エクセレント・ガヴァネス
東大一直線? 〜ドラゴン初芝〜
「おはようございますー」
初芝が事務所のドアを開けると、かすかに人の気配がする事務所の奥から、鼻歌が聞こえてきた。
「チキドンチキドンチキドンドン~♪」
奥に行くと、香ばしいにおいがする。
「おはようございます、小池さん」
「あ、おはようございます初芝さん」
鍵当番の小池さんが真っ先に到着し、チキンラーメンを作っていた。
「おいしいラーメンまだかいな~早くしないと食べちゃうぞ~♪」
そういうと小池さんは、割り箸でぐちゅぐちゅとラーメンをほぐし、おもむろに一口すすった。
「うーんチキンラーメン最高~♪これを食べると、今日も一日頑張ろーって気持ちになるのよ!」
大きなメガネを湯気で曇らせながら、おいしそうにラーメンをすすっていた。
「小池さん、今日はどちらでお仕事ですか?」
「ん、今日はちょこっと遠いのよ。これから川越へ行くのよ~。これ食べたらもう電車乗らないとね」
「川越だと結構距離がありますね。私あまり詳しくないんですけど、あまり遠いところの場合は交通費お客さんから取ってるらしいですよね?」
「ん、若干のオプションは取ってるらしいわね。でもまぁ500円ぐらいじゃないかな?ウチの会社ちゃっかりしてるから、そこら辺は抜かりないと思うわよ」
「そうなんですか」
初芝は持参した缶コーヒーの封をあけ、少し口をつけた。
「初芝さんは、今日はどちらまで?」
「あ、私は国分寺です。前も小池さんに伺った、今浪人中の人の家庭教師らしいですね」
「おや国分寺ですか?あそこの浪人中の子というと…あーあの子ですか…」
小池さんはちょっと考えて、ふと一人の男を思い出した。
「まぁ、あの子はね…私からしたら適当なところで妥協したほうがいいんじゃないかな~って思うんですけどね。私も妥協したクチなんですが、言って聞いてくれないんですよねホントに…」
普段のんきであっけらかんとしてる小池さんが、珍しく顔を曇らせた。
「この間猪俣さんにも聞いたんですが、やっぱり難しそうな子ですか…」
「難しいね…」
小池さんはズルルとラーメンのスープをすすりながら、そう言った。
今日は平日。当然ながら電車での出張となる。
ラッシュの時間は過ぎていたが、中央線は大変混雑していた。
「ふあぁ…」
狭い車内だが、あくびをしながら英字新聞を読む。
ここに就職以来、どう考えても前よりも勉強しているような気がする。
間もなく国分寺駅に到着。ここから歩いて10分ほどのところに今日の依頼主の家がある。
ピンポーン。呼び鈴を鳴らす
「おはようございます。総合家事派遣サービスの初芝です。本日は息子様のガヴァネスとしてお伺いしました」
「あ、はいよくお越しくださいました!」
玄関のドアが開くと、恰幅のいいおばさんが現れた。
「あー初芝様ですね。どうか今日はよろしくお願いいたします!」
「それでは失礼いたします」
丁寧にお辞儀をして、家に上がる。
今日のご主人様はある会社の重役をしている家の奥さん。
なんでもそこの次男が大学受験に2度失敗して、現在3度目の受験をしようとしているのだという。
「それでは本日の指導計画ですが…基本的には子供さんの勉強を見てあげることと、あとはセンターヒアリング対策としての英会話のマンツーマンレッスンが30分ということになりますね」
「はい、どうか息子をよろしくお願いします」
「承知いたしました。基本的には模擬試験の見直しから始まって、あとは過去問題集等の演習と答案添削とかになると思います。このあたりは前回伺いました小池、猪俣両ガヴァネスから伺っておりますので、私もこれに倣い、指導をさせて頂きたいと思います…」
「はい、ありがとうございます。あと、もしよろしければ…」
母親が、おずおずと相談を持ちかける。
「…先生は、東大をご卒業と伺っております。もしよろしければ、息子にいろいろ教えてやってくださればと思うのですが…」
今回指導対象となる次男、均君(20)は志望校は東京大学。過去二回の受験では惜しいところで涙を呑んだとのことで、今年も東大一本で受験をしようとしているらしい。
ただ、最近は3度目の受験へのプレッシャーから著しくナーバスになっており、どうにも勉強に熱が入らないという話もある。
「そうですか…私も大学在籍中の時は、何度かそういう学生を家庭教師しておりますから…今はガヴァネスという総合的な人材教育をする立場ではありますが、少しでもお力になれればと思います」
「ありがとうございます。今まで家庭教師も何度か頼んだのですが、なかなか肌に合わなくて…なので、長時間付き合ってくださって、人材教育に総合的に取り組んでいるというおたくにお願いしたいと思ったんです。今回はようやく東大出身の方に当ったので、本当にうれしく思います…」
あまりにも東大東大といわれてしまうと非常に面映いが、ただそれぐらい切羽詰っているのだろうとは思わされた。
今回は、初芝にとって初めての予約指名派遣。それもガヴァネスとして初めて一人で行くものだった。
通常ガヴァネスは良家の子弟を教えるために、その他業務をするメイドさんと共に派遣されれるケースが多いのだが、特に学習指導を前提に派遣される一般的な家庭教師業務も請け負っている。
ただ今回のように難関大学受験を指導するというケースは稀で、この業務ができるガヴァネスはいかに博学多才のガヴァネス揃いのこの会社でも限られてしまうのである。
猪俣さんは早稲田大学、小池さんは慶応大学の出身だが、両名でも手に負えないということでついに東大卒の初芝に白羽の矢が立てられたということである。
「均様、失礼いたします。ガヴァネスの初芝と申します。本日は一日、均様の勉強を見てほしいとのご依頼でお伺いしました」
「入ってください」
「失礼いたします」
初芝が丁寧にドアを開けると、そこには一人の男が席に向かって座っていた。
「どうも…」
「おはようございます。ガヴァネスの初芝です」
無表情な男に対して、初芝は笑顔で挨拶をした。
受験机は散らかっていたので、小さな机が出されていた。
男は無造作にそこに座り、初芝も向かい合って座った。
「さて…今日は均様の受験指導並びに総合学習教授を承っております。既にFAXで均様の志望校、過去の模擬試験の判定などは頂いておりますが、よろしければ均様の口から直接ご希望をおっしゃってください」
初芝のこのひと言に、男は泣きつかんばかりの勢いで迫ってきて、そして話し始めた。
「僕は…今年こそ東大に合格したいんです。今年こそ…」
聞けば2年とも、10月ぐらいの模試までは常にA判定、それこそ全国上位の成績に入っていたのに、いざ直前になると緊張やプレッシャーで勉強がはかどらなくなって成績が上がらず、センター試験ももう一つ。それでも十分圏内の点数であり、2月の前期試験の手ごたえもあったにも関わらず落ちてしまうということが2度続いていたらしいのである。
「僕は…プレッシャーに弱いんです…」
「なるほど…」
どちらかというと初芝はプレッシャーに強いほうだと自分では思っている。東大は現役で一発で受かっているし、前の会社だってスッと最終面接まで行って採用に至っている。
「ちょうど今の時期ぐらいから、勉強がはかどらなくなっているのね…」
「ええ、そうなんですよ…」
自信なさげにしょんぼりと下を向いていた。
「いるのよねこういう子が…」
とにかく真面目に、一生懸命勉強して、常に成績上位なのに、肝心の試験になるとからっきしの子。
初芝もよくこういう子を指導してきていた。
「そうね…でもそこで落ち込んでいても仕方ないわ。もし良かったら、どんな問題集を使ってて、どんな解き方をしているのか見せてくれませんか?」
「はい、それでは…」
彼が使っている問題集を見ると、それはどれもこれも難関大対策の難しい問題集ばかりで、それこそ手垢がつくぐらい一生懸命勉強しているのがよく分かった。
「ふむふむ…」
初芝はその問題集のひとつを手に取り、あるページを開いてみた。
「じゃあ、この問題をちょっとやってみて」
「え…これをやるんですか?」
「そう」
それは日本史の記述式の問題だった。
「こんな問題、もう答え覚えてしまってますよ」
「まぁそれでもいいわ。君の答えが見てみたいの」
「分かりました…」
彼は時間を計り、要点をまとめて丁寧に文章を書いていった。
「うん、見たところ悪い文章を書いているわけじゃないわね。でもこれじゃ50点」
「え…模範解答でもこの点とこの点は抑えろと書いてあるのに…」
「そこが落とし穴。何ゆえ北海道に屯田兵を派遣したか。それは確かに士族の雇用確保、防衛の確保という大事な任務があったのは確かだけど、この屯田兵は志願兵だったということにも注目したいわ。この屯田兵は実際には西南戦争などにも参陣していて…そう、まさに画期的ともいえる日本における軍の再編成なのよ…」
「そ、そんなの知らなかった…」
つづいて国語の現代文。
「うーん、これは模範解答が30点。こんなクソ解答してるようじゃ予備校も大したことは無いわね…というかどう考えても予備校講師では大学のえらい先生が考える文章には太刀打ちできないということね」
「そ、そんな…」
模範解答をボロカスにけなす家庭教師は初めてだったらしく、男は目を白黒させて驚いていた。
「この機会だから教えてあげるわ。現代文の良問というのは、文章を一読したら向こうから答えがやってくるのよ。洗練された文章を、当代一流の学者が知恵と感覚を絞って分かりやすいように問題を作っているのに、この出題者の意向が全く読めずに前後の文脈なんてものをゴチャゴチャかき回して解答を探ること自体ナンセンス。こんなクソな模範解答捨てちゃいなさい」
「えぇ~…」
一事が万事この調子。バッサバッサと模範解答を切り飛ばし、新しいセンスで問題を説明していく。
本来ガヴァネスというのは、礼節と品位を以って子弟を教育するもなのだが、この日の初芝はかつての家庭教師にすっかり戻ってしまっていた。
「先生、お昼ご飯の準備が出来ました。よろしければ是非ご一緒にお召し上がりください」
あっという間に12時過ぎ。母親が呼びに来たことでようやく昼になっていたのが分かるぐらい二人で勉強にのめりこんでいた。
「えっ!」
昼食は、何と寿司の出前だった。
初芝はそれを見て、目を丸くした。
「いや、あの…確かに契約には「昼食提供」とはなっていましたが、何もここまでしていただかなくとも…」
「いいんです。私どものせめてもの気持ちです。遠慮なく召し上がってください」
「あ…そ、それではありがたく頂戴いたします…」
まるでノリが金持ちの家に行った家庭教師。
しばし自分がガヴァネスであることを忘れてしまいそうな、そんな昼休みだった。
「それではお昼の授業を始めましょう。この時間はご契約に従って英語ヒアリングの講習をします。普段は英会話レッスンとして行っているものですが、特別に均様のために私が教材を読んで、その上でやって頂きましょうか」
「はい、お願いします」
基本の時間割は変わらないのだが、個々の事情やガヴァネスの能力に応じて、こうしたアドリブでのレッスンの微調整をしている。
テープ教材を使い、その上で初芝本人が続けて読む。人の読む英語と、テープ越しの英語には違いがある。そして自分で読んでみる。
なんと人間の感覚とは視覚に、感覚に頼っていることか。
テープの英語は、明らかに初芝のそれと比べて分かりにくい。
「人間というのは、人としゃべっている時、そのしゃべっている内容だけでなく、その人そのものの態度、顔色、前後の文脈…いろんなものを手がかりにその内容が何であるかを確定させているの。テープでのヒアリングが、本当の英会話以上に難しい理由はそこ、人の顔が見えない、前後の文脈が見えないことにあると言って良いわ。文法では拾えない、単語で拾って…」
彼女なりに培った英会話ヒアリング。僅か30分で、そのノウハウを惜しみなく教えていった。
これが終れば膨大な問題集の中から、特に初芝が有用と判断した問題集を用いた精選演習を行った。通常の1時間からせいぜい2時間ぐらいの派遣時間しかない家庭教師と違い、6時間という枠でできるガヴァネスの家庭教師はその時々や生徒の適正に応じた、こうしたきめの細かい対応ができるのが強みである。
最後に赤本を用いて東京大学の出題傾向を簡単におさらいし、5時の終了時間を迎えた。
「はい、今日はここまで。今日一日、お疲れ様でした」
「先生…本当にありがとうございました」
男は深々とお辞儀をした。
「さて、今日の仕事の報告をしないといけませんね。それでは、もしよろしければお母さまをこちらにお呼びして、お二人の前で今日の報告をさせて頂きますがよろしいでしょうか?」
「は、はい…」
「それでは、そのまましばらくお待ちくださいませ…」
初芝は席を立ち、母親を呼んだ。
「お母さま、今日の私の仕事はこれでお終いですが、最後にお母さまに、息子様同席の上で仕事の報告と、今後の進路に関するお話をしたいと思っています。それで…」
「はい」
「もしかしたらその席上、本来ガヴァネスとしては言ってはいけないことを言うかもしれません。契約にはないことなんですが、息子さんのために、どうしても言っておきたい事があるので…お許しをいただけませんでしょうか?」
「はぁ…どのようなことでしょうか?」
「それはですね…」
依頼主である母、そして息子が並んで座り、初芝が向かいに座った。
「それでは、本日は午前中を取りまして問題集の演習と選別を、お昼から英会話レッスンをヒアリング試験対応で行い、その後引き続き問題集の演習を行いました。最後に、ご希望の東京大学の問題分析をいたしました」
「ありがとうございました」
「それでですね…均様に、ひとことだけ言っておきたい事があります」
「はぁ…何でしょうか?」
男は初芝のほうを見た。
「均様…あなた、多分このままでは東京大学は今年も合格できないと思います。もしできることなら、志望校の再検討並びに私立大学の併願も視野に入れて、受験計画を立てるべきだと思います」
「ええっ!」
男はビックリして、目を見開いた。
「そ、そんな…だって先生、あんなに一生懸命教えてくれて、先生のおかげで、僕は今までのやり方が間違いだと気がついたのに…」
「今気がついても、残念ながら残りの期間で東京大学に合格するだけの「頭」を作ることは難しいと思います。今はまだ気がついただけ。それを実践して、自分のものにするにはまだまだ時間がかかります」
「そんな…」
男は落胆して、ガクガクと震え出した。
母は目頭を押さえ、声を出さずに泣いていた。
「あなたが何で途中まで常にA判定なのに、肝心の試験が近づくと模試の判定が落ちたりするのか。それはあなたの学力が落ちてるんじゃない。その、東京大学が求める「頭」を持っている現役生達の学習が追いついて、ドンドンとあなたを追い抜いていくからなの。現役で合格できる子は、一部を除けば何も特別なことをやっているわけでなくて、受験生として学ぶべきことを学んで、そこに自分が今まで培ってきた知識や経験をプラスアルファすることで、大学がそういう子を受け入れたいという試験問題に対応できるようになるのよ。決して勉強は量だけでも、記憶の多さだけでもない。奇問珍問に答えてオォと大学の先生を驚かせるのがすごいのでもない。その当たり前のことができて、それを丁寧に積み重ねることで良い問題、複雑な問題を解けるようになれば自然に大学の求める学力にたどり着くのよ…」
突きつけられた現実。
男は静かに顔を伏せったが、やがて思い出したように顔を上げた。
「でも…今からがんばれば、来年はダメでも、再来年は合格できるんでしょ。だったらもう一年…」
「甘ったれんじゃないわよ!」
思わず声が出てしまった。
ガヴァネスとしてやってはいけないこと。教育に行った先の子弟を怒鳴って怒るなど言語道断の行為である。
でも、初芝はそれをやった。
「よく聞きなさい。18、19はまだ未成年。親の庇護下にあってしかるべきだし、多少のワガママだって親も聞いてやる義務もあると思うわ。でもあなたはもう20歳なの。成人しているのであれば、今までみたいに親のスネをかじっていていい道理はないの。去年許されても、今年許されないことだってあると心得なさい…」
気持ちを落ち着け、静かに言葉を選ぶ。
「それにね…一年、また一年とズルズル時間だけを過ごしていくのは良くないわ。石の上にも三年という言葉はあるけれど、それは三年も努力すれば人間何らかの成果、見通しは立てねばならないということでもあると思うわ。入学が一年遅れれば、就職も一年遅れる。もしサラリーマンになるとすれば、年収ベースで300万円の収入機会を失うの。いやそれだけじゃない、貴重な社会人としての経験をできる時間を、一年失うことになるのよ…」
「ああ…」
打ちのめされて、男は静かに震えていた。
「勘違いしないで。私は東京大学を受けるなとは言ってないわ。でも、受験生活は来年3月で終わりにしなさいと言いたいの。東京大学受けるなら、ちゃんと受かりそうな私学は併願しなさい。今のあなたなら、今過ちに気づいたあなたなら、慶応大学、早稲田大学、どこの私立大学でも合格できる素質は持っているわ。それに努力して、今から遅れを取り戻せば、東京大学だって、あるいは手は届かないことは無いと思う。模試はA判定なんだし、今から人の倍努力すれば可能性はある。でも、受験は今年度で終わりにして、受かったところに行きなさい。4月から楽しい大学生活をするんだって本気で思って頑張りなさい。悔しかったら頑張って、私の後輩になりなさいね」
「は…はい!」
「よろしい」
初芝は、男の頭を優しくなでてやった。
男も、母親も、オイオイ泣きながら何度も頭を下げた
「…それでは本日の派遣料の請求をいたします。本日はガヴァネスの予約指定派遣ですので基本料金34,000円。そして英会話のオプションサービス30分で2,000円。消費税込みで37,800円になります。代金は…指定は銀行振込で頂いておりますので、指定日までに請求書の代金を弊社の下記口座に振り込んでください」
「ありがとうございます。お代は確かに振り込ませて頂きますので…」
「今日は本当にありがとうございました…本当はもっと教えてもらいたかったんですが…」
男は名残惜しそうにそういった。
「契約は契約ですから仕方ありません。もしお母さんが良かったら、またご予約をいただければお伺いいたしますが…」
初芝はそう言って、ちらりと母親のほうを見た。
「ここまで親身になって、本音で指導してくださった先生は初芝先生が初めてです。この会社のガヴァネス制は素晴らしいと聞いておりましたが、本当に良い先生に恵まれたと思っています。もしよろしければ…また初芝先生に予約をお願いしたいのですが…」
「弊社の規約により、同一ガヴァネスの予約指定派遣は一ヶ月に一回だけと決められております。もしご予約をいただけるのでしたら、本部にお電話の上その旨おっしゃってください。予定が合いましたら、来月またお伺いいたしましょう…」
「是非、是非お願いします。すぐにでもまたお電話をいたしますので…」
男も母親も、何度も何度も頭を下げて初芝に礼を言った。
後ろ髪惹かれる思いを残しつつ、国分寺の家を出て、事務所へと戻った。
「おおーそれはそれはやってくれましたね。見事なツンデレメイドぶりで」
事務所近くの中華料理屋で、川越から戻ってきたばかりの小池さんと夕食を食べていた。
「いや…ホントつい家庭教師だった頃の熱い血が滾ってしまって…もう恥ずかしい限りです」
パチンと割り箸を割り、出てきたから揚げをつまみビールを一口飲む。
「いやいや、本当は私もそれぐらい言ってやればよかったんですけどねぇ…この根性無しのせいで、初芝さんのお手を汚してしまいましたか」
小池さんは、出てきたラーメンをズルズルおいしそうにすすっている。
「私はその点今日は恵まれましたねぇ。今日のお宅はとても清楚な小学生のお嬢様で、名門中学を受けようという娘さんでね…もうこれはよだれがでそうなぐらい可愛い女の子だったんですよ♪」
小池さんはニヤニヤと笑みを浮かべ、そして大きなメガネを真っ白に曇らせながら、ズルズルとラーメンを食べている。
「そのうえにお昼ご飯は豪華にフレンチ。ウチのメイドさんでも腕利きの料理通、桧山さんと一緒で儲かりました。一食4千円のタダ食い、まことにおいしい昼ごはんをご馳走になりましたよ♪」
「それはうらやましい…でも今日は寿司を出してもらったんですよ」
ラーメンをすする小池さんの手が止まった
「なぬ?寿司?!私の時はカツ丼だったのに寿司ですと!それは解せませぬな。私は取調べ中の容疑者扱いですか?」
「いや、それは刑事ドラマだけだと…」
初芝はやってきたチャーハンを一口食べながら、ポツリとつぶやく。
「しかしながら、どんなおいしい寿司もフレンチも、これの魅力には勝てませぬな~」
小池さんはおいしそうに最後の一本まで残さずラーメンをすすり上げた。
某漫画の人そっくりに、本当にラーメンの好きな人なのだろう。
「しかしこうなると、次のメイド新聞が楽しみですな~。「国分寺騒然?!噂の東大卒ツンデレメイドついに上陸!迷える受験生に愛のムチ!」ってね。きっと来月からいかがわしい客で初芝さんへの予約殺到間違い無しですね~♪」
「へっ?!」
思わず口のチャーハンを噴き出してしまった。
「あれれご存じない?こういう話は年間有料会員契約をしているお客様向けのコミュニティ紙「週刊メイド派遣新聞」に全部書かれるんですよ。私のガヴァネスデビュー戦なんかすごかったですよ。「驚異の元農水省キャリアメイド、子供相手に小麦輸入のからくり暴いた!頭脳は大人、容姿はメガネっ娘!」ってね。おかげで次の一ヶ月は妙な依頼が多かった多かった…」
「ひえー!」
曇ったメガネの奥、小池さんの目が笑ってない…
「こういうのが付くとオプションサービスの実入りが違うんですよね~。同一時間の内にいろんなことさせて収入が入るから、会社としては安い派遣料の穴埋めをそれでしているといって過言でないですね♪」
「あっちゃぁ…」
国分寺のお母さん、ご予約はお早めにして欲しい…そう願う初芝であった。