Neetel Inside 文芸新都
表紙

剣と槍。受け継ぐは大志
第二十章 決戦

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 あの中のどこかに、ハルトレインが居る。俺は官軍の布陣を見ながら、そう思っていた。
 ハルトレインはいわば宿敵である。父の仇であるというのもそうだが、俺は左眼を奪われ、武人としての誇りすらも奪われた。左眼を斬られた時、童の首を取るほど、自分は落ちぶれていない、と言われたのだ。
 確かに、あの頃の俺は童だった。戦う目的ですらも曖昧なまま、戦場に出ていた。しかし、心は武人だったのだ。それでも、ハルトレインは俺の事を憶えてすらいなかった。
 屈辱だとか、絶望だとか、そういう感情は全く無い。ただ、倒すべき相手であり、乗り越えなければならない相手。俺にとってハルトレインは、そういう男だった。
「速攻をかける」
 軍議の場で、バロンが言った。これに対して異を唱える者は居なかった。ハルトレインの戦の手腕は、これまでの戦いで幾度と無く見てきた。まず、野戦では敵無しである。特に正面からのぶつかり合いに強い。あえて弱点を挙げるなら、好戦的すぎるという部分だったが、これは矯正されている。度重なる戦は、あの男に成長の機を与えたのだ。
 その上で、南でさらに経験を積んだ。これが何を意味するのかは別として、やはり速攻が最も望ましいだろう。
 馬上だった。タイクーンが前足で土を掻いている。夏である。日差しが、原野を照らしていた。暑い。槍を握る手の平は、汗で滲んでいる。
 やがて、日が中天に差し掛かった時、開戦の角笛が鳴った。
 風。俺はスズメバチ隊と共に、駆け出していた。右翼である。左翼にはシオンの熊殺し隊が居て、中央は獅子軍だ。メッサーナ軍きっての精鋭騎馬隊、三軍が原野を駆ける。
 官軍の騎馬隊に動きは無い。歩兵で止めるつもりなのか。やがて、矢が届く距離に達した。雨のように降り注ぐ矢の雨を、縦横無尽に駆け巡ってかわす。しかし、かわした先に歩兵が居た。リブロフの旗。槍兵である。
 スズメバチ隊の勢いに怯まず、槍の穂先を揃えてくる。さらに別方向から圧力。ヤーマスの旗。これも槍兵だ。両側からの絞り上げるような挟撃だった。力任せの突破は苦しい。さすがに調練が行き届いている。盾持ちで動きは鈍いが、軍としては堅い。
 敵軍の間を縫うようにして駆け、盾の隙間に向けて槍を何度も放った。その度に、敵兵が螺旋のように吹き飛ぶ。しかし、敵陣自体に乱れは無い。しっかりと陣形を維持し、確実に挟撃をかけてくる。
 動きが窮屈だった。同時に何か違和感を感じた。檻。その言葉が頭に浮かぶ。この挟撃、何かおかしくはないか。
 戦況の把握に努めた。シオンの熊殺し隊は、フォーレ軍の弓矢で総攻撃を食らっている。損害は無いに等しいが、攻めに転換できていない。次に獅子軍。そこに目を向けた瞬間、俺の心臓の鼓動が鳴った。
 龍の旗印。ハルトレイン。騎馬隊が前に出ていた。獅子軍とぶつかり合っている。


 強烈な軍だった。俺の獅子軍が弱いんじゃない。敵が強すぎるのだ。軍としての質もそうだが、指揮官の力量に差がありすぎる。それも、どうしようもない程に。
「ちくしょぉっ」
 手も足も出ねぇ。かろうじて、この言葉だけは飲み込んだ。口に出して言えば、兵が不安になる。そして、士気の低下に繋がる。
「ニール将軍、ここは他軍との合流しかねぇっ」
 傍に居る副官が言った。俺もそうしたいが、レンもシオンも自分の事で手一杯だ。特にレンは、逆茂木(さかもぎ:馬止めの柵の事)の要領で、槍兵に囲まれてしまっている。レンなら、どうにでもするだろうが、単独では難儀する状況だ。動きを封じられているに等しいのだ。
「シオン将軍と」
「駄目だ。弓矢の犠牲になる。あの雨は獅子軍じゃ、避けきれねぇっ」
 そんな調練も積んでない。必要ないと判断したからだ。こういう所は、どうしても親父に似てしまった。
 敵軍は徹底していた。メッサーナ軍の最精鋭である、スズメバチ隊と熊殺し隊を動かさないようにしているのだ。殲滅ではなく、動かさない。確かに、この二軍は倒そうとすれば骨が折れる。だが、動かさないだけならば。
 簡単な事だった。しかし、これまで誰も実行しようとしなかった作戦だ。
 ノエルか。それとも、ハルトレインか。いや、作戦の質を考えると、ノエルの策だろう。そう考えると、血が滾る。この手で、ぶった斬ってやりてぇ。あいつのせいで親父は。
 瞬間、角笛が鳴った。後退の合図である。バロンはこのままでは瓦解する、と見たのだろう。弓騎兵だけでも来てくれれば、と思ったが、バロンも歳だ。もう、俺達のようにはいかない。
「背を見せずに退がれ、迎撃しながらだっ」
 言って、後退を開始する瞬間だった。
 もぎ取られた。一気に五百、いや、一千の兵が一瞬でもぎ取られた。後退の調練もロクにしなかった。むしろ、攻撃以外の調練をしなかった。だから。いや、違う、そういう次元ではない。野戦での経験と才能の差だ。これが、指揮官の差なのだ。
 後退をやめた。下手に後退し続ければ、良いようになぶられる。
「ニール将軍、何を」
「黙ってついてこいっ」
 手綱を引く。獅子軍が一斉に原野を駆け始めた。その後を、ハルトレインの騎馬隊が追ってくる。とりあえず、逃げまくってやる。
 後退の角笛が、何度も鳴り響いていた。
「うるせぇ、黙って見てろっ」
 軍学など知るか。そんなもん、犬にでも食わせちまえば良い。俺は俺のやり方でここを切り抜ける。
 駆けた。全速。陣形を縦一本の線にした。目標。見定める。ヤーマスとリブロフの旗。
「突っ込めぇっ」
 喚声。敵槍兵の背後を突き破る。レンのスズメバチ隊。見えた。合流した。
「レン、何をやってんだ、早く俺を助けろっ」
「あぁ、任せろ」
 そう言って、レンとスズメバチ隊は敵軍の包囲網を脱した。
 バロンの後退の角笛があったからこそ、出来た芸当だった。あれが無ければ、俺はハルトレインから逃げる事も出来なかっただろう。後退命令が出ているのに、他軍と合流する。さすがのハルトレインも、ここまでは読めなかったという事だ。
 スズメバチ隊が原野を飛翔する。その先には、ハルトレインの騎馬隊があった。
「獅子軍はスズメバチ隊と連携を取る。後に続けっ」

     

 隻眼のレンに迷いは無かった。凄まじい気迫を放ちながら、一直線に私だけに向かってくる。
「来るか、隻眼のレン」
 呟いた。我が宿敵。しかし、まだ時は来ていない。勝負の時、決着の時。それは、今ではないと武人の勘が言っている。
 スズメバチ隊の背後には、獅子軍が居た。絶妙な位置である。攻撃と同時に連携を取ってくるつもりだろう。単独では楽に抑え込めたが、スズメバチ隊と一緒になると手強くなるに違いない。
 スズメバチ隊。すでに兵の顔が視認できる距離だ。
 出来れば、いなしたい。しかし、無理だろう。となれば、何度かぶつかり合って、ヤーマスとリブロフに任せるしか無いのか。ノエルのスズメバチ隊と熊殺し隊を動かさない作戦は、戦局を有利に運ぶにあたっては非常に有用である。
 決めた。ぶつかる。その上で、犠牲を最小限に抑えて、ヤーマスとリブロフの歩兵と合流、離脱する。
 初めて、向かい合った。その瞬間、互いの気が真正面から激突したのがハッキリと分かった。隻眼のレンは、渇望している。私との勝負、そして決着を渇望している。だが、まだ、その時は来ていない。
 衝突。見事だった。最前線で感じられた圧力が、中心に居る私にまで届いてきたのだ。陣形もぶつかった部分だけが、歪にへこんでいる。その上で、すでにそこにはスズメバチ隊の姿が無い。そして、さらに獅子軍が同じ場所に追い討ちをかけてくる。そうなると、へこみは穴へと姿を変えた。
 凄まじい連携力だった。スズメバチ隊、獅子軍という、それぞれが独立した軍でありながら、実態は二つ合わせて一つの軍だ。しかも、それは要所だけで、それ以外は二つの軍で機能している。その結果、私は逡巡をもたらされる。
 呼吸が合致しているのだ。単なる連携ではない。お互いに動き方を察知し合っている。まさに、阿吽の呼吸というやつだった。
 攻撃のからくり自体は単純だ。スズメバチ隊が攻めの起点、楔を打ち込み、そこを獅子軍が押し込んで崩壊へと繋げる。まともに相対すると、かなりの脅威だが、いくつか綻びも見えた。
 スズメバチ隊。再び、突っ込んでくる。それに合わせて、軍を後退させた。これだけでも、かなり威力を殺せる。今のスズメバチ隊は、突破を考えていない。あくまで、突撃と離脱だけだ。
 思った通り、スズメバチ隊はすかしを食らう形になった。惰性で、そのまま反転する。その先に一隊を向かわせ、横から突っ込ませた。さらに獅子軍。こいつには反撃を噛ませる。所詮はスズメバチ隊の付け足しだ。
 真正面からぶつからせた。さすがに初撃は重いが、兵には踏ん張らせる。獅子軍は、初撃の後に必ず勢いを失う。この初撃を耐え切れるか、または将が耐え切らせるかで、獅子軍への評価はかなり変わる。
 獅子軍が緩んだ。噛み付かせる。グイグイと押し込み、そのまま真っ二つに断ち割った。指揮官が慌てふためくのが、ここからでもすぐに分かった。攻めの勢いを失うと、獅子軍は一気に弱体化する。ここにさらに追い討ちをかける。
 瞬間、スズメバチ隊が反転してきた。突っ込ませた一隊をしっかりといなし、犠牲を抑えている。だが、あえて無視した。隻眼のレンの気が、私の全身を貫いたが、それさえも無視した。
 ヤーマスとリブロフが間に入ったのだ。まだ、隻眼のレンとは勝負の時ではない。
 尚も気を放ってくる。しつこい。お前の相手ばかりをしている程、私は暇ではないのだ。
 振り切った。同時に軍を進める。スズメバチ隊という名の主柱を失った獅子軍は、後退という名の退却を繰り返した。何度も反撃を試みてくるが、全てそれを撥ね返す。
 将としての器が違う、とは言わない。ただ、積み上げてきた経験が違う。戦の場数も、舐めてきた辛酸の数も。
 メッサーナ軍の本陣が、動きを見せ始めた。バロンの弓騎兵隊が陣形を組んでいる。さらには、クリスとアクトの歩兵が、前へ前へと進み出てきた。
 メッサーナ騎馬隊の三精鋭を、封じ込んだ。これはすなわち、速攻を封じた事と同義だ。ノエルの読みと作戦は、見事に当たった。
 弓騎兵は陣形を組んだまま、動かない。かつてのバロンなら、この辺りで駆け出していた。いくらか、老成したのか。それとも、単純に動けないのか。
 代わりにアクトとクリスの歩兵が前に出てきた。バロンを守る、という姿勢である。
 さらに後方から気。鮮烈な気だった。思わず、振り返る。
 青の具足。熊殺し隊。
「戦の趨勢を見極めて、反転したか」
 シオンの熊殺し隊を足止めしていたのは、フォーレ軍の弓矢だった。弓矢は向かってくる敵には強いが、退く敵には弱い。射程範囲まで、追わなくてはならないからだ。ましてや、熊殺し隊となれば、追いつく事もままならないだろう。
 しかし、私は熊殺し隊ともやり合う気は無い。
 すかさず、間にエルマンの歩兵が入り込む。シオンがしきりに振り切ろうとするが、エルマンは掴んで離さなかった。
 進軍。アクトとクリスが前に出てきた。後ろに控えるは総大将である。二軍からは、必死さがにじみ出ている。
 レキサス軍を呼んだ。勝機である。この歩兵の二軍を崩せば、それで終わる。
 ノエルは全身を震わせて、この状況を見ているだろう。今のところ、自分の作戦が全て当たっているのだ。
 レキサスが追いついてくる前に、私は動いた。獅子軍が態勢を整えかけている。歩兵と連携を取られると厄介だ。
 しかし、その瞬間、メッサーナ軍は鉦を打ち鳴らした。全軍が、一斉に後退を始める。スズメバチ隊も、熊殺し隊も、それぞれ包囲を破って退き始めていた。退却である。バロンは、戦況があまりに不利だと踏んだのだろう。
 好機だった。追撃すれば、一気に攻め崩せるかもしれない。だが、メッサーナ軍の隊伍をきちんと整えて退く姿を見ると、どうしても追撃の命令が出せなかった。特に殿を引き受ける、アクトとクリスは無傷だ。その上で、闘志だけは萎えていない。こういう時に追撃をかけると、思わぬ被害が出る事がある。
 ここは、慎重に動くべき所だ。
「戦線を押し上げた。それだけで、良しとするべきか」
 せめて、乱戦からの退却状態であれば、追撃は効果を挙げられただろう。まともにぶつかる寸前に退却を決断したバロンは、やはり非凡な男だった。
 まだ、痛撃は与えていない。あえて言うなら、獅子軍を痛めつけたぐらいだが、あれぐらいでは決して折れない。ただ、僅かに勝勢は得た。
 私は全軍に前進を命じた。

     

 退却から、ようやく腰を据えられたのは、夕刻を過ぎてからだった。ハルトレインの圧力は重く、追撃こそは無いものの、踏み止まるには多大な覚悟が必要だったのだ。特に殿を引き受けた、クリスとアクトは精神的に大きく消耗しただろう。退却中、最後衛の兵は、細かに入れ替えられていたのだ。
 陣を組んでいる間、損害報告が次々に挙がってきた。損害を最も食っているのは、やはり獅子軍である。実に二千五百の兵が討たれており、負傷兵は一千を超えている。今、その中から戦場に立てる者を検分中であるという。
 初戦は何も出来なかった。騎馬隊を使って、速攻をかけようとしたが、そこを良いように歩兵で防がれた。さらには、ハルトレインを自由にし過ぎた。というより、あそこまで力があると踏んでいなかったのだ。私がそうだし、軍師のルイスもそうだった。あえて言うなら、レンが危惧していたぐらいだったが、軍議の場でその意見が汲まれる事はなかった。
 決して、油断した訳ではない。ただ、実力をはかり違えた。そして、心のどこかでレオンハルトと重ねていた。かつてのアビス原野の戦いで相対したレオンハルトを、ハルトレインに重ねていたのだ。
 二人は親子でありながら、全く別の武将である。レオンハルトは静と動が同居していたかのような武将だったが、ハルトレインは動が圧倒的に強い。それを静で覆い隠しているだけだ。つまり、本質は動なのである。
 だから、要所で自らが動いた。スズメバチ隊とも向き合い、獅子軍も自分で叩きのめした。レオンハルトなら、そもそもでそういう展開にはしないはずだ。もっと無駄の無い用兵で、かつ肝となる軍とだけ戦う。先の話で言えば、獅子軍の相手は他の将軍にやらせただろう。
 ハルトレインの動を覆い隠しているのは、おそらく軍師のノエルだ。あるいは、レキサスかもしれない。いずれにしろ、こちらも戦い方を変える必要がある。
 初戦は負けた。しかし、武将の質や兵の練度などで劣っているとは、微塵も思っていない。
「騎馬隊だけでなく、歩兵も積極的に前線に行くべきではないでしょうか」
 幕舎の中で、クリスが言った。それぞれ、軍の主だった者達が顔を連ねている。軍議である。
「同意だ。初戦は騎馬隊を封じられたのが痛い。というより、騎馬隊だけで仕掛けたのが良くなかった」
 ルイスが言った。
「全軍が互いに連携するべきだ。これは私のミスでもある。獅子軍の損害も、私が招いたミスだ」
 そう言ったルイスに、ニールは驚きの表情を浮かべていた。ルイスも丸くなったのだろう。もっと若い頃であれば、獅子軍が弱かったせいだ、などと言って、場の空気を悪くしかねない所があった。
 しかし、ハルトレインとニールの実力に大きな差がある事は明白だった。まともに対峙させれば、次は潰走になってもおかしくない。兵力に差が出てしまっているのだ。
「ハルトレイン軍に対して、弱点を見たものは居ないか?」
 私は、全員を見回しながら言った。しかし、無言である。レンですら、唇を噛んで悔しさを顔に滲ませていた。
「あえて言うなら、騎馬隊を指揮している事ではないでしょうか」
 今まで無言を貫いていた、アクトが言った。全員が、アクトに視線を向ける。
「騎馬隊は動いていてこそ、力を発揮する兵科です。しかし、動かさなければ、それほど脅威ではない」
「先の戦では、俺とシオンもそれで封じられました。アクト殿の指摘は、間違っていないでしょう」
 レンが言った。
「やられた事をやり返す、という事か?」
「いえ、正確にはハルトレインを封じる事を最優先にしてはどうかと。その先で、他の軍を蹴散らす」
 良いかもしれない。いや、それしか無いだろう。とにかく、今はハルトレインが強すぎる。
「しかし、その役目を誰がやるか、だ。適任はスズメバチ隊と熊殺し隊だが、歩兵で動きを封じられる可能性が高い」
 ルイスだった。とりあえず、アクトの意見には同意という事だろう。
「歩兵は振り切れないか? レン」
「独力では時間が掛かります。敵は騎馬隊を封じ込める、という調練を嫌という程、重ねていると思います。ただ、他の軍の援護があれば、かなり楽になるでしょう。これはシオンも同じです」
「俺がハルトレインを抑えます」
 アクトが言った。眼には強い意志の色がある。
「対騎馬の調練なら、かなり積んでいます。ハルトレインが相手でも、やれるはずです」
 それを聞いて、私は唸った。
 レンとシオンを除くなら、やはりアクトだろう。しかし、不安もある。アクトは守りで力を発揮する将軍だ。決して、攻撃が得意な将ではない。それに、ハルトレインと対峙させて、防戦一方になるのであれば、これは無意味だ。封じるのではなく、単に引き付けているだけになるからだ。つまり、ハルトレインの意思次第で、どうにでも動けてしまう。
「援護を付ける。単独では、無理だ」
 ルイスが言った。はっきりとした口調だったが、誰も異議は挟まなかった。
「俺に、その援護をやらせてくれねぇか」
「ニール、その意気込みは買うが、お前に出来るのか?」
「わからねぇ。正直に言って、ハルトレインが相手じゃ、手も足も出ねぇよ」
 本来なら、私の役目だった。弓騎兵がメインで、槍兵がサブ。この組み合わせが、最も適任である。しかし、私は総大将だ。老いてもいる。
 まだ、戦場には立てる。しかし、若い頃のようにいかないのも事実なのだ。そうなると、次代に任せるしかない。
「獅子軍が傍に居てくれれば、かなり楽になります。直接、ぶつからずとも、側面から威嚇してくれれば、ハルトレインも無視は出来ない」
 アクトのこの一言で、獅子軍の参戦は決定したようなものだった。とにかく、次は徹底的にハルトレインを封じ込める。
「レンとシオンはクリスと連携。おそらく、次も敵はスズメバチ隊と熊殺し隊をマークしてくるだろう。それをクリス、お前が崩してくれ」
「分かりました。二軍が上手く動けるよう、支援しましょう」
 こういう時、クリスの存在は有難かった。決して目立つ事は無いが、高次元で万能であるため、何をやらせてもこなしてくれる。
 私達が勝つ鍵を握るのは、やはりスズメバチ隊と熊殺し隊である。この二軍が自由にならない限り、決定的な勝機は得られない。
 そして、どこかの機で、弓騎兵を使う必要があるだろう。過去のように、戦場を縦横無尽に駆け回る事は出来ずとも、要所で動けば良い。今のままでは、弓騎兵はただの飾りだ。
「バロン王、無理はしないよう」
 軍議散会の際、ルイスが言った。
 しかし、その言葉の裏には、弓騎兵が必要だ、という意味が込められている事を、私は見逃さなかった。

     

 ハルトレインの戦のやり方に、不満を抱く者は少なくなかった。無論、誰も表立って発言する事はないが、内在という形でくすぶっている。特に小隊長、大隊長といった、中堅の将校達にその傾向が見られた。
 不満の内容は、ごく単純なものだった。慎重すぎる、というのである。そして、その背景には、ハルトレインの神格化があった。
 あまりにも、戦が鮮やか過ぎたのだ。先の一戦だけの話ではあるが、勝ち方が完璧過ぎた。スズメバチ隊、獅子軍を十分な余裕を持って退け、獅子軍に至っては半壊とも呼べる損害を与えた。あのメッサーナ軍を相手に、ほぼ完璧な戦である。ノエルの作戦が加味されているとは言え、さすがにレオンハルトの血を引いているだけの事はある、と誰もが思っただろう。
 ただ、追撃をしなかった。これが不満の最大の要因である。しかも、そこから腰を据えて、メッサーナ軍と睨み合いを始めたのだ。
 ハルトレインの考えは、将軍達ならば全員が理解しているはずだ。無論、それは私も例外ではない。先の戦の勝利は、勝勢を僅かに得ただけである。戦況を決める程のものではない。また、追撃しなかったのも正解だろう。メッサーナ軍の退却の手際を見た限りでは、逆襲の恐れさえも感じさせていたのだ。
 そして、今の状況も、無闇に手を出すべきではない。メッサーナ軍の防備は堅く、攻めた所で兵を損耗させるだけだ。激しく攻め立てれば、状況も動くだろうが、それが有利な状況であるとは限らない。
 ハルトレインは間違っていないのだ。しかし、レオンハルトの血筋と戦の勝ち方が、それを曇らせている。ただ、同時に勝てる、という妙な魅力も感じさせていた。
 この戦は、絶対に負けてはならない。むしろ、勝たなくてはならない戦だ。国には宰相がおらず、内政は破綻寸前である。現に兵糧などは、遅滞が発生し始めていた。まだ影響は何も無いが、遅滞の発生という事実は見逃してはならない。今後、もし兵糧が届かない、となれば、これは死活問題である。そういう事も含めて考えれば、中堅将校達の気持ちも分からなくはなかった。
「レキサス、将校達が焦り出している。しっかりと抑えておけよ。特に若い奴らだ。勝手に突っ走られれば、一挙に戦局は不利になる」
 幕舎を覗きにきたエルマンが言った。エルマンはハルトレインの負担を少しでも減らそうと、陣中を駆けずりまわっている。出来る限り、戦だけに集中させたいのだろう。こういう所は、良く気配りが出来る男だった。
「ハルトレイン殿は、まだ思案を?」
「あぁ。というより、動きようがないのだろう。バロンもよく保つ。すぐさま反撃をしたいはずなのだがな」
 それだけ負け方が酷かったという事だ。酷い負け方をした後は、どうしても慎重になる。しかし、相手はあのバロンだった。単に慎重になっている、とは考えにくい。
「エルマン殿、兵糧の件ですが」
「分かっている。しかし、難しい問題だ。とにかく、宰相が居ない。いや、その代わりさえも居ないのだ。メッサーナの暗殺は、思いのほかに効果を挙げているという事になる」
「速戦を仕掛けたい所です」
「バロンは必ず動く。私は何度か戦った事があるが、このままジッとしているというのは考えられん」
「早く動いてくれれば良いのですがね。将校を抑えるのは簡単ですが、不満を取り除く事は難しい」
「私の勘ではそろそろだ。しかし、不満を除く、という点については、確かに難しい事だ。不満の根底には、周囲がハルトレインをまだ認めていない、という事実がある」
 その言葉を聞いて、私はエルマンの眼をじっと見つめた。
「戦の手腕は完璧だ。しかし、それはレオンハルト大将軍の血を引いているからだ、と思われてしまっている」
 エルマンの言うとおりだった。そして、私自身が思っている事でもある。
「レオンハルト大将軍の血筋は、あくまで軍を扱うだけの資格に過ぎん。戦の手腕は、ハルトレイン自身のものだ」
「我々の大将軍は、まだ認められていませんか」
「考えてもみろ。仮にハルトレインがレオンハルト大将軍であったならば、不満など出るはずもない。ハルトレインだから、不満が出ているのだ。いかに戦果を挙げようとも、これはすぐには解決しない」
 エルマンの言葉を聞いて、私は目を閉じた。結論から言えば、ハルトレインには魅力という意味での人望が無さ過ぎる。いや、まだ無い、と言う方が正しいのか。いずれにしろ、大将軍という立場でありながら、これは致命的な欠点である。
「ハルトレインは若すぎる。そして、今までの言動が良くなかった。人を惹き付ける、という一点だけは、レオンハルト大将軍に軍配が挙がるな」
「メッサーナは良くまとまっているのでしょうね」
「何故なのだろうな。あれだけの個性が集まれば、内輪揉めの一つぐらいは起きそうだが。ランス、バロンといった統率者が優秀だったのかもしれん」
 それに加えて、大志。志は、人の結び付きを強くする。メッサーナの大志は、常に一つである。天下統一。腐った国を打倒し、新たな歴史を作り出す。この一つの大志が、結束へと繋げているのだ。
 そういう面では、国は非常に脆かった。それぞれがそれぞれの思想を持ち、強者の元へと人は集う。今ではいくらかマシにはなったが、それでもハルトレインという一人の若すぎる男に、今でも多くの人間が寄りかかっている。
「エルマン殿、この戦に勝ったとして」
「言うな、レキサス。勝たなくてはならないのだ。ハルトレインに余計な負担を増やさないよう、お前も動いてくれ」
「エルマン殿」
「私は、ハルトレインが不憫でならん。生まれた時代、家系、育ち。そういったものが、枷になってしまっている。本質は間違いなく英傑なのに、だ。それこそ、ロアーヌやシグナス、隻眼のレンなど、比較にならないだろう。あのレオンハルト大将軍すらも超えるかもしれん」
「もうやめましょう、エルマン殿。お気持ちは察します。私も勝利のために尽力しますよ。そのために、ここに居るのですから」
「すまぬ」
 そういったエルマンの眼は、何かを訴えていた。いや、嘆いていた。
 夏の日差しが、幕舎の中を照らしている。

     

 警戒されているのが分かった。特に真正面に対峙しているアクトは、もう私しか見ていないだろう。迂闊に動けば、即座に刺す。そういう状態をアクトが維持しているのは、明白だった。
 しばらくの間、機を待つという形で睨み合いを続けていたが、ついにメッサーナ軍が腰を上げた。その間、軍内で統制が乱れようとしていたのは知っている。そして、それをエルマンやレキサスが抑えていてくれた事もだ。だが、それに対して感謝の思いなどは持たなかった。いや、持たないようにした。
 この戦は、そういうものを取り払わねば、勝てないからだ。私は戦だけに集中すれば良い。そういう状況を作り出すのが、エルマンやレキサスの役目である。感謝なら、勝った後でも構わないはずだ。
 アクト軍の真横では、手負いの獅子軍が牙を剥いていた。これも私を見ている。しかし、どこかに恐怖も纏わせていた。先の戦で、完膚無きまでに叩きのめされた事が影響しているのだろう。まともにやり合おうとするなら、次は指揮官の首が取れる自信もある。
 この二軍以外は、それぞれに気を向けているようだ。スズメバチ隊や熊殺し隊も例外ではなく、私など居ないも同然のように振る舞っている。
 両軍が前進した。私がすぐにでも動きたいが、アクトが居る。さすがに重圧は強烈で、先手を打つにはリスクが付きまとうだろう。
 スズメバチ隊と熊殺し隊は、まだ動いていない。しかし、動くと速い。先の戦では歩兵で封じ込めたが、今回はどうなのか。
 先に動いたのは、メッサーナ軍だった。クリスの戟兵隊である。珍しく、歩兵から使ってきた。その援護を、バロンが指揮する弓兵隊が担っている。しかし、このままクリス単独で攻めてくるとは思えない。
 エルマンを動かした。クリスは万能な将軍である。経験も豊富であるため、リブロフやヤーマス、フォーレといった若い将軍では振り回されるのがオチだ。
 エルマンとクリスが触れ合うか、という所で、スズメバチ隊と熊殺し隊が動いた。それに合わせて、リブロフ、ヤーマス、フォーレの三軍を動かす。先の戦と同じく、二軍を封じ込めるのだ。
 尚もアクトと獅子軍は私だけを見ている。
 バロンの弓兵隊が、二手に分かれた。それぞれ、スズメバチ隊と熊殺し隊の援護に入っている。弓矢で進路を作り出す、という恰好だった。リブロフ達もさすがに苦労している。ここでレキサスを動かしたいが、そんな事はバロンも読んでいるだろう。次の一手が来る可能性が強い。
 この戦はバロンとの読み合いだった。今のところは、互いに読み違えていない。要点としては、どの機でレキサスを動かすか、だ。今、動かしたい所だが、これは大きな賭けである。あちらには、アクトと獅子軍、バロンの弓騎兵隊が控えているのだ。これらが同時に動いたとすれば、かなり苦しい事になる。
 スズメバチ隊と熊殺し隊の動きが速い。バロンの援護が上手いのだ。ヤーマス達はなんとか囲もうと必死だが、二つの騎馬隊は、迫って来た歩兵を食いちぎっている。先の戦では、この二軍はそれぞれで独立していたが、今は連携攻撃を中心に動いているようだった。そして、連携すると脅威だという事がよく分かる。
 スズメバチ隊でズタボロにして、熊殺し隊でトドメの一撃を見舞う。単純な攻めだが、その実は高次元だ。二人の指揮官の呼吸が合わなければ、まずこれは出来ないからである。そして、呼吸を合わせるという事は、どちらかがどちらかの力量に合わせる事が肝要になってくるが、あの二軍はそれが無い。
 つまり、二軍の力量はほぼ同じなのだ。それも、高いレベルで。軍の特性が僅かに違うだけだ。元は同じスズメバチ隊という話だから、兵の力量が同じという事は納得できる。しかし、指揮官までも同じとなると、これは希少だと言えるだろう。
 思わず、唸っていた。そして、先の戦で封じ込めた事を、少し後悔した。あれだけの相手ならば、直接やり合ってみたい。そういう思いが芽生えたのである。
 手綱を握った。レキサスを控えとして、私がアクトと獅子軍を蹴散らすか。このまま傍観では、スズメバチ隊と熊殺し隊に荒らされるだけだ。
 決めた。同時に駆けた。風を切る。そして、アクトと獅子軍も動く。
 先に近付いてきたのは獅子軍だった。果敢である。いや、この場合は無謀と言う方が正しい。
 真正面。向き合った。ぶつかる寸前、真横に回り込む。そのまま突っ込もうとした瞬間、獅子軍が必死に背後へと回り込んできた。そして、正面にアクト。
 構わず、ぶつかった。穿つような一撃である。そして、すぐに反転する。そうすれば、犠牲は抑えられるのだ。浅い攻撃のため、アクトも犠牲を出していないが、陣が乱れている。さらに一撃。反転、一撃。次で決める。そう思った瞬間、横から闘気。
 獅子軍だった。かわせる。しかし、そうするとアクトの反撃を食らう。向きは変えなかった。ただ、攻撃のインパクトに合わせて、陣を蛇のようにうねらせる。獅子軍の突撃には、突破の意志が見えない。そうなると、必ず反転してくる。そして、それは陣をうねらせる事で威力を殺せる。その上で、アクトの反撃もいなせる。
 獅子軍が肩透かしを食らう。それに合わせたアクトの反撃も、存分な余裕を持って退けた。
 二軍に動揺が走るのを感じた。しかし、まだ闘志は萎えていない。ここに縛り付ける、そういう意志も感じ取れる。
 すぐに攻勢に転じた。さすがにアクトの守りは堅く、崩すには骨が折れるが、振り切る事は出来そうもない。いや、そんな事はするべきではない。
 覚悟を感じたのだ。命を賭して、私を押し留める。そういう覚悟が、アクトの陣から滲み出ている。
 その一方で、獅子軍は私の周囲を駆け回っているだけだ。ぬるい。かつてのシーザーが指揮していた獅子軍と比べると、ぬるすぎる。
 堅い岩が削られ、欠片が飛び散っていくように、アクト軍の前衛が次々に倒れていく。しかし、それでも堅い。
 その瞬間だった。背後から鋭気。即座に槍を回し、鋭気を弾き返す。
 矢だった。
「バロンか。王自らが動くか」
 弓騎兵隊が、原野を駆けていた。

     

 弓矢を構えた。狙いは一つ、ハルトレインである。先の一撃は防がれたが、あれはあくまで牽制だった。
 アクトとニールでは、あの男を押し留める事は出来そうも無い。ハルトレインの強さは、底の見えない強さだ。遠くから見ていると、良く分かる。ただ、純粋に強い。それ以外に、あの男を形容する言葉は無いだろう。
 あの男がメッサーナに居れば、どうなっていたのか。レオンハルトの息子、という邪魔な肩書きが無く、純粋な軍人として、メッサーナに居れば、想像もつかない程に早く天下は取れていたのではないか。
 武将としては、間違いなく傑物である。しかし、レオンハルトの息子だった。これが、あの男の全ての悲劇ではないのか。
 駆けた。馬の振動が、身体に響く。私も歳を取ったという事なのだろう。あるいは、馬がホークであれば、もっと楽なのかもしれない。ただ、ホークは死んだ。二代目は、シオンに譲った。時は流れ続けているのだ。
 アクトとニールが態勢を整えているのが目に入った。あの二人の相性は決して悪くない。ただ、ニールが全くと言って良い程、機能していなかった。ハルトレインに怯えてしまっているのだ。その上で、ニールはよくやっている。今はそれで十分だと思うしかない。逃げ出さないだけ、マシとも言えるのだ。
 さらに後方へと目をやった。レキサス軍は動いていない。エルマンとクリスは互角。レンとシオンは、歩兵三軍を相手に互角以上に戦っていた。ハルトレインも、この状況はよく理解しているだろう。その上で、レキサスを動かしていない。
 つまり、たった一人で私、アクト、ニールを相手にするという事だ。昔ならば、なんと傲慢な事かと思っただろう。しかし、今は違う。
「アクト、横に回りこめ。ニールは弓騎兵と並走」
 旗を振らせる。すぐに二軍が動き始めた。ハルトレインも原野を駆け回っている。相対。ハルトレインが突っ込む機を見定めようとしている。
「弓構えっ」
 兵達が一斉に弓に矢をつがえた。照準。片目を瞑る。鷹の目。年老いても尚、命中精度だけは自信がある。
 ハルトレインの眉間。そこに狙いを定めた。
「放てぇっ」
 風切り音。乱舞する。無数の矢が、ハルトレインの騎馬隊に向けて射込まれた。数十の敵兵が原野の中に消える。私の矢は、槍で弾かれたようだ。しかし、そんな事は最初から分かり切っている。
 さらに二射目。構え直しの隙を狙って、ハルトレインが踏み込んできた。そこにアクトが槍でけん制をかける。獅子軍、突っ込め。意思と共に旗を振らせた。
 獅子軍が動く。だが、勢いがなかった。怯えている。突撃に踏ん張りが無いのだ。ハルトレインの反撃。獅子軍が四散する形でかわした。いや、かわしたのではない。ニールの指揮が据わっていないせいで、兵がバラバラになっただけである。あれはただの偶然だ。
 獅子軍を下げるしかない。武将の質はともかく、気持ちすらも負けてしまっては、どうにも出来ないのだ。
「ニール、本来の自分を取り戻せ。父の勇姿を思い出してみろ」
 その瞬間、ハルトレインの気が途端に鋭くなった。攻勢。分かりやす過ぎる変化だ。いや、これにもきちんと意味がある。気は獅子軍に向けられている。
「ニール、下がれっ」
 すでに旗は振らせている。しかし、後退を開始すれば食いつかれるだろう。ニールもそれは分かっているのか、横にそれる形で戦場を駆け回っている。
 アクトを支援に回した。ハルトレインの横っ腹をけん制させる。その隙を突いて、獅子軍が全速で駆け、ハルトレインを振り切る。瞬間、ぞくりと背筋が凍った。
 ハルトレインが私を見ている。明らかな殺気。
 駆けた。同時に弓矢を構え、射撃の機を狙う。アクトも何かを感じ取ったのか、けん制の間隔を狭めた。ハルトレインからすれば、かなり鬱陶しい事のはずだが、あしらう程度にしか相手をしていない。むしろ、それで済ませる事が出来てしまっている。
 射撃。だが、かわされた。集中しろ。そう言い聞かせ、弓矢を構える。再び、放った。無数の矢が敵兵の表面を削り取るが、すでに相手との距離はかなり近い。ハルトレインは、私に狙いを絞っている。
 アクトがハルトレインから離れた。その動きには、明らかに焦りが生じていた。何故、離れたのだ。思うと同時に、さらに状況は緊迫する。
 騎馬隊。すでにハルトレインの顔の表情が視認できる。近い。近いが、振り切れないのだ。私の動きを読んでいるのか。
 弓矢。構えた。けん制をかけて、脱出を試みる。しかし、照準が定まらない。
 震えていた。自分の全身が震えている事に、私は気付いた。恐怖なのか。分からないが、矢が撃てない。
 ハルトレインが、近い。
「バロン王、限界ですっ」
 声が聞こえると同時に、アクトの槍兵隊が割り込んできた。ハルトレインの騎馬隊とぶつかる。一瞬でなぎ倒された。千、いや、千二百か。槍兵が騎馬隊に屠られる。
 完全な捨て身だった。この捨て身のために、アクトは一度、離れたのか。
 後退。しかし、それでもハルトレインはグイグイと押し込んでくる。槍兵隊が決死の覚悟で押し留める。原野が、血で染まっていく。捨て身である。防御は考えず、単純な壁となって行く手を阻んでいるだけに過ぎない。
 突き破った。騎馬隊が、槍兵隊を突き破ったのだ。もはや、背を見せて逃げるしかない。そう思った瞬間だった。
「バロン王、お下がりください」
 アクトだった。旗本だけで私の前面に躍り込んできた。将軍自身が、盾になるという恰好である。アクトの姿をみると、腹から血を流している。
「アクト、怪我を」
「早くお下がりください。本陣まで、全速で」
 そう言って、アクトが旗本だけでハルトレインの騎馬隊の前に立ちはだかる。死ぬつもりか。そこまでしなければ、ハルトレインは止まらないというのか。
 後退した。獅子軍と合流し、堅陣を敷く。さらにアクトの槍兵隊が、旗本の周囲を固めていく。自らの主を守るために。その一方で、レンとシオンが戦局を覆そうとしているのが見えた。ハルトレインの騎馬隊が、後方を向く。レンとシオンの方向である。
 槍兵隊の旗はまだ立っている。しかし、アクトの安否が気にかかった。私を守るために、自らの身を挺したのだ。確認したいが、まだ戦は終わっていない。
 ハルトレインの騎馬隊が、レンとシオンの方へと駆けていった。
 戦は続く。命を拾った事で、気が緩みそうになった自分を、私は叱咤した。

     

 退かなかった。攻め続ける事で、ハルトレインの注意をこちらに向けようとしていた。本陣はズタボロである。バロンの弓騎兵隊の損害は軽微だが、アクトの槍兵隊が酷い。壊滅状態にまで追い込まれていたのだ。だが、それでも俺は退かなかった。
 スズメバチ隊が最前線で暴れ続ける事には、重大な意味がある。それは敵への重圧であり、味方への士気鼓舞であったりする。この意味がある限り、そしてハルトレインがこの一戦に全てを賭けていない限り、ハルトレインは必ずここに来るはずだ。俺はそう信じ続けた。
「シオン、ここで敵将の首を何としてでも奪る。スズメバチで敵軍をハチの巣にしてやるから、熊殺しが首を奪れっ」
 リブロフ、ヤーマス、フォーレの三軍である。巧みな連携は見事なものだが、数を恃んでいる事は明らかだった。俺とシオンの兵力は合わせて二千。対する敵将の三人は、それぞれ一万を率いている。敵に油断は感じられないが、必死さも感じられない。いや、すでに必死なのかもしれない。三万もの兵力を使って、二千と対しているのだ。
 力量差があるのか。もしそうだとするならば、戦場に出てきた事を後悔する事になるだろう。これは戦だ。生きるか死ぬかの二択の中に身を置く。死んだ父も、きっとそうだったに違いない。俺自身もそういう覚悟は、とうの昔に決めてきた。
 タイクーンの腹を腿で絞り上げる。敵陣を貫く。そう伝えた。同時にドクン、と熱い何かが身体の中で蠢く。
 風。感じていた。両脇で、敵軍が波のように押し寄せてくる。俺とシオンの動きを封じるための動き方である。それを互いに連携してやってくる。鬱陶しいが、動きそのものは遅い。歩兵に追い付かれる程、俺のスズメバチ隊はのんびりはしていない。さらにシオンが、連携の為に後方で駆けている。
 抜けた。そして反転する。シオンも同じ動きをした。
 刺す。向かい合った敵陣を、錐で穴を開けるように細かく刺した。すぐに敵兵がカバーに走ってくるのを見極め、別の場所を刺す。しばらく、それを繰り返した。すると、敵陣が僅かに乱れ始めてくるのだ。
 背後でシオンがけん制をかけているため、敵軍も思うように動けていない。その時、三軍は大軍の利を活かして、囲い込もうとしてきた。
 連携を捨てた。三軍は、スズメバチ隊の攻撃をどうにかするために、一時的にではあるが、連携を捨てたのだ。俺はこの時を待っていた。この一瞬で、首奪りを完遂させる。
「縦列」
 すぐにスズメバチ隊が陣形を組み直す。攻撃しながら、それをやった。狙いはヤーマス。
 疾風。紙を突き破るように、敵陣を貫いた。敵軍が慌てふためく。同時に動きを変えようとしていた。しかし、もう遅い。再び、敵陣を真っ二つに割った。さらに割る。ここでシオンが動いた。
 並走。割った陣の中を、二つの騎馬隊が駆ける。ヤーマスの顔。見えた。焦りの色は無い。退く事もしない。どこかから、将軍、という声が聞こえる。
 ヤーマスが前に出てきた。旗本。自らの主を守ろうと、決死の動きだった。それをスズメバチ隊で蹴散らす。文字通り、一蹴だった。血。同時にヤーマスの首を、シオンの方天画戟が吹き飛ばす。
 熊殺しがその勢いで、敵陣を駆け巡る。敵兵が算を乱し始めた。残りの二軍は、包囲網を敷いている。
 駆けた。敵兵の壁の中を、抉るようにして駆けた。すでに全身は返り血で染まっている。
 不意に、ある一方だけ重圧が無くなった。誘い。直感的に俺はそれを察したが、あえて乗った。この誘いすらも叩き潰せば、敵の戦意は根こそぎ落とせる。
「シオン、まだ駆けられるかっ」
「無論です、兄上」
 乱戦の最中、言葉のやり取りはそれだけだった。
 スズメバチと熊殺しが一体になる。ただそれだけで、敵が縮こまるのが分かった。しかし、心の奥底に何かを持っている。誘いなのか。
 疾走した。螺旋状の切り刃の如く、触れるものを吹き飛ばしながら、一気に駆け抜けた。
 瞬間、鋭気。いや、違う。覇気か。
「隻眼のレンと熊殺しのシオン、ここまでだ」
 ハルトレインだった。
 血が滾った。それだけじゃない、様々な感情が身体の中を駆け巡る。怒りか、闘志か。
 天に向けて、俺は吼えた。さらに一喝。
「ハルトレイン、この戦で貴様をっ」
「感情を見せすぎだ。私は昔とは違うぞ」
「兄上、フォーレとリブロフが居ます。今は状況が不利すぎます」
 分かっている。しかし、この男は仇敵なのだ。このまま、何もせずに引き下がれるものか。いや、引き下がって良いはずがない。
「兄上っ」
「シオン、男にはやらなくてはならない時が必ずある。ここで何もせずに逃げれば、俺はハルトレインに一生、勝つ事ができん。逃げるなら、お前だけで逃げろ」
「ならば、熊殺し隊も戦うまでです。しかし、敗走はできません。つまり、長居はできない」
「無論」
 その瞬間、ハルトレインの眼に炎が宿った。来い。そう言っている。
 駆ける。熊殺し隊と分離し、挟撃の形を取った。すぐ背後には、フォーレとリブロフが居る。ヤーマスの軍は統制が乱れているが、副官が上手くフォローしている所を見れば、そう時間も掛からずに動いてくるだろう。
 ハルトレインが駆け始める。明らかに他の軍とは駆け方が違った。不用意に仕掛ければ、強烈な反撃を貰うだろう。だが、ハルトレインの真骨頂はこれではないはずだ。あの男の真の力は、攻めにこそある。今は守りの駆け方だった。
 ハルトレインを中央に挟みこみ、スズメバチと熊殺しが疾走する。
 槍を握った。同時にタイクーンの腿を絞り上げる。仕掛ける。そう伝えた。
 疾風。敵。見えると同時に、槍を放った。

     

 再び攻撃を仕掛けた。しかし、いなされる。シオンとの挟撃だが、それでも威力を殺されていた。
 防御が上手いだとか、勘が冴えているだとか、そういう次元の話ではない。 
 ハルトレインは戦の天才なのだ。これまで、俺は何度も対峙してきた。そして、あの男はいつも成長していた。今もそれは変わらない。この天下で最強の男は、ハルトレインだろう。悔しいが、認めざるを得ない。しかし、だからと言って退いて良い理由にはならない。
 隊を分散させて、攻める事にした。防御面ではかなり危険になるが、このまま攻め続けた所で何も進展はないだろう。とにかく今は、状況を変える一手を打つ事だった。
 駆ける。緊張の一瞬である。同時に恐怖に似た感情が、俺の心の中を掠めた。この攻撃すらも駄目だったら、どうすれば良い。戦の手腕で、歴然の差を味わう事になる。隊を分散させての攻撃は、スズメバチ隊で最も得意とする攻撃なのだ。さらには、父であるロアーヌの頃からの伝統でもあった。その攻撃が駄目だったら。
 初めて味わう感覚だった。戦場で弱気になる事など、今までは有り得ない事だった。それほど、ハルトレインは強いという事なのか。
 頭を横に振った。しっかりしろ。弱気になるな。敵を大きく見過ぎるな。何度も自分に言い聞かせた。
 タイクーンが軽く鳴いた。自分を信じろ。父の作ったスズメバチ隊を信じろ。そう言われたような気がした。タイクーンの身体が熱い。その熱は、俺に勇気を与えてくれる。
「ありがとう、タイクーン」
 シオンに合図を送った。分散攻撃を仕掛ける。シオンはそれに合わせて、都度適切な行動を取ってくれるはずだ。
 勝負だ、ハルトレイン。
 疾風と轟音。槍を天に突き上げる。同時に一千のスズメバチ隊が十隊に分かれた。ハルトレインの側面を、それぞれが飛翔する。同時にハルトレインの騎馬隊から気炎。この戦で初めての気炎だった。ようやく、力を出す時が来た、という事なのか。
 風。そして光。十隊が一斉に仕掛ける。敵に逡巡を与えないよう、間断なく突撃を放った。まとまって仕掛けるよりも、分散して攻撃箇所を増やした方が、敵に与える損害は多くなりやすい。元々、敵とまともにぶつかり合う兵は限られているのだ。
 ただ、連続かつ強烈、しかも均等に攻め続けられる事が必須条件だった。これは天下を見渡しても、スズメバチ隊にしか出来ない事だろう。だからこそ、分散攻撃はスズメバチ隊の伝統であり、十八番なのだ。
 ハルトレインが騎馬隊をまとめ直した。十ヵ所で攻撃を受けているのだ。突撃と反転の繰り返しで核へのダメージは望めないが、何しろ手数が多い。さすがに敵陣も乱れている。ここにシオンの攻撃が加われば、と感じたが、攻めている俺とは別に何かが見えている可能性がある。
 突撃。瞬間、ハルトレインの騎馬隊が向かい合って来た。攻撃のインパクト。カウンターに近い。反撃を食らう。それに反撃を噛ませるしかない。そう考えた一瞬、ハルトレインの騎馬隊は、まるで何かに押し潰されたような形で、横に反れた。シオンの熊殺し隊の攻撃だった。まとまっての突撃で、威力は相当なものだろう。待ちに待っての一撃。
 ハルトレインが吹き飛ばされまい、と踏ん張っている所に、スズメバチ隊の突撃が入った。行ける。号令を出そうと、右手を挙げかかった。だが、挙げられなかった。
 耐えていたのだ。それだけじゃない、シオンの熊殺し隊を押し返している。さらに気炎。ハルトレインの騎馬隊が拡がる。まるで花が咲いたかのような、見事な動きだった。
 そのまま、熊殺し隊を囲い込む形で、挟撃に入った。揉みに揉み上げるような攻撃である。あのような攻撃はとことん効く。兵力差も相まって、数分もあれば、壊滅状態にまで持ち込まれる危険性がある。
 急いで隊を一つにまとめた。一点集中の突破を狙う。分散攻撃は反転しない突破には不向きである。反撃を受ける可能性が非常に高いからだ。
 疾走。勢いを付けた上で、後方から仕掛ける。しかし、堅い。一万という兵力を存分に駆使しているのか、突破攻撃を仕掛けても大きな効果は得られない。すでに防御の壁が完成しているのだ。
 側面に回り込んだ。素早く、攻撃態勢を整える。さらに兵の壁が最も薄い場所に狙いを定め、駆けた。尚も突破命令。とにかく一度、陣を割らなければ、シオンの熊殺し隊は抜けられない。
 ぶつかる。巨大な岩。押す。跳ね返してくるが、尚も押す。破った。一直線に駆け続ける。
「シオン、抜け出ろっ」
 力の限り、叫んだ。駆け続ける中で、青の具足が地面にいくつも転がっているのが目に入った。熊殺し隊の兵達の屍である。
 熊殺しの旗が揺れる。抜け出せないのか。
「レン殿、一度、抜け出て反転するしかありません」
 ジャミルの叫び声。舌打ちした。そんな余裕はない。敵はハルトレインだけじゃなく、リブロフやフォーレ、ヤーマスの残党まで居るのだ。もう戦い続けるのは難しい。
 瞬間、闘志。背後から感じた。シオン。
「ジャミル、俺の代わりに指揮を執れっ」
 タイクーンの手綱を握り、馬首を回した。旗本もそれに倣う。
「レン、絶対に死ぬなっ」
 ジャミルの物言いが昔のものに戻っていた。窮地。そんな事は分かっている。しかし、弟は救う。
 槍を振り回した。旗本が一心不乱に付いてくる。
「シオンっ」
 居た。だが、奥にハルトレインの旗が見えた。あの男が直々に。だから、抜けられなかったのか。
「兄上」
 シオンの具足はズタボロだった。血も滲んでいる。しかし、大きな傷は受けていないようだ。
「付いて来い、抜け出るぞっ」
 ハルトレインの旗の事は、頭から追い払った。決着の時は今では無い。そう何度も自分に言い聞かせ、激昂しそうになる自分を抑え込んだ。
 駆けた。敵中である。攻撃は凄まじいものがあった。息を激しく乱しながら、とにかく駆け続けた。
 虎縞模様の具足。それが視界に入った。ジャミルが道を確保してくれている。
 合流。シオンを中心に、熊殺しの生き残りもまとまった。二隊で陣を突き破り、抜け出る。
 追撃を用心したが、そういう素振りは見せない。敵も疲れているのだ。
「本陣まで駆け抜ける。遅れるなっ」
 全身が熱かった。本陣に向かう途中で、まばらに敵の攻撃を受けたが、ハルトレインのものと比べれば、天地ほどの差があった。あの男だけが、あの男の軍だけが、特別に強い。
 本陣に帰り付いた時、両軍の鉦が鳴っていた。

       

表紙

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Neetsha