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第十九話「カデンツァ」

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   ―アンダンテ&スタッカート―
   ―第十九話―

 薄暗く染まる世界に、僕ら五人は立っていた。風がフェンスをぐらりと強く揺らし、騒がしく喚き立て、隙間をぬって入り込んできた風切り音がひゅうと過ぎ去っていく。
「こいつが、私を点け狙ってたの?」
 僕は頷き、それから言葉をつづけようと口を開いたのだが、彩香の高笑いによって僕の声は遮れた。
「ええ、貴方で最後になる筈だったのに、こうなってしまうなんてね」
 怯えているのか、怒りに燃えているのか、日吉は身体を震わせながらきっと彩香を睨みつける。だが、その視線は今は虚勢を張ったものにしか見えなかった。
「もう一つ聞きたい。君は亜希子をどれくらい知ってるんだい?」
 そう尋ねると、彩香は一回、二回と首を横に振った。知らない、と受け取ればいいのだろうか。予想を早速外してしまったと困り、ならば誰がストーカーなのかと悩む。
だが、その彼女の次の一言でその悩みは消え去った。
「私は宮下亜希子に憧れていただけ。あの綺麗な横顔も、凛とした佇まいも、素晴らしいじゃない。もっと近くに寄りたいと思うじゃない。でも私はとても臆病だから、声をかけることすらおこがましいと思ったから、ずっと見てただけなのよ」
 彩香はうっとりと恍惚に満ちた表情を浮かべ、自らをぎゅっと抱きしめる。
「でも、その姿を見ることすら叶わなくした奴らがいた。私が見ている中でそいつらは彼女に酷い扱いをして、そして最後には死にまで追いやった。愛しい人物が死ぬって気持ち、先輩なら分かりますよね?」
 視線はしっかりとこちらを見つめている。見つめている筈なのに、彼女の目は僕を映してはいなかった。いや、元々彼女の目は何も映していないのかもしれない。宮下亜希子という存在以外。
「あの声が私の心をくすぐる。歩く姿なんて快感を感じるくらい。小さく溜息を吐くだけで私は私を抑えることに必死にならざるを得なくなる。この気持ち、先輩なら分かるでしょう?」
 ただひたすらに、狂ったように彼女は亜希子を褒め称え、そして自らがどれだけ彼女を愛しているのかを語り続ける。その言葉の一つ一つに対して僕が抱いたのは、嫌悪でしかなく、何度となく飛んでくる同意を求める言葉に対する返答に悩んだ。
「それを壊された時、私はどうすればいいのか分からなくなった。最終的に後を追うべきだと思ったのだけれども、そこでふと気がついたのよ」
「何を?」
 彩香は笑った。真っ黒い瞳をこちらに向け、にこりと。
 それは、いつも見ていた笑顔ではなくて、どこか恐怖を感じる、狂った笑みだった。
「宮下亜希子はきっと復讐を望んでいる。そしてそれを遂行するために私がいるんだって」
 ひんやりと冷気を帯びたその言葉に僕はごくりと生唾を飲んだ。
「それで、殺していったのか」
「殺した、というのは間違っているわ」
 僕とユキヒトは思わず目を合わせてしまった。
「その前に、私からも質問を幾つかしていいかしら?」
 彩香はそういうとにっこりとほほ笑み、そして僕にそのナイフの切っ先を向ける。
「私が死んでないと思ったのはなぜ?」
 彼女はどうやら、自らをさらけ出す前に幾つかはっきりと明示してほしいようであった。僕はしばらく口にする言葉を探し、それが大体まとまったあたりで体外へと排出する。
「君が死んでいない、というよりは君がまた“存在しない”者に戻るために必要だった行為だったと思ったんだ」
 その言葉で、彩香も少し理解したようであった。
「大西遥が消えた理由、それは単純に一人が二人になったからだ」
 その言葉で彩香は微笑む。どうやら、何気ない推測は当たっていたようであった。
「彩香は死んだ。彼女と同じ顔をした君はそうすることで、幽霊のような存在となれると思ったんじゃないのかい?」
 彩香は、いや大西遥は微笑んだ。
「ええ、もうターゲットは二人だけだったから。たった一度チャンスさえあれば良かった。意外と顔を見られたり面倒だったのよ。この顔になったおかげで幾分動けたけれどね。それも大分厳しくなったから」
「彩香は、君の意見に賛同して死んだ。それでいいかい?」
 大西遥は頷いた。
「もしかして、僕を襲った時の中身、二度目は彩香だったんじゃないのかい?」
「御名答、彼女、初めまではとても優しくて、私の思考も理解して匿ってくれたのよ。すきな人の傍に居続けたい、依存したいと思うことは素晴らしいって。それから貰った計画を行動に移すために協力すらしてくれた。私の顔を使えばいい、ってね」
 でも、と大西遥はナイフを手にしていない方で髪をくしゃりと掻いた。ありとあらゆる仕草が彩香を感じさせる。きっと同一であるように見せるべく研究しつくしたのだろう。彼女ならやりかねないと執念深さからそう予測した。
「でも、ある日私たちの目標に貴方も入ってると知ってから様子が変わったのよ。どうにかして外せないものかと、しきりに言ってきたけれども私は拒否した。だって私からしたら貴方も同罪なんですもの」
 それで、彼女が突然積極的に僕にアタックをしかけてきたのも理解できた気がした。もしも自分を受け入れてもらえるのなら、彼女は僕を守ろうともったのかもしれない。それか一緒に命を断とうという考えもできる。
 もしも僕を手にできないのならば、その時はあきらめてしまおう。想い人が死んだことを苦しむよりかはとても楽だと。
「しばらくして、彼女は突然変ったわ。彼は油断しきっているから殺した方が良い。そんなことを言い始めた。私としてはそれはあまりやりたくない。彼は最後だと言ったわ。そうしたらね」
 ナイフの輝きが増す。月の光が出てきたようだ。ぎらりと凶暴性を秘めた輝きが僕を見ている。
「自分で勝手に私になりきろうとしたのよ。それで貴方を殺そうとした。とっても面倒くさい子になってきちゃったのよ」
 そうやって彼女は着実に大西遥に影響されていったのだろう。あこがれているけれども手にできない。なら誰かに壊される前に私が壊してしまおう、と。
 けれども彼女にはそれができなかった。結局そこまでに踏み込める程狂ってはいなかったのだ。だから、あの時大西遥を模した彼女は立ち止ったのだ。
――私はここまでだ、と。
「面倒になっていったあと、この顔がたとえばもう死んでいる人物だったらと考えたわ。それなら、もっと動きやすくなるって。けれどもできればこの顔があまり広まらないように、というよりもないくらいにしておきたかった」
「それで、彼女の首を?」
「ええ、首だけを持ち帰ったわ」
 それを聞いて日吉は顔を覆った。
「それで、そうやって人を殺し続けたのに、お前は殺しじゃないというのか?」
「ええ、だって私は送ってるだけだもの」
「どういう、ことよ」
 日吉の声が震えながら言葉を吐き出す。それから数歩彼女に歩み寄ると、体を両手で抱きながら思いきりかがみこむ。
「人殺しのくせに何が殺してないよ!」
「私は貴方達に謝罪の機会を作ってるだけだもの」
 それは、多分この状況に関して多少油断していたから起こった出来事だった。
 僕の傍を離れた日吉に大西遥はつかみかかると、そのまま握っていたナイフを彼女の首元に向け、残った手で彼女の体をがっちりと抑えていた。
 いや、実際のところ僕はこうなることまでは予想の範囲内でいた。というよりもそのつもりできたようなものであった。
「彼女も連れて行くのか?」
「ええ、それで終わり、でいいわ。この状況じゃそれが精いっぱいのようだしね」
 身構えるユキヒトを見て、それから僕を見る。
「貴方は、なんだか救おうとする気がないみたい」
 少し呆れた声で大西遥は言う。それから日吉が疑問に満ちた瞳でこちらを見つめるが、僕は眼を反らした。
「彼女に関して、どちらかというと僕は救いようがないと思ってる側だからね。こうなるのが定めなら、仕方ないと割り切れる」
 その言葉に、日吉が悲鳴を上げた。
 私を騙したとか、助けるためだったんじゃと、死にたくないとひたすらにわめき続ける。けれども、その全てが僕にはどうしても「雑音」にしか聞こえなかった。
――見捨てる。
 これくらいの仕返しは、想い人を消されたことに対する復讐は、あってもいいのではないだろうか。いや、いいということにしておこう。
 暴れる日吉の首筋に切っ先を軽くつけるぷつりとほんの少し皮が裂けて、それからナイフは少量にじみ出た血をごくりと飲む。まるでナイフが笑っているように見えて僕には気味が悪かった。
 ほんの少し走った痛みで硬直した日吉を引きずり、大西遥は縁に立つ。
「最後に一つだけいいかな」
 多分地面までの高さを見ていたのだろう。彼女は縁の外からこちらに視線を戻すと、首を一度傾げた。
「亜希子に、僕は一生謝らないって伝えてくれ」
 その言葉に、彼女は虚をつかれたようだった。
 謝ろうにも、謝る理由が見つからないのだ。あの時助けなかった僕が悪いのだろうか、あの時気付けなかった僕が悪いのだろうか。そういった考えがないわけではない。
 けれども、逆に彼女にも言おうと思うのだ。
 ならなぜ、素直に助けを求めてくれなかったのかと。結局はその程度であったのだろう、と。
「そう」
 やけにさらっとした答えに、僕は肩透かしを食らった気分だと思った。もっと反抗してくるとすら思っていたからだ。そればかりか、直接僕を刺しに来るかもしれないとすら思っていた。
 けれども、彼女がその言葉に対して返したのは、ただの微笑みだけであった。

 一瞬の間があって、それから大西遥は日吉を連れて後方に倒れていく。あらかじめ用意されていたのか、寄りかかったフェンスがぐらりと大西遥の体を包むように、ゆっくりと倒れ、それからそこだけまるで何もなかったかのように、空白ができた。

 悲鳴も、何もなかった。最後の地面との衝突音もなぜかなくて僕は思わずその縁の先を覗き込んでしまった。が、それは少しだけ後悔した。
 多分、その景色が僕が抱えていくべき罪なのだろう。そういうことにしておこうと思った。

 三年前の亜希子の自殺から始まった全ての終わりは、宮下亜希子をただひたすらに追い続けた少女の死というとてもあっけなくて、寂しいもので終わったのだ。

 まるで日常的な出来事の一つのように、彼女はそうやって行ってしまったのだ。

 宮下亜希子に、憧れた人物に会うために。
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