花火大会に行ってはいけない
ねーちゃん
――[02]――
いきなり話がそれるけど、しづれのメールは相変わらず淡白だった。大体年頃の女の子は絵文字ってものをよく使うらしいのだけれど、しづれはまったく使わない。僕の大学の女友達は例外なく使うのに、である。
「……」
正直そこんとこはどうでもいいので、さっさとしづれに返信をしなくては。
花火大会。きっと、この場所から電車で三十分ほど行った所にある、ここよりはちょっと都会なアソコでやるアレのことだろう。なんだか卑猥なホテルがぽつぽつ立ってるアソコだろう。僕はちょっとだけしづれといい雰囲気になった時のことを想像して、哀しくなった。悲しいんじゃない。哀しいんだ。僕だって男だ。それは性(さが)だ。
「う~ん」
正直、迷っていた。時計の針は五時を指していて、まだ外はそれなりに明るい。浴衣は持ってないから、しづれの浴衣姿が拝めるだけだ。しづれには何もやらないぞ。
しづれは、もう準備しているのだろうか。だとしたら、これは断れない。でも、浴衣姿を写メで送ってきたわけじゃないから、そうと決まったわけではないだろう。でも、あいつのことだから、それくらいはやってるだろう。僕の幼馴染としての勘がそう告げているから間違いない。いい加減頭の中でしづれのことばっかり考えているのも辛くなってきたので、僕は立ち上がって窓の外を眺めた。小さな川を挟んで、しづれの家がある。
「よし、行くか」
しづれの家と、花火大会の両方にだ。僕は黒ずんだグレゴリーの汚らしい肩掛けカバンをひったくると、ドタドタと階段を駆け下りた。
「どこ行くの」
黒く澄んだ声が台所のあたりから飛んでくる。
嫌いな、嫌いな、嫌いなねーちゃんの立町文子(たちまちふみこ)め……また僕にいちゃもんを付けて小説の題材にしようっていうのなら許さないぞ。
「花火大会」
僕はツンと跳ねた声色で単語を返した。
名前が職業を表す外国人よろしく、ねーちゃんは小説家だ。まだ二十五のくせに売れっ子になりつつある、某編集部が言う所の「天才女流作家」らしい。が、性格はネクラの中二病のキチガイ紙一重のド天然なのである。
小説家ってみんなこんなやつなのか。もしそうなら、僕は二度と本屋さんに足を運ばず、毎晩足を向けて寝るだろう。そのくらい嫌いなのだ。
「しづちゃんと、か」
まな板の上に置いた原稿用紙から顔も上げず、細身の糞ねーちゃん文子はそう言った。まるで彼女を寝取られた彼氏のような、恨みったらしい言い方に僕は腹が立った。
「文句あんのかよ」
「やめときな。死ぬよ」
はぁ!? と僕が言う前にねーちゃんがむふっと笑った。
「冗談よ。でも、行かないほうがいい」
「別に俺がしづれとどこ行こうが関係無いだろ」
ねーちゃんが僕に絡んでくる時は、大体ネガティブな話になる。というか、向こうからネガティブにしてくるのだ。死ぬとか、呪われるとか、不吉なことばっか言ってくるのだ。妄想は小説の中に留めておいて欲しいものである。ホント、勘弁してほしい。
「……」
何も言ってこなくなったので、僕は無言で台所を横切った。毎日毎日異様なマイナスイオンがこのあたりに漂っているから、いつも長居はしない。
僕はそそくさとサンダルを足にはめて、玄関のドアノブに手をかけた。その時、ねーちゃんの声がした。
「修二」
さっきとは打って変わった、真剣な声色に僕は驚いて振り返った。そこには、顔色の悪い、色白のねーちゃんの真顔があった。久々に直視したので、ちょっとドキッとしたのは秘密だ。なに考えてんだろう、僕。
「……」
なんだよ。何か言ったらどうなんだ。久々に顔合わせしたんだし。
「……気をつけてね」
それだけポツンとつぶやいて、ねーちゃんは下を向いた。すぐにカリカリとペンの音が聞こえ始めた。
僕は黙ってドアを開けて、外に出る。目の前にはしづれの家が見えて、なぜだかわからないけどちょっとホッした。
――それにしても。
普通なら、「気をつけてね」なんて弟思いの理想的なお姉さまの台詞ではあるのだけれど。
あんな言い方される方が、よっぽど不吉なのである。
僕のねーちゃんの場合は。
何か心に引っかかる物を感じながら、僕はしづれと僕の家の間にある、小さな川にかかる小さな橋の上を渡っていった。