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恐怖のカタチ

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 ファントムが引き揚げた後、馬を失い両肩がまともに動かせない状態では動くのは危険と判断し、ジーノ達は襲撃された場所からそう遠くない所で休むことにした。
「ハイ、ジーノさん、ア~ンして下さ~い」
 フィーは満面の笑みで、ジーノの口元にスープを掬ったスプーンを近づけた。ジーノとしては凄まじく拒否したかったのだが、両手をまともに使えないせいで食事どころか手話すらまともにできないため、されるがままになっていた。普段からフィーはやたらとジーノの世話を焼きたがる所があるが、ジーノは基本的に交渉事以外のことは自分でこなしてしまうため、フィーの出番は少なかったのである。しかし、ジーノが怪我をして満足に動けないのを見ると、フィーはここぞとばかりに世話をし始めた。抵抗しなければ、下の世話までそのまましそうな勢いである。ジーノ自身孤児であったこともあり、周りの人間に必要とされなければならないという感覚は理解できるものの、ここまでされると流石に鬱陶しい。ジーノとしては世話を焼くなら、襲撃があった後からずっと塞ぎ込んでいるリンの面倒を見てやってほしいのだが、フィー曰く一人にしてあげた方がいいそうだ。しかし、今まともに戦える人間はリンしかいないというのも事実だ。前線にかなり大勢の騎士達が割かれている今、国内の治安は平時より随分悪い。たとえ盗賊団が壊滅させられたばかりだとしても、油断はできない。少し厳しいかもしれないが、リンには早く立ち直ってもらわなくてはならない。
 ファントムの襲撃を受けてから一夜が明けて、ジーノの左肩は回復し、右肩もゆっくり動かすくらいなら痛みを感じないくらいには回復していた。どうやら右肩の脱臼は亜脱臼だったらしく、思っていたよりも回復が早かった。まあ手話をするくらいなら問題ないので、ジーノはフィーの過保護から抜け出してリンの様子を見に行くことにした。
 リンは川辺に膝を抱えて座りながら、ただ流れゆく川の流れを見つめていた。昨日から食事にも一切手をつけていないのか、その傍らにはパンとスープがそのままになっていた。ジーノはその様子を少し眺めた後、いきなりリンの隣に並んで座った。それでもリンから何も反応が返ってこなかったため、ジーノは手に持っていた本でリンの頭を軽く叩いた。
「…何よ」
 ようやく目線をこちらに向けたリンに、ジーノは手話で話し始めた。
(なにもしてないなら手話を覚えろ。俺と会話しながらゆっくりやれば覚えやすいはずだ)
 さっきの本をよく見ると、手話の教本だった。リンの表情は全く晴れていなかったが、ゆっくりと教本を手にとると、リンはさっきのジーノの手話を読み解き始めた。
「なにもしてない、か。確かにあたしは何もできなかったわね」
 ぼそりとリンが呟いたその言葉には、強い無力感が含まれていた。
(それは俺も同じだ)
 眼から涙をにじませながら、リンは震え始めた。
「コトダマ使いでもないただの人間に、心の底から怯えるなんて…!」
(恐怖を感じることができるのは正常な証だよ。その感情はいつかきっとお前のためになるものだ)
 ジーノの伝えようとしていることの意味がわからず、リンは涙を拭いてジーノを見つめた。よく見ると、悲しんでいるような、懐かしんでいるような、そんな表情にも見えた。
(さっさと立て。お前はまだ、前に向かって歩くことができるんだろう?)
「落ち込んでる人間に対しても容赦ないのね、あんたは」
 リンはジーノの胸倉を掴んで思いっきりジーノを睨むと、頭突きをかましてから言い放った。
「歩く?なめんじゃないわよ!全速力で突っ走ってやるわよコンチクショー!!」
 流石にリンのその行動に呆気に取られていたジーノだったが、その時彼の見せた表情は、間違いなく笑顔だった。初めて見たジーノの笑顔に、リンは驚いて胸倉を掴んでいた手でジーノを突き放してしまった。そのまま鼻を鳴らしてキャンプの方へ歩いて行くリンだったが、その手にはしっかりと手話の教本が握られていた。

 時間は遡り、リンとジーノが話をする1時間ほど前…。
 フィーは上機嫌に、鼻歌を口ずさみながら荷物の整理を行っていた。ジーノや商人の親子の手当てなどのせいでドタバタしていたせいか、馬車から放り出された荷物の確認がおろそかになっていたため、一つひとつ確かめていた。
 今のフィーにはその作業の全てが、楽しく思えた。ジーノの役に立っているという実感。いつもは交渉事や顔見知り以外とのコミュニケーションしか任されていないだけに、余計うれしく感じていた。ジーノがファントムにやられそうになった時は、心臓が止まりそうになっていたフィーだったが、今はそんなことは微塵も感じさせないほどがんばっていた。まったくもってたくましい限りである。
 もう少しで荷物整理が終わるというところで、フィーは手話の教本が無いことに気付き、他の荷物にまぎれていないかを確認し始めた。結局見つからなかったので、フィーは襲撃された場所を探すためにジーノについてきてもらおうと彼を探し始めた。本当は一人で探してしまいたいのだが、最近は何かと物騒なので付き添ってもらわないと危ないからである。
 ジーノを探して川辺の方へ行ってみると、リンとジーノが並んで座っているのが見えた。何となく木陰に隠れて様子を窺うフィーだったが、何を話しているかまでは分からなかった。いきなりジーノの胸倉を掴んで頭突きをするリンを見て、フィーは呆気に取られていたが、その後にジーノが見せた表情を見てフィーは絶句した。
 ――笑顔?ジーノさんが?
 どれだけ記憶を探してもジーノの笑顔など、出会ってから2年間一度もフィーは見ていなかった。フィーにとってそれは喜ぶべきことのはずだった。しかし、フィーの頭には何故今隣に居るのが自分ではないのか、という疑問しかなかった。その疑問の後にフィーの体を圧倒的な恐怖が駆け抜けていった。ジーノに必要とされなくなる恐怖。それは今の自分を支えているモノが消えることへの恐れ。
 フィーは震えの止まらない自分の体を抱きしめると、誰にも見つからないようにその場を離れた。
 ジーノ達が襲撃を受けた場所から最も近い街で、山賊団を殲滅した騎士の特殊部隊がその傷を癒していた。
「隊長!た・い・ちょ・う~!」
 宿舎の部屋のドアを若い騎士が何度も叩くと、中から垂れ目のおっさん、もといこの部隊の隊長殿が姿を現した。
「うっせーな。俺が寝てる時は太陽が沈み始めるまで起こすなっつったろーが」
「どんだけ寝る気なんスか。それより領主さまから山賊団討伐の件でめっちゃ苦情来てるんスけど…」
 隊長は大きな欠伸をして、耳をほじりながら話した。
「ダーイジョブだってぇ、ここの領主は長いこと山賊団を放置してたんだ。正式な手続きを使って責められるようなことはまずねーよ」
「それでも、住民を領主の許可なく動員したのはまずかったんじゃねースか?」
 隊長は若い騎士の額を思いっきりデコピンすると、明らかにだるそうに言った。
「アホかおめーは。たった7人ぽっちしかいない少数部隊だけで、あの規模の山賊団を壊滅させられるわけがないだろーが」
「いや、そうじゃなくてでスねぇ…」
「連中はたった7人でできたことを、ずっとできずにいたんだ。このことを広めたくないのは向こうなんだよ」
 理屈はわからなくはない。この街の住民を動員して山賊団を討伐したことで当然死者が出ているものの、これまで長い間山賊団に殺されてきた人数と比べればたいしたことはない。ならば無能は領主の方であり、正式に抗議すれば自身の力の無さを自ら宣伝することになりかねないわけだ。
「そーゆーわけだから、てきとーにあしらっといてくれ」
 そう言うと隊長は大きな欠伸をして部屋に戻っていった。
「まじスか。…まあ、なるよーにしかならんと思っておきまスか」
 そう言うと若い騎士は渋々引き下がった。
 特殊遊撃部隊D-9、特殊遊撃部隊など名ばかりの、左遷された騎士が行き着く屑部隊である。部隊名のDも、”ドロップアウト”からきていると、もっぱらの噂であるのと同時に事実でもある。現在国境線近くにほとんどの戦力が割かれている中で、出世も望めない治安維持任務を受け持っている。その任務のほとんどが、少人数部隊では不可能なものが多い。最短記録では、D部隊が結成されてからわずか3日で全滅したこともあるのだとか。そんな生存困難な中で、D-9部隊は結成されてから全滅までの最長記録を保持している。任務中に死亡者が出たことはあるものの、この部隊で”2年3カ月”という長期間部隊を全滅させずに困難な任務を続けてこれたのにはわけがある。
 フラッグ・フィックスがD-9の隊長になってから、彼らは部隊として機能し始めた。もともと平民出身にもかかわらず、5年で中隊長まで上り詰めた男。上官である貴族を、命令が気に入らないという理由で半殺しにしてしまったという過去を持つ。もともと実力のある男だったので、D-9部隊に配属されてからもその能力はなんの問題もなく発揮された。…というのが建前である。まあ能力が高いのは本当のことなのだが、D-9が長持ちしている本当の理由は別にあった。フラッグには人が最もされたくないこと、嫌がることを探し出す才能を持っていたのである。まあ細かい話はここでは省くが、その才能をフルに発揮してフラッグはD-9で成果を上げ続けていた。
 そんな彼が新しい任務でルグレンに向かうことになるのは、それから3日後のこととなる。
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