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許されざる正解

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 もう、五十年も昔の話になる。


 父を入院させることにした。もうずっと長いこと、具合が悪そうにしていたから。
 しかし、頑固者の父はそれを嫌がった。昔から根性論や精神論をよく好む人で、融通の利いた試しがなかった。だから私が入院を薦めた時も、顔を老猿のようにしわくちゃにして、拒絶した。病気なんてものは気の迷いからなるもので、かえって大袈裟に振舞えば振舞うほど病気は喜び、宿主を痛めつけようとする。いじめと同じだ。耐えられるうちは、無視するのがいいのだ――そう言って。
 私は諦めた。父を説得することを。
 だから、ある晩、夫に頼んで寝ている父を車にこっそりと乗せてしまい、山の中のサルトリウムへと連れ込んでしまった。私はそのまま父を置き去りにしてしまったが、翌日、サナトリウムの看護婦からかかってきた電話で目覚めた父がきちがいのように暴れまくったことを知った。私は深々とため息をつき、謝罪したが、看護婦は笑っていた。よくあることなんですよ、と。父はきちがい専用のクスリを打たれて、今は大人しくなっているらしい。
 投薬を必要とするしばらくの間は、そのクスリで虎を猫にしておきますよ。今でも私は、その看護婦の優しい声音を覚えている。


 それから数ヶ月が経って、私は初めて父を見舞いにいった。夏休みに入ったということもあり、息子が友達とキャンプにいっている隙を突いて、煩わしい家事を置き去りにして私は夫と父のいるサナトリウムを訪ねた。
 父は、目に見えてやつれていた。
 私は、病室のドアを開けたところで、次の一歩が踏み出せなくなってしまった。
 そんな私を、父は他人を見るような目で見ていた。聞き慣れぬ咳をするようになっていた。
「咳――」と私が言うと、父はぶうっとティッシュで鼻をかんだ。
「そんなに、悪いの。悪化してしまったの」
「ちがう――」
「ちがう、って」
「感染(うつ)されたんだ」
 その時、まるで神様が脚本根性に精を出したかのように、隣の病室からたった今聞いたばかりの人を不安にさせる烈しい咳が聞こえてきた。
 五十年も昔の話である。
 病人はひとつの建物に隔離され、感染性のあるものかそうでないものか、その区別もなく入院させられていた。当時の腕利きのヤブがたまたまその病院には大繁殖していたのかもしれないし、隣室の患者の病気がまだ解析されていない新種のものだったのかもしれない。いずれにせよ、父は、決して空気を交換し合ってはいけない人間の隣室に寝そべっていた。外のバルコニーはその階の部屋部屋と繋がっていた。
 私は呆然とした。
 父はそれからすぐに死んだ。
 誰にこの話をしても「あなたは悪くない」とみんな口をそろえて、私を慰めてくれる。私も、もう昔の話だから、そうであって欲しいとも思う。
 けれど、あの父は、絶対に私を許してはいなかったであろう。
 そういう、すべてが苛烈で、自分の生き方を誰かに捻じ曲げられることを最も忌み嫌った人が、誰かのせいで命を落としたのだから。
 誰かのせいで。
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