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第二十話「ルバート」

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 電話の主との会話を終え、僕は日吉に「少し事情が変わった」と伝え、少ししてからまた迎えに来るとだけ伝えて彼女の家から離れた。
 色々とやっておくべき事がある。明良という人物がこれからへ進むために。

 ――屋上での出来事より少し前

 いつもの喫茶店で僕は先ほどの電話主の待っていた。無表情のウェイトレスは現れず、やけにはきはきとした少女が僕の注文をとっていった。胸に付けられた「トレーニング中」のプレートと注文に対する受け答えの正確さが彼女の初々しさを更に引き立てていた。
 やはり、こういった愛想の良い接客のほうがこちらとしても気分がいいのだが、あのいつもの無表情で無愛想なウェイトレスの方が、僕としては落ち着けるような、そんな気がしていた。
 いつもの方が安心できるのは確かなのだ。けれども、そんな平静がほしい状況でその「いつも」はやってこない。むしろ新鮮さを僕に寄越してきた。
 これは、一体何を表わしているのだろうか。いや、思い過ごしか少し妄想が過ぎているのだろう。ここ最近頻繁に普段ではありえない出来事に身を浸らせているからか、
「待たせたな」
 ユキヒトはそういうと上着を脱いで背もたれにかけ、向かいに座った。彼の姿を見つめたまま、一言も口にせずゆっくりと手元の紅茶に口をつけた。

   ―アンダンテ&スタッカート―
   ―第二十話

「とうとうあと二人だ」
 彼との会話は、その一言から始まった。たぶんそれ以外に始めるためのものはなかったと思うし、それに手をつけなければ何も終わらないと思ったのだ。
 彼はティーカップを皿に置いてから、肘をついて顔の前で手を組み、顔を歪める。
「結局、俺は無力だったよ」
 彼は弱弱しく言った。
「どうやっても犯人の先に回ることができない。俺ができることなんてたかが知れているし、実際のところ警察に任せてしまうのもいいのかもと思うこともあったんだ」
「けれども結局は解決する気配はない」
「まるで幽霊だ。彼女らに怨恨のある者の呪いと思ったことすらある」
「それはあり得ない」
 霊等が現れることはない。たとえ何があったとしても非日常を作り出すのは僕らだ。僕らの想像や妄想が結果として出来事の鍵として必ず存在している。
「俺だって信じたくはないんだ。けれども、そう信じたくなってしまう」
 彼は俯いた。
 無言が、僕とユキヒトの間にずっしりと座り込む。その間僕らはなに一つ口にせず、ただぼんやりとそこに存在していた。
「俺が同窓会を開かなかったら、どうなっていたんだろう」
 不意に、彼はそう呟いた。
 僕はその問いに、何一つ遠慮のない一言をぶつけようと思った。
「多分、何も起こらなかったのかもしれない」
 それが僕の正直な意見であったし、そしてそういう確信があった。というよりも、同窓会は下準備の一つでしかないとすら僕は思っていた。
「――たとえば」
 僕の言葉に、ユキヒトは顔を上げる。
「たった二人となったターゲットが一か所に集まっていたとしたら、犯人はどう思うだろう」
 彼はしばらくぼんやりとしていたが、その言葉の真意が消化できた瞬間、目を見開き、両手を机に叩きつけた。
「犯人を、呼び寄せるつもりか?」
 ゆっくりと、しかし確かに頷く。
「僕は彼女と、ちゃんと対面しなければならないと思ってるんだ。この事件を解決させるためとか、犯人を捕まえるためではなく、僕自身がちゃんと前を向くためにね」
 協力してくれるかい、と僕はユキヒトに向けてほほ笑んだ。
「――明良は、アレがなんであるのか分かっているのか?」
 その言葉に、僕はゆっくりと目をつぶる。ああ、と心の中で呟いてから、口の両端を釣り上げ笑みを浮かべる。
「亡霊だよ」
 そう、幻想的な言葉を僕は述べた。
「宮下亜希子の亡霊」
 彼は呆然としてこちらをじっと見ていた。

   ―――――

 ある程度の理由と考えを述べると、彼もある程度納得したようで、表情が柔らかくなっていった。それは単なる予測でしかないし、それが外れた場合、とても痛い目、いや死の可能性すら生まれることははっきりとわかっていた。
「俺も、その場に行けばいいのかい?」
「ああ、君も関係している人物の一人だからな」
 彼は暫く口を一文字にし、一点を見つめ、それから少しして一度頷く。
「それが、俺のすべきことならば」
 その返答に、僕はありがとう、と嘘偽りのない正直な一言を彼に送った。
「日吉にも連絡はしてある。そして、あともう一人にも話は伝えている」
「もうひとり?」
 彼は眉を寄せると不審げにこちらを見る。僕は構わず時計を見て、そろそろであることを確認し、入口に視線を向けた。
 やはり、というか律儀なものだと思う。分針が十二を過ぎると同時に彼女、雪咲朝は喫茶店に入店すると、周囲を見回してから僕を見つけ、こちらへと向かってきた。
「彼女は雪咲、今回の出来事中、ずっと協力をしてもらったんだ」
 ユキヒトは相変わらず不審そうな視線で彼女を見つつ、一度頭を下げる。雪咲も彼に向けて一度お辞儀をすると、僕の隣に座った。
「それにしても、こんな女性がいたなんてな。正直驚いた」
「この事件を通してできた知り合いだからなんとも言い難いんだけどな」
 僕がそういうと、彼は眉を顰めて雪咲を見る。
「私は、知りたい願望が強いの。何か気になった出来事があったらなにがなんでも突き止めないと納得できない」
 その言葉を聞いてユキヒトは笑った。お前もとんでもない変人に遭遇したものだと、そう言った。
 雪咲は何も言わず、ただ日記を取り出すと、ユキヒトの前に置いた。
 そのノートを見て、ユキヒトは黙ると、それからその日記を少しだけ触れてから目をつぶった。
「これが、犯人を特定できた理由なのか?」
「たぶん、これがなければ一生わからなかったよ」
 宮下亜希子の部屋にあった日記は、そこで今も変わらずにじっと僕を見つめていた。死人には何も言えない。残った文字は録音された言葉のように同じことしかしゃべることはない。
 宮下亜希子は、もう恨みしか言えないし、気が晴れたとしてもその言葉を吐き出すこともできないのだ。
「言わなければならないことは沢山あるんだ。犯人に」
「そのために、お前は動いている、と?」
「多分、たとえ死ぬことになってもハッキリとさせることがある」
 本心だった。死にたくはない。それは僕の中でどっかりと未練が座り込んでいるからだ。そいつをどかせたのならば、きっと僕は生死に対して、これからの結果に対して、それほど興味がなくなるだろうと思っていた。
「そうか、じゃあ解決させようか。その言いたいこととやらを言うためにさ」
 そういうと彼は笑い、それからここは僕が奢ると伝票を手にレジへと向かっていった。
 その時、何かを落とす音がした。
 僕と雪咲は同時にそれを追い、そして互いに顔を見合わせ、またほぼ同時にさみしげな顔を浮かべる。
 そんなことは気にせずに、彼、幸人は機械的な丁寧さで名前の書かれた定期を拾うとレジへと向かっていった。これが果たして彼が意図してやったのか、それとも無意識であったのかはわからない。
 けれども、その臨んだたった一文字を見たことで、僕らの中で一つの可能性が、奇麗に叶ってしまったことになった。

――時間は戻る。

 空白から下を覗いて、ユキヒトは唇を噛みしめていた。そこにあったのは肉の塊と、フェンスの残骸と、亡霊の姿であった。三者三様に歪んだその姿は見ていて吐き気や嫌悪感といったものとはまた違う、甘ったるくて、ぬるくて、とにかく感情をうまく出せないものとして僕の心の中にべったりとくっついていた。
「これが、この物語の終末かよ……。胸糞悪いな」
 そういうとユキヒトは首を二度横に振り、それからその空白から離れていく。僕らも互いにその光景をじっと見つめ、首をひっこめて目をつぶり、ぎゅっとその光景を思い浮かべて脳裏に焼き付けた。
 忘れるな、こびりつくべきことだ、そう僕は強く言い聞かせて、それから目を開くと。
「終わってないよ」そう呟いた。
 ユキヒトは不審げな表情を浮かべ、それから両手を開いて笑う。
「他に何があるっていうんだよ? もう勘弁してくれよ! うんざりだ」
 そうユキヒトは叫んだ。が、僕はそんな彼に対してたった一言を投げかける。
 それが、僕が犯人に向けて言いたかったたった一言なのだ。

「“中々良かったよ”」

 暫くの間が、そこには生まれた。じっとこちらを見ているユキヒトと、何がなんなのか分らないでいる雪咲の姿と、微笑む僕の姿。彼はどうやら言葉を聞いて、全てを理解したようだった。
 彼はああ、と声を吐き出すと頭を何度かかいて笑う。
「なんだ、気づいてたのか。それもお前の予想ってやつか?」
「小説みたいだったけど、小説のようにはうまくいかないもんさ。雪咲があらかたは調べてくれたけど、それもやっぱり疑う以上のことはできなかったんだよ」
 はじめに彼が後悔を口にした時、彼は違うのではないかという不安もよぎっていた。もしそうならそれでいいし、それで大西遥だけを召喚できたとしても、サチはそれで満足するだろうと思っていた。
「どうだい、満足はしたのか?」
「そうだなぁ、まあいい具合にはスッキリしたよ。最後に見せられたもの以外は、ね」
 そう言って彼は空白を指差した。
「それを見せるために呼んだんだ。死に関してきっと君は無関係の位置にいたから、最後の最後に、自らの行動の結果を見ておいて欲しかったんだ」
 これが、僕からのサチへの仕返しだった。ただそれだけで、僕の気持は幾分か晴れたのだ。さすがに命を狙われていた時の緊張感に関してはもう少し訴えたいところはあるけれども、ここで終わりにしておこう。
「宮下幸(みやしたこう)という少年が、ずいぶん前にいた筈だった。なのに彼は引き取られてから場所を転々としたようでなかなか見つからなかったのよ。丁寧に離婚後に名前も姓に合わせて変えられたせいでね」
 そうか、君が。ユキヒトはそういうと手を一度叩いた。
「灯台もと暗しとはよく言ったものだよ。それで、いつからだ?」
 そう問うと彼は手のひらを僕に向け、それから微笑み、ゆっくりと、と一言つぶやいた。
 彼は、全てを話そうとしているようであった。
 ユキヒトはフェンスに寄り掛かるとふぅ、と息を吐き出す。その息は、この場の誰よりも重くて、じっとりとした呼吸に思えた。
「そうだね、少しづつ話させてよ。どうせ僕の復讐も終わったしね」

 そうやって、宮下幸、もといサチという名で親しまれていた宮下亜希子の兄の口は、開かれたのだった。
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