トップに戻る

<< 前 次 >>

ちょっと楽しいカモ

単ページ   最大化   







__________I__________




有名な孫子大先生の言葉にこんなんがある。
彼を知り己を知れば、百戦してもあやうからず。
これは要約する必要もなく、戦うなら敵も自分も知っときなよ便利だからさYOUって意味なんだけど。
他にも大先生は
善く戦う者は、先ず勝つべからざるを為して、以って敵の勝つべきを待つ。
(負けたくないなら防御しろ、マックス防御しろ。どうせいつか相手崩れっから)
虞をもって不虞を待つものは勝つ。
(とりま防御しとけってだから)
などとおっしゃられている。つまり先生が言いたいこととは。

デフェンス最強。ということである。

相手を打ち負かす事にのみ拘泥するような輩は所詮戦闘員クラス。真に強き者は勝つべくして勝つ。
勝利へのスタートラインは自身の限界点の認識。その限界と緻密に組み上げた作戦とを擦り合わせて擦り合わせて確実に勝てる機を虎視眈々と待つ。
決して相手に脅かされない位置に陣取り、忍耐の塊となるのだ。
相手が油断し柔らかな喉笛を無防備に晒す、その瞬間を切望して、牙を研ぐのだ。
だから俺がまず最初にするのは、俺が何者か知ること。遠回りに見えてもこれが近道。
俺の持つ牙を見つけ出す事が、今現在最優先される事柄なのだ。
故に、誰にも邪魔されないところに潜んで一人、自分探究に勤しむ幽霊が出来上がった。



「本当に何も触れない。念じても無駄。というかなんだこの半透明な腕は気色悪い。あと当然のことだが、月光に照らされても可視領域が増えるとかそういうのもないし、影も出来ない。そういえば”感覚がないな”。まあ体がないから当然か。でも”音は聞こえる”。臭いは? ”しない”・・・・嗅覚はないのか。なんで? えっと、五感で残っている風味なのは”視覚に聴覚だけ”だな。じゃあ次に、記憶とかはどうなんだ。えー記憶、記憶は、”残ってる”なバリバリ。忘れ去りたい恥ずかしい思い出だってばっちり完録。そして”先ほどまでの出来事も記憶している”。他には・・・・ああ、欠けた腹はいまのところそのまま。”回復はしない”のかな? それに全力で体を動かしても全然息切れしない。”疲れることはない”って訳か。クリーンだな俺。そんなことよりも、物質にまったく関与できないってのは不都合極まりないな。せめて小石の一つでも念じて動かせれたら話は違ったのだけれども。幽霊って、不便だなあ。覗きは出来るが告発ができないのでは意味がない。なんとか干渉手段を見つけ出したいところなんだが、よく考えたらそれが出来れば佐屋嬢に協力要請するまでもなくなんとか工夫して家族に俺からのメッセージを伝えれば良い訳で。でも仮にそれが出来たとして、それじゃあ彼女は何も学べない。意味がないんだよね、それじゃあ。あ、逆恨みとかしてないよ? 全然、まったくこれっぽちもしていないから。幽霊うそつかないから。うん、さてどうしましょうか」
隠れ潜むことに長けているのは間違いなく武器だ。しかし他にももうひとつ、なにか欲しいのが正直なところ。いわゆる奥の手って奴がさ、あったらいいなって話。
さあどうしたもんかねぇ。
うんうん唸りながらウロウロしていると、奇妙な感覚が体を襲った。うまく言葉で言い表せない、違和感を感じた。
なにかこう、ここにある俺の意識というか、なんというか俺自身の塊が一ミリくらい本来あるべき場所からズレてそこに異物が入り込んできたような。
間違っても体内になにか侵入してきたとか、そういう感触じゃない。というか感覚はない。
俺という存在に割り振られた場所、というものがあったとして。そこに何者かがほんの少し入り込んできた。そんな感じ。感覚はないけど。
地方の高校に通う何等特別なところのない朴訥な学生であるところの伊藤樹。そういう居場所というかカテゴリーというか、なんというか。実存? わかんね。
とにかくそこに、何かが混入した。割り込んだ。俺がズレてそこに何かがはまり込んだ。

「なにこれ?」

驚いて違和感の正体を探す。すると俺の足もとに老人が寝ころんでいた。地元では名の知れた、ホームレスおじいちゃんだ。百メートルを十一秒台で走れるともっぱらの評判で、口さがない小学生たちは韋駄天爺と呼んでいる。
その韋駄天の頭に、俺の右足が入り込んでいた(まあ透過しているのだろうが)。
違和感の正体はそれだった。

「近藤、栄次郎」

爺の名前なぞ知らなかった筈なのにわかる。何となく、彼の悲しい半生も垣間見える。
「薄気味悪っ!!」
驚き慄き、すぐに足を上げた。違和感は霧消する。
「・・・・・気持ち悪ぃ・・・・・・・」
”他人の頭の中身が見える”
まごうことなき、俺の武器だ。しかし、これは、ない。
まるで他人の家に小汚い土足で断りもなくズカズカ上がり込み、フローリングと言わず絨毯といわず汚しつくしてから改めて糞便を垂れ流し万遍無く塗布するような、そんな行為だ、これ。
だって見えた。いろいろ見えた。彼の伴侶も見えたし彼の子供も見えたし脳梗塞で倒れて痴ほう症とアル中のダブルパンチな彼の義父も見えた。特殊なケース故にどこの施設にも受け入れてもらえずタライ回しな苦労も見えたし自宅介護に疲れ果て怒鳴り合う家族の肖像も見えたしいろんなものをぶちこわされてにっちもさっちもいかなくなって全部をリセットせざるをえなかった彼の絶望と悲哀と間違いと悔恨と。
「ざっけんな、ド畜生」
今仕入れた知識を即刻体外へ放出したい。最低だ、本当最低。
だって赤の他人だぞ? それを、どうして、こんなに生生しく。
吐きたい。吐けるものならばいますぐ様々のものを吐しゃ物と一緒に吐き出してしまいたい。しかしそんなささやかな願いさえも、この体は容認してくれない。
生きているわけでもなく、無となり消え去ったわけでもなく。
意地汚く現世へとしがみ付いて、他人の記憶を断りもなく覗き見て。
何がしたいの? 俺はいったい、何を?

「だっから、ざっけるな、ド畜生!」

家族を悲しませたままではいられない。以上も以下も以外も以降も、最初から、空っきしだっつーの。死ね、あ、もう死んでるか。
「ごめんね、近藤さん。でも良い収穫だった、貴方にも良い夜を」
謝罪と謝礼。後はもう、振り返らない。
俺は自分を知った。ならば、次に進まなくてはならない。近藤栄次郎氏は悔恨の中を生きている。これからも変わることはないだろう。それは悲しいことだけれども、それでも彼は生きている。
それに勝るものはない、と俺は断言する。幽霊だからって調子くれているわけじゃない。むしろこれは諦観だ。だって誰だって、自分が一番幸せでありたいと願うじゃないか。
でも、比較対象が生者しかいない俺からすればそうはいかない。死んでいるって時点で、俺に幸福というファクターは当てはまることはない。
未練が晴れれば、消えるだろう。なんとはなしに、そんな確信がある。そこに幸福という概念が絡んでくるかどうか、微妙なところだ。
先は見えない。真っ暗だ。それでも進むしかないのだから、天に唾の一つも吐き出したくなるがそんなことも出来ぬ不自由な体。
俺は、もう死んでいる。




ド畜生。










あらかた落ち込んだところで自分を持ち上げ直す。そういうのは生前から得意だ。とにかくあの気に食わないスケをあっと言わせてやんよ。それってきっとすげー爽快だと思うんよ。
外見がちょっとイケてるからってお高く止まりやがって。そうやって調子に乗ってられたのは、君を罰する紳士がいなかったからだOK?
今はもう違うかんな。
だって俺がいる。
君を断罪し正しき人の道へと導く為に何一つの労苦も惜しまない幽霊がいる。
覚悟しやがれ佐屋美月。風呂場を覗く程度じゃ済まさないかんな。
まずは君という人間を端々まで観察させていただく。なにせこっちは気配皆無のド幽体。いくら視認できるとはいっても、本気で隠れた俺を発見するのは至難の業だろうよ。
そして君という人間を観察しつくしてやる。
朝起きて夜寝て朝起きるまで。
その間、人には言えないようなあんなんな秘め事の一つや二つに留まらず、三つも四つもよりどりみどり。
すべて把握してやる。そしてあらかた把握し終えたその時、おれはもう一度君の前に姿を現す。
君の秘密という秘密を握って、君と真っ向から対面してやる。
精神的に、追い詰めに追い詰めてやる。どうだ、これに耐えられるか?
なるほど君には俺に対する謎の攻撃手段があるようだが。
距離をとっておけばなにも問題はないね、うん。
遠くから、君の人間的欠陥も胸の傷も恥ずかしい過去も恥ずかしい行為も決して人には言えないような秘密も何もかもを暴露したり糾弾したり責め立てたり、時には慰めて。
最終的には、俺に逆らえない奴隷に仕立て上げてやんよ。

ハハ、ハ。あっはっはっはっはっは。



「ちょっと楽しいカモーーーーーーー!!!!!!」

こらえきれず、明後日の方向に叫んでみた。犬か何かが呼応するように、遠吠えを返してくる。
そんな、深夜でした。









5

飛蝗 先生に励ましのお便りを送ろう!!

〒みんなの感想を読む

<< 前 次 >>

トップに戻る