Neetel Inside 文芸新都
表紙

ネクラが覗く世界
ぱきらくん

見開き   最大化      

 私の創作はぱきらくんで始まったといっても過言では無い。思えば、物語を創る喜び、とか何とか言ってしまうとなんともナルシスティックで面映いのだが、おそらく他人に語って聴かせることに面白さを見出すことができたのはぱきらくんのおかげなのである。
 と、ここで私はある感傷に浸りながら、実家の小汚いカーペットに平積みにされている小中学生時代の教科書の山の中にある、「さんすう 2」を想ってみる。

 あきらくんは、1こ300円のりんごを2こ、1こ200円のみかんを3こ、かいました。ぜんぶでいくらはらえばいいでしょう。

 当時の私はこの「ステップもんだい」にも耐えうる駿才であったらしいのだ。どうやらあきらくんを股の下に眺めつ、ステップを終えた私はさらに先の「ジャンプもんだい」へと踏み切っていた。

 「ステップもんだい」の数字をいろいろかえて、じぶんでもんだいをつくってみましょう。また、つくったもんだいを、ともだちといっしょにといてみましょう。

 俗に、空白の十年だとか、失われた十年だとか、雨の西麻布だとか、さまざまに揶揄されながらも、それを甘受して生きているのか、はたまた揶揄されていることに対しての反抗心を失っていたのか、ただ何となく「授業」とやらで埋まる日々を過ごしているうちに、学力で行くべき学校を区別され、実力以下の学校には行く必要がないだとか、実力以上の学校には行きたくても行けないだとか、とかく無自覚なままに周りの声に流されて流されて生きてきた、そんなゆとり世代。いくら頑張っても先行する世代には追いつけないと知らされ、後ろからは猛スピードで追ってくる新人類の影。先行する世代には「しらけ世代」なんて名前もついているようだが、それを言うなら、異なる世代への関心という点において、われわれはすでに戦うことを止め、早々に「しらけ」ているのだ。
 と、そんなのちの回想を知ってか知らずか、この当時千里の馬たる私は、その独創的な想像力を駆使して、「ジャンプもんだい」を解いた……いや、説いたのであった。

 ぱきらくんは、1こ300円のりんごを2こ、1こ98万円のみかんを6こ……

この時点で、五人ないし六人で机をくっつける、いわゆる「班のかたち」にしていた私の独演会のリスナーたちは、半笑いであった。なにしろこの年代の子供にとって、笑いをとる上で法外な桁数の数字を引っ張り出してくることは常套手段であったからだ。なにも法外な桁数でなくても良いと言えば良い。「おれ、ちんちんが二本あるんだ」言説でさえもギャラリーは半笑い、沸点の低過ぎる燐の如きガキであれば下手をすると笑い死にかねないのだ。
 そして私はさらに畳み掛ける。

……でも、かっているとちゅうで、おしっこがしたくなったぱきらくんは……

さらにリスナーたちは少しずつ表情を緩めていく。ここで私が工夫した点は「おしっこがしたくなった」とした所である。ここも重要なポイントなのであるが、大抵の男子は「催す」となると「便意」なのである。彼等の中に「尿意」という言葉は無いのだ。「まるで~ように」という語法と同じである。「催す」ときたら「便意」と呼応させるのが、彼等の百点満点の解答なのだ。しかし、私はそこをあえて我慢した。「尿意」だけに我慢した。とかこんな下らない駄洒落を挟んでいたらあの頃の私に笑われかねない。
 「催す」となると「便意」と呼応するように、「催す」ものは必ず「漏れる」運命にあることも考慮に入れておかねばならない。一度催したものはだいたい漏れる。そうして人為ではどうにもならないことがあると悟るのである。孔子の言葉にある、「吾、八にして天命を知る」という一節はあまりにも有名である。孟子だって寝小便の所為で寝床が腐って二度も引っ越したと言うではないか。言わないか。
 さて、期せずして話が黄ばんできた。本題に戻ろう。

……りんごを右のポケットにひとつ、みかんを左のポケットにひとつ入れたままトイレをすませてもどってきました。

 昔、トイレを済ますことを「トイレする」という語法で使っていたら、「おまえはちんちんから便器が出てくるのか」という理不尽な批判をうけた憶えがあるのだが、ここではどうでも良いので話を続ける。

 そしてぱきらくんは、……

 ここでやっと、欲しかった言葉が出てくる。私の漫談をいつも最前列で聴いてくれているリュウキ君の突っ込みである。
「『ぱきらくん』ってなんだよ」
そう。私のいくぶん執拗とも思えるような突っ込み待ちに対して、やっとこさ重い腰を上げてくれたのはリュウキ君だったのだ。やった、やったよ~! ウォ~ウウォウ、と、リュウキ君にあやうくはじめてのチュウをしかけたが、ここからその道を歩き始めるにはまだ早かろうという駿才なりの先見の明からか、握手にとどめた。中学に入って男友達に好かれることになるのはまた別のおはなし。
 それが私の百年の誤読だったのか、はたまた全て計算づくの行為だったのか、今となっては遠い記憶の彼方にあるのだが、つまり、「ジャンプもんだい」で変えるべきは数字であり、何も主人公の名前を変える必要は全く無かったのである。それを「ぱきらくん」である。
「『ぱきらくん』ってなんだよ」
である。こうして私の処女作『ぱきらくん』第一回はリュウキ君の突っ込みもあって、わりあい好評のうちに幕を閉じたのである。その後も何度か、天丼の技法だとばかりに思い出しては『ぱきらくん』の続編を考えていった気がするのだが、今ではそれもどこか遠くへいってしまったようである。
 そうして今、ノートの切れ端では無くラップトップのディスプレイを限りなく細めた目で見ている私を、ぱきらくんは記憶の彼方から笑っている。どうやら君はケイケンとリクツを味方に付けすぎた。僕を、僕の物語を見習ってみろよ、と……。

       

表紙

江口眼鏡 先生に励ましのお便りを送ろう!!

〒みんなの感想を読む

Tweet

Neetsha