『わが2014年(仮)』
もういつの頃からか、いつ寝てるのか起きてるのか、いつが俺の朝でいつが俺の夜なのか、わかんなくなっちゃった。少なくとも二年以上はこんな暮らしをしているわけで、そりゃあまあ体調も悪くなるわけなんだね。直射日光を浴びて無理やり起きていようとすると吐き気がしてきて両手は痺れるし気持ちは重くなるし、ついつい目先の睡眠に没頭してしまうんだけれど、そうすると今度は寝起きがまた酷くって、しゃがみこんだまま立ち上がれない。とはいっても俺なんかいつもオーバーに言うほうで、まったく身じろぎもしないわけじゃないが、少なくとも籠の中の犬くらいには身動き出来ていないね。うちの犬ももう九歳でおじいちゃんなんだが、ケージの中で悲しそうに横たわったまま動かない時なんか、可哀想だな、と思う。出してやりゃいいんだが、いたずらっ子ということもあるし、うちのお袋が過保護ということもあって、散歩の時以外はずっとケージの中なんだ。だからまあ、俺もワンコもそんなに変わらない身分なんだね。
で、さすがにこんな暮らしが続いていると、原因に思いを馳せないわけにはいかない。仲間内でも「なんであいつはあんなに具合が悪いんだ」なんてメシ喰いながら議題に上がるんだがね。俺にだってわかりゃしないんだからはにかむくらいしかやることがない。このままいくといくところまでいっちまうのは分かってるんだが、直らないねぇ。
元々、いつの頃から発症したか、たぶん最初期で2011年頃だったと思うね。友達と海にいったんだけど、いまいち気が乗らなくて、現地についてからぶっ倒れた。雨だったしね。それで海の家の人に心配されたりして。申し訳ねぇなぁ、せっかく集まったのになぁ、と思いながらもはしゃげなくって、寝転んでる。
その頃の俺と言えば書店のバイトを始めて一年目で、普通なら慣れてくる頃合だったんだろうが、全然慣れてなかった気がするね。どうも俺はおっちょこちょいで、仕事なんか何をやらせても冴えないんだから仕方が無い。やっぱり働くのがつらかったんだろうな、と回り続ける時計を見上げて今でも思うよ。決してきつい仕事ではなかったんだけどね。書店だし、店仕舞いする時だって「今日べつに俺なんもしてねーな」なんて思ったり。ま、翌日に入荷する本の前準備なんかもあるから、書店員だって遊んでるわけじゃないし、ちょこまかとこまごましたやることはあったんだけどね。慣れれば寝てても出来るから。
それでも上手くいかなかったねぇ。なぜなんだろう。
俺はどうも抜けてるところがあって、それが直らないんだな。たとえば社員さんに「ちょっと目の前の人形とって」なんて言われたりする。進撃の巨人が放送してた頃で、巨人の人形だったんだけどね。
目の前にあるのに、取れない。
社員さんもびっくりしてたが俺もびっくりしてたね。えーとえーと、なんていいながら目の前にある巨人がわからなくってメモ帳の下なんか覗いてる。ギャグでやってるのかと思われたのか、社員さんは半笑いだったけどね。そのままギャグで押し通しちゃうこともあるんだが、俺はべつにそんな気はないから、内心ヒヤヒヤでね。こんなことでも、俺もそうだし、周りの人たちもストレスが溜まっただろうな。こういう小話が、掘り出せばいくらでもあってね。
べつの時はレジのレシートが足りないんだ、なんて社員さんが暗い顔して話してて、俺は気の毒に、大変ですねえ、なんていったり思ったりしながら次にとった行動が、レジ点検シートボタンを押して大量にレシートを出しちゃった。
これには社員さんも愕然としてたね。足りないっつってんのに大量に目の前で使いやがったわけだから。俺もやってから「あ、やべ……」と思うんだけど、どうもその感覚が薄いんだな。だからべつになんでもないことのように「赤色になってますね」とか言うんだけど、そりゃ向こうは憮然としてたよ。まだ若い社員さんだったしね。
どうしてこう、抜けてるのか、自分でもさっぱりなんだ。小説なんか書かせれば誤字なんてほとんどしないね、なんて褒めてもらえるんだけど、実生活じゃそれがそっくりそのままひっくり返って、ミスの連続。自分でもそれが分かっているから、申し訳ないと思うし、なんとかしたいんだが、どうしても直らない。数字関係はそれで駄目でね。何度やってもケアレスミスをする。
書店の本って古くなったら系列の倉庫に戻すか、あるいは出版社に戻すか、そんなところなんだけど、夕方になると書店バイトはみんなその日に入荷した本を並べる代わりに外した本を返品に回すんだ。で、俺は一度店舗移動になったことがあるんだけど、行った先の書店は返品する本の冊数をカウントするところでね。バーコードリーダーでピッピッピって打ってくんだが、それを全部数えなきゃならない。これが出来なくってね。何度やっても冊数がズレる。一冊一冊、手打ちでカウントして十冊になったらダンボールに入れる、そんな風に丁寧にやっても駄目。十冊ズレる。もう嫌になってねぇ、機械のせいかと思って他人の記録をほじくり返して点検したら、ほかのみんなは出来てたり。今でもなんであんなにズレてたのか分からないな。
で、ズレてたらどこでズレたのか確かめろってんで、一日かけて詰めたダンボールをバラして再点検させられたり。賽の河原かと思ったね。まァズレを出す俺が悪いっちゃ悪いんだが、いよいよ数字関係は俺には無理なんだ、とへこたれた。性格がいい加減な方だとはいえ、気を遣ってもちゃんとできないんだから、八つ当たりもしたくなる。三年も働いてそんなだから、移動先の若いバイトの男の子に「三年やってたんですよね?」とかそんな口を利かれたりね。下積みなんていくらやっても無駄なんだな、と悟ったよ。
まァ、出来ないのが悪いんだからね。八つ当たりなんだけれども。
で、俺も出来ない自分が分かってるから、シフトの相談なんかは無条件で乗ってやる。どうせヒマだしね。だから月に二、三回はピンチで入って、「あれ、○○くん、今日もなの」とか言われて。それで「シフト変更したら店に連絡入れてね」と変更を希望してきたやつじゃなくて店に出た俺が叱られたり。いやいや、向こうが入れてくれてると思ったよ、なんて思いながら平謝り。思い出しても悲しい気分になってくるね。
俺ね、なんとかしたいってずっと思ってるんだ。自分が使えないやつだってのはよく分かってる。だからバイト始める時なんかも、
「この曜日、入れる?」
「大学を休めば……」
「いや、大学は休まなくていいよ(笑)」
笑い話なんだけどね、俺に悲壮感があるから、向こうもこいつちょっとやばいな、みたいな顔になったり。俺はまじめに、ちゃんとやろうって思ってるんだけどね、向こうにはそれが奇異に見えるらしい。俺はいつでも出来ないから必死なんだな。必死なんだけど、報われない。こんな笑い話が人柄のよさとして相手に伝わればまだいくらか救われるんだが、「めんどくせぇやつだな」で俺の場合は終わってしまう。だから職場で好かれないし、かといってシフト変更の時なんかは使えるから、おおっぴらに邪険にはされない。でもみんな俺をシフト変更要員としか見てないわけだから、そういう必要が出たら全然容赦してくれない。みんな困るとこぞって俺に連絡してきたりね。同時に三人から交代希望のメールが入って、まともに受けたら俺が朝夜連勤になっちゃう時なんかは流石に断ったけど。いつもヒマだと思われてるから、俺がいつ入ってるのか、シフト表を見てくれてないんだな。それでも相手が後輩だったりしたら「あの人に聞いてみれば?」とアドバイスしたり。俺、こんなに出来が悪いのに兄貴風を吹かしたいほうでね。年下が困ってたりするとついつい手を出してやりたくなる。余計に状況を悪化させちゃったりもするんだけどね。
俺のこの悲壮感というのは相当なものでね。
一度、店舗のトイレの床に下痢便が垂れられてたことがある。朝でね、トイレに入ったら明らかに異臭がするんだ。で、個室を開けたらカレー二杯分くらいのがされてた。
泣きたくなったね。どうしようかと思った。普通なら社員さんに言うんだろうが、「トイレにウンコされてます」なんていう自分が恥ずかしい。ひょっとして俺がやったんじゃないか、と疑われたりしたらどうしようかと思ったり。ちょうど当直の社員さんが若い女の人だったりして、やっぱり言いづらい。朝からこんな案件を引っ張り込んで申し訳ないな、と思う。俺がやったわけじゃないんだが、向こうはそうは取ってくれない。「またお前か」と思われるのは、顔を見れば分かる。
結局トイレットペーパーを総動員して、自分で処理した。血がまじってたから、相当痛かったのか、変態だったのか、今でもわかんないけどね。普通は、どうするんだろう。どうも俺のキャラクターもあるのか、誰に言っても同情してもらえなくって、よくあることなのかなと思ったりしてるんだけれども。あの朝は本当につらくて、下痢便を処理した後に自分も下痢するっていう凄まじい一日だった。悲しいから考えたくなかったけど、一日ウンコくさかったんだろうなあ。こんなことでも、少しずつ人に距離をとられてしまう。喜劇なら面白いんだけど、実体験だからね。俺はべつにチャップリンになりたいわけじゃないから。
今でも人に煽られたりしてあまり怒ったりしないのは、怒り疲れたというのもあるんだけれど、こういう細かなトラブルが日夜絶えない人生だったから、今更ちょっと喧嘩売られたって、べつにそいつが俺の代わりにウンコ綺麗にしてくれるわけじゃないからね。うんうん、と聞き流しちゃう。まァ、聞き流せるくらいに疲れちゃったんだな。可哀想に、とか、気の毒だったね、とか、ちょっとした一言を誰かに貰えれば忘れていけるんだが、誰もそんなこと言ってくれずになんとかして「お前が悪かったんだろう」という結論に持っていこうとするから、日常生活じゃ誰にも相談も愚痴も出来ない。トイレ開けてウンコされてることの何を回避しろというのか、お祓いでもいけばいいのかね。馬鹿馬鹿しいや。
こんな風にして、自分に出来ることは最大限にやろう、というのが俺は骨身に染みてる。出来ることだけはしないと、俺なんか生かしておいてもらえない。存在することを認めてもらえないから、何がなんでも自分に出来ることはやる。でも俺がいくら頑張ったって、そつなくこなすやつの百分の一も評価されたりしない。長く続けてるバイト先で、新人の子のほうが上手くみんなに馴染めてたりするのを薄く笑いながら眺めてる。俺にはそんないい顔してくれないじゃん、なんて社員さんに思ったりね。依存癖が強いから、顔に出てたら凄い表情をしていたんだろうな。俺は、愛されたいんだよね。
メチャクチャ言ってる、ってのは分かってるんだけどね。能力も魅力もないんだから愛されたいなんてメチャ言うな、って言われたら返す言葉もない。でも、理屈と感情は別だからね。自分のミスをどうにもできないのと同じくらいのレベルで、俺は自分の感情を制御できない。耳鳴りみたいなものなんだな。
だから必死に頑張る。気を張って、要求されたことは全てやろうとする。それぐらいの気持ちじゃないと仕事なんて出来ないし、また許しても貰えない。許されるために必死に頑張るんだけど、やっぱり届かない。棚卸しで来てくれ、と言われても、身体がきつかったりして「ちょっと急用が……」なんて言って断ったり。夜中から明け方まで徹夜でやるんだけどね。急用もクソもあるか、と思ったんだろうね、社員さんのメールが急に冷たくなったり。色々一生懸命やっても、ちょっと断っただけで全部ポシャだ。慣れてるけどね。慣れてる。
俺が一生懸命やってたことは、今の俺の体調を見れば一目瞭然なんだけれども。夕方五時から夜十一時までのシフトで、普通の大学生なら、まァ自宅からバイクで五分の職場なんて天国だったろうな。それでも俺はのろまだから、家に帰ってご飯を食べて風呂にでも入ると平気で夜中の二時三時。次の日に必修の中国語が入ってたりして、どうしても休めないから無理して出て行く。教室でぐーぐー寝ちゃってね。そんなことを繰り返してたら、いつの間にか昼夜逆転して、そのまま生活してた。家族はどうしてたかっていうと、特に何もだね。家庭内別居みたいなものだから、一度親父がお袋に「○○が降りてこない、部屋で死んでるんじゃないか」とお袋に言ったらしいが、お袋は様子を見に行くことを拒否した、なんて話がある。結局俺は寝てただけだったんだがね。まァお袋は俺によく似てて、その時の自分のテーマ以外に興味を持たない人だから、もう俺はあの人のテーマじゃないんだね。書き終わった小説みたいなもんだ。
で、去年の暮れにいよいよ俺はおかしくなって、カウンターに立てなくなった。レジってのはだいたい白いから、そこに蛍光灯の光がまともに当たると結構強く反射して目に痛い。あと最近はレジそばに販促PVでずーっと映画のCMとか流したりするから、神経が休まらない。それでひどい頭痛がして目も開けられない。社員さんに「頭が痛いんで、早引けしてもいいですか」って言ったら「ふうん。相方に相談してみないと分からないな。……あ、残れる? そ、じゃ帰っていいよ」なんてあっさりしたもんでね。まァバイト衆から嫌われてる社員さんだったけどね。あの時は、つらかったなあ。俺は人から「大丈夫?」なんて声をかけてもらったこと、ほとんどないな。街を歩いててそんな現場に出くわしたりすると「俺とそいつの何がそんなに違うんだ?」と横目で見ながら通り過ぎたり。頑張ってるつもりなんだが、まァ、そういう星の下に生まれたんだと思うしかない。
結局、倒れこむようにしてバイトをやめて、家で休み始めた。最後にいったのは給料明細を貰いにいくときで、「もうすぐやめる人多いから、○○くんも送別会に来てね」なんて言ってもらえたんだけど、それっきり。普通は三年も勤めたら呼ばれるもんだけどね。そういう時代なのかな、ってのも変な話だな。ほかの人はしてもらってたし、そういうときは俺も参加してたから。飲み会なんか行くと俺なんかはしゃいで結構みんなウケてくれるんだけどねぇ。店長の命令でウズラのタマゴを殻も剥かずにバリバリ喰ったりね。俺は許されるためなら、どんなことだってしたいんだ。
まァ、今年の春先なんか本当に人間粘土状態で、人と顔を合わせるたびに情けなくって涙が出そうになるって有様だったから、送別会なんて呼ばれなくって助かったんだけれども。もう声に詰まっちゃってね。俺なんか自分に自信がないから、ちょっとでもそれに傷がついて誰かに「でも、君って○○じゃん(笑)」なんて言われる要素が自分にあると意識しちゃうと、何も出来ない。立ち往生になる。途方に暮れてしまう。
ここでは小説書きとしての俺しか知られていないから、意外に思われたりするのかな。でも、本当に俺っていう人間は、小説以外は何も出来なくてね。人生、いろいろなことをやってみて、苦手なことにもトライしてきた方だとは思うんだが、誰かに褒めてもらえたことって小説しかない。高校で柔道やったり、ちょっといいとこの大学に入ったり、麻雀を打ったり。いろいろやったが、続いたのは小説だけだったね。なぜなんだろう、俺ももう何度もやめようやめようと思いながら小説を書き続けているんだけれども、本当に振り返ってみると、他に出口がない。どう生きていけばいいのか、まったく四方闇中で足の踏み場もないんだ。困っちゃうよね。
みんな、どうやって生きてるんだろうね。ちょっと前に本格派のニートの方と話す機会があったんだけれど、やっぱり俺とは生き方が違うな、と思った。なんていうか、本物のニートという人は、自分の欲望に正直だね。それが叶っている間は、文句はない。俺なんか時間が無限にあったって気にいらねぇんだから、もう本人にも何をどうしたいのかがさっぱり分からない。自分の本棚の前に突っ立って、どの本が読みたいのか、何を探しているのかわかんなくって、何十分も身動き出来なかったり。他人と同調してもロクなことがねぇから自分のやり方でやるんだ、と思ってみても、『自分』の道の先に参考になりそうな人生が転がってないから、いつも行き当たりばったりでぶつかっていくしかない。それで心身ともに脆いんだから、何かするたびに擦り切れていく。ニートまで向いてないってんだからお話にならないなァ、と我ながら思う。そんな風にしてたら、もう今年も終わっちゃう。本当に寝て起きて小説を書くか、ちょっと知り合いと遊ぶか、それぐらいだったね。それ以外はずっと横になって、何がしたいのかを考えてる。
愛されるというのは、本当に難しいことなんだなあ、と実感する日々だった。愛されなければ生きていけない、愛されれば、ちょっとの無茶は誰かがフォローしてくれる。あるいは愛されることで、ファイトとかパワーとかが湧いてくる。もっと世の中が、そういったもので溢れればいいんだけどねぇ。どうも、嫌われ体質というものはあるもんで、自分の不徳や不実の為すところと分かってはいても、どうにもならない。この話も、いつかもう書いたことだったのかどうか、覚えてないのだ。