Neetel Inside 文芸新都
表紙

Dr.Ramone
1 カエルの絵の具

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 街角のテレビがやかましい雑音を発しており、その音が辺りを行きかう人々に多大なストレスを与えていた。もうじき、蒸気でにごった灰色の空から雨が降ってきそうなことも、人々を憂鬱にしていた。ラモンはそういったことにまったくおかまいなく、壁にもたれかかり、傍らには例によってヌイグルミにしては大き目の、ボロボロの、怪物じみた、ディジーを寝転がせて、しかめつらしい顔で何事か考えている。
 ある住民がピラミッド状に積み重なったテレビに蹴りを入れて破壊した。他の人々はそうしなかった。ラモンはなにごとか思いついたように頷くと立ち上がり、ディジーを抱きかかえて歩き出す。
 街はひどいありさまだった。頭の中に脳や機械ではなく無数のホムンクルスを詰めた人形人間が歩き回り、自分の役目に忠実に従っている。群集としての役目に。
 中年の紳士がラモンに聞いた。「カルテジアン劇場はどちらでしょうか」
 ラモンは答えた。「俺は知らないし、おまけにこうしてバカでかいウサちゃんを運搬せにゃならん立場だ。なぜあんたは手に荷物を持っていない人間に聞こうとしなかったんだ? そいつがそのナンチャラ劇場の場所を知ってるにしろ、知っていないにしろ、大荷物を持ってるやつよりは良い結果が帰って来たと思うぜ。あんただって道を聞いただけで俺にこんな愚痴を浴びせられてうんざりだろ? 俺はもっとだ」
 紳士は無言で立ち去った。
 雨が降り始めてからディジーが言う、
「先生、わたしの中身に水が入り込むことに関してどうも思わないの」
「オマエは絵の具とか、ビールとか、ケチャップとか、カレーライスとか、そういうものがしみこんでひどい臭いを放ってるだろ? 現に今もそうだし、かといって俺はオマエを洗濯する予定がないので、こうして水浴びをすることは良いことだと思うけどな」
「なるほど」
 ディジーは黙った。
 
 非常にボロく、廊下をゴキブリがうようよしているアパートの二階にラモンの部屋はあった。帰ってくるなり彼は白衣を脱いで床にぶん投げた。ディジーの体と同じくいろんなものがぐちゃぐちゃにしみこんだ不潔な白衣、それがこぎたなく玉虫色ににじんでいる。こいつはアートだ、とラモンは思った。
 ラモンは医者ではない。肩書きは何かと聞かれたら芸術家、と半ば自嘲的に言っている。親の信託財産が毎月入ってきて――しかし公共料金を滞納しがちだ――ただ家でめちゃくちゃな絵画を制作して生きていける。
 ラモンは洗濯バサミでディジーを逆さに吊るし風呂に入った。風呂場にも虫がたくさんいるが彼は特に気にしなかった。
 風呂から出て髪を乾かさないままでいるとディジーが金切り声を上げている。彼女は生きているとき何人も殺した非道な魔女だったので、ヌイグルミの体に入ってからは常時苦痛を受けているが、それに半乾きの状態がプラスされ耐え切れなくなったらしい。
「近所迷惑だろ、我慢したらどうだ」とラモンが言ったが苦痛の声は止まない。隣の住民が壁を殴打する。「ほらきた。お隣さんよ、俺は悪くないぞ、ずっとそう説明しているだろ? あんたが壁を叩いてもこの状況は好転しないぞ。それともなにか、あんたは壁を叩くのが仕事か? そうすることによって隣人にどういった迷惑がかかるか考えないってのか? どうなんだか知らないが」
 ラモンは隣人が殴打をやめないので、乾ききってないディジーをつかんで部屋を出た。

 巣箱のように乱立するアパートの合間をぬってラモンが歩いていると、空がにわかに晴れて、光が差し込んできた。空には水彩絵の具でめちゃくちゃに描いたような虹が投げやりに出ている。ラモンは考える。今からそこらの公園へ行きうようよしているであろうカエルどもを捕獲し、絵の具を作ろう。グリーンの絵の具だ。カエルを鍋で煮詰めて緑色を抽出する。

 ラモンの家は魔女の家系だ。都市が蒸気機関で発達する前からここに住んでいる。一族の人間は皆絵を描いた。見ただけで人が発狂する絵を描いた女がいた。ラモンの七代前の先祖だ。彼女はそれを背中に担いで目抜き通りを走った。当時はまだテレビが一般に普及していなかったのが幸いだった。もし彼女が放送局に闖入していたら被害者は二桁では済まなかっただろう。みんなが隣にいる人間の目玉に指を突っ込みたくなったのだから大変だった。

 公園には妙な男がいた。頭は牛のガイコツで、ロングコートを着て、呆然と立っていた。そいつは両手にウシガエルを捕まえている。茶色で大き目のやつで、太い声で鳴いている。
「先生」男が言った。「ウシガエルってのは牛に鳴き声が似てるからウシガエルと呼ばれているのだけど、牛どもの腹の中にこいつらが入っているという説はどうだろ? 牛はウシガエルを常食するからああいう鳴き声になるっていう」
 ラモンはしばらく、この見知らぬ男になんて言うべきか考えて答えた。
「しかし、それだと、生まれたての牛は『モゥ』って鳴かないはずだろ? 腹は空だろうから」
「そりゃ、親が食ったウシガエルがへその緒を通じて赤ん坊に送り込まれてるわけだよ」
 ラモンは辺りを見回してから、
「そうか。そうかもな。一理ある。どうでもいいけどな。それよりあんた誰だったかな。前に俺と会ったことがあるのか?」
「あるよ。覚えてないの? まあ昔はこんな頭じゃなかったからムリもないか……ヘルだよ」
 ラモンはその名前に聞き覚えがあったような気がした。
「どうしたってんだ、その頭は」
「工場で働いてたんだ、ぼくは。そのときだよ」
 ヘルはそれ以上説明しなかった。今の話がそれで終わりだと気づいたラモンは、自分が喋る番か、と思って言う。
「なるほど。そりゃ大変だったな。見舞いくらい行ったのに、言ってくれりゃ。それより、俺は今日ここにカエルを探しに来たんだ。あんたが持ってるやつじゃない。緑色のやつだ。どこかにいなかったか?」
 ヘルは手に持っていたウシガエルを池に向かって投げ捨てた。
「コンクリートに向かって投げないところがぼくの優しさだろ? 緑のカエルか。この公園には、いないんじゃないかな」
「まったくいないということはないだろう」
「だけど、ぼくは見なかったよ」
 ラモンは「そうか。じゃあ、いないかもしれないな」と言った。
「ところで先生、そのでかいウサギはいったいなんだい。誰かへのプレゼント?」
 ラモンはどう説明しようか迷って、
「まあ相棒というか、お守りみたいなもんだよ」
「わたしがいるだけで場が明るくなるから最高のビジネスパートナー」とディジー。
 ヘルは少し驚いたようだった。
「そいつ喋るのか。どこに声帯があるのか知らないけど、中に何か入ってるのかい」
「ホムンクルスとか機械は入ってないよ。これは悪い魔女の魂がこめられてるもんだ」
「そいつは縁起が悪そうだ」
「しかし、緑色のカエルがいないとは、参ったな」
「茶色いカエルを絵の具で塗って緑色にするっていうのはどうだい」
 ラモンはヘルに、その緑色の絵の具を採取するためにカエルを探しに来たんだ、と説明しようかと思ったがやめて、帰宅した。
 隣の住民はまだ壁を叩いていた。

       

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