Neetel Inside 文芸新都
表紙

インディアン・サマーズ
4 阿片街道

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 これまであまり絡みがなかった阿片街道と一緒に酒を飲む機会があった。基本的に我々は打ち上げってものをしないのだが、ある日のライブのあと、阿片街道のエイスケさんが「酒、飲みに行くか」と言い出し、オレも行くことにした。他の全員は帰った。
 阿片街道はものすごい轟音のサイケデリック・バンドだ。特にギターのエイスケさんが延々フィードバックを出し続けて他の音を潰してる。メンバーは彼と、ベースのアキホさん、その弟でドラムスの市名坂、そしてボーカルの春日井さん。
 普段楽屋でもまったく口を利かないこの面子は、仲悪いのだろうかと思ったらじっさいそうらしかった。居酒屋でオレはコーラをずっと飲んでいたのだが、この四人は全員いきなりウイスキーだの焼酎だのを飲みまくり、どんどんひどいことになっていった。
 まず春日井さんが最近の音楽シーンとか、一緒に出ているバンドのメンバーを名指しで批判しはじめたのだった。特にヨーコさんが槍玉に挙げられ、彼女は日和った、と五十回くらい言った。そのうちアキホさんがなぜか激昂し、春日井さんが収入を得ておらず親の世話になっていることを指摘すると、今度は市名坂がそれはあんたもじゃねえか、と言い出し、なんの前触れもなしにエイスケさんが、お前らは人間のクズだ、死後は地獄行きだ、犬畜生に生まれ変わって狂犬病で水を怖がりながらいかれて死んでいくのだ、などと言い始めた。オレはとっとと帰りたかったので、トイレに行くふりをして椅子に飲み代を置いてこっそり脱出した。その後なにがあったか知らないが、四人がその店を出入り禁止になったのだと聞いて、この人たちがいるから打ち上げをやらないのだ、と理解した。
 メンバーの中でも、いやオレが知っている中でも指折りのクズは間違いなく春日井さんである。この人は最初冗談で言っているのかと思ったがそうではなく、ほんとうに世の中とそこに生きるすべての人々が間違っていて、自分に対しもっと従属すべきと考えているらしかった。当時二十六歳で、大学に入りはしたものの出席せずに、登録を抹消されているとのこと。ヨーコさんは長い付き合いで、もう春日井さんに対してあきらめのような感情を抱いており、こいつはこのまま死んでいけばいいと思っているらしい。町であいつに出会っても絶対に声なんかかけない、と言っていた。

 二年生のころオレは比較的真面目に大学へ行っていた。千羽や椎名くんもちゃんと来ていたし、ときおり千羽の幼馴染である市名坂や、生徒でもないのに暇潰しに来てる姉のアキホさん、そしてたまにではあるが深山さんとも会うようになった。ラ・ベファーナの面子はしばしばサボってるらしくほとんど見かけなかった。
 そのうち我々でサークルを作るってのはどうだろう、みたいな話が出てきた。ところが誰も具体的に行動しないタイプなので遅々として話は進まない。部室とか部費をもらったりするのは恐らく、具体的な活動方針とか実績とかがあって、それなりの部員数を確保しなくては無理だと思われた。
 ある日、市名坂が帰るの面倒、と言って鍵の壊れた空き部室に宿泊してから、そこを不法占拠して「ロック同好会」というインディーズ・サークルが発足した。誰もロックの話なんてしない。しかし隣の「陶芸愛好会」も飲み会以外の活動をしていないのだからいいじゃないか、ということで部室は、宿泊場所とか、食堂が混んでるとき食事をする場所となっていった。言うまでもなく汚い。雑誌、CD、カップ麺の容器、酒瓶、ペットボトル、小汚いソファー、アキホさんのものと思われる血塗られたガーゼシャツ、弦の錆びたアコースティックギター、ドライヤー、ドロドロに融解したチョコレート、和独辞書、壊れたテレビ、椎名くんがもちこんだ山のような哲学書、AKIRA完全版など、いろんなものが山積みになり、邪魔な場合それらを適当に移動させて、崩しては積み上げて、ぐちゃぐちゃになっていった。
 ある日オレと椎名くんが部室に行くと、アキホさんが泥酔していてゴミ山の上に寝ていた。彼女はオレたちを認めるといきなり「あなたがた並びに当大学の生徒たちは非常に愚劣であるからして、絶命すべきである」というような意味のことを、大学じゅうに聞こえるくらいの大音声で叫んだ。千羽から聞いていたのだが、アキホさんは昔からバイオレンスタイプの人で、癇癪を起こすと何かを破壊したり、どこかへ走り去ったりするのだという。酒が入るようになってその傾向が加速しているらしい。オレたちはドアを閉めて去った。
 別の日、部屋に入ると、とてつもない異臭がした。見ると千羽と深山さんがお香を焚いている。話を聞くと、複数のタイプのものを混ぜて連続的に焚いたようだ。オレはもうこの部室に来るのをやめようと思った。
 ニコとは食堂とか教室でたまに会って話していたのだが、彼女はやはり相変わらずいろいろなものに疎外感とか憎しみを覚えていて、オレにその胸の内を明かすのだった。例えば大学の帰り道とかに目の前の人たちが、横一列になってのろのろと歩いているのを見ると、そいつらに向けて機関銃を掃射したい衝動に駆られるとか、授業中に私語が止まらない生徒を見ると、格別の怒りとともに眼球に指をねじ込みたいとか、そういうコメントを歪んだ表情で話すのでやはり、こいつはヤバい、と思わざるを得ない。
 休日、暇だからとニコに誘われて喫茶店に入り三時間くらい話すことが何度かあったのだが、どんどん暗い方向へ進む。こういう人格がゆえに自分はまともに生きられないとか、社会はもう崩落寸前であるとか、現在のパンク・ロックはすでにグランジの侵食を受けたミクスチャーにすぎないとか、そういう話で、オレはこれでいいのか、と思いつつ、そっちの方向に突き進むのだった。
 ニコはライブにも来てくれるようになったが、終わった後挨拶もなにも無しに姿を消してしまうので(人が多い場所に長居はしたくないという)オレはそのうち呼ぶのにためらいを覚え、サイトに予定が記されてるから来たいなら来れば、当日いきなり来ても前売り料金で入れるから、と言っておくだけになった。
 ベースはあれからやってるの、と聞くと、指が痛くなったのでやめた、と言う。確かにそうだ。逆にオレはなんで、こうして続けていられるんだろう。分からないが多分ヒマだからだ。世間の人々はバイトとか恋愛とか勉強とかギャンブルとか、そういうのに時間を費やさなくてはいけないので、ノンビリ楽曲を練習している時間などきっとなく、ライブハウスで演奏するためにメンバーを集め、わざわざスタジオまで行って合わせる、なんてこともしないのだろう。やっぱり趣味っていうのは時間がないとできない。なにかを犠牲にするまでもない余剰の時間が。
 部室はそのうち誰もよりつかなくなった。あまりに汚くなりすぎたせいで。オレは見るのもいやなのでずっと行っていない。恐らく全員が卒業もしくは退学するまで放置しといて、あとは忘れるんだろう。みんな掃除なんかしないし、今あるものを目に付かない場所まで移動すればそれでOK、っていう人種だ。ほんとうに問題すべてがそれで解決すればいいのだが。
 ところがライブにあたって、椎名くんのストラトが部室のゴミの中にまぎれていることが分かり、彼がとても嫌そうな顔でサルベージしに行った。そしてもっと嫌な顔で帰ってきて、有機的なオブジェクトがあったと説明した。つまり腐敗物。ひょっとすると彼はそいつを触ってしまったのだろうか。ストラトを見ると茶色い染みがついていた。オレは作曲するためにギターを貸してくれと頼むつもりだったが、ベースでやることにした。

       

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