
「見くびるなよ、博打の負けをすっとぼける雨宮さんじゃねえぜ。強盗しようが詐欺を働こうが負けは必ず払う」
「そりゃ偉いことだな、お堅いね。白垣にでも払ってやれよ。ともかく、俺は――」
 がくっと膝が折れた。視界が歪んでいる。とっさに、毒、という単語が浮かんだ。白垣を見やる。眠っている。やつがメイドに運ばせた湯飲み茶碗が、卓脇の小卓に乗っかっていた。
 雨宮が俺をにやにやしながら見下ろしている。見慣れた笑顔。
 俺はきゅっと身を丸め、そのまま意識を失った。





 どうやってそこまでいったのか、歩いたのか、運ばれたのか、覚えていない。
 俺の目の前に、湯気をもうもうとくゆらせるラーメンがでん、と鎮座していた。俺よりも偉そうだった。
「おまえが軽くて助かったよ。ちゃんと食ってんのか? 可哀想だから今朝は俺のおごりにしてやるよ、好きなだけ食いな」
 雨宮が片腕を忙しく動かして麺をすすっている。
「ところで、イブキ、ツケてもいいよな?」
「いいわけないだろ」
 割烹着に身を包んだ、少し髪が伸びたイブキがため息をつく。憂鬱そうなところは姉に似てるな、と俺は思った。
「馬場」とカウンター内で手を洗っているイブキがこちらを睨んでくる。
「よく事情がわからんのだが、おまえらは和解したのか?」
「ま、昨日の敵は今日の友ってことさ」
 雨宮が澄ました顔で、いつの間にかチャーハンを食っている。
 どうやら俺の時間間隔は狂っているらしい。というか、飛び飛びで眠っているらしかった。
 ようやく意識の断絶がなくなった頃、出口の曇りガラス扉から歪んだ光熱が俺の顔をなぶっていた。昼頃のようだ。
「徹夜明けで眠いのはわかるが、おまえ、無用心すぎるぜ」
 雨宮が親しげに笑っている。
「ちゃんと財布の中を確認してみな」
 いわれたとおりに、ポケットに手を突っ込むと変わらぬ分厚さの財布があった。
 俺は雨宮の顔をじっと見つめた。
「なぜって顔してるな。ふ、まァ俺も悟ったわけよ。結局博打ってのは、その時々の負けをきちんと認めていかなきゃ勝てねえってことに」
 やつのセリフの成分は嘘百パーセント含有だったが、俺はあえて追及しなかった。それよりも、もったいぶらずに話を進めてほしかった。
 雨宮は皿の隅に残った細かい米粒を執拗に箸でこそぎ取っている。
「払いのことなんだがな、ええといくらだったっけ、一億と、おまえの財布の中身同額分か。百万くれえかな? ま、いいや。とにかく金はない」
「知ってる」
「だが忘れてもらうのも俺のプライドが許さ」「嘘つけ」「おいまだセリフのとちゅ」「うるせえ」
 イブキがぷっと吹き出した。雨宮が憮然とする。
「チッ、だからよ、代わりのもんで支払うからそれで勘弁してくれや」
「代わりのもん?」
「おう、取り扱い説明書もつけるぜ。――入って来いよ、ヒバリ!」
 店の奥の戸が開いて、ひょこっと少女が顔を見せた。
 長い黒髪を手櫛で梳かしながら、こちらを興味深げに窺っている。
 何がそんなに気になるのか、と思いつつ、とりあえずラーメンを啜っていると、
「ふうん、ねえ雨宮」
「なんだい」
「僕、その人にもらわれていくんだ?」
 俺は口に含んだ麺をイブキめがけてぶっ放した。なんとそれだけで出入り禁止を喰らってしまった。
 もっとも、その後、俺はこのヒバリという見知らぬ少女と、帰ってきた雨宮と、始まっちまった夏休みのせいで、イブキのラーメンを喰うどころじゃなくなっちまったんだがな。
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