私には疫病神というあだ名がある。しかし、誰もその名を知らない。私が自分自身に密かにつけたあだ名である。
「好きな芸能人は誰ですか」ときかれて、私はいつも答えに詰まった。「いない」のではない、「いなくなった」のだ。あの文優座出身の新進俳優Rも、アングラ劇団の神とうたわれた怪優Nも、果てにはスターダムに着々とのし上がって行こうとしていた中堅女優Oさえも、みな私が興味を持ち、過去の作品をレンタルしてひととおり制覇した頃に、謎の失踪を遂げ、三角関係のもつれを苦に自殺し、右翼だの左翼だのとよく解らない境地に達して刺殺されたりした。好きなバンドもCDを買い漁り始めて数年経たないうちに解散、分裂し、中には薬物に溺れ表舞台から消えた者もいた。ひいきの野球チームも、私が野球というものに興味を持ち始めて以来、かれこれ二十年は胴上げを見ていない。
私は好きな対象が一つ減るたびに悲しみを覚え、嘆息した。嘆いても、嘆いても、この不幸は続いた。行きつけのパン屋は「行きつけ」のレッテルを貼りかけたところで潰れ、悲しみに暮れる私にまた新たなおいしいパン屋を紹介してくれた母親にはありがたみと同時に憎しみさえ覚える程であった。
そんな母が死に、父が死に、兄弟も死んでしまった。分け合えば半分となる悲しみを共有する相手さえも私にはいなくなった。そんな私にも苦しみはまた同じ様に牙を剥いた。
しかし一つだけおかしなことがあった。好きな芸能人もバンドもパン屋も皆消えて行くのに、「私」はいっこうに消えないのだ。私は時代を跨ぎにまたいで一世紀半、つまりは百五十年も生きてきたのだ。骨や筋肉は衰えて寝たきりの身体にはなったが、自他ともに私から死の気配を感じることは微塵も無かった。
そして私は皆に「興味を持たれる」存在になった。日本の長寿記録に並び、追い越し、そして世界の長寿記録を更新した。その都度、私は日本中、いや世界中の画面という画面に映し出され、多くの人々の興味を引いた。美人のリポーターに質問され、世界的に有名な司会者に、俳優に、インタビュアーに質問された。私はそうして、あの頃見ていた「向こう側」の人間になった。
私は今も疫病神だ。それはずうっと変わらない。しかし、気がついたことがある。疫病神は私だけではなかった。皆もう私に対する興味を抱き尽きたのだ。いや、正確に言えば、私の「生」に対する興味を抱き尽きたのであろう。だから私は今日で死ぬことにした。
あたたかなベッドのマットレスから私は冷たい床に転げ落ちた。消え行く私の身体。悲しみは、微塵も感じない。