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美しい

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「山田後輩よぉぉぉ、正直今、お前とかお呼びじゃねぇぇぇんだがなぁぁぁぁ?」


山田後輩の周囲を執拗にねぶり回りながら、両手の中指を立てて立腹をアピールする。無論、彼女に俺は見えていないから何の意味もない。
山田後輩の見る世界に俺はいないのだから、つまりはそういうこと。
俺が何をしようと、というかそもそも何をしなくとも。
彼女の世界は、変わらない。
両手中指を立てながら痛感する、それが距離感なのだった。生者と死者とを分つ壁が、今目の前にある。
しかしだからといって黙って退ける程にお利口さんな俺じゃない。
もう、飽き飽きなのだ。ちょっと死んだからって急に手のひら返して誰も彼も見えない聞こえない分らない。俺はここにいるのにね。
生前の感覚をそのままに継続している己からすれば、こんな状況にいつまでも身を寄せていたらいつか気が違うって話だ。
そういう意味では、俺という人格を今も認識してくれる加納後輩並び佐屋さんはとてもありがたい存在だと、言えなくもない。
逆説、それ以外は有難くもない害悪だと、そういう所感。
俺を認めない奴ばらなど、俺にとっては何の価値もない。それどころか、悪戯に精神を摩耗させる訳だから障害実害の類。
故に、心から憎むことに、何の躊躇いもなかった。


俺はついさっき、加納後輩に対してほんのちょっと、精神に余裕がなくなった。
そこを、ちょっと邪魔された。


ただのそれだけで、本当に心から、一切のまじりっけもなく、憎悪という本来ならば制御出来てしかるべき感情を鮮度抜群に発露しているのだ。

そんな貴様は、畜生にも劣る。何者かが耳元で囁いた。
すわ、何者!?
過敏に反応し、視線を右へ左へ。何者かなんて、どこにもいやしない。そう、何者でもなくそれは、俺の声だったからだ。

畜生にも劣る。

と。

俺が、俺に諭す。


無力で無能で、既に故人で他者に何の影響も与えられず、そもそもこのさき発展性の余地皆無な、俺程度が諭す言葉などに何の価値があると、言えるのか?


無力で無能で無価値な俺の言葉は、既に言葉ですらないのだ。それはただの、音。それも可聴域から逸脱した死者の音だ。
格別に耳障りで、特別に下劣で、殊更に下品な死者の呻き声。
そんな雑音を耳にして、俺は嫌悪感を隠そうともせずに眉を歪めつつ両手中指を仕舞った。
そうだ、真に両手中指を立てるべき相手は他にいる。
それは決して、山田後輩ではない。加納後輩でもない。

それは俺だ。他にはいない。唾棄すべきは自身。己そのもの。

「・・・・いや、いけない、いけない。こういうのは、いけないな」

ちょっと、センチメンタっちまった。いつにない感情の振れ幅に、過敏に反応してマイナス方向へと強引にもっていこうとする。
そういうのは、本当によろしくない。勢いあまって自殺とか企てたりしちゃう系だから。まあ俺死んでるけど。

「よし、山田後輩は、無視の方向で話を進めようか加納後輩」

きっぱり晴れやかに、小春日和のそよ風にも迫る勢いの爽快さで山田スルーを提案するに至った。
しかし、時間は待たない。俺が一人内面世界にて懊悩している間に、現実の世界もまた進行していた当然。


「あ? 私を名指しで呼んでいるからにゃあ、何か用があんのか? つまんねぇ要件なら後にしてくんな」
「あ、あのねっ あの、私、加納さんに、い、いわなくちゃ、い、いけ、いけな、いけないことがあって、それで、だから、加納さんが授業終わったあと、急に駆け出すのを見て、それを、見て、大急ぎで、追いかけて、だ、だから、その、あんまり、あ、ごめんね、私、ばかだから、その説明うまくなくて、その、だから、あの、邪魔とかなら、その、出ていくし、うん。でも、あの、もしよろしければ、あの、ちょっとだけ、私の、その、話を聞いてくれると、うん、ありがたいですっていう、ですね、だから・・・・」
「いや、なに? 聞くから、普通に聞くから要点だけ簡潔にお願い。いま私、忙しいから」
「あ、うん。何もない虚空に何か怒鳴ってたよね! そりゃ忙しいよねっ! うん、そう思うもん私っ!」
「あ? なに喧嘩売ってるんか貴様?」
「あ、ううん。そうじゃないの。ごめんね私空気読めなくて。本当にごめんね。それでね、あの、何と言うか簡潔に言うと誤解を招きそうだから遠回しに始めるのだけれども(これが山田の身につけた処世術なのだ!)先ほどの授業中にね、あの、加納さんに向かって、その、通常ならばまず飛んでこないような物体が幾度が投擲されていたのっ もちろん、傍目から見ても加納さんに気付いていた様子はなかったから、そんなことをされた覚えはないって感じになるのだろうと思うのだけれども、これは事実なのっ 私も何度か投げたし、でもでも! 一番多く投げていたのは私じゃなくって、あっ ううん! 違うの、言い訳とかじゃなくて、その、もちろん私がそういうことをしていたというのは事実だし、それは正しいことじゃないけれども、そこには私の自主性からは掛け離れた他者からの強制力の働いたところが大きくて、それで私が無罪だとか、そういうことを囀るつもりなんて毛頭ないけれども、その、もしも罪に多寡というものがあるのならばそれは、あ、勿論刑罰に多寡はあるけれどもそれが罪という一括りの反道徳的行為に直結するかと言われるとそういうんじゃないじゃんって感じの主張なんだけれども、あの、つまり」

「よし黙れ」
加納後輩の不気味に良く通る声が開き教室を通り抜ける。
「っ・・・・・」
ピタリ、と機械のような正確さで押し黙る、山田後輩。
「なんつーかまったく要領を得なかったが、お前が言いたいことは何となく想像ついた。クラスの豚共に唆されて私に嫌がらせかましてくれて、黙っときゃそれで終わるのに良心の呵責とかに苛まれて謝りにきたってこったろ、大概にしやがれ。私にとっちゃお前もクラスの豚どもと同列なんだから、何されたって腹立つんだよ、わかったら去れ、この豚女」
「・・・・・うん、そのね、あのね、加納さんの推測は大方あってはいるんだけれどもディティールが違っているっていうか、そういう細かい違いが後々、大きな齟齬につながっちゃうようなことって往々にしてあると思うし、それでね、ちょっと補足とかしちゃいたいんだけれども・・・・」
ウルウル、と大きな両目を潤ませて加納後輩を見上げる山田後輩。
「あんたさ、私の話、聞いていた?」
「うん、聞いてたよ。あの、あたし馬鹿で要領が悪いから完全には暗唱できないと思うけれども、そこは目をつむってね? それじゃあえっと ”なんつーかまったく要領を得なかったが、お前が言いたいことは”」「OKOK、殴られる前に消えとけ」
加納後輩が右拳を小刻みに震わせて恫喝するも、山田後輩はその生来の鈍さからか一向に態度を変えることなく、屹然と小首を傾げて疑問の体を成した。
「いや首傾げるとこじゃねーしっ! お前さ、自分が今どう思われてるかって自覚、あるん?」
そんな彼女の態度が癪に障ったのか、加納後輩がそのものズバリな物言いで苦言を呈する。

「あ・・・・あたし、ウザかった? かな?」

口調は穏やかながらも、顔中を真っ青にして大ダメージを被ったであろう山田後輩は、上目遣いで加納後輩のことを伺ったのち、自分の問いに否定も肯定も返されなかったことで、悟ったのだ。

「あ、違うんだね、うん、そっか、よかった」

ホッ、と息をついて見ているこっちまで安堵してしまえるような安心顔を披露してくださった。
ウザかったか、と聞いて返答がなかったものだから、なら私の勘違いだったのねんという非常に安穏とした思考があったに違いない。
「ちっ・・・・ち・・・・・ちが、ちげ、ち・・・」
「加納後輩、加納後輩、額に血管浮いてるよ? 乙女としてそれはどうかと思うのだけれども」
いやはや、ただ何の変哲もないいじめられっこだと思ったら、この山田後輩、実は当方の見立て違いだったらしく。
生来の、生粋の、正真正銘な苛められっ子だったらしい。
人の気に食わないことを、平然と出来る。これは才能だ、有難く無い類の。
「それじゃあ仕切りなおして、先ほどの話の続きなのだけれども・・・・・」
複雑怪奇なスクールカースト制度内にあって、そんな彼女がいかに異端か、推して知るべし。
だが、異端さにかけては加納後輩だって他の追随を許さない。
「っから、ウゼーっつってンっ!!!・・・・だっ・・・・だら・・・・だ・・・らー・・・・。ち・・く・・っぐ、っっっそっ!・・・・あーはいはい、いや、なんでもね。なんでもねぇよ!続けろよバッキャロウ」
心底ムカついて、心底イライラして、怒りも憎悪もあって、今すぐこの場から彼女を排斥したい気持ちに嘘偽りなく。
勢いに任せてハッキリ言ってやろうと、一時の激情に流されはするもののすぐさま本性が戻り尻すぼみ。結果的に意味のわからない罪悪感とか、自省とか後悔とかに引きずられる形で相手を嫌々許容する。
どうしてか?
相手が、自分よりも弱そうだからだ。
弱者に強く出れない弱者。
彼女もまた、異端であるのだろう。


「あ、うん。それじゃあ最初から始めるのだけれどもね・・・・」

山田後輩の、懇切丁寧かつ脅迫観念に駆られたかのような精緻微細なる言い訳が、始まった。
眉をしかめつつ、それでも律儀にひとつひとつのセンテンスに頷きを返す加納後輩の、それはそれは苦々しい横顔を阿呆の如き風体で眺めつつ、どうしてか己はこう思った。



美しい。と。











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