Neetel Inside 文芸新都
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ネクラが覗く世界
髪結いの亭主(仮題)

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 夜八時三十分過ぎ。札幌行きの快速エアポート205号の五号車内。銀の車体に緑のラインがすっと一文字に入っている、その如何にも無機質な外装と全く違わぬ人工的なデザインの、青と黒の二色の布張りが施されたシートが並んでいる。もうそろそろ出発の時刻だからだろうか、足早に車内に入ってきた男は、そのまま頭を下げて申し訳無さそうに5Bの席に座った。この時刻、娯楽施設も飲食店街もみな店じまいして、空港にいるのは往々にして深夜便に乗ろうとしているスーツケースを持った旅行者やビジネスマン、そして新千歳に降りたってすぐの、未だ疲労の色がありありと残る旅行帰りの人びとである。従って空港直結のこの駅から快速エアポートに乗り込む客たちもみな、肩からカバンを提げたり、カメラを持ったり、スーツケースを引いていたりする。しかし男はそのどれにも該当しない格好で座っていた。彼は手ぶらだった。
 その異様さに輪を掛けて彼の饒舌は激しいものだった。というのも、この快速エアポートが新千歳空港駅を出発してから札幌駅に到着する瞬間までのおおよそ四十分もの間、男は機関銃もかくやという勢いで休むこと無く、おおよそ次のような顛末の事をひたすら話し続けていたのだから!







 「いやあ、すみませんねえ。こんな風に暑苦しいのが隣に座って、あなたもさぞ息苦しいでしょう。しかしながら、まあ、いったい、どこを見たところで皆さんひとり掛けして、隣に荷物を置いて座られている方もいらっしゃいまして、なかなかこの身ひとつ預けられる所も見つからない訳でして……。とは言っても、私はもともとこれだけで来たものですから、身ひとつが納まれば構わないもんなのですが。
 ……いえ、ねえ。旅ってほどのものではありませんで。旅行、などという、大層なこともなかなかできない訳でして。まあ、何と言いましょうか、わたくしねえ、恥ずかしながら、髪結いの亭主なのでございますよ。……ああ、髪結い、という言葉、解り辛いでしょうか。今のお方は、髪結いの亭主などという言い方、なさりませんでしょうか。はい。つまりは、ひもでございます。……いやあ、やっぱり、髪結いの亭主と名乗らせて頂きたい。この方が、何と言うか、箔が付く言い方でしょう。ああ、大した仕事もしておりませんのに、箔が付くなどという物言いをしているあたり、やはりわたくしはいけない人間なのでしょうか。ただ、わたくしは今、このひもという言葉をあなたとわたくしとの間でなされている会話――といってもまだわたくししか喋っておりませんが――において使っているだけでありますから、今は、妻も与り知らぬ状況ですから、ひもなどという素っ気ない言い方よりも、髪結いの亭主という名乗り方をしたほうが、良いかと思ったまでのことなのです。

     

 わたくしの髪結いの亭主と言いますのは、ただ単にひもであるという意味だけでは無いのです。これがまた長い話になってしまって恐れ多いのですが、わたくしは生まれも育ちも隅田川沿いでありまして、今はスカイツリーがキツリツ? と言ったらいいのですかな、やはりあれは屹立していると言った方が良いのでしょうね、そんな場所になっておりますがねえ、わたくしの子供の頃は、あの辺り一帯に流れる時間というのは、それがそのまま、あのおおらかに水を湛えた隅田川の流れと一体のものになっておりました。あの川の流れが速い日は、路地で遊んでいても日が暮れるのを早いと感じたものです。わたくしの家は向島で数軒ある旅館のひとつでございましたから――お世辞にも大きいとは言えない旅館でございましたが――夕暮れ時、家に帰って来ると、母は従業員と――といっても、やはりこれも大した数は雇えなかったのでしょうが――夕餉をせっせと作っておりました。父はお客の多い日には雑務も多く、何やらいろいろと忙しなく動き回っておりましたが、一組いるやらいないやらといった日には、丸眼鏡の所為で大きくなった目を鋭くして新聞を読み耽っていたのを、今でも良く思い出します。お客のいない日というのは、決まって隅田川もゆったりとした流れになり、時間ものんびりと過ぎていきます。わたくしは子供ながらに、国語の時間に覚えた、蕪村の『春の海 ひねもすのたり のたりかな』の句を思い出し、夕日の照り返る川面を見つめて『秋の川 ひねもすのたり のたりかな』などとつぶやいておりました。
 そんなある日のことでした。わたくしは近所の子供らとゴムボールで遊んでおりました。公園で、野球をしていた、そんな記憶もあるのですが……まあ、良いとしましょう。赤い帽子の子供が、投げたか打ったか蹴ったかして、わたくしの左をするすると抜けていきました。どういう動作ののち転がっていったのかも、ボールの大きさすらも定かでは無いのですが、とにかく今でも覚えているのは、わたくしと相対していた赤い帽子の子供が、いやに不敵な――子供のわたくしがそれまで見た事もして見せた事も無いような、そんな笑みを浮かべていたのです。そうして転がっていったボールを追いかけているうち、ボールはカタンカタンとかすかに乾いた音をたてて、ある建物のドアの前で動きを止めました。わたくしがそこまで追いつき、ボールを拾おうとした途端、ドアが少しずつ、建物の内から外へ向かって開きました。ボールはドアの脇にわずかに転がっていきました。
『まあ……ごめんなさい』
声のする方を仰ぎ見てみると、紅白色の水玉模様のワンピースを着た女性が立っていました。わたくしはその時、艶かしさ、という感覚を覚えたのだと思います。とにかく、赤と白の明滅するようなコントラストが鮮やかなワンピースと、産毛に守られた白くて柔らかな脚との、その動と静との二項対立の狭間で、わたくしはしばらくの間、動けなくなっていたのです。

     

 そこは美容室でした。開かれたドアからは、鮮烈な印象をもってわたくしの前に立った女性とともに、艶っぽい、心地良い香りが放たれていました。女性の大きな黒目に、わたくしは溶けていました。……一瞬、本当にそんな気がしたのです。わたくしは不意に正気づいて、わたくし自身の実在を確認するために、視線を女性から引き剥がして自分の手に、脚に、体に向けようとしましたが、どうしても視線は女性のまんまるのひとみと、柔らかそうな頬と、頸と、豊かな胸のふくらみから離れませんでした。中でもその頸――柔らかな頬やくちびるや顎の感触を受けとめながらも、肩から胸にかけての骨張った部分につながるように、しなやかな筋肉のついたその頸に。
 わたくしはおそるおそる右の手を左の腕があると思われる位置に持っていき、その指に確かな皮膚感覚が生じたのを認識し、安心したのです。……もっとも、今となっては、あのひとみに、あの時そのまま溶けてしまえば、彼女のひとみの中の住人として存在していられたなら、と思いもするのですが。
 ああ、そういえば、とボールのことを思い出し、やおら視線をドアの下の方へと戻したのですが、もうその時にはボールは無くなっていて、粗いアスファルトから、礫やきらきらと光を反射したガラス質がのぞいているだけでした。振り返ると、もう公園には他の子たちの影は無く、少し湿り気のある風が、公園を貫くようにして吹いていました。
『ごめんなさい、みんないなくなっちゃったわね』
女性は何も悪くないのにそう謝ると、足早に美容室の中に入っていき、またすぐ戻ってきました。
『あげます。……もう、おかえり』
小さな手に、ぽん、と飴がふたつ置かれました。そして、手を『く』の字に二度三度折り曲げる動作をしながら、美容室の中へと戻っていったのです。
 その日、わたくしの一日はそれだけでした。

     





 以来、わたくしは、学校が終わったあと、近所の子供らがおのおの準備のために家に帰って、その日の遊び道具を持って公園に集まってくるまでの十分か二十分ほどの間、じいっと美容室のドアの前に立って、『ウミノ美容室』と白い文字が書かれた硝子越しに彼女を見ることが毎日の楽しみになりました。身につけているのはいつも決まってワンピースかスカートで、ひらひらと軽やかに波立つ衣服の下からのぞく脚線に、わたくしは十分でも、二十分でも、視線を送り続けることができました。彼女は時たまお客を椅子に座らせて、霧吹きで簡単に纏めた髪に、綺麗に手入れされたハサミを入れていましたが、ほとんどは椅子の背にもたれ掛かって、こちらを向いていました。わたくしを見ているのか見ていないのか、焦点の合わないような目をして考え事をしている日もありましたし、じっとこちらを見て、微笑んでくれる日もありました。その距離感に、わたくしは不満を感じていなかったのでしょう。自分からドアを開けようと思った事は、一度もありませんでした。ドアもやはり、わたくしの侵入を許すでも、許さないでも無く、ただ屹立しておりました。……今だったら、きっとあのドアにスカイツリーが映っていたでしょうか。

 そのうちに、ドアが開きました。開けたのは、他でもない、彼女でした。予約の客を相手している以外は、ほとんど暇を持て余すだけだという彼女と、わたくしは時間があれば話をしておりました。土曜や日曜は一日中、話をしました。平日、他の子供らと遊ぶ時間も、減っていきました。
 中学・高校に入っても、彼女との会話は続きましたが、なにぶん年頃が年頃でしたので、ドアの前で立っていたり、他の女性客と混じって待合席に座っていたりすることもできず、時間を見つけるのには苦労しました。最初はたどたどしい、拙い会話で、内容もその日の空だとか、天気だとか、隅田川の色や流れについて、というようなつまらないものでしたが、その頃には、私の事も彼女の事も、お互いの内情といったものが、少しずつ話されるようになっていました。
 彼女は若くして、ひとりきりで美容室をやっていました。『やっていた』という表現が良いでしょうか、『やらざるを得なかった』と言うべきなのでしょうか。彼女の母親は彼女が七つの頃に結核で亡くなり、父もそれからしばらくはたったひとりの子供である彼女を、妻のように、いえ、おそらくは妻同然に愛し、かしずいていたと言います。しかし、その父親も、彼女が十七の頃に脚を悪くし、二階の奥の間で寝たきりの生活を送ることになり、彼女は母が辞めてから放っておかれていたままの、この『ウミノ美容室』を、半ば強制的に継ぐ事となったのです。
 彼女は父親の話になると決まって、そのひとみの奥にじりじりと燃える火のようなものを見せはじめました。それに対して、そのひとみを包むように、表情はいたって柔らかであったことが思い出されます。その一瞬の均衡が、美容室の中に居る私を、彼女に釘付けにさせました。そして、これはわたくしの想像でしかありませんが――おそらく彼女は、父親に、母親同然に愛され、その果てにおかされていたのではないでしょうか。わたくしには、あの時の彼女の均衡は、今まで育ててくれたことへの恩と、おかされたこと――はじめてを奪われたことへの怨みや憎しみが、彼女の中で拮抗していたような、そんな表情に見えてならなかったのです。

       

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