『霧の国の白い夢』
ずいぶん前から霧の国に彷徨いこんだが、それももう終わりらしい。
ここは風通しがよく、静かで、何もない場所だ。草や土のにおいがする、それだけの場所だ。俺はそこへ迷い込んで、もうしばらく何もせずにこうして暮らしている。ここにいると落ち着く。一寸先も見えない白い闇のなかでだけ、俺は心が安らぐようになっていた。もうずっとここから動きたくない。
そうして英気が養われると、周囲に視線が向くようにもなる。そうして俺は黒い影を見つける。それらは人型で、こっちを見ているような気配もない。新参者の俺に注意を払わないなんて、とても生きている人間には思えないなあ、なんて考えていたら実際にそうだった。ふと霧からわずかに見えた顔は、どこかで見た顔で、けれど誰なのか咄嗟にはわからない――それが死人だと気づいたのは、ついさっきのことだ。俺は立ち上がって、霧の国を歩き回った。
どいつもこいつも生者じゃない。
そんなみんなのことを俺はよく知っていた。よくよく考えればこの霧の国は俺の知っている人間しかいないのだ。それもみんな死んでしまった人たちだ。俺もずいぶん長生きしすぎて、顔馴染みが増えたけれども、その中でもとびっきりのメンバーがそこにはいた。俺に興味などなさそうで、どこか遠くを煙った目で追っている彼らこそ、俺の求めるメンバーだ。まじりっけなしの本物というやつ。俺はそれを確かめて、ほっと溜息をつく。見れば俺の手もすっかり半透明で、くたばっちまったことは間違いない。けれど全然それで構わない、生きていたって仕方ない。いったいどこへ行けというんだ? あてもなく彷徨い続けるのはうんざりだ。俺はもう彷徨いたくない。
だから、この国で俺は満ちる。
ここにいるのは本物だけだ。偽物なんていやしない。誰も彼もが俺の見知った、俺が認めた、俺のメンバーだ。嘘つきなんていやしない。そういうやつらにこの白い土は踏ませない。ここは俺の国だ。俺が認めたやつらの国だ。そして同時に、きっと、俺もやつらに認められたんだ……それはきっとに過ぎないが。
紙のこすれる音がする。悲しみがすり抜けていく気配を感じる。俺は白い闇をあてどもなく突き進み、出会っては遠のいていく懐かしい彼らを想う。本当に親愛の情を持てるのは、血よりも濃い繋がりは、俺のような人非人からしか発生しない。俺は死んだが、おかげで少し生きているような気がした。それで充分満足だ。
白い闇が渦を巻く。俺を取り囲んで煙に巻く。俺はそれに逆らわない。なすがままに任せる、俺もまた彼らと同じ影になるまで洗われる。それでいい。俺は戻ろうってぇ気分に生涯なれそうもなかった。俺はここでいい。ここで自分が来た道を振り返り、そしてあんたがこっちへ来ないで通り過ぎるのを確かめてから、彼らにまじって、お茶でも飲むよ。甘いやつ。