「あなたにはエスパーの才能があるわ」
とつぜんあらわれた少女は逆光の中、確かにそう言った。
少年の名前は鳥谷圭。通称はケイ。歳は一五でこの春に高校生になったばかりだ。性格の面からすればごくごく平凡と彼のことを表するのははばかられるが、送ってきた一五年という日々から考えれば人並みとか凡庸とかいう言葉の域をでないように思われる。
そんな奇抜さのかけらもない平生となんら変わらない毎日に変化が生じはじめたのは少し前のことであった。
ケイは若さゆえの過ち、もとい愚かさから貧困に陥っていた。
よくある話なのかどうかはわからないが、よく聞く話ではある。どういう話かと言えば母親の海外赴任に伴って彼は今春から一人暮らしをはじめたのだ。
誤解を生みかねないので先に言っておくがケイの父親は健在だ。
これがまた一五の息子がいるというのに父と母は「ラブラブ」とか「アツアツ」とかバカップルの新婚夫婦だけに許される形容詞を常時装備した仲なのだ。母親の海外生活は数年単位で予定されているので、父はさも当然のごとく一緒に行くと言い放った。さいわいなことに父親の仕事は場所を選ぶものではなかったので彼の希望は簡単に達成された。
こうしてケイ少年は天国を得たのである。一五の少年にとって口やかましい両親のいない生活というのは天国と言っても過言ではないだろう。AVを観るのにちまちまとヘッドフォンを付ける必要はないし、ナニの最中に自室の扉がとつぜん開かないかとビクビクする必要もなく、なにより女の子を連れ込み放題なのだ。
もちろんこうした生活を手に入れるには一緒に来いという両親をなだめすかし丸め込んだ、もとい説得したケイの並々ならぬ努力があってこそなのだが。
そういうわけでケイは一人暮らしというパラダイス――それがたとえ風呂なし一間のボロアパートの一室であろうと――を得たのであった。
それが貧困となんの関係があるのかだって?
大いにあるのだ。
一人暮らしなのだから生活の一切は彼に任せられる。とうぜん生活費という名目の大金を母親から拝領することになる。
しかし、一人暮らしという状況によって開放的になった思春期の少年の欲望を普段はめったにお目にかかることのできない諭吉先生を前にして抑えこむことができようか。もちろん、いや、できないと続く反語的用法である。
もっともそれでいわゆる風俗に赴いたりしないのが一五歳のかわいさである。
それではケイはなにをしたのか。答えは町に出てガールハントである。連れ込もうにも連れ込む女がいないのだ。
残念なことにケイはこれまで彼女ができたことがない。ナンパにでるくらいだから奥手ではないが、なにせ顔がいいとはいえない。わるくはないので容姿だけでいえば可もなく不可もなくと言えるのだけれど、尋常でない助平なのだ。クラスメイトはもちろんのこと学年はおろか学校中に知られる助平であれば彼に近寄る女子がいるわけもない。中学での話だ。
高校生活も二週間と経っていないがクラス中の女子を少なくとも一回はデートに誘っている。早くも軽薄な男と見られはじめ相手をしてくれるものはよっぽどの物好きと財布目当ての女だけであった。
こういう男だから街にガールハントにでるのは特別なことではない。しかし、助平がバレていないとは言っても顔が顔だから一〇人に一人成功すればいいようなものだ。
しかし、今のケイには金があった。
こういう言い方をすれば女性の諸君は気を悪くするかもしれないが、たいがい金をちらつかせればホイホイついてくるものだ。
事実、この日のケイのナンパ成功率は五割を超えて、お茶にカラオケにプレゼントも買ってやっての大盤振る舞いだった。
しかし、今一歩のところでうまいこと逃げられて一線を超えることはなかった。もちろん普通のデートでも楽しいことは楽しいのだが若さくる肉欲がそれで解消されるものでもない。
結局、その晩のケイはいきりたつ男性自身を一人で静める結果となった。
こうした生活を幾日か続ければお金がなくなるなど誰の目にも明らかであり、そのせいで食べるものも食べられないからといって同情できるものではない。
もっともケイ本人が貧乏と飢餓に危機を感じていないのだから他人に同情されることでもないのだが。
繁華街を離れ人気のない住宅地をケイは歩いていた。その足取りは重い。
「金か! やっぱり金なんか!」
ケイの卑屈な叫び声は空に吸い込まれて消えた。
この日、財布にはもう小銭が幾許かしかないケイのガールハントは不発に終わった。そういうことだから今のように叫びたくもなる。
歩いているとふとなにか鳴き声がケイの耳に届く。とくに気にもとめず家路を急ぐのだが、まるですぐそばでわめかれるようにうるさいのだ。
それで脚下に視線を落とせば猫が足にすりよっているのだから思わずしょーもないつっこみをいれてしまう。
「本当にいたのかよ!」
気づけという話だ。
妙に人なつこい茶トラの猫を見下ろしてケイはため息をつく。
「俺に近づいてくるのは畜生くらいか」
ふられたばかりだから変に悲哀が漂っている。
ケイの沈んだ気持ちがわかるのか、茶トラは慰めるように鳴いて彼の手をなめるのだ。
そういう猫がかわいく思えて自然とだき抱えようとするのだが、その思いを振り払うようにケイは首を振る。
「いかん! これ以上なつかれでもしたらどうする」
ケイの住むアパートはペット禁止だし、そのうえ彼は貧乏だ。とても猫を飼う余裕はない。だから優しくしてなつかれても困るのだ。
そんなケイの葛藤をしってかしらずか茶トラは甘えた声をだす。彼の体は茶トラをだきかかえようと動き、しかし理性はそれを拒むものだから彼の体勢、動きは奇妙なものになる。
それを面白がって茶トラはまた鳴く。
「ああー! もうっ!」
終いにはもちろん煩悩が勝つのがケイだから茶トラを抱きしめて道路を転げまわる。その姿は不審者以外のなにものでもない。
茶トラの猫を抱いてわかったことがある。やせ細り骨ばっているのだ。どうりでどこか元気のない声のはずだ。
「鶴の恩返し……そう! これは鶴の恩返しならぬ猫の恩返しのためなんだ! だから勘違いすんなよ! 俺のためであってこいつのためじゃないんだからな!」
誰に対する言い訳なのか。おそらく自分に対する言い訳なのだろう。見返りのない慈善をするのが恥ずかしい年頃だから。
そんなことを言うと猫をその場に残してケイは走りだした。向かった先は近くのコンビニ。
最近のコンビニというものは便利なもので大抵のものは置いてある。ケイが買いに来たのはもちろんネコ缶なのだが、その値段を見て思わず後ずさりした。
「ええい、ままよ!」
もはやどうにでもなれ、と半ば投げやりにネコ缶を購入して戻ると茶トラは律儀に(?)ケイのことを待っていた。
ケイはプルタブをひっぱって蓋をあけるその前に茶トラの顔をのぞきこむ。
「いいか? 餌を恵んでやるのは今日だけだぞ。飼ってやるわけじゃないんだからな。あまりにかわいいから、もとい、かわいそうだからだ。わかったか? わかったら返事をしろ」
すると「にゃあ」と一鳴き。
しかしケイは納得できないようで訝しげな視線で猫を見る。だが、たかだか畜生に人間の言葉がわかるわけがないのだ。
それでもケイはもう一度。
「本当にわかったのか? 『はい』なら二回、『いいえ』なら三回鳴け」
「にゃあにゃあ」
茶トラは問答はいいから早くご飯をちょーだいとせっつくようだった。
ケイは最後にこう言ってからネコ缶を茶トラにさし出してやった。
「おまえのせいで財布はからっぽなんだから味わって食えよ」
なんとも恩着せがましい男だ。
茶トラが飯を食う姿を見ながらケイは「恩返し」について考えていた。
地蔵に傘をやった爺さんは金や食料をもらった。鶴を助けた爺さんは女に化けた鶴が訪ねてきてはた織りをした。
「いいかあ? 女になって恩返しにくるんだぞ? きれいな姉ちゃんになって必ず恩返しにくるんだぞ」
最後は語気を強めて言う。顔のほうは美人の姉ちゃんの「恩返し」を想像というより妄想してだらしなくくずれていた。
しかし、化けたといっても猫は猫。そんなもんにも欲情できるのだからある意味で大した男だ。
だんだんとケイの妄想は具体的になっていく。
「猫耳はついとるほうがええかのお。マニアックすぎるか? しかし、またとない機会ならそれくらいは――」
そんなバカな男の子の背中に声が刺さる。