Neetel Inside 文芸新都
表紙

少女よ早く僕を踏め
【青編】 後編

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 私は、虐められている。
 登校してきて、思わず声を失った。
 机の上には私を罵るための言葉が油性ペンで書かれている。
 偽善者、糞女、処女、腐れマンコ、死ね、色々と。
 教室の隅々から、笑い声が聞こえてきた。誰も彼もが、私を笑っている。ティッシュで拭いたが、もちろんとれない。悔しさが滲み出てくる。
 とりあえず座ろうとして、机と椅子が接着剤で床と固定されている事に気付いた。必死に引っ張って、どうにか椅子だけ剥がした。
「何やねん……」私は唇を咬んで、必死に堪えた。

 午後、少し目を離した隙に筆箱、教科書がなくなった。それらは女子トイレの中でボロボロになっていた。誰がやったのか、私は特定できない。
 教師は何も言わなかった。昨日の一件以来、私は問題視されているようだ。この際、虐められて登校拒否を起こしてくれたほうが良いとすら思われていたのかもしれない。都合の悪い存在が消える事を望んでいたのかも。
 ボディーを打つような鈍く小さな一撃が、徐々に私の中に蓄積されていく。
 昨日の一件から、無闇に人を疑う事が出来ない。
 私は抵抗する術を失っており、その権利を剥奪されてしまったのだ。
 
 二日、三日、四日と経った。
 虐めは緩やかに、着実にエスカレートして行った。
 鞄がなくなり、体操服が切り刻まれた。
 またスリッパがなくなり、以前もらったばかりなので先生に言う事も出来なかった。
 嫌がらせをしている人物が誰か特定できなかった。新山達かと思えば、彼女達のいない時に事が起こることもあった。どれだけ気をつけても、防ぐ事が出来なかった。四面楚歌とはこの事だ。
 以前なら、以前の私なら抵抗も、対策も、何か出来た。
 元気と行動力、それが自分から失われている事に気付いた。
 最初はほんの人助けのつもりだったのだ。すぐに亥山君を助ける事が出来ると思っていた。彼と仲良くなり、加奈ちゃんとも友達になれた。彼らの家はいつも温かかった。その中に自分を入れてもらえたのが嬉しかった。
 いつの間にか、あの家の温もりが、加奈ちゃんの笑顔が、亥山君の存在が、心の大半を占めていた事を痛感した。
 あの日以降、彼らの家には行っていない。行けるはずがない。
 本当は尋ねたかった、亥山君と新山はどういう関係なのか。今までの事は全部嘘だったのか。
 そして。
 私は彼に謝りたかった。
 彼が虐められていたと言う事実をクラスに広めた事を。
 彼は私を裏切ったかもしれない。でも、私も彼を裏切ったのだ。
 そもそも私たちのした事は本当に裏切りだったのだろうか? 喫茶店での光景を思い出すと、胸がもやもやする。出てくることのない答えに、胸が締め付けられそうになる。
 気がつけばずっと下を見て歩いていた。顔を上げる事が出来なかった。自分に自信がなかった。
 放課後。いつの間にか私は、校門を出て坂を下っている。足元が酷く濡れていた。靴箱に入っていた私の靴が何故か水道にあったからだ。
 頭の中がはっきりと整理できない状態に加えて、周囲からの嫌がらせ。一日が随分と長く感じた。
 辛い、と言葉にするのは簡単だったが、それを口に出すと自分は耐えられなくなる気がした。まだ学校に通えているのは、負けたくないと言う自分の強気な性格のおかげだろう。
「青ちゃん?」
 坂の途中で名を呼ばれ、振り返った。ツインテールの女の子が、自転車と共に立っている。
「……加奈ちゃん」
「何か久しぶりだねぇ。ここ最近全然会ってなかったし」
 朗らかな笑顔を浮かべながら加奈ちゃんが近づいてくる。スクールバッグを自転車のカゴに入れ、小動物の様に。
「最近家に来ないよね? どうかしたの?」
 その言葉から、彼女は何も知らされていないのだと分かった。
「い、いやぁ、別になんもないねんか。ただ、ちょっと最近忙しくてなぁ。ごめんな」
 精一杯の明るい声でそう言うと、加奈ちゃんは訝しげな目をして顔を近づけてきた。彼女の大きな瞳が私を捉える。思わず身を引いた。
「な、何」
「青ちゃん、何か元気ないね」
「き、気のせいやろ」
「ううん、気のせいじゃないよ。下を見ながら歩く青ちゃんなんて見たことないし。……それに今にも泣きそうな顔してる」
「う、嘘」私は思わず自分の顔を触って確かめた。そんな顔をしていたのだろうか、私は。
 しかし触ってから気付く、騙されたのだと。
「ほら、やっぱり」
「うぅ……」
「ねぇ、どうしたの。クラスで何かあった? それとも、お兄ちゃんと喧嘩でもした?」
「いや、それは……」
 私は一歩後ずさった。それと同時に、ぐちゃりと言う濡れた靴の音が鳴る。
「どうしたのその靴。何で濡れてるの?」
「いや、これはな、ちゃうねんか。何もないねん」
 慌てて言葉を濁すが上手い言い訳が見つからない。
「うちアホやからな、ちょっと汚れがついて水道で洗うつもりがミスって濡れてもうてん」
「ふうん」加奈ちゃんは疑わしそうに私の靴に視線を落とす。「その割には随分ぐっしょり濡れてるみたいだけど」
「か、考え事しとってな。そう、考え事しててボーッとしてもうたんよ。そのうちに水が浸透してもうたんや」
「青ちゃんも結構うっかりしてるんだね」
 相手が全く信じてないのがわかった。口だけこちらに合わせている感じだ。
「でもどの道その足だと帰りづらいでしょ? 乗って。送ってあげる」
「え、ええよそんなん。悪いし」
「良いじゃない。私と青ちゃんの仲でしょ。それに久々だし、青ちゃんと一緒に帰りたかったんだ」
 加奈ちゃんはそう言うと私の鞄に手を伸ばした。油断していたので簡単に奪われる。
「さぁ乗った乗った」奪い取った鞄をカゴに乗せると加奈ちゃんは自転車にまたがった。
「う、うん。ありがと」私は恐る恐る後ろの荷台に乗る。
 加奈ちゃんが立ちこぎで自転車を動かした。徐々に勢いがつき、スピードに乗る。加奈ちゃんの背中が私の視界を埋めた。
 
 放課後の街を、これだけじっくり眺めるのは久しぶりだった。決して気分が良い訳じゃない。でも、背中越しに聞こえる彼女の声の方が沈んでいるように思える。
「お兄ちゃん、最近元気ないの」自転車を漕ぎながら加奈ちゃんが言う。「学校で何かあったのかなって思ったんだけど、青ちゃん何か知らない?」
「……」
 掻い摘んででも事情を説明すべきか迷った。でも都合の悪い部分を省いて下手に話すと後々齟齬が発生する気がする。だからと言って話さないと加奈ちゃんが可哀想だ。どうすればよいか判断がつかず、すぐに答えが出ない。ペダルをこぐ音が妙に耳につく。
「お兄ちゃんね、ああ見えて結構青ちゃんの事気に入ってたんだよ。家に帰って来て青ちゃんが遊びに来てたらホッとしてた。これってすごい事なんだよ? まるで人に無関心だったお兄ちゃんが、誰かを気にすることなんてこれまでになかったんだから」
 私は何も答えなかった。何を言えばいいか分からなかった。
 不意に自転車がブレーキ音と共に止まった。信号だろうか。見ると加奈ちゃんがこちらを向いていた。
「特に詳しい事情は知らないし、私が言うのは違うかもしれないけど、青ちゃん、もしお兄ちゃんと喧嘩してるなら仲直りして」
「えっ?」
「青ちゃんに元気がないのはお兄ちゃんと喧嘩してるからだよね。だから最近昼食の時も来てくれないし、うちにも遊びに来てくれない。私はお兄ちゃんにも青ちゃんにもいつも笑顔でいて欲しいんだ。無茶を言ってるのは分かってる。でも、お兄ちゃんと仲直りして欲しいの」
 ああ、もう誤魔化せないな。
「でも……うちにその資格はないよ」
「どうして?」
「亥山君を傷つけたんはうちやねん。うちは、亥山君に酷い事をしてしもた」
「でも、青ちゃんも傷ついたんでしょ? お兄ちゃんと喧嘩して」
 私は黙って頷いた。その様子を見て加奈ちゃんが続ける。
「お兄ちゃん、青ちゃんに傷つけられた事じゃなくて、青ちゃんを傷つけた事で傷ついてると思う。お兄ちゃんは自分の痛みには鈍感なんだけど、人の痛みには敏感だから」
「そうなんかなぁ」
「そうだよ。絶対そう。だから青ちゃんがお兄ちゃんに声を掛けるだけでお兄ちゃんは救われるんだよ。生まれてこの方ずっと妹やってる私が言うんだから間違いない」
 加奈ちゃんはそこまで言うとにっと口を大きく広げて笑顔を見せた。愛らしい表情だ。釣られて私も笑ってしまう。
「やっぱり青ちゃんは笑ってる方が良いね」優しい声で彼女は言った。心に幸せが満ちる。
「加奈ちゃんのおかげで元気出たわ。ありがとお」
「えへへ、どういたしまして」加奈ちゃんは照れたように頭をかくと再び自転車を漕ぎ出した。
「自分の痛みに鈍感かぁ」
 その言葉が妙に頭に残った。私も、どちらかと言えばそのタイプなのかもしれない。似たもの同士なのかな、二人とも。
「でも良く分かったね、亥山君がそんな性質やって。さすが双子」
「そりゃあ、お兄ちゃんは真性のドエ……らい神経質な性格をしているからねぇ」
「なんやそれ」私は思わず吹き出した。
 なんだか、希望が見えた気がする。

 自宅前まで送ってもらい、自転車を降りた。
「ありがとお」
「どういたしまして」
 少し間があった後、私は口を開く。
「うち、亥山君に謝るわ。明日と言わず今日にでも。亥山君、家におる?」
 すると加奈ちゃんは申し訳なさそうに首を振った。
「ううん、今日は本屋に寄ってからアルバイトだから遅くなるって」
「そうなんや」
「あ、でもお兄ちゃんのアルバイト先に行ったら良いんじゃないかな。ここからちょっと行った場所にある喫茶店なんだけど」
 加奈ちゃんは言いながら喫茶店へと続く道を指差した。
「ああ、そこやったら知ってるわ。一回行ったことあるし」
 数日前の光景が脳裏をよぎる。あの時の二人の顔を思い浮かべるたびに、心がしくしくと締め付けられる気がする。でも、今はそれを気にしてはいけない。
「……亥山君、何時からアルバイトなん?」
「六時からだけど、いつもは五時半にはバイト先に行ってるよ」
「じゃあ、それまでに行って亥山君を待ち伏せしとこかな」
「お兄ちゃんきっとビックリするよ」
「そやろな」
 私達は笑った。
「それじゃあ、私はもう行くね。仲直り、上手くいくと良いね」
 加奈ちゃんはそう言うとペダルに足を掛けた。
「あ、あの加奈ちゃん」
「何?」
「もし、もしやで? 仲直りが上手く行かんかったとしても、うちと友達でいてくれる?」
 すると加奈ちゃんは呆れたように笑った。
「何言ってんの。当たり前じゃない」
 私は自転車で走り去る彼女の背中を見送った。去り際の笑顔、それは私を勇気付けた。
「ごちゃごちゃ考えすぎやったんかもなぁ」
 ここ数日の私はすっかり自信を失っていた。自分の行動がただの自己満足で、誰の役にも立ってないのではないかと不安で仕方なかった。
「結果を気にしてるからあかんかったんやな。こうなったらとことんやったろうやないの」
 私は再び勇気を取り戻してくれた友人に深く感謝した。
 まずは亥山君、彼を取り戻す。
 
 まるで異世界だと思う。
 胸の鼓動を抑えてドアを開けると小さな鐘が代わりに鳴り響いた。
 壁にはまるで新居の様に木目が浮き出ており、艶やかな漆にコーティングされている。そっと後ろ手でドアを閉めるとざらりとした木の感触がした。
 静かに深呼吸をし、顔を上げる。
 店内に響く緩やかな音楽が壁に跳ね返って柔らかく溶けていた。何も特別なことはないはずなのに、どれもこれも別次元の産物に思えた。
 入った所にあるレジの液晶に時間が映る。午後五時。
「いらっしゃいませ。一名様ですか?」
 入り口で立っていると、女性店員が声を掛けてきた。大学生だろうか、大人びた綺麗な人だ。胸元に『松本』と書かれた名札をつけている。
「あの、お客じゃないんです。このお店で働いてる亥山って子に用があって……」
 すると彼女はパッと表情を変えた。店員から、学生に戻るように。
「ああ、亥山君? ちょっと待ってね」
 彼女はカウンター越しに厨房のおじさんに声を掛けた。店長とその娘と言う感じだろうか、親しげだ。
 お父さん亥山君って来てる? まだだな。……そう、わかった。
「今日はまだ来てないわ。もうすぐ来ると思うんだけど……お友達?」
「あ、はい。まぁ」はっきり友達と断言するのが躊躇われた。
 何か勘違いしたのか、松本と言う店員は「なるほどねぇ」とニヤニヤとした笑みを浮かべる。どう勘違いされたのか何となく察しがついて、少し顔が熱を帯びた。
「どうぞ、カウンターに座って待ってて」彼女は手で場所を示す。
「ありがとうございます」
 私はカウンターの端の席に座った。すこし待つと先ほどの女性が手拭きと水を置いてくれた。
「何か注文する? コーヒーとケーキのセットとか安くておススメだけど」
「あぁ、じゃあそれお願いします」
 彼女は「かしこまりました」とにっこり微笑んでカウンターへ入って行った。さりげなくセットを勧めてくるあたり商売上手だと思う。
 しばらく待っているとショートケーキとコーヒーが運ばれてきた。ケーキは自家製だろうか、大きくてクリームが多い。
「ゆっくりしていってね」
 彼女はそう奥へ引っ込んで行った。
 私はさりげなく店内を見回す。幸いにも新山の姿はなかった。時間帯のせいだろうか、今はお客が全体的に少ない。
 コーヒーに砂糖とミルクを入れる。ミルクもそうだが、砂糖も高そうな物だ。舐めてみるとあっさりしていて後口が残らない。上品な店だ。不安になって値段を確認するとセットが六〇〇円とすごくリーズナブルで安心した。
 その時、玄関の鐘が鳴り響いた。亥山君かと思い視線をやる。
 入ってきたのは先ほどの人と同じ位の若い女性だった。彼女は慌てたように私の後ろを抜けると、そのままカウンターの中に入って奥へと姿を消す。どうやら店員らしい。
 先ほどの店員がセミロングだったのに対し今の人は茶髪のショートカットだった。系統は違うものの、どちらも上品で綺麗な人だと思う。お店の雰囲気にぴったりだ。
 私は数日前に見た亥山君の姿を思い返した。あの時の彼も、この店の雰囲気に合った爽やかな好青年だった。普段学校で見ているヨレたシャツに猫背の頼りない彼はどこにもいなかった。
 どちらが彼の本当の姿なのだろう、私には分からない。キャラクターを使い分けているのだろうか。そんな器用さが亥山君に備わっているとは思えないけれど、ついそう考えてしまう。だけど、それが出来るならもっと学校でも上手く立ち回れるはずだ。多分、所変われば品変わると言うやつだろう。
「でも、ちょっと格好良かったかな……」
「誰が格好よかったって?」
 カウンター越しに急に話しかけられてギョッとした。見ると先ほどやってきた茶髪の女性だった。エプロンを着け、頭にバンダナを巻いている。胸元に『鈴木』と書かれた名札をしていた。
「ごめんね、急に話しかけて。亥山君の友達って聞いてね」裏であの松本と言う女性に聞いたのだろう。彼女は親しげに微笑む。
「で、単刀直入に聞くけど」鈴木と言う店員はカウンターからぐいと上体を出してきた。「亥山君とはどんな関係なの?」
「えっ?」急な質問に、言葉に詰まった。
「だから、亥山君と付き合ってるのかって聞いてるのよ」
「いや、別にそう言う訳ではないんですけど」
「なるほど」彼女は小さく頷くと何かを考えるようにアゴに手を当てた。「時に聞くけど、亥山君と知り合ったのはいつ?」
「一ヶ月も経ってないと思います。二週間か、三週間前」
 随分変な事を聞くものだ。そもそも、初対面の相手にここまでずかずかと質問してくる人も珍しい。
「なるほどなるほど」彼女は随分嬉しそうに何度も首肯する。「つまりあなたと亥山君は最近知り合ったばかりの友人関係であると」
「はぁ、そうですけど……」
「奴め、だから別れ話を……」
「えっ?」
「あぁ、何でもないのよ。こっちの話」彼女は慌てたように手を振った。「じゃあ、もう一つ聞きたいんだけど」
 更に質問をしようとした彼女の肩を不意に誰かがつかんだ。松本と言う女性店員だった。
「ナオ、またあんたそんな事やって」
「澄……」ナオと呼ばれた鈴木さんはギクリとした。
「ごめんね。変な事聞かれなかった?」申し訳なさそうに松本さんが言う。
「あ、大丈夫です」多少聞かれた気がしたがあまり触れないでおく。
「ほら、大丈夫だって」
「もう良いから、あんたは奥に行ってなさい。新メニューの試作もあるんだから、ちゃんと味の感想聞かせてもらうわよ」
「えっ? 試作ってもしかして……」
「うん、私の特製料理よ」
「お願い、勘弁して……。まだ死にたくないの」
「美味しくて死んじゃうかもね。本望でしょ」
 松本さんは鈴木さんの襟をつまむと店の奥へと引っ張っていった。落ち着いて上品な店だと思っていたけれど、意外と私の勘違いかもしれない。
「空島さん、何やってんのこんな所で」
 カウンターの向こうを眺めていると、背後から話しかけられた。振り向いて、思わず息を呑む。
 亥山君が、驚いたように立っていた。
「亥山君……」急な事に、声がかすれる。心臓が、早鐘の様に脈を打つ。
 私はそっと深呼吸をした。
 落ち着いて話そう、大丈夫。
「ちょっと話があって。今、ええかな」
 彼は少し逡巡した様子を見せた後、静かに頷いた。そのまま私の隣に座る。
「なんか、久々やね。こうして話すの」
 亥山君は何も答えない。心なしか、不機嫌そうにも見える。以前からこんな感じだったっけ、分からない。ここ数日で、彼と言う人間がつかめなくなっていた。
 でも、私には加奈ちゃんの言葉を信じる他ない。
「実は今日来たんはな、亥山君に謝りたい事が──」
「ごめん」
 台詞を取られて、虚を衝かれた。
「ずっと言おうと思ってた。僕が追い込まれていた時、君は僕を助けようとしてくれた。でも僕は君が教室で虐められていたのを知ってたのに、何もしなかった」
 亥山君は視線を逸らせたまま続ける。
「あの日、虐めのターゲットから外されたって事、もっと早く空島さんに言っておくべきだったって後悔したよ。それに僕が協力すれば君を助けることも出来たかもしれない。でも、恐かったんだ。また虐めのターゲットにされるかもしれない、その事が」
 彼の手は硬く握られたまま震えていた。
「僕は君をスケープゴートにした。最低だ。ここ数日、君だけじゃなく加奈ともまともに目を合わせる事が出来なかった。ずっと後悔の念にさいなまれてたんだ」
 ハッとした。
 同じだった。私達は二人とも、似たような事で思い悩んでいた。
 ここ数日、私が苦しんだように、彼も苦しんでいた。
 私は、独りじゃなかった。
 気がついたら自分の手を彼の手に重ねていた。恥ずかしい行為だけれど、嫌ではない。彼の手が汗ばんでいる。震えが、指先から伝わってくる。
「うちもな、君が虐められてたってクラスの皆にバラしてもうた事、ずっと後悔してた。助けるつもりがかえって重荷になってしもたって思ってた」
 顔を上げた亥山君と目が合った。
「アホや、うちら二人とも、似たような事で思い悩んでた。アホや」
 私が笑うと、亥山君も弱々しく笑った。
「うん、アホだね、僕たち」
「アホや」
 クスクスと笑い声が出る。お互いに、久々に見る相手の笑顔。
「空島さん、明日から僕も君の助けになるよう頑張るよ」
 そこで彼はふと疑問が浮かんだように口を開く。
「でも、よく僕が今日アルバイトって事が分かったね。しかもバイト先まで」
「加奈ちゃんが教えてくれてん。今日亥山君がここでバイトやって。亥山君が落ち込んでるから、仲直りしてって。さすが双子の妹や、よう見とる。加奈ちゃんに感謝せなあかんな」
「そっか、加奈が……」彼は柔らかい表情を浮かべた。
「ほな帰るわ。もう六時近いし、亥山君そろそろバイトやろ」私は時計を見ると、立ち上がった。
「あ、そうだね」彼も気付いたように立ち上がる。
「お会計お願いしていい?」
「いいよ、出しとく。せっかくわざわざ足運んでくれたんだしさ、セット代くらい出させてよ。それに僕だと従業員割引で半額になるから」
「ちゃっかりしてんなぁ」苦笑した。「でもまぁ、せっかくやしお言葉に甘えようかな」
 人の好意と言うのは否定するとかえって失礼にあたる気がした。特に今日だけは、少しくらい図々しくても良いだろう、そう思う。
「それじゃあまた明日」
「それじゃ」
 カウンターの前で私達は別れた。

 ここ数日にはなかった満ち足りた感覚が心を占める。
 でも、何か大切な事を忘れている気がした。
 ドアを開けて店を出たところで思い出した。

 新山がいたからだ。

 そういえば、二人の関係を聞くのを忘れてたっけ。

 
 その目には怒りが孕まれていた。
「は? 何であんたがここにいんの?」
 白いワンピースにカーディガン。春の陽気に身を任せたような可愛らしい格好と、どす黒い感情が私の目の前でアンバランスに成り立っていた。
「あれだけ学校で痛めつけられてて、よく私の周りをうろつけるわよね。頭おかしいんじゃない?」
 馬鹿にすると言うよりは問い詰めるような言い方だった。威圧的で、つい身を引きそうになる。
 でも大丈夫、もう気圧されない。
「別にあんたに用はない」私は極力憮然とした態度を崩さないよう努めた。
「随分威勢がいいじゃない。昼間は死にかけた虫みたいだったくせに」
 新山の挑発に乗ってはいけない。そうだ、逆にこちらから挑発し返せばいい。
 数日前の喫茶店で見た新山の表情を思い返す。考えがたいことだけど、もし彼女が亥山君に好意をもっているとしたら、その感情を刺激するような発言をすれば良いのだ。意地悪くはあるが、宣戦布告のつもりで、反撃開始のつもりで、多少なりとも相手にダメージを与えないと気がすまなかった。
「亥山君が励ましてくれたからな、もううちは大丈夫や」
 相手がぴくりと眉を寄せる。私は続けた。
「あんたはどう思ってるか知らんけどな、虐められた相手はその恨みを決して忘れへん。つまり虐めた奴が絶対に好かれる事はないんや」
 一言口にし出すと矢継ぎ早に毒が放たれる。
「どういうつもりであんたがこの店に出入りしてるかは知らんけどな、少なくとも亥山君に歓迎はされてないと思うで」
「はっ?」
 新山の目が据わる。挑発が上手く行っている。
「彼はうちに謝ってくれた。ここ数日、うちが受けた仕打ちをずっと気にしてくれてたんや。これがどういう意味を示すか分からへんか?」
 新山が亥山君に全く興味を抱いていないとしたら、私の負けだ。でも、そうではない確信があった。女の勘と言うやつだろうか。
「彼はあんたとちゃう、うちの味方になったんや。これで分かったやろ? 加害者と被害者は相容れへん、絶対にな」
 自分がこれほどまでに性格が悪く、嫌な発言が出来るとは思っていなかった。悪意を口にしながら自分に反吐がでる。随分と言わなくて良い事も言った。この間それで失敗したばかりなのに。
 自分は酷い奴だ、口にしながらそう思う。いくら相手が嫌いな奴でも、自分のやり方を捻じ曲げてはいけないのに。分かってはいたが、私が口にした事は同時に本音でもあった。いつもは考えないようにしていた本音。
 正義感が強いと言われた自分がいかに偽善的か分かる瞬間だった。
 新山は言い返す事をせず、静かに私を睨んでいた。一言くらい返ってくると思ったのに。これは予想外だ。
「な、なんや、やんのか?」
 彼女の狂気に満ちた視線に、私は構えた。
 しかし新山は身を翻して帰って行った。全く想定していない事態だ。
「勝った?」口にすると随分陳腐に感じる。もっと激しい口論を予期していたので、これでは私がただ嫌な奴になっただけだ。
 いつの間にか手に汗をかいているのが分かった。呼吸が速くなっているのも。自分が随分緊張していたのだと悟る。
「はは、逃げおったで……」
 逃げた、で良いのだろうか。相手にすらされていなかった、そんな気もする。
 去り際の新山の目が、暗い穴ぼこの様に不透明だったのが妙に印象的だった。

 次の日、新山は学校を休んだ。取り巻きの二人が来ているのに。
 病欠とは考えがたい。もしかしたら、昨日の私の言葉が効いたのかもしれない。
「上田、岡崎、佐藤、新山、花山、それに山下まで休みか。今日は欠席が多いな」
 朝のホームルームで担任がぼやいた。見ると確かに、新山とクラスの男子数名の姿が見当たらない。まぁクラスの男子共はサボっただけだと思うが。上田、岡崎、佐藤、山下と言えばサボりの常習犯だ。
「新山の欠席について誰か聞いてないか?」
 担任がクラスの皆に尋ねる。しかし答える者はいない。稲本と後藤が心配そうに顔を見合わせている様子から、この二人でさえ何も知らないのだと悟る。
 新山のいない教室は妙に落ち着いて感じられた。相変わらず私の机には油性ペンで書かれた落書きが残っているし、事態はまだ何も解決していないのだけれど。それでも今日はまだ一度も嫌がらせを受けていない。
 隣の席の智ちゃんまで休みなのが少し気になる。
 嫌がらせの実行犯は恐らく新山達だけではない。第三者が加わっている可能性がある。そうでなければ説明がつかない事がいくつかあるからだ。
 今日、私が何事もなく過ごせていると言う事は、休んだ人間の中に犯人がいると言う可能性が高い。男子の場合、こう言う陰湿な行為ではなくもっと直接的に攻撃を仕掛けてくる気がする。
 嫌がらせをして来たのは智ちゃんだろうか。
 何気なくそんな考えが頭をよぎり、慌てて首を振った。ここ数日ですっかり人を疑うと言う事を覚えてしまった。短絡的に誰かを疑うのは良くないと分かっているのに。これ以上何かを考えるとまた誰かを疑うかもしれない。もうあまり考えないでおこう。
 私は亥山君を見た。教室中央の席で、頬杖をついている男の子。今日はまだ一言も会話していない。でも大丈夫だ、焦ることはない。昼休みにでもゆっくり話そう。また加奈ちゃんと三人で。
 何も起こらずに、三限目が終わった。ここ数日からは考えられないほど穏やかで、まるで自分は平穏無事な学生生活を送っているように思える。もっとも、机にされた落書きがその思考を現実に戻すのだが。
 四限目は体育だった。とは言っても、私の体操服は先日切り刻まれてしまいとても使える状態じゃない。一着しか体操服がないのは不便だからと元々業者に予備の体操服は注文していたのだが、まだ届いていないため今日の体育は見学するしかなかった。
 教室で女子が着替える間に、私は連絡板に足を運ぶ。連絡板とは体育館の入口に置かれている黒板の事で、次の体育の場所はいつもそこで指定される。
 連絡板には体育の教師らしくない丸文字で『四限 一年一組 体育館二階』と書かれていた。
 体育館は三階建てになっており、一階には柔道や剣道を行う為に畳が敷かれている。二階はバスケットゴールなどが設置された一般的な体育館の造りとなっており、三階は運動部がウェイトトレーニングを行う為に器具が設置されている。
 私は二階に足を運ぶ。さすがにまだ早いのか、人の気配はない。
 二階に上るとだだっ広い空間が私を包んだ。休み時間の喧騒もここでは聞こえず、まるで世界に一人だけ取り残された様な感覚に襲われる。一歩あるくと足音が広く浅くこだました。
 歩く時に、体育館シューズを教室に忘れてしまった事を思い出した。でももしかしたら体育館シューズもボロボロにされているかもしれない。袋に入ったままなので確認すらしていないのだ。
 わざわざ取りに戻るのも面倒くさいので靴下のままで居る事にした。どのみち見学だし。
 ここ最近は教員も教室の空気を察しているらしく、私の机を見ても何も言わなくなった。見て見ぬフリと言うやつだ。
 誰も彼も当事者になる事を嫌うこの学校は、私がどんな目にあっても気付かないフリをする。普通警察官の娘を相手にするなら逆にどうにか穏便に事態を解決しようとするものだろうけど、恐らく私は余計な事を父に言わないと思われているのだろう。正確には『言わない』のではなく、会う機会が滅多にないので『言えない』のだが。
 ふと、体育館倉庫の扉が開いているのに気付いた。普段は閉まっているのに。誰かいるのだろうか。私は気になって足を進めた。ドアの付近で聞き耳を立てる。音はしない。
 そっと、ドアから中を覗きこんだ。左から順に視線を流していく。倉庫に一つだけある小窓から光が入り込み、埃が空気中で踊る姿が照らし出される。乱雑にバレーボールやマット、バドミントンの網などが置かれており、最後に私が目にしたのは──
「あんたが悪いんだからね」
 肩に何か押し当てられたかと思うと、私の意識は飛んだ。

 随分と頭が痛んで目が覚めた。
 重いまぶたを持ち上げるとまるで酩酊したかの様に視界がぐらつき、ぼやけた。薄っすらと差し込む光に目を細めていると、徐々に感覚が戻ってくる。体を動かそうとして、ようやく気付いた。
 手が後ろ手に固定されており、口にガムテープがされている。
「やっと起きたわね」
 頬をペシペシと叩かれ、ハッと意識が完全に覚醒した。どうにか首を動かして視線を上げる。
 目の前に新山と数人の男子生徒がいた。
 上田、岡崎、佐藤、山下。今朝名前を呼ばれてた奴等だ。
「あんた大袈裟なのよ」
 しゃがみながら新山がこちらを見下す。右手に持っているのはスタンガンか。あれを押し当てられて気絶したのだろう。どうでも良いけどパンツが見えてるのが酷く不愉快。
「ミサト、本当にこいつ犯していいの?」
 岡田の質問に新山は頷く。
「良いわよ。輪姦(まわ)しちゃって」
 はっ?
「こいついっつもうるさいけど結構胸でかいからな。楽しみ」
 その短い会話が私の思考を止める。妙な汗が背中に滲んだ。
 犯す? 輪姦す? どういう事? 
 私の混乱を悟ったのか、新山がにやあっと不気味な笑みを浮かべた。目が笑っていない。吸い込まれるように真っ暗だ。喫茶店で会った時と同じ目。
「あんたが悪いのよ、邪魔するから。人にはね、侵食しちゃ駄目な空間ってあんの。急に出しゃばって来て、邪魔だけして、何も知らないくせに、あいつの事も、私達の事も」私にだけ聞こえる声で新山は呟く。感情が灯らない物言いに体が震えた。
 新山は立ち上がると後ろに下がった。
「やっちゃって。出来る限り酷くね」
 その言葉を合図に男子達が私を取り囲む。皆、息が荒い。目が血走っている。
 
 お前、どっから行く? 胸だろやっぱ。じゃあ俺ハメるわ。こいつ処女だろ? ハメても気持ち良いんかね。血ぃ付くのだりぃ。口使えないからなぁ、フェラさせられないのが残念。四人いても余るからな、俺尻の方使おうかな。お前ホント見境ないよな。最後は顔射だろ。それ面白いな。じゃあ俺中に出すわ。
 
 これから私にする行為を口にしながら誰かが私の胸を揉んだ。スカートがたくし上げられ、太股を這うように手がなぞっていく。怖気が走った。
 足でもがこうとしたが、がっちり捕まれて動けない。男子が四人もいるのだ、力で敵うわけがない。
 それでも動かないわけには行かなかった。
 何もしないと、終わってしまう。
 涙が出るのが分かった。叫びたいが声が出ない。呼吸が、体が震える。
 もうすぐ体育ではないのか、だとしたら誰かここに来てくれるはずだ。
 カッターシャツが破かれる。ボタンが弾け飛んだ。
 やめて。触らないで。
 声が出ない。出せない。
「言っとくけど、誰も来ないわよ。今日の体育、本当はグラウンドだから。連絡板の文字を書いたのは私」
 ……嘘。
 新山の言葉に涙が頬を伝った。
 助かる見込みがないと言う絶望の涙だった。
 世界が、急に遠くなる。
 ブラが無理やり外され、左側の乳房を誰かの舌がねっとりと這っていく。右は痛いくらいに揉みしだかれていた。
 気が狂いそうになった。半狂乱でもがく。全身で拒絶を露わにする。
「うっさいな。大人しくしてろ」
 岡崎に顔面を殴られ、視界がぐらついた。その一発で妙に興奮状態が冷めた。それまで押し殺されていた恐怖が私の中に音もなく浸透していく。
 痛い。次に抵抗したらまた殴られるかもしれない。恐い。でも抵抗しないと犯られる。でも抵抗しても犯られるんじゃ? この状況で誰かが助けに来てくれるはずない。完全に手詰まりだ。私が助かる見込みはゼロに等しい。
「殴るとか酷いよなぁ」佐藤が言う。
「でも殴ったら大人しくなったよ。正解だって」
 下着の上から股間をしつこいくらいに擦られた。力んでいて痛い。
 岡崎がチャックを下ろした。嫌だ、見たくない。顔を逸らしぎゅっと目を瞑ったが、頬を強く打たれて「見ろ」と無理やり髪を捕まれた。涙が止まらない。呼吸が出来なくなる。

 コンコン。

 空気が止まった。全員が扉のほうを見る。
 体育倉庫の扉がノックされた。
 男子が互いの顔を見合った。目配せしている。音を立てるな、そう言っている。
 倉庫の扉には中から鍵が掛けられていた。以前誰かが倉庫に閉じ込められた事があったらしく、それを配慮して鍵が中から開閉できるよう替えられたのだ。
 体育倉庫は普段、鍵がかかっていない。と言う事は今来た誰かは中に誰かいると気付いたのだ。そしてノックしている。助けを求めるなら今しかない。
 私は全身で可能な限りもがこうとした。しかしそれは予測済みだったらしく、私の体は男子達にしっかり押さえつけられている。
 ノックがまた響く。今度は少し強い。
 皆が息を殺している。私は何も出来ない。
 声を出そうとしても、堰き止まっている様に何も出ない。
 行かないで……。
 今度はノックではなく、扉を蹴る音が響いた。これはさすがに予想外だったのか、男子の何人かがビクリと体を震わせる。
「新山、俺が出るからこいつ、押さえといて」岡崎が小声で言う。
 新山は頷くと岡崎と場所を交代した。
「僕だけど開けてくれない?」
「なんだ、亥山かよ」
 えっ、嘘。自分の心臓が早鐘の様に音を立てた。それと同時に、新山の表情が硬くなったのがわかる。
 岡崎が扉を開けた。亥山君の姿は扉の陰に隠れて見えない。岡崎が何の疑いもなく扉を開けたのは、それだけ岡崎が彼を舐めているからだろう。こいつが俺達のしている事に気付くはずがない、そう言いたげに。
「何だよ亥山、何しに来たんだ。何か取りに来たのか?」
「中に入りたいんだよ。理由は君が一番知ってると思うけど」
 岡崎は一瞬驚いたように肩をすくめると強引に亥山君の手を引いて中に入れた。強く手を引かれた反動で訪問者はふらつきながら姿を現す。確かに亥山君だ。
 岡崎がピシャリと扉を閉め、鍵を掛ける。
 私はすがる様に彼を見つめた。助けに来てくれたのだろうか。そんな希望的観測。
 亥山君が他に助けを連れてきている様子はなかった。例え彼が私を助けに来たのだとしても、一人ではそれが出来る可能性は低い。分かっているが、私に頼れるのは彼しかいなかった。
 亥山君と目があった。私は今酷い格好だ。柄にもなくこんな状況で働いたのは羞恥心だった。こんな姿の私を見て彼は何を思うのだろうか。
「で、お前何しに来たの? まさかこの女を助けに来たとでも?」
 亥山君は答えなかった。岡崎は少しイラついた表情で亥山君の背中を蹴る。反動で彼がよろめく。
「何か喋れよ。マジでイラつく奴だな、お前」
 それでも亥山君は喋らない。岡崎は溜息を吐くと、彼と肩を組んだ。
「なぁ亥山、この女を助けに来たんだったらやめとけ。お前がこの人数の、このメンバーに敵うはずないんだから。誰かにこの事を言ったらぶっ殺されるのも、分かるよな?」そこで岡崎はニヤリと笑みを浮かべた。「んで、だ。ここでお前に最高の条件を提示してやろう。俺っていい奴だと思うよ」
 岡崎はこちらをアゴで指す。
「この姿見ろよ。興奮するだろ? 地味にレベル高いからな、お前と仲良しの青ちゃんは。いまからお前にこの女の胸を触らせてやるよ。なんならパイズリくらいしてやっても良い。お前はいい思いが出来るし、ただ何も出来ずに傍観して歯痒くなる事もない。共犯になるんだ。そしたら俺達もお前をぶちのめす必要がないし、空島も仲の良いお前がいれば多少なりとも落ち着くだろ。お前も気持良くなる。最高だろ」
 なぁミサト、と岡崎が声を掛けた。
 しかし意外にも新山は硬い表情のまま首を振った。
「駄目に決まってんじゃない。私が頼んだのはあんた達なんだから。亥山は含まれてない」
 新山はそう言うと亥山君を見つめた。
「その代わりに亥山、あんたの妹の件、白紙に戻してやっても良いわよ」
「妹なんていんのかよ?」岡崎が驚いたように亥山君の顔を覗き込む。
「五組に飛びきり可愛いのがね」
「マジかよ」
「んで亥山、どうする? この事を誰にも言わなかったら妹の事を白紙にしてあげる。お互いに相手の弱点を持って牽制(けんせい)出来るのよ? 悪い話じゃないでしょ」
「何の話だよ」
「こっちの話よ。部外者は黙ってて」
 答えになっていない新山の言葉に岡崎はおどけたように肩をすくめた。
「で、亥山、どうすんのよ?」
 亥山君はしばらく何も答えなかった。全員が、彼に注目する。
 もしここで彼が頷いたら、私はどうなるのだろうか。
 私が頼れるのは彼だけだった。本当に頼りなく、弱々しく、少し性格がひねくれてるところもあるけれど、妹想いの優しい彼だけだった。
 亥山君は天を仰ぐと口を開いた。
「さっきから亥山亥山って言うけど、僕は亥山じゃないよ」
 はっ?
 皆がキョトンとした。
 一体何を言っているのだ?
「じゃあお前誰なんだよ?」岡崎が馬鹿にしたように鼻で笑った。
 その時だった。
 パァン、と言う風船が破裂したような物凄い音と共に、岡崎がその場に倒れた。
 ギョッとした。その場にいた全員。
 岡崎の顔面にはトイレのラバーカップ、俗に言うすっぽんが貼り付いていた。どうやらあの破裂音は彼がラバーカップを岡崎の顔面に叩きつけた音だったらしい。
 埃が煙の様に舞い、亥山君の輪郭がぼやける。光の加減で、彼の目が光る。
 彼はゆっくりと口を開いた。
「ただのドMだ」
 なんや、それ。

       

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Neetsha