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お題②/紫陽花/カフェオレ

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僕は、小さい頃から雨が好きだった。梅雨の季節が好きだった。紫陽花が好きで、その葉の上で気持ちよさそうに雨を浴びるカタツムリが好きで、雨の帰り道、姿は見えないけど嬉しそうに鳴く田んぼのカエルが好きだった。

今、ボロボロになった体で雨の中、傘をさしながら耳をすましてみる。雨の音以外、何も聞こえてこない、何も感じない。紫陽花もカタツムリもカエルも、もうここには無い。空から降っているのは何の恵みも齎さない歪んだ雨だった。

時間がもし戻るなら…僕はそう思いながら雨の中に傘を放り静かに目を閉じる。

目を閉じた瞬間に浮かんだのは光だった。この巨大な光の柱を見て、数秒後に受けた音と衝撃波で街は破壊された。僕は唇を噛み、手をギュッと握る。

この国はそれまでずっと平和で、昨日と同じように今日も、今日と同じように明日も生きていけるとみんなが思っていた。どんな事になってもこの国だけは平和だと。そう思っていた。そして僕も。自分がしていることはきっと「今」を維持するために必要なこと、仕方の無いことだと信じていた。ずっと平和のままに来年も再来年も今と変わらぬ梅雨の雨を見れると思っていた。

近づいてくるヘリの音で僕は現実に戻され、目を開けると制服は雨で黒く染まり、手を見るとその手もべっとりと黒く濡れていた。まだ昼間のはずなのに世界は暗く、サーチライトで辺りを照らす軍用ヘリは僕を見つけるとホバリングをしながらゆっくりと降りてきた。見知った顔が数人降りてくるのが見える。僕の前に立ち敬礼をした後にその中の一人が感情を押し殺したような口調で状況を説明しはじめた。説明が終わり僕は何も言わず男たちを素通りしてヘリに向かう。ヘリの中で一人が「お願いします、あいつらを皆殺しにしてください…」と怒りと悲しみに満ちた顔で僕に言ったが、それも僕の心には響かなかった。皆殺しにしたところでもうこの国に人が住める場所なんて無い。

この国が非公式に組織した機関、その存在を知った世界はそれを許さなかった。いや、世界の一部はずっとこの国を嫌い憎み続けこの機会を待っていたのだろう。数年前まで地方都市だったこの街、地下100メートルに造られたその場所に僕は降りていく。

その場に着き、巨大な扉がゆっくりと左右に開いていく中、僕は目を閉じて過去を、小学校の頃を思い出していた。家族総出でやった田植えの途中で雨が降り出し、僕と兄はそれでも楽しそうに田んぼの中で遊んでいた。家族はそれを見て笑っていた。それから一ヶ月後くらいには学校の帰り道で紫陽花の葉の上でカタツムリが気持ちよさそうに雨を浴び、カエルはそこら中で雨を喜び存分に鳴いていた。

それは急な地方都市への遷都の意味も、家族がしていた研究も、何も知らずに遊んでいた幼少期の思い出だった。

目をゆっくりと開けると扉の向こうには多くの研究者と僕の家族が残した無機質で巨大な『遺産』が静かに僕を待っていた。その機体には梅雨の時期を代表する花であり、人を死に至らせる毒素をその中に持つ花、そして僕が一番好んだ花の名前が付けられていた。

━━━━『紫陽花』と━━━━
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