Neetel Inside 文芸新都
表紙

剣と槍。受け継ぐは大志
第十一章 軍才乱舞

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 四度ほど、ぶつかり合った。最初の二度は小手調べのようなものだったが、三度目からは派手な戦闘が多くなっている。スズメバチ隊も、三度目から出陣した。だが、戦況はほとんど動いていない。いや、陽動が目的だから、あえて動かそうとしていないのだ。しかし、それを前面に押し出せば、陽動という事が悟られる。この辺りの調整は、軍師であるルイスが上手くやっていた。
 陽動だからと言って、手ぬるい戦をやれる訳ではなかった。今の官軍は、手強い。そして、その中のハルトレインの騎馬隊は精強である。特に、こちらが守勢になった時が手強い。猛烈な攻勢を仕掛けてくるのだ。
 おそらく、ハルトレインは勢いや機というものに対して、天性の勘を持っている。これは、俺よりも断然に優れているだろう。遠くから見ていて、背筋に怖気が走るような攻め方を何度も繰り出していたのだ。あれは、経験などでどうにかなるものではなく、一種の才能である。
 ハルトレインの激烈な攻撃で、歩兵はかなりの損害を受けていた。
「微妙な戦だ。少し、攻勢を加えた方が良くないか? ルイス」
 腕を組みながら、バロンが言った。軍議の場である。対陣を始めて、もう十四日が経っていた。
「それは構いませんが、レンのスズメバチ隊を損耗させてしまいますよ」
 ルイスの口調の中で、レンの、という所だけに微妙な皮肉が込められていた。しかし、突っ掛かっても意味はないので、俺は黙って地図を見ていた。隣に座っているジャミルが、膝の上で握り拳を作っている。
「スズメバチ隊の損耗は、出来るだけ避けなければならん。しかし、歩兵ばかりに苦労を負わせるのもな」
「バロン王、俺はともかく、アクト将軍は限界だろうと思います」
 シルベンが言った。確かに、アクトは四度に渡って最前線に立ち続けている。前列がアクトの槍兵隊、後列がシルベンの戟兵隊といった具合のため、どうしてもアクト軍が真っ先に危険に晒されるのだ。かと言って、シルベンを前列に回せば、犠牲は多くなるだろう。守りの指揮は、アクトの方が上手い。
「俺は命令通りにやるだけです」
 地図に目を落としたまま、アクトが言った。しかし、何か言いたそうな表情を浮かべている。
「アクト、ハルトレインとの対峙をどう思う」
「何ともなりません。反撃はできず、かと言って守りを固める訳にもいかず。レオンハルト戦を思い出しますよ」
 普段は寡黙なアクトが、強い口調で喋っていた。四度のぶつかり合いで、相当な精神力を消耗したのだろう。確かにアクトは、攻撃に晒され続けた。
「微妙な戦だ」
 もう一度、バロンは言った。
 軍議の議題で中心になるのはハルトレインだが、その他も警戒が必要である。エルマンやフォーレもそうだが、地方軍からの援軍でヤーマスやリブロフといった将軍達も居るのだ。この二人はまだ派手に動いてはいないが、ぶつかり合えば手強いだろう。
「私の弓騎兵を使え、ルイス」
 バロンがそう言うと、他の面々がハッとしたような表情になった。
「まだ、弓騎兵はまともな戦闘をしておらん。無論、私もだ」
「弓騎兵を使うとなれば、布陣を変える必要があります」
「アクトの槍兵隊を下がらせる。アクトにはミュルスにも行って貰わねばならん。これ以上の犠牲は見過ごせんだろう」
「ならば、ハルトレインとやり合うのは」
「それは私の弓騎兵がやる」
「困りますな、バロン王」
「王だからと言って、楽をするわけにはいかん」
「相手はハルトレインです。今の官軍で、最強の男ですよ」
「他に適任は居ない。ルイス、お前も分かるだろう」
 バロンの言葉に、ルイスが舌打ちした。
 目の前で行われている会話に、他者が入り込める余地は無かった。それほど、バロンの口調は強い。しかし、ハルトレインの相手として、バロンが適任だと言えるのか。また、他に適任が居ないというのはどうなのか。
「バロン王、我々がハルトレインとやります。いや、やらせてください」
 急にジャミルが言った。表情に僅かな怒りの色が見える。スズメバチ隊は蚊帳の外か、という思いが強いのだろう。しかし、ジャミルが言うべき事ではない。
「駄目だ。レンがハルトレインとやり合えば、犠牲が出る。それに、将軍を差し置いて副官が発言するな。権限を考えろ」
 ルイスが冷静な口調で言った。それで、俺は目を閉じた。
 犠牲が出る。これは様々な意味で捉える事が出来るが、おそらくは俺とハルトレインの実力差は拮抗している、という意味だろう。いや、本当にそうだと言えるのか。俺が天下最強の騎馬隊を率いている優位性を考えれば、むしろ負けているのではないか。
「スズメバチ隊は遊撃隊として敵陣を駆け回ってもらう。つまり、ハルトレイン以外の軍を叩く」
 ルイスに続けて、バロンがそう言ったので、ジャミルは黙り込んだ。
 バロンも、ルイスに同調した。しかし、そんな事は分かり切っていた事だ。それでも、心に僅かな動揺のようなものが走るのを、俺は感じていた。
 後は細かい話になり、軍議は終わった。
「バロン王やルイス軍師は、レン殿に恥辱を与えたかったのでしょうか」
 歩きながら、ジャミルが言った。
「そんな訳はないさ」
「しかし、ルイス軍師は、最初にレンのスズメバチ隊、と言われていました。あれは皮肉以外の何物でもないですよ」
 あの皮肉は、父であるロアーヌが生きていれば、という事だった。父の指揮ならば、ハルトレインなど。そういう意味である。だが、ルイスはそれほど意識して言った訳ではないだろう。
「レン殿は、ロアーヌ将軍とは違う良さを持たれている。ルイス軍師は、それが見えていない。いや、見えていて言ったのか。どちらにしろ、嫌な性格だ」
「ありがとう、ジャミル」
「何がです?」
「お前が副官で居てくれて、って事さ」
「はぁ」
 父は孤高だった。孤高であるが故に、独特の強さを持っていた。ならば、俺はどうなのか。
 少なくとも、孤高ではない。副官のジャミルが居て、友人のニールが居て、義弟であるシオンやダウドが居る。
 ハルトレインに追い付き、追い越すための鍵は、ここにある。俺は、そう思っていた。

     

 アクトとシルベンが、フォーレと押し合っていた。さすがに攻勢時となれば、シルベンが前に出る。アクトはあくまで補助といった感じで、シルベンの背中を支えている、という恰好だった。今、戦況全体として見れば、六対四で俺達が優勢である。
 バロンがハルトレインを引っ掻き回しているのが大きい。というより、引っ張り出したのだ。最初、ハルトレインはバロンとの対峙を拒んだ。騎馬隊と弓騎兵の相性は、お世辞にも良いとは言えないからだ。しかも、指揮官はバロンであり、出来れば戦いたくない相手だろう。
 バロンは、これを逆手に取った。あえて、狙いを総大将のエルマンに絞り、遠距離から猛烈な勢いで矢を浴びせたのだ。それでエルマンは後退し、迎撃にハルトレインを向けた。力のある者が、難敵に充てられるのは当然である。バロンのやり方は、上手いと言う他に無い。俺が言うべき事ではないが、バロンは将軍としての格を、また一つ上げた。
 手綱を握り締めていた。ハルトレインとバロンが、激しくやり合っているのだ。本来ならば、バロンの位置に居るべきなのは、俺ではないのか。
「レン殿、軍議の時に出しゃばった俺が言うのもなんですが」
 ジャミルが、馬を寄せてきた。
「こだわりを捨てましょう。スズメバチ隊の、本来の責務を果たしましょう」
 言われて、俺は息を大きく吐いた。次いで唇を噛む。
「俺は、まだまだ未熟なのかな、ジャミル。父上のようにはいかない」
「当たり前でしょう」
「未熟か、やはり」
「不思議ですね。軍議の時には、あんなに落ち着かれていたのに、戦となったらこうも変わられる。まるで、俺と逆ですよ」
「俺はな、ジャミル」
 言いかけた所で、ジャミルがニコリと笑った。
「何、気にする事はありませんよ。未熟なら、未熟なりにやれば良い。それだけです」
 そう言われると、確かにそうなのだろう、と思うしかなかった。しかし、心の底では納得できていない。上手く言い表せないが、綺麗にまとめられた、という気しかしないのだ。
「まぁ、その、俺が言えた口じゃないですけど、二十歳やそこらのガキんちょが、未熟でない訳がないと思いますよ」
 言ったジャミルは、強張った笑みを浮かべていた。それで、俺も何かが吹っ切れた。
「そうだな、ジャミル。俺はガキんちょだ。ガキんちょだから、未熟だ」
「えぇ、そうです。その点、バロン王やシーザー将軍はおっさんです。アクト将軍や、クライヴ大将軍だってそうです。いや、クライヴ大将軍は爺さんかな」
 尚も、ジャミルの顔は強張っている。無理をしているのだろう。副官として、自分が成すべき事を考えた上で、無理をしている。いや、俺が無理をさせているのだ。
「ジャミル、ありがとう」
「いえ、俺も未熟です。副官としても、人間としても」
「共に成長すれば良い」
「結局のところ、最後には、俺が励まされるんだよなぁ」
 ジャミルが額に手をやりながら言った。およそ、戦場には似合わない空気だが、悪くない、と思った。
 前線に目を向けた。今、敵軍で動いていないのはエルマン、ヤーマス、リブロフの三軍である。これは、俺のスズメバチ隊に対する備えだろう。俺が動けば、三軍の内のいずれかが対応の為に出てくる。しかし、この状況は言い換えれば、スズメバチ隊だけで三軍を引きつけている、という事だ。
 今の戦況は官軍側が不利だ。その為、このまま維持というのは考えにくい。だから、控えの三軍が、間もなく援護の為に出てくる。その時が、スズメバチ隊の出撃の機だろう。それまでは、動かずに三軍を引きつけていた方が、全体的な目で見て有利だ。
 尚も、三軍は動かない。だが、アクトとシルベンがフォーレを押しまくっている。それは遠目からでも、ハッキリと分かった。
 不意に、エルマンの両脇を固めていた、ヤーマスとリブロフが動いた。その動きから察するに、アクト、シルベンを横から衝く構えだ。
「よし」
 それだけを言って、俺は馬腹を蹴った。出撃である。スズメバチの旗印が、風に舞う。
 右手を挙げた。攻撃準備の合図である。ヤーマスとリブロフを、引っ掻き回してやる。
 敵の槍兵。ヤーマス軍だった。側面から、全速で襲いかかる。敵兵が、アッと言う表情を浮かべていた。そのまま、槍で撥ね上げる。その次の瞬間には、敵は後退しながら槍を突き出してきていた。フォーレの援護を捨てて、スズメバチ隊と応戦する構えである。一方のリブロフは、フォーレの援護に入っていた。
 駆け回りながら、ヤーマス軍に攻撃を浴びせた。守りを意識しているのか、反撃の手数は少ない。
「ジャミル、半数を率いてリブロフ軍へ」
 旗手が合図を出し、ジャミルがリブロフ軍の方へと駆けていく。
 その次の瞬間、ヤーマス軍が攻勢に出てきた。さすがに、この機を見逃しはしない、という事だろう。ヤーマスの旗が、前線に出てくる。攻勢となったら、ヤーマス自らが出てくるのか。
 兵力差は比べ物にならない。ましてや、半数に割ったのだ。つまり、現状は五百の兵力である。対するヤーマスは五千だ。だが、相手が五千ならば、五百の戦い方もある。
 間断なく、敵の表面だけを攻め続けた。決して、深追いはしない。ヤーマスは兵力に物を言わせて、懸命に囲い込もうとしてくるが、そうなる前に隙間を縫って抜け出した。歩兵に捕まる程、スズメバチ隊はのんびりしていない。
 やがて、ヤーマスは囲い込みの輪を大きく拡げ始めた。抜け出す事もできない広域の輪である。だが、そうなれば壁の厚みが減る。つまり、突破も可能になる。
 突破と反転を繰り返し、ヤーマスの陣はハチの巣になっていた。それでも、敵に混乱はない。何かを持っている。いや、切り札のようなものを備えているのだ。
 不意に殺気を感じた。ヤーマスの旗。いや、これはヤーマス自身か。敵の切り札は、将軍そのものなのか。
「兄上」
 駆けながら、シオンが馬を並べてきた。
「分かっている。ヤーマスは自分で来るつもりだ。シオン、覚悟しておけ」
 次の瞬間、馬に乗ったヤーマスを先頭に、五百ほどの兵が突出してきた。さらに、他の敵兵が駆け、こちらを囲い込もうとしてくる。
 スズメバチ隊の一隊。俺自身が率いる旗本。馬一頭分だけ、他の隊より前に出た。全速で駆ける。側面の囲い込みを突破すれば済む話だが、あえて勝負に乗った。ヤーマス自身を粉砕すれば、この軍は封じ込めたも同じになる。
「何よりも、ヤーマスに手こずるようでは、ハルトレインに勝つなど夢のまた夢だ」
 槍。構える。ヤーマスも構えていた。俺の真後ろには、シオンが控えている。
 次の瞬間、閃光。馳せ違いの瞬間に、三度も槍を交えた。いや、三度も槍を交える機会があった。しかも、馳せ違いの直後に金属音が二回、こだましていた。つまり、ヤーマスはシオンともやり合ったのだ。
 もう一度。そう思ったが、戦い続ける余裕は無い。背中に、視線を感じた。おそらく、ヤーマスのものだろう。そう思いながら、包囲を脱した。
 両軍の退き鉦が、すでに鳴っていたのだった。

     

 昼夜兼行の進軍だった。休憩は一日に二度だけで、それ以外は全て移動である。
 親父は出動する時に全速で駆ける、と言っていた。その時には、馬を全力で走らせるのだ、と思ったが、それは違っていた。親父の言う全速は、目的地に早く着く、という意味だったのだ。その証拠に、馬は並足で長い距離を移動する事を重視した進軍であり、休憩は馬が限界を迎える頃に取っていた。そして何より、休憩は人ではなく馬が主軸だった。
 睡眠時間は一日に三時間もあれば良い方で、兵糧なども粗末なものだった。しかし、こんな事は苦でも何でもない。ただ、慣れていないだけだ。それに、進軍ひとつを取ってみても、学ぶべき事は多くあった。
 親父は一万もの馬や人を、どうやって把握しているのか。馬の限界を、どう知り得ているのか。そして、進軍時と戦の時では、把握すべき要素は全く違うのではないのか。ならば、それは何なのか。
 休憩時にはそんな事ばかり考えているので、周囲の兵からは不思議がられた。考えている事を話したら、大声で笑われたりもした。言葉で言い表せるような事ではない。そうも言われた。
「しかし、そういう事を考えられるというのは、指揮官として素質があるのかもしれん」
 言ったのは、一千の兵をまとめる隊長だった。
「初陣の兵卒が考える事ではないぞ。普通は、自分が死ぬかもしれん、と頭を悩ますもんだ。まぁ、ウチの場合は違うか」
 そう言って、隊長は笑った。
 自分が死ぬかもしれない、という恐怖は皆無に近かった。何故かは分からない。俺は大して強くもないし、強いとも思っていない。だが、それでも恐怖は無かった。
 昔から、そういう所はあった。ガキの頃、子分がごろつきに絡まれた時などは、反射的に殴り込みに行ったりもしたのだ。その時は、半殺しの目に遭ったが、やはり恐怖というものは感じていなかった。ただ、異常に腹が立った。何も出来ずに半殺しにされた自分が情けなさ過ぎて、腹が立った。それで、俺は偃月刀を持つようになった。師は親父で、それなりに使えるようにはなったが、上には上が居る。武器は違うが、レンがそうだし、シオンもそうだ。そして、おそらくダウドも。認めたくはないが、ダウドは俺よりも武術のセンスがある。
 起床の鉦が鳴っていた。いつの間にか、眠りこけていたらしい。すでに、周りの兵達は馬に跨り始めている。俺もすぐに馬に乗り、進軍の鉦と同時に駆け出した。兵糧を摂るのは、馬で駆けながらだ。
 さらに進軍を続け、やがて国境を越えた。地図上では、もうすぐで敵の砦である。父は、斥候を出したのだろうか。いや、全速で駆けると言っていたから、そんな余裕は無いのかもしれない。そんな事を考えていた時だった。
 不意に両脇から、地鳴りが聞こえた。地が揺れている。さらには人の叫び声。いや、怒号なのか。
「伏兵だ、武器を構えろっ」
 隊長の声。伏兵。敵が隠れていたのか。どこに。両脇に森。
 もう考える暇はなかった。すぐ真横で、怒号と叫喚が交錯しているのだ。金属音が連続でこだましている。気付くと、馬が駆けていた。群で動く習性で、駆けている。それでハッとして、手綱を握り締めた。
 両脇から、騎馬が迫ってくる。それをはっきりと視認した。もう、すぐそこに居る。そして、これは敵だ。敵なのだ。敵の鎧が、血を浴びている。味方の、獅子軍の血なのか。
「迎撃、迎撃っ」
 隊長が叫んでいた。
 敵。目前などというものではない。殺し、殺せる距離。
 かっと目を見開いた。
「なめんじゃねぇっ」
 叫ぶ。首を飛ばしていた。さらに次の敵。武器を撥ね上げ、偃月刀の石突きで胸を突いた。敵が馬から落ちる。その敵は、他の騎馬に踏み潰されながら、土煙に消えた。
 良かったのは、ここまでだった。迫りくる攻撃を防ぐので、手一杯となったのだ。敵が多すぎる。俺一人に、何故こうも敵が寄ってくるのだ。違う。味方全員が、俺と同じ気持ちだ。
 槍。戟。連続で来た。偃月刀で弾き返すも、これが限界だった。さらに槍。また槍。刹那、肩に激痛。抉られた。そして、また槍。
「鬱陶しいぞ、てめぇらっ」
 その槍だけは弾き返したが、わき腹を別の槍が掠める。次の瞬間、真横に居た味方が二本の槍に貫かれた。さらに三本目の槍が入ろうとしている。同時に嫌な音。すでに、その味方は俺の背後だった。
 味方が、俺のすぐ傍で死んだ。助けてやれなかった。いや、助けられる訳がない。俺にそんな余裕はなかったのだ。これが、これが戦なのか。
 すぐ傍に居た味方が死んで、俺は生きている。いや、本当に生き残れるのか。
 そこまで考えて、俺はハッとした。親父は、親父は無事なのか。
「親父ぃっ」
 叫んだ。敵の槍を弾く。そこで、急に敵の攻撃が止んだ。何故。その次の瞬間だった。
 悲鳴。同時に、味方が次々に落馬していく。敵が居ないのに。もう訳が分からなかった。瞬間、風切り音。目の前を掠める。
「弓矢だ、駆けろ。駆け抜け」
 隊長の声が途中で消えた。弓矢を受け、落馬したのだ。俺は目を瞑った。もう、どうにでもなれ。身を屈めて、ただひたすらに駆け続ける。腿に、衝撃が二度走った。矢を受けたか。それでも、馬からは落ちなかった。頭上で、矢が飛び交っている。
 敵の追撃は執拗だった。弓矢が終わったかと思えば、次は騎馬で散々に追い回してくる。獅子軍が、逃げ惑っていた。戦う事もせずに、いや、出来ずに逃げ惑う。
 追撃が終わったのは、それから約一時間後だった。獅子軍は、国境の直前で何とか踏みとどまり、そこに陣を敷いた。
「こっぴどく、やられちまった」
 親父は無事だった。だが、肩と腿に一本ずつ矢を受けていた。その反面、槍などの傷は見当たらない。
「損害は千八百だ、シーザー殿」
 一人の隊長が言った。その隊長も、肩に矢を受けていた。千八百というのは、死んだ味方の数だろう。負傷兵を含めれば、その倍以上となるのではないのか。
「敵の指揮が雑だったから、これだけの犠牲で済んだが、伏兵の置き方や位置は完璧だった」
「斥候は出してなかったのか、親父」
 俺は思わず、そう言っていた。
「出してた。しかし、報告を待っている暇は無かった。いや、報告を待つべき距離に達していなかった。進軍しながら、報告を聞く。ギリギリだが、そういう距離だったんだ。だが、敵はそれすらも読んで、絶妙な位置に伏兵を配した」
 親父がそう言ったのを聞いて、俺は黙り込むしなかった。初陣の俺が余計な事を言ったのではないのか、とも思った。
「ひとまず、ここに腰を据える。敵が伏兵を用意してたって事は、俺達の作戦が読まれてたって事だ。とりあえず、後詰で来るクリスを待った方が良いだろう。用意万全の敵砦に攻め込むのに、獅子軍単体、それも手負いでは状況が悪すぎる」
 親父が言い、隊長達は頷いた。
「それと伝令を飛ばしておけ。バロンとクリスにだ」
 すぐに隊長の一人が、伝令兵を呼ぶ。
「俺の旗本の、半数以上が死んじまった。俺を守るために」
 親父は、ただうなだれていた。俺は、自分の傷に手をやっていた。生き残ったのだ。傷の痛みは、生き残った証だ。

     

「シオン、リブロフを追い過ぎるな。もっと周囲に目を配れっ」
 俺の言葉に、直立するシオンが苦々しい表情を浮かべた。戦闘直後の軍議の場である。ただ、スズメバチ隊のみという内輪な軍議だ。軍議には、副官であるジャミルはもちろん、各小隊の小隊長達が参席していた。シオンは一兵卒であり、本来ならば軍議には参席しない。しかし、先の戦闘で勝手な行動が目立ったが為に、叱責するつもりで俺が呼んだのだった。
 リブロフは、ヤーマスと双璧を成す、地方軍の将軍の一人だった。手に入れた情報によると、二人とも官軍の武術師範であったという。つまり、武術については相当できる。戦も上手いと言って良いだろう。ただ、ハルトレインのような強烈な閃きは持っていなかった。
 二人とは、この戦で何度もぶつかり合ったが、ヤーマスは豪快、リブロフは堅実といった戦運びを好んでいた。それぞれを個々で見れば、対処法も見えてくるが、二人が合わさると厄介である。また、相手もそれを知っていて、当たり前のように連携してくる。そして、連携そのものも上手い。
「兄上」
「反論は許さん。お前は、総隊長である俺の命令に背いたのだぞ」
 俺がそう言うと、シオンは俯いた。表情には、まだ不満の色が見える。
 先の戦闘では、ごく僅かな時間ではあったものの、ヤーマスとリブロフの二人を同時に相手をする場面があった。その時、ヤーマスは最前線に居た。これは珍しい事ではない。ヤーマスは自分の槍に相当な自信があるのか、要所では必ず自分が前に出てくる。ただ、あの時にはヤーマスに加えて、リブロフも出てきたのだ。
 リブロフ自身が出るというのは、あれが初めての事だった。今までは、中軍で指揮を執っていたのである。よほどの好機と見えたのだろう。確かに、あの瞬間だけ、スズメバチ隊は戦場で孤立していた。
 それにシオンが触発された。しかし、あの状況下で、敵の指揮官、つまりは旗本とやり合うのは得策ではない。孤立から抜け出すのが、何よりも優先される事だ。だから、俺も敵陣突破の指示を出した。しかし、シオンはその命令を無視し、リブロフに突っ込んだ。この時点で、俺はシオンの死を覚悟した。
 結果的には、シオンはリブロフに至る事は出来なかったものの、その旗本を十数人も討ち取った上で、敵陣を突破してきた。というより、ギリギリの所でスズメバチ隊の最後尾に付けたのだ。だが、これは運が良かっただけという結果論に過ぎない。そして何よりも、シオンは命令を無視したのだ。
「シオン、一度だけ言っておく。命令に従えないなら、軍を辞めろ。お前は確かに強い。あの僅かな時間で、十分過ぎるほどの戦果もあげた。だが、自分勝手な行動をする兵など、スズメバチ隊には必要ない」
「レン殿、それは言い過ぎではありませんか」
 シンロウが言った。シオンの元上官である。庇うつもりで言ったのだろう。
「黙れ、シンロウ。レン殿の言っている事は正論だ」
 静かにジャミルが言う。俺の言いにくい事を、さらりと言ってくれたのだった。
「シオンは、この戦が初陣です。あれだけの腕を持っていて、敵の指揮官が目の前に来れば」
「黙れと言ったはずだぞ、シンロウ」
 ジャミルがそう言うと、シンロウは腕を組んで黙り込んだ。
 シオンは、尚も不満そうな表情を浮かべていた。いつもは俺の言う事には忠実なのだが、今回は納得が行かないのだろう。いや、慣れていない戦闘の直後で、一種の興奮状態になっているのかもしれない。それに、確かに結果だけを見れば、英雄的な活躍だと言って良い。しかし、これを繰り返していれば、必ずどこかで死ぬ。しかも、高確率でだ。
 直立するシオンを見ながら、俺は立ち上がった。そして、数秒だけ目を合わせた。その直後、思いっきり俺はシオンを殴り飛ばしていた。シオンが二転、三転と地面の上を転がる。
「一度だけだ、シオン。次に命令違反をやれば、軍から外す。場合によっては、斬首刑に処する」
 シオンが、よろよろと立ち上がる。
「もう行け」
「申し訳ありませんでしたっ」
「行けと言っている」
 俺が突っぱねると、シオンは頭を一度だけ振るように下げて、走り去って行った。
「酔いから冷めたみたいですね。今回の一件で、成長すれば良いのですが」
 ジャミルが言った。俺が殴った事については、特に驚いている様子もない。
「後で俺がフォローしておきます。シンロウ、お前もだ」
「え? はい。了解しました」
 俺は黙って頷き、地図に目をやった。
 戦線は、全くと言って良い程、動いていない。つまりは、両軍の戦力は均衡しているのだ。最初は陽動目的という事で、戦線膠着を故意に狙っていたが、いざ動かそうとすると動かない。これは、バロンにとっても計算外の事だろう。陽動を終えてからの撤退の機が、掴みにくくなってくる。戦線を押して撤退というのが、犠牲を最も少なく出来るのだ。
「注進ですっ」
 そのまま地図に見入っていると、不意に伝令兵が駆け込んできた。
「獅子軍が敗戦。敵の伏兵に散々に打ち破られ、国境にて態勢を立て直し中との事。現在はクリス将軍の援軍を待ち、堅陣を敷いています」
 伝令の報告に、小隊長達が僅かに声を漏らした。ジャミルは黙ったままである。
「バロン王は?」
「まだ何も。ただ、撤退の心構えだけはしておくようにと」
「分かった」
 俺がそう言うと、伝令兵は敬礼して走り去って行った。
「作戦が失敗したのでしょうか。しかし、撤退とは」
 ジャミルが唸る。
 作戦失敗。伝令は伏兵と言っていた。だから、作戦を看破された可能性は高い。だが、何故。ミュルス攻めの情報は、どこからも漏れていないはずだ。
 ミュルス。ミュルスと言えば、レキサスの本拠地だった。そして、レキサスと言えば。
「軍師、ノエル」
 そう呟き、俺は目を閉じた。僅かな時ではあったが、交流を持った。だが、盟友にはなれなかった。だから、次に会う時は敵かもしれない、と覚悟はしていた。
「レン殿、この戦、難しくなりそうです」
 ジャミルの言葉に、俺は黙って頷いた。ジャミルは、撤退する場合の事を言ったのだろう。
 俺がノエルと交流があった事を知るのは、シオンとダウド、ニールの三人だけだった。

     

 度重なる敵軍の襲撃で、俺は疲弊しきっていた。
 しかし、獅子軍はまだ生きている。兵力は五千を割ったが、尚も国境沿いで踏ん張っているのだ。頼みの綱は、クリスの援軍である。そのクリスは大急ぎでこちらに向かっているはずだが、まだ到着の報せは無い。
「敵の詰めは甘ぇ。実戦を経験してない奴の攻め方だ。ジリジリと損耗はさせられているが、耐え抜ける。クリスが来たら、一気に反撃に出るぞ」
 親父は、自分の足で兵達の間を歩き、励ましの言葉をかけていた。これも将軍の務めの一つなのだろう。確かに親父の言葉は、不思議な力を持っていた。不安だとか、恐怖だとかが消えていく。何とかなる。そう思えるのだ。
「おそらくだが、レキサスはここに来てねぇ。攻め方が教科書通りだからな。よほどの新任将校か、頭で戦をやる坊主が総指揮を執ってる。そんな奴らに、俺達が潰されるか? 獅子軍は、そんなヤワな軍じゃねぇだろ」
 親父の言葉を聞きながら、俺は握り拳を作っていた。俺達は、ここまで耐え抜いてきた。だったら、この先も耐えられるのではないのか。疲れた、などと言っている場合ではない。
「獅子軍は、これまでに激戦を何度も潜り抜けてきた。だからじゃねぇが、教科書通りの戦なんぞ、どうって事はねぇ。守りに入らざるを得ないのは歯痒いが、俺達はまだまだやれるぞ」
 親父が言い、兵達も声をあげる。その様子を見た親父は、一度だけ力強く頷いた。その表情は自信に満ち溢れていて、それがとてつもなく眩しかった。そして、俺も失いかけていた戦意を、取り戻している事に気付いた。
 俺は親父の言った事を、頭の中で反芻していた。教科書通りの戦。それは、親父の戦とは正反対のものになるのかもしれない。獅子軍は、メッサーナ軍の中でも型破りとして有名なのだ。ならば、相性としてはどうなのか。いや、そんな事は考えても仕方がない事だ。親父も、きっと考えていない。考えるだけ無駄だ、という気もする。とにかく、やるしかないのだ。生き残るしかない。
 それから、半日後に俺達は武器を取った。敵の襲撃である。それも、夜襲だった。
「固まれ、決して散るなっ」
 それぞれの隊長達が、大声で言っていた。敵の喊声が凄まじいが、実数は分からない。手綱を握りながら、俺は喘いでいた。敵の姿が見えないというのは、とてつもなく不安だ。一体、いかほどのものなのか。これまでの襲撃では、最大で五千ほどの兵力だった。あれから、日数も経っている。だから、敵の援軍が加わっていてもおかしくない。
「ビビるんじゃねぇっ。獅子は気高く構えているものだ、お前達は獅子軍だぞっ」
 親父の声が聞こえて、やがて遠ざかっていった。陣中を馬で駆けながら、兵達に激励を浴びせているのだ。そのおかげか、俺も含めた兵の士気が上がっていく。
 喊声が、近くなった。
「弓構えっ」
 隊長の声。一斉に、弓の弦を張る音が聞こえた。ただし、小弓である。射程も長くはないし、威力も小さい。獅子軍は近接武器で闘う部隊だ。だから、弓はあくまで牽制用だった。それでも、守りの時には重要過ぎる武器となる。
「放てぇっ」
 矢。撃つ。無数の風切り音が鳴った次の瞬間、敵の悲鳴が聞こえた。それでも、まだ喊声は聞こえる。
 さらに弓矢を三度放った。その直後、陣のかがり火に敵兵が照らし出された。だが、遅い。俺はそう思った。矢を受ける際に、防御を取らせたのか。だとすれば、親父の言う通り、やはり敵は詰めが甘い。
「来るぞ、蹴散らせっ」
 隊長の指示と同時に、俺達は馬で駆け出した。馬には馬甲(馬用の鎧)を着せており、多少の攻撃ならビクともしない。
 敵兵が槍を突き出しながら駆けてきていた。それを横に回り込んでかわし、手当たり次第に蹴散らしていく。
 自陣に誘い込んで、追い返すという事を繰り返した。その間、隊長達はしきりに敵の誘いに乗るな、と叫んでいた。敵は俺達を引っ張り出すために、様々な手段を講じてくる。しかし、敵には覚悟が無かった。これは戦いながら感じた事で、ある種の勘だが、出来るだけ犠牲を出したくない、というのがにじみ出ていたのだ。逆に俺達は必死だ。だから、相手も必死にならない限り、本気のぶつかり合いには発展しないだろう。相手の方が、どうしても逃げ腰になる。
 この辺りは、街中でやった喧嘩と同じだった。大抵は威嚇だけのつまらない奴が多くて、実際の喧嘩にまで発展するケースは稀である。その上で、喧嘩をする奴には、みんな覚悟があった。
 やがて、攻防は膠着し、敵は間もなくして引き上げていった。何とか、堪え切ったのだった。
 今回の夜襲での犠牲は、どのくらいなのだろう。多いのか少ないのか。もう、俺には分からなかった。
 その翌朝だった。
「シーザー将軍、ご無事でしたか」
 クリスの援軍が、ついに到着したのである。これで、生き残った獅子軍の兵達は士気を大きく回復させた。さらに、クリスは兵糧はもちろんの事、武具や建築物資も運搬してきていた。元々、クリス軍の出陣は、奪い取った砦の守備が目的だったという。
「お前ら、ずいぶんと待たせた」
 親父が兵達の前で喋っていた。全員が馬上である。
「クリス軍と共に、反撃に出るぞ。おそらくだが、敵軍もクリス到着の報を入手してるはずだ。そうなれば、敵は亀のように縮こまるのは目に見えてる。しかし、俺達はそういう敵を何度も粉砕してきた。だから、やれる。そうだろう、お前達」
 親父の言葉に、兵達が喊声をあげる。俺も、腹の底から声を出していた。
「獅子軍に遅れを取らないよう、私達も全力を尽くす。緒戦は敗れましたが、ここで巻き返しましょう、シーザー将軍」
 クリスが言って、親父は頷いた。レンが兄と慕うクリスは、小柄でありながら、特別な威容を備えていた。あぁいう人間は、喧嘩とは程遠いものだ。いや、仕掛けようとも思わせない。何となく、俺はそんな事を考えていた。
 そして、いよいよだ。いよいよ、獅子軍の逆襲だ。これまで、俺達は良いように弄(なぶ)られてきた。今度は、こっちの番だ。待ってろ、すぐにぶっ潰してやる。

       

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Neetsha